晴天直下の元で
外はまさしく晴天直下。
曇りの多い九頭龍では珍しく雲一つない青空。
ジメジメとした湿気気味が嘘の様にカラッとした空気が心地良さを誘う。
魔術師摩周と戦いから数時間。
九頭龍学園の高等部。
「いいかー、ここはテストにも出る可能性があるからなー。ちゃんと復習しておくことー」
授業内容は日本史。
先生はいつもの通りに語尾を伸ばしながら、授業をする。
「ねぇねぇ、きいた?」「知ってるよ」
耳を澄ませばクラスの女子が何やら話している。何かの噂話だろうか。
西島晶の席は丁度美影のいる席の縦の列の一番後ろ。だから彼女の様子は分からない。
星城聖敬は、隣の田島とメモの交換。恐らくは聖敬の前に座る進士一とゲームか何かの話でもしているのだろう。
とにかく、皆いつも通りだった。
そんな中で、
美影は黙々と黒板に書かれる幾つもの用語を、ノートに取っていた。
「あーー、ダルい」
そこで思わず口をつくのは不満に満ちた愚痴。
美影は激しい疲労の為に一限目から三限目は休んだ。
実際、そうなのだから仕方がない。
今、美影の体調は最悪だったのだから。
あの戦いの後、迎えに来たヘリで彼女は搬送され、気が付けばそこは支部のある病院の医務室だった。
一応検査結果は特に問題なし、との事だったので今はこうして学校にいる。
美影は、あの時に発動したイレギュラーについて支部長である井藤と、副支部長の家門恵美に話した。
見覚えのない光景が浮かんだ事。
何もかもがゆっくりに感じた事。
そして――誰かに声をかけられた事を。
結果として、今の段階では何もかもが不明。
「確かに気になる話です。……ですが、今は様子を見ましょう」
井藤は諭す様にそう言った。
彼自身もかなり消耗しているのは目に見て分かる。
後で、田島から聞いた話だと、イレギュラーをかなり無茶な形で用いた結果らしい。
それでも彼は普段と変わらない様子で授業を行っていた。
フィールドの限定的な処置によって傍目からは健康そうに見えても、同類である美影達には何の意味もない。
いつも以上に悪い顔色や挙動から明らかに疲弊しきった様子を隠す事は不可能。見ていて思わず辛くなる程だった。
休み時間に声をかけると、保健室で少し休むらしい。だから今頃は丁度ベッドにいるのだろう。
授業は淡々と進む。
ふと隣の席に目を向ける。
そこにはクラス一、いやこの学年、生徒一かも知れない問題児の姿は無い。
武藤零二は今日は登校していなかった。
よくある事ではあった。
彼は気の向くままにしか授業には出ない。
思いっきりサボる事も頻繁だ。
だから、別段隣の席に誰かがいなくとも、何の問題もない。
あくまでもいつもより静かで丁度いい位、そのはずだ。
美影の中では、何故かあのムカつく隣人のイレギュラーの事が脳裏を過っていた。
あの時、全てがゆっくりに感じたあのイレギュラー。
あれを実感して、何故か武藤零二の事が思い浮かんだのだ。
(あれは……そうだ。あれは【熱操作】だ)
熱操作とは言っても零二のそれとは性質は違うモノだ。
そして、美影の脳裏にあの時浮かんだ無数の光景に誰かの声。
思い返しても彼が誰かは分からない。
だが、美影は本能的に理解していた。
あの誰かを自分は知ってる、と。
覚えはない、でも知っている。
何処かで会った記憶など無い。でも知ってる。
(アタシには、まだ知らないといけないコトが沢山ある)
そう思うと居てもたってもいられない気持ちだった。
◆◆◆
一方、同時刻。
続々と建造中の九頭龍の超高層タワービル群。
その中でも一番高いビル。
WD九頭龍支部の入っているそのビルの最上階。
そこにある休憩室に零二の姿はあった。
「う、ン。今、何時なンだよ」
周囲を見渡すが部屋に時計類は置いていない事を思い出す。
九条の方針で休息中は時間を気にするな、という考えからだ。
部屋にはアロマオイルの香りが漂う。これはオレンジと多分ラベンダーだったはず。
寝ぼけ眼でスマホを手にすると時間を確認し、思わずため息が出る。
「また寝過ぎたかぁ、ここ心地良すぎだよな。……ったく」
彼もまた数時間前に森から立ち去った後、迎えの車でここまで直行。休息を取れ、という指示で今の今まで寝ていた。
ブラインドを開け、思わず「ううっ」と呻く。
夏の強烈な陽射しが容赦なく零二の目を襲ったからだ。
「あー、きっつう。さて…………」
それから数分。
目は覚めたものの、まだどうにもシャキッとしないので顔を洗い、歯を磨いて、それでようやくひと心地付いた零二は、下の階にある食堂に足を運び、遅めの朝食兼早めの昼食を取る事にした。
「うう、まっず」
零二は顔を背けたくなる。
食べているサンドイッチが不味い訳では無い。
かと言って、フレッシュジュースが口に合わないのでもない。
彼が背けたいのはスマホに残った数件のメールだった。
その送り主は同一人物、零二の住んでるマンションに半ば、いや、完全に居候している少女の神宮寺巫女からだ。
零二の顔色が徐々に蒼白へ変わっていく。
「そういや、連絡しなかった……」
『レイジ、今日は遅いのか?』
『先に食べとくけどいい?』
この辺りはまだいい、まだ。
巫女も別に怒ってはいないのだから。
『ねぇ、今日は帰って来ないのか?』
『ってか、無視してるのか?』
ここらで徐々に怒りが溜まっているのがありありと感じられる。
だが、まだだ。
まだこの位ならクレープでも買っていけば機嫌を直すレベル。
『結局帰ってこないんだ、いいよもう』
『朝ごはんもう作らないからな』
最後のがマズイ。
零二は今になって思い出す。
先日、巫女が今度朝食作るから食べてほしい、と言っていたのを。零二は「ああ、いいぜ。楽しみだ」と返事していたのだ。
「そういや、今朝の約束だったよなぁ。マズイな、どうするよ?」
巫女はああ見えて、かなり根に持つタチだ。
帰ったら間違いなく反省させられるのは確実だと思えた。
「ヤバイ、絶対ヤバい。何を買えば許してもらえるだろうか?」
そんな事をブツブツ一人呟く零二は、人気のまだ少ない時間帯とあってかなり目立つ。
そもそも、ここは大手の民間警備会社が表向きの姿だ。
そこにいくら通行証を持っているとはいえ、どう見ても一〇代の少年が平日のこの時間に普通にいるのは目立つ。
普段なら零二もそれくらいの事には気付くのだが、今は巫女への謝罪で頭が一杯であり、そんな事にも気付けなかった。
「武藤君。こんな所にいたのですか?」
そこに声をかけてきたのは、この警備会社の代表、つまりはWD九頭龍支部の支部長である九条羽鳥。
いつもより若干口調が柔らかいのは、この場には表家業しか知らな一般人もいるから。
表向き、九条羽鳥はやり手の敏腕社長。しかも、その美貌も相まってかなり人気もある。
何処か憂いを帯びたその表情が一般男性から評判を招き、ネットではあろうことかファンクラブまで設けられているらしい。
正直、零二は世間の反応に呆れ返っていたのだが、一方の当事者はと言うと、世間のイメージに合わせ、一般社員の前では人気のカリスマ社長を演じていたのだから、これには閉口せざるを得なかった。
「姐御、何もそこまでやンなくてもいいンじゃないのさ?」
「いいえ武藤君。世間のイメージとは上手く操作すれば実に有効な武器となるのです、あらマヨネーズが付いていますよ」
「あ、ちょ。いいよ自分でやるし……!」
「いいから……それより五分後に私のオフィスへ」
あくまでも柔らかいその口調。何も知らない一般社員は、自社の社長に見惚れている。だが最後だけはいつも通りの口調で、零二にしか聞こえない小声。
ニコリ、とした笑みを称え、九条はオフィスへと歩いていく。
零二は、その後ろ姿に、
「やれやれ、よくやるよ。ホントさ」
と苦笑する。
「でもま、先に巫女には謝っとかなきゃな」
そう呟くと、まずは一晩振りにメールで謝罪文を打つ。それからオフィスへと向かうのだった。