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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 6.5
141/613

敗北と回想

 

 あの日、零二は負けた。それも完膚なきまでに。

 単なる敗北なら、過去にも幾度もあった。

 あの白い箱庭で、幾度も幾度もだ。

 だがこの敗北は、彼に大きく、深い傷痕を残した。

 それは文字通り、肉体面に、そして何よりも精神的に。



 相手は藤原新敷、かつての零二、当時は”02”と呼ばれた被験者の戦闘訓練を受け持った教官。

 彼と、もう一人の被験者を日々嬲り痛め付けた男。

 そして、二年前のあの日。そう全てが一変したあの日に於いて。

 この手で殺した、と思っていた男だった。



「う、……ぐが――ッ」

 激しい痛みで目を覚ます。

 全身に汗をかいているのか、シャツが肌に張り付いていて、何とも気持ちが悪い。

「ちぇ、いってェな……」

 ズキリ、とした痛みを感じるのは生きている証に他ならない。

 手も足もピクリともしない。

 辛うじて動くのは眼球だけ。

 全身がとにかく自分のモノじゃないみたいな感覚。

「これじゃまるでお人形さンだな、オイ」

 思わず苦笑しようとしたが、むせる。どうやら、呼吸するのさえもかなりキツいらしい。

 どうもリカバーは発動していないらしく、つまりは今、彼の身体は自然治癒という事らしい。


「に、しても……」

 改めて眼球を動かすと、見覚えのある多数の調度品が見える。

 どうやらここは彼の実家である武藤の家。零二の部屋らしい。

 本棚には一年前まで散々読み倒した辞書や図鑑等の専門書が本棚に整然と収められている事からまず間違いはない。

「はぁ、まぁ仕方ないか」

 思わずため息をつく。

 彼はこの実家には滅多に帰らない。

 何故なら、

 ここには父も母もいない。いるのは家を維持してくれている家政婦メイドや警備員、そして後見人にして師匠である加藤秀二だ。ちなみに零二は彼らを嫌っている訳ではない。寧ろその逆で口にこそ出しはしないが、彼らには感謝と親しみを抱いている。

 それに、加藤秀二、つまりは秀じいにせよ、家人の皆にせよ零二が前触れもなく実家に立ち寄っても嫌な顔一つせずに迎えてくれるし、居心地自体が悪い訳では決してない。

 ただ、何となく思うのだ。ここはオレの居場所なんだろうか、と。そしてついつい足が遠退くのだった。


 彼らに初めて対面した時、彼らは一様に新たな主人たる少年を前にして喜んでくれた。

 正直いって困惑したモノだ。

 だって、彼らが何故そんなに笑っているのかが判然としなかったからだ。赤の他人である自分なんかを見て何がそんなにいいのかが当時の彼にはサッパリ分からなかった。

「うう、ッッッ」

 意識が朦朧として、意識が薄れて……途切れる。

 そうして、零二は夢を見た。

 それはかつての自分の夢。

 その街に少年がやって来た際の話を。


 ◆◆◆


 そう、それは二年前の事。

 白い箱庭での忌まわしい出来事から生き延びた彼は、外の世界に出る事になった。

 いや、それは違う。投げ出される事となった。

 少年は暴走の揚げ句、現地を偵察しに来たWDの部隊を複数全滅、そしてその後ようやく捕らえられた零二は、命の危機に瀕していた。

 与えた損失の大きさにある者は怒りを覚え、またある物は恐怖を感じ、そして協議という名を借りた一方的な断罪協議の結果、上層部は”被験者No.02”をすぐにでも排除する事を多数決で評決。WDでも精鋭中の精鋭部隊である”ナイトハウンド”を用いて実行しようとした所に、大多数の意見を遮る形で九条羽鳥が彼の身元を引き受ける事になり、九頭龍へと来る事になった。

 その道中。


「……………………ン」

「どうかしましたか? 【武藤零二】君」

 スモークガラスから見える景色を物珍しげに、マジマジと眺めながら少年に九条は問う。彼にはまだその呼称に実感がない。理由は物心ついた時には既に白い箱庭にいたからだ。あの実験施設は彼を始めとして、まず始めに実験用に集められた子供達から名前を奪った。


「なぁ、何処に行くンだい?」

「九頭龍です」

「くずりゅう? なンだよそこは?」

「簡潔に答えるならば、……本来、貴方の暮らすべき場所です」

「ン? って言うと、そこに【家】があるってコトかい?」

「ええ、そうです」


 九条はこれ以上は答えるつもりも無いらしく、手にしていた書類を読み始める。

 その雰囲気は、零二をして近寄りがたいモノだった。

 だから、そこから先はただ車窓を楽しみ、寝て、気が付けばそこに着いていた。



「はぁ、ここがオレの家ってコト?」

 零二は息を呑む。

 目の前にそびえる建物にただ圧倒される。

 彼は外の世界に出てまだ数時間しか経っていない。

 だが、それでも目の前にある建物からは何かしらこちらを圧倒する何かを感じていた。

 そこは洋式の住宅。後で聞いた所によると、部屋数は二〇で、暮らしているのは三〇人だそう。

 いずれも先代から、つまりは零二の本当の父親に雇われた者で、今もその契約に従っているのだそう。

 今まで零二は、大勢の人間、というモノにいい感情を抱いた事が無かった。

 彼らは白衣を来た研究者達で、自分を始めとした大勢のマイノリティの子供達を人間扱いしなかった。

 研究者達は子供達に様々な非合法な投薬実験にそれから”性能チェックという理由で殺し合いを幾度も繰り返させられた。

 彼らは生き残った被験者のデータ収集等と言って手術台へと搬送。その都度、その身体にはメスが入る。

 あの白衣の連中は零二を含めた全ての子供達を、モルモットとしか捉えていなかったのだ。

 零二にとって大人の集団、とはまさにそういった無数の悪意の象徴であって、実家とやらに着いた際の用な、今の事態には、ただ困惑するしかなかった。

 大勢の大人が整然と並び、零二へと視線を向けている。

 だが、一様に悪意は感じない。こんなのは初めてだった。

「さて、ここの人達は貴方を傷付けたりはしません。安心してください……武藤零二君」

 すっかり硬直し、一歩前へ踏み出せずにいる少年の背中を押すのは九条羽鳥。

 その背中にそっと、手を添えると前に優しく押し出す。

「ちょ、待ってくれ」

 戸惑う零二をよそに九条はこれで役目は終わりとでも言うのか背中を向けると、そのまま乗ってきた黒塗りのベンツへと乗り込んでいく。

「ちょ、オレはどうすればいいンだよ――!!」

 走り去っていくベンツを呆然とした顔で見送る零二の、すぐ背後にいきなり誰かの気配がした。咄嗟に飛び退きつつ、振り返る。

「よい反応です」

 そこにいたのは一人の老人。

 年の頃は恐らくは六〇代、サングラスに黒い執事服を纏い、杖こそついていたものの、スッとした立ち姿で零二をへ手袋をつけた手を差し出す。

「まずは家にお入りください【若】」

 その初めての呼ばれ方に零二は顔をしかめる。そうして、数秒程間を置き、意を決したのか目の前の老人へ尋ねる。

「……若、ってオレのコトなのか?」

 老人はただ一度頷いて肯定する。

「ここは……オレの【家】なの、か?」

 老人はゆっくりと頷くのみ。

「オレは……誰なンだよ?」

 それは自分が誰なのかすら知らない少年の不安。

「今日からここは……若の【帰るべき場所】です。

 そして若の名前は、武藤零二。我等一同がお仕えするべきお方でございま」

 老人は、そう言うと零二の手を取る。

「あ、」

 零二が思わず声を洩らす。警戒心が拭えない今の状況。そこに自身の手を掴まれた事で、熱の壁が発動。老人の手がシュウウ、という音を立てて手袋が瞬時に燃えていく。

 そんな光景を目にすれば、普通であれば恐怖に苛まれても不思議ではない。

 だが、家政婦を始めとした家人達は誰一人として一切の動揺を見せない。それどころか、零二を真っ直ぐに見据えている。

 さらに、

 老人はというと、彼もまた動じる事なくその手を離さない。手が燃えているのに。

「バカ、何考えてンだアンタ!! 今すぐに手を、離せよ――」

 だが、それでも老人は掴んだ手を離さない。

「離しはしませんぞ――――もう二度と」

 老人の言葉、そしてその手に込められた力強さに零二は驚く。

 どうしてだかは分からない、だが。

 不思議と、零二の警戒心は解きほぐされていく。

 そうして……気が付くと熱の壁は消えていた。


「アンタ、とンでもないバカだな。その、名前は? あるンだろ? ……外の奴らには全員名前があるって九条羽鳥から聞いたぞ」


 零二は老人に尋ねる。


「私は若の世話役と後見人を受け持たせて頂く、【加藤秀二】と申します。宜しくお願いします、零二様」


 そうして、零二は秀じいに出会った。

 それは、彼にとって父親代わりの人物との出会いであった。


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