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春うららかな一日

 

 三月もあと残り一日になった、三月三十一日の昼間。

 雲こそ少し見えるものの、空には青空が広がり、気温こそ少しこの時期にしては高いのだが、風も少しあるからか過ごしやすい。

 風は微かな花の香りを運んでいるらしく、春が来た事を実感させる。

 そういえば、足羽川沿いの桜並木も色付き始めているらしい。そう繁華街でおばちゃんが話していた事を彼は思い出した。だから……後で寄り道してみるのもいいかも、と零二は思った。


 この日の九頭龍の中心街はいつもより活気づいていた。

 それは春休みという事で街中に小さな子供や、その親に学生達。それから大勢の観光客が大通りを埋め尽くす様に歩いていたから。

 その理由は大きく分けて二つある。

 一つは、今日駅周辺の各地で幾つものロック、もしくはパンクバンドがゲリラライブを駅周辺から中心街の何処かで実施する事をSNSで告知した事がまず一つ。

 それから今日は繁華街の一部、具体的にはかつての浜町にて、ある歴史ドラマの撮影が入っている。それに今、若手ナンバーワンの人気と実力を持つと言われる女優が出るので、彼女を一目見ようとしている人々が九頭龍内外から押し寄せて来たからだ。



「ふぁーあ。すっげェ……まぁよくこンだけ暇な連中が集まるモンだぜ」

 武藤零二は、ビルの屋上で間食しながらあーあ、と盛大にあくびをする。

 彼はビルの屋上から街を見るのが好きだった。

 このビルは地上十階建てで高さはおおよそ四十メートル。

 ここのビルの所有者は、泣く子も黙るその筋の組織。

 ちなみにこのビルに入っている様々な会社も実質的にはその筋の組織の所謂フロント企業であり、つまりはこのビル自体が彼らの拠点である。

 そんな場所である為に、普通ならば当然関係ない人間の出入りは警備係に止められるし、屋上への階段の前にも警備係がいるから立ち入りは当然出来る訳がない。

 だがこの不良少年はお構い無しだ。何せ顔を見せれば一発で素通り出来るのだから。

 その理由は簡単で、この所謂ヤクザな組織とは一度些細な事で揉めた事があって、その際にここにいた構成員の過半数を病院送りにした為だ。

 当然、零二は素人ではないし、相手も全くの素人ではなかったものの、一般人相手だったのでイレギュラーは殆ど使わなかった(バズーカまで持ち出された時には流石に”熱の壁”が発動した)。何にせよ事務所にいた面々は蹴散らされた格好である。


 当然、やられた側のヤクザな組織の組長は激怒した。

 たった一人の少年に殴り込みを食らい、事務所はグチャグチャ。

 そうした騒動が表沙汰になれば、メンツは丸潰れだからだ。

 だが、報復しようと試みたが、まずその人間もあっさり病院送り。ならばと自分の信頼する手下の伝手でプロの喧嘩師を送ってみたが彼も失敗。しかもその事が他の組に洩れて大慌てする羽目に。

 さらにこの未成年の少年が”WD”関係者であると知ったのがだめ押しになって、蒼ざめた組長直々に少年に口止めを懇願。

 その際に零二が要求した幾つかの条件の一つがここの屋上を好きな時に使わせろ、という物だったのだ。


 それからかれこれ一年。

 彼はすっかりこの場所がお気に入りスポットになっており、暇な時によくここに来ていた。

 ちなみに今日、彼には九条羽鳥から仕事の依頼が入っている。

 九頭龍に於けるWDは、名目上は民間警備会社である為、こうした週末のイベントにも協力する事があるのだ。

 とはいえ勿論、世間的にはあくまで高校生に過ぎない彼が警備を表立ってする訳にもいかない。

 なのでこの場合の依頼とは、街で不審な人物がいないかのチェックという事だった。


「あーあ、何でこんないい天気なのに街を見張ンなきゃいけねェンだよ……あー、だるい」

 不満を隠す事もなくボヤく少年はそう言いながら寝転がる。

 かれこれ二時間ここにいたのですっかり眠くなってきた。

 ──何言ってんの。テキトーに街を眺めて、リュックに詰め込んだ食べ物をひたすら食べてるだけでしょ……くっだらない。

 そう冷ややかな声をかけてきたのは、正確には声を”飛ばしてきた”のは零二の相棒である桜音次おとつぎ歌音かのん

「相変わらずどっかから覗きかよ。…………もしかしてオレの風呂も覗いてンの?」

 ──はぁ? ばっかじゃない。面倒くさい。

 相変わらずの淡々とした口調で辛辣な、この相棒にも最近では随分慣れてきた。

 ──で、何でそんな中途半端なビルにいるの? もっと高いビルなんてもう少し行けば幾つものあるのに。

 歌音の疑問は至極もっともだった。彼のいるビルは駅から徒歩で三分の場所、大通り沿いに建っている。

 駅周辺は、敢えて建物の高さを制限している為にこのビルの様に高さは四十メートル位が限度になっているが、徒歩で十分程の区画からはそうした制限は無くなる。

 その為に一定以上の距離からは二百メートル級の高層ビルがいくつも建ち並ぶオフィス街になる。いきなり巨大な山脈がそびえるみたいに。

 それでも今、建築が急速に進められている”搭”と呼ばれる超巨大ビル群の高さには到底及びもしないが。

 監視するだけならもっといい場所はいくつもあるのだ。

「ここが丁度いいンだ」

 零二がここを気に入っているのは、眼下に見える人がキチンと見えるからだ。

 これ以上に高いビルだと、どうしても双眼鏡等が必要となる。

 彼の中ではそれでは味気ない、かといって裸眼では、人がまるで蟻の様に見えてしまう。だから、ここの高さが自分がこの街の眺望を思う存分に堪能出来るギリギリな高さだったのだ。

 彼にとってはこの高さこそが、自分の様な少数派マイノリティとそれ以外の一般人とを分け隔てる”壁”の様で丁度いい案配に思えたのだ。

「それに花火とかもキレイに見えンだよ、ここは」

 ──ま、いいわ。何にしても交代。私がしばらく見てるから、さっさと休憩しなさいよ。

「りょーかい」


 二時間置きにこうして交代しながら夕方まで監視する事になっている。街の要所には彼らの様なエージェントや協力者が配置されている。

 WGもこうしたイベントに総合商社としての表向きの立場から、またこの街では病院をしている事もあって、多くの関係者が目を凝らせばあちこちにいるのが分かる。

(別にオレ一人いなくても問題ないだろ、こりゃ)

 そう思いながらも、持ち場から一旦離れてぶらつく事にした。

 ちなみに食べ物を詰め込んだリュックはというと、その筋の方々の事務所に置いてきた。ぜってェ食うなよ、という言葉と共に。


「にしてもだぜ……多過ぎだろ」

 思わず溜め息まじりにボヤく。上から見ていたからこの大通りの人の波は目にしていたが、実際こうして下に降りてみると、あまりの人の多さに人酔いしてしまいそうになる。

 今日はお祭り騒ぎの為に、車の通行はかなり制限されている。

 駅周辺、なかでもこのイベント会場の近辺は全面通行止め。

 その為に、いつもであれば車でごった返す道路には多くのイベント用の屋台や出店、それからイベントを進行させる事務局の物らしきテントと、僅か数時間で用意された特設ステージまである。

「ま、今はいいや」

 零二は、お目当てのケバブやフォーの屋台がどの辺りにあるかを事前に上から見ていた。それらを夕方にでも食べようと決め、今はとりあえずお祭り騒ぎの大通りから一本、また一本と徐々に裏通りへと入っていく。お楽しみを探しに。



「おいおい、兄ちゃん。ここが何処だと思ってんのかな?」

 壁に手を付きながら凄む男。その周りには仲間らしき四人の少年が裏路地に近付く人々を威嚇するように立っている。

 この男達、落伍者ともいわれるドロップアウトの彼らにとってはこうしたお祭り騒ぎはある種の”稼ぎ時”だった。

 彼らの大半は働いていないので、こうした大勢の観光客が集まるイベントは地元じゃない、余所者から何だかんだと因縁を付けて金を巻き上げるのに都合がいいのだ。

 彼らもまた、こうして今、一人の少年を捕まえて、財布の中身を頂こうしていたのだ。

「おいおい、何か言えよ。これじゃまるでおれが大声で独り言言ってるみたいじゃないかよぉ……ああっ」

 顔中にピアスを付けた男が凄んでみせる。どうやらこの男がリーダー格らしい。

 だが、肝心の相手は全く反応しない。足も震えておらず怯えている様子はない。その上、顔も上げない、というよりも見せない。フードを深く被っているからだ。

 その服装はと言うと、フード付きのピンクのパーカーを羽織り、下はジーンズとスニーカー姿。

 この相手にドロップアウトの彼らが目を付けたのは、相手一人で街を歩いていた事と、パーカーとスニーカーだ。この二つはシューズメーカーとアパレルのコラボの限定品でかなりのレア物だった。

 だから金を持っていなくとも最悪、この二つの品物を奪えばネットで売れるという算段だった。

 背も低く、見たところ中学生位の相手なので楽勝、と思い、こうして路地裏に連れ込んだのだが、こう相手が無言では凄んでみせても自分の声だけが虚しく響くだけ。

「おいおい、舐めてるなお前。一、二発殴れば分かるよなぁ」

 そう言いつつピアスの男が拳を振り上げた時だった。

 彼の背後から「ぎゃああ」という悲鳴が上がる。

 思わず振り返ると、

「オイオイオイ、なンだよ。一人のガキ相手に……くっだンね」

 そこには零二が立っていた。

 その手には襟口を掴まれて、頭突きを喰らった哀れな被害者はといえば、気絶しているのか力なくダラリとしている。その脇では既に他の二人も倒されたらしくのされていた。

「な、なんだお前、ざ、ざけるな……よ」

「はぁ? ハッキリ言えよアンタ。男だろ?」

「ざ、ざっけんな……ぐぎゃっっ」

 まるでヒキガエルの様な声を出してピアスの男が膝を突き、悶絶する。パーカーを羽織った相手に金的を蹴られたのだ。

「うわーいったそー。ンで、平気か。ほらよ」

 零二はそう声をかけるとパーカーの相手の手を掴む。

「あ……」

「早くこっから離れンぞ。……ここいらは今、こういうバカしかいねェから、面倒事になる前によ」

 戸惑った声を出す相手の手を掴んだまま、離れていく。



「は、離せ」

 パーカーの人物がしばらく走った後、零二の手を振りほどく。

 そして慌てる様にポケットからハンカチを取り出すと、手を拭き出す。それを目にした零二は、

「ン、悪い心配すンな、オレは男にゃ興味はねェ」

 そう笑いながら相手の肩をポンポンと軽く叩く。

 何故、彼があの路地裏に行ったのかは簡単で、”気分転換”だ。

 あの辺りがドロップアウトの溜まり場で、今日辺りは何も知らない余所者を連れ込むだろうと思い、足を運んでみればああいう事が起きていた。それだけの理由だった。

「にしてもお前……」

 零二は相手に違和感を覚えた。

 相手がさっきから妙に焦っている様に見える。それに肩に触れて思ったが、何というか華奢だと思った。そして少し考えて出た結論は、

「まだ小学生なのか?」

 というものだった。

 そしてその直後の事だった。

 全身をジーーーンとした電気の様な衝撃と痺れが襲う。

「ご、がががっっ」

 零二がその場で悶絶する。

 視線の先には相手の足。下腹部をピアスの男同様に蹴りあげられたのだ。

「な、何しやがるお前……」

 思わぬ攻撃に軽く涙目になる零二に相手は声をかけた。

 そして掴みかかろうと、相手の胸元を掴み――引き寄せる。

 すると、フニ、という柔らかい何かを腕に感じた。

「あれ? 柔らか──」

「きゃあああああああーーーーーー」

「ぶぶふっ」

 その壮絶な叫び声と共に今度は顔面に強烈なビンタを喰らうのだった。



「あー、……いってェ。マジで痛ェ」

「悪かったよ、何度も謝ってるだろ」

 ったく、といいながらムスッした表情を浮かべているのはパーカーの少女。さっきまで気付かなかったが、確かによくよく考えてみればピンクのパーカーを着る男はなかなかいない。

 それにフードを外すと顔立ちも悪くない。いや、かなり整っていると言える。

「ふーーん」

 零二はマジマジと少女を眺める。

「な、何だよ。おれの顔に何かついてんのかよ?」

 少女は顔を赤めながら聞いてくる。

「いや、お前……ホントに男じゃねェよなぁって……ぶくっっ」

 言い終わる前に顔面に平手が入った。

「さ、さっき触っただろ! その、私の……」

 言いかけて目を逸らす。



「ンで、お前」

「な、なんだよ」

「いや、……何だってよぉ」

「だ、だからハッキリ言えよ」

「なンで付いてくンだよ? オレにさ」

 かれこれもう十分。少女は零二の横をテクテクと付いてきたのだ。しかも距離が近いので、傍目から見ればデートでもしている様に見えるだろう。実際、顔馴染みの住人や店の店主からは感心するような視線をチクチクと感じる。

「お、おれもそっちに用事があるのさ、たまたまだよ」

「そうかよ……ったく」

 この調子で付いてくる。

 とりあえず、黙って歩く事それからさらに数分。

「あ、ちょっ」

 少女突然、走り出した零二に慌てて付いていく。

 彼女も足には自信があったつもりだが、相手は想像以上に早い。グングン距離が離れていく。

 そして気が付くとその姿が無くなっていた。

「あ…………はぁ」

 そして大きく溜め息をついた。


「しっかし…………粘ったなアイツ」

 一方で零二は彼女を上から見ていた。

 角を曲がると同時に雑居ビルの屋上へと飛び上がったのだ。

 流石に素の身体能力で、およそ二十メートルは上がれない。熱操作で一時的に身体能力を向上させて一足飛びに。

 あのピンクのパーカーの少女はそれでも周囲を探している。

「ご苦労なこった。でもま、もう関係ねェ」

 そろそろ交代時間も近い。戻らないと相棒が文句を言い始めるのは明白だった。

 彼女の音使いというイレギュラーの性質上、一度見つかったら相当の距離を取らない限り、その声からは逃げられない。

 文句を言い始めたら延々と聞かされる可能性もあるのだ。

「そいつは勘弁だからよ、わりぃな」

 そう呟くと少年は笑いながら立ち去ろうとした。



「はぁ、はぁ」

 少女は走っていた。

 だがそれは零二を探してるからではない。

 全力で足を上げ、手を振りながら路地を駆けていく。

 逃げる為に。

 彼女がそもそもドロップアウトに捕まったのは逃げていたからだ。裏路地に入った所で怪しい場所だとは薄々理解していたが、”彼ら”から逃げる為は仕方がないと思ったから。

 当初ここに来た理由を彼女は知らなかった。自分がここに来たのは大勢の人を楽しませる為だと思っていた。その為にこれまで努力してきたのだから。

 だけど、彼女は知ってしまった。自分が今日、ここで何をするのかを。何の為にここに来たのかを知ってしまった。

(そんな事はさせない)

 そう思ったから逃げ出したのだ。

 だが、相手の人数は最初は三人だった。だが、今は六人。明らかに増えている。

 そうこうしているうちに目の前に黒服の屈強そうな男が立ち塞がり……挟み込まれた。


「さぁ、大人しく付いてきて下さい【歌姫ディーヴァ】」

 黒服の男は彼女を捕まえるべく手を伸ばす。

(もうダメ)

 そう思った彼女が目を瞑った時だった。

 ドン、誰かにぶつかった感触。

 不意に熱を感じた。熱い、とても熱い熱の塊を。

 しかし、触れれば大火傷しそうな熱の塊からは、不思議な事に温もりを感じた。とても心が落ち着く様な。

「ぐあっ」

 声を上げたのは黒服の男。彼女は一度聞いた声は全て誰なのか理解出来るという特技がある、間違いない。

「オイオイオイ、寄ってたかって【女】一人に何人がかりだよ」

 その声は不敵な響きを持っていた。

 彼女には分かっていた。声の主が誰なのか。

「よぉ、面白いコトになってるじゃねェか」

 そこにいたのは彼女が追いかけていた少年……零二だった。


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