そして彼女は求める
九条羽鳥のオフィスにて。
遮光フィルムが貼られている為にこの部屋に入る陽射しは然程強くはない。少し暴力的なその陽射しもここでは心地いい。
そこで、
「さて、今回の任務。まずはお疲れ様でした」
零二はまず労いの言葉を受ける事になった。
しかも、珍しく零二の目の前の応接テーブルには紅茶にお茶菓子まで置いてある。零二はこの歓待ぶりが信じられなくて思わず頬をつねる。
「痛い、じゃ……マジか」
「何をしているのですか?」
「いや、これってマジかなぁってさ、ハハ」
「昨日の件は貴方にとっては不本意な任務であったと思いますので。これはほんの労いです」
「ああ、そーゆーことなら遠慮なく♪ あ、これ美味い。マジで美味い」
そう言いながら大喜びで皿に盛られたクッキーに手を伸ばす零二は完全に、いや寧ろ年齢以上に幼く見えてしまう。がっつく様にクッキーを口に入れていき、紅茶を啜る様は完全に子供そのもの。
それを目の当たりにし、九条は「ふふ、」と普段はまず見せる事のない笑顔と声をあげる。
「ン、なンだよ? 変なコトしたかオレ?」
バカにされた様な気がした零二は口先を尖らせる。
その様子に更に九条は含み笑いを見せる。
「いえ、こうして見ていると貴方は本当に子供ですね」
「わ、悪いかよ。どーせ姐御からすりゃ、オレなンてガキもいいトコだろうよ」
「そうですね、ですがそれでいいのですよ」
「そーかよ。ま、いいけどよ」
如何にも納得いかないものの、零二は細かい事を気にしない事にしている。
そもそも、二年前に彼女に拾われなければ零二はこうして外の世界を知る事もなく、既に死んでいてもおかしくはないのだ。
だから基本的にこの粗暴なこの少年も彼女にだけは従う。
(だって姐御はオレの恩人なンだからよ)
だからこの不良少年は、彼女にだけは自分のカッコ悪い所を見られても構わない、そう思っている。
何故なら、
(もう、一番最低最悪なトコを姐御には見られちまってンだし、さ)
そして、部屋にはバリバリとクッキーに食いつく音だけが響いたのだった。
数分後。
「ふぃー、食った食った。いやー満足満足♪」
満面の笑みを浮かべながら、零二は暫しの満腹感を堪能していた。
「ふふ、流石としか言いようのない食べっぷりですね」
皿に盛られたクッキーの分量は軽く見積もってもキロ単位だったが、そんな圧巻のクッキー地獄も武藤零二という、年中腹ペコの食欲魔神たる少年の無尽蔵とも思える食欲の前ではものの数分で鎮圧されてしまうのだった。
「さってと、……じゃあさ用件に入ってくれないかな?」
「いいでしょう。では、今回の件ですが貴方はどう思いましたか?」
「今回の? どうって?」
「今回の件ですが、要請がなくとも私は貴方を派遣していました」
「ふーん、つまりはどの道……オレはあの薄気味悪ぃオッサンの相手をしていたってワケだ」
零二の脳裏に浮かぶのは昨晩自身がトドメを刺した不気味な男。
彼も理解していた。あの男をアッサリと仕留める事が出来たのも、相手が弱っていたからに過ぎない。
そして、彼は遠目ではあったが視ていた。
あの戦闘の光景を。
判然とはしなかったが、あれ程の炎を手繰る事が可能な相手はそうそういるものではない。
そして、それを出来得る人間を零二は一人知っていた。
(怒羅美影……ファニーフェイス。でもあれは……なンだってンだろうか?)
幸いにもあの森には、周囲に余分な熱源が無かった為に微かなシルエットとは言え、大まかな状況は把握していた。
だから、分かる。あれだけの炎を手繰れる相手は彼女位だと。
だから分からない。
だったら何故、僅かな時間とは言え彼女は明らかに炎とは真逆の”ソレ”を手繰れたのかが。
それは間違いなく矛盾した事象だった。
高レベルの炎と氷。
あれだけの事を出来るマイノリティ等聞いた事もない。
そして零二はまだその事を目の前にいる上司にも話していない。
正直、話していいかも分からない。
何故そう思うのかは分からない。だが、話してしまう事で何かが変わってしまう、そう思えてならなかった。
(だけど、あの場にはもう一人いた。笠場庵ってヤツが)
あの男が美影のアレを口外すればそれで終わりだ。
だとしたら今ここで話しても何の問題も無い、はずだ。
だと言うのに。
結局、零二は話せなかった。
そんな葛藤に苛まれる零二の様子に九条も気付いていた。
二年間の付き合いとは言え、この才女はこの少年を見守って来たのだから。
この一見すると、粗野で向こう見ずな命令違反の山を築く不良少年が、その実、繊細な精神の持ち主なのだと。
実際の所、彼はまだ子供なのだ。
彼が世界を知ってまだたった二年、だからまだ彼は世界を知っていない。
今、自分が問いただせばこの少年は、恐らくは何を秘しているのかを口にする事だろう。
だが今、それはしない。
この少年は、その機会が来れば自ずと話す事だろう。
なら、それを待つだけの事だ。
だから九条は何も聞かず、ただ話を続ける。
「かの御仁はこれ迄幾度となく各地に出没しては、数多の命を奪い続けていた危険人物です」
「そうなのか? ヘェ」
「それにかの御仁は【教団】の関係者です。恐らくは九頭龍に来たのも教団に関係しているのでしょう」
「……教団って何ぞ?」
零二はポカンとした表情。それも当然、彼は”教団”なる存在を今、初めて知ったのだから。
「そうですね、ならばこの際――」
九条の口調、眼光が一変する。
零二は冷や汗を背中にかくのを感じる。
普段なら、決して汗などかかないはずなのに。
気が付けば唾を飲み込み、ただ静かに話を待っていた。
「――貴方は知っておくべきかも知れませんね。教団について。
これは貴方にも関わりのある話なのですから」
そして、九条は語り出す。
その話を。
◆◆◆
「はああっっっ、はあ、はあ……」
気合いを込め、美影が飛びかかっていく。
黒を基調にしたWGの戦闘用アンダーを着た彼女は、肩で息をしている。
今、彼女の眼前にいるのは家門恵美。
二人は今、手合わせの最中であった。
ただし、いつもとは違う点が一つだけ。
それは互いに”素手”での手合わせであった事。
「るあああああ」
美影が両手から一瞬炎を噴出し、一気に加速。
その勢いをいかしたままで回し蹴りを相手の首筋へと振り抜く。
強烈なその一撃は普通であれば一撃で相手の頸椎を損傷させ得る程の一手。仮に防御してもそのまま押し切って吹き飛ばす。
それに対する家門は、目を閉じて呼吸を整える。
誰もが一つ勘違いをしている事がある。
それは彼女のイレギュラーによる攻撃が拳銃を発現させての射撃である事から、彼女が近接戦闘を得意にしていないだろう、という勘違いだ。
それは違う。
家門は確かに、拳銃を用いての正確無比な射撃を得手としてはいる。
だがそれは彼女が近接戦闘が不得手である事には繋がらない。
実際にはこの支部の中で格闘技術だけなら彼女は一番なのだ。
だから聖敬の相手をしてもそうそう遅れは取らない。
美影の蹴りがいよいよ襲いかかる。
その蹴撃がいよいよ首筋へと近付いた時。
「つっっ、」
呻くのは美影、その蹴り足に肘が叩き込まれていた。
蹴りが直撃するほんの少し前、家門は身体を逸らす。そうして蹴りの直撃を防ぐと同時に腰を捻りながらの肘打ち。
激痛に顔を歪める美影。だが、そこで終わらない。着地した足を家門は素早く払う。アッサリと軸足を刈られ倒れる美影。
その身体に馬乗りとなった家門が鉄槌を振り下ろそうとし――その眼前で寸止めした。
「くそ、っっ。またアタシの負けかぁ」
美影は心底悔しそうな表情を浮かべる。
「美影、今日位は休みなさい。疲れてるんでしょ?」
家門は手を差し出し、美影はそれを掴むと起き上がる。
これでかれこれおよそ二〇分。ぶっ続けで素手での手合わせが続いていた。
家門は汗こそかいていたが、息は上がっていない。
理由は簡単で最低限度の動作しかしていないからだ。
美影は荒くなった呼吸を落ち着かせる。
そして、言う。
「まだよ、もう一度お願い」
美影は今、追いかけていた。あの全てが静止したかの様な感覚を。
あのイレギュラーを扱いたかったからこその手合わせ。
(あれさえ使えればもっと強くなれる)
家門にはあのイレギュラーにはついて話をしていた。
だからこそ、彼女は協力していたのだ。
「いいわよ、じゃあ今度はこちらから仕掛けるわ」
副支部長はそう問いかけると飛び込んできた。
(アタシはもっともっと強くなる、強くなれる――だから)
家門の攻撃を受け止める。
そして、
「もう一丁――!!」
気合いに満ちた声を挙げて、向かっていく。
ただ先を求めて。