暗躍するモノ達
ガサ、という茂みを掻き分ける足音。
「ン? ……やっとお出ましかい」
零二は振り向きもせずに再度岩場に腰を降ろす。
見なくとも”感じる”からだ。
相手の気配、否、相手の”熱”を。
その相手は一言で言えば異常だった。
そう、相手から感じるのは、一言で言うのなら生きた人間の体温ではない。そのあまりにも低い体温は生きた人間とは到底思えない類であった。
「ふん、随分と態度のでかい小僧だな。それに、好戦的だ」
そう言いながら姿を現したのは、一人の一見すると優男。
だが、よくその顔を見れば、男には幾つもの切り傷等が走っており、さらにその鋭い目付きを目にすれば、この男が決して堅気ではないのは誰が見ても明々白々であろう。
もっとも、それで怯える様な人間ではない。そもそも、顔に無数の傷を持った大男を普段から見ているのだし。
零二はふてぶてしい態度を崩さず言い放つ。
「ふン、こっちはアンタの顔しか知らねェンだぜ? どンなヤツかも分かンねェヤツに気なンか許さねェよ。
それによ、オレらはWDの人間なンだしな、……信頼関係なンてのはそうそう出来やしない。だろ?」
「それもそうだな、しかし……」
男は零二をマジマジと見る。彼もまた零二の姿に少々驚いてはいたらしい。
「……噂には聞いていたが本当にまだ小僧だ。お前の様な奴が【深紅の零】だとはな。確かに平和の使者の秘蔵っ子だとは聞いていたが」
その言葉からは暗に見下す様な侮蔑の響きを感じられた。
零二は思わず怒りを抱く。自分の事をバカにされるのも腹立たしかったが、それ以上に苛立った。
「ンなこたぁどうだっていいぜ。
それよりオレの事をあれこれ言われンのは構わねェよ。
でもな、姐御をコケにするのは許せねェぜ。
そういうアンタこそ立派な肩書き持ってるそうじゃないかよ。
元WGの精鋭出身の冷血。そして今やWDエージェント【暗躍者】こと笠場庵さンよ」
そう、そこにいたのは笠場庵であった。
「そっちも詮索好きらしいな。俺の過去をあれこれ調べた訳だ」
「へっ、何せアンタの事をオレは知らねェンだ。これ位は勘弁しな」
「…………」
笠場庵はあくまで好戦的な零二を尻目に、足元にて燃え尽きていく何かを無言で、冷ややかに見下ろす。
そう、かつて彼が追い続けた獲物。魔術師摩周と呼ばれたモノの成れの果て姿を。
「ああ、依頼にあった獲物はここで始末したぜ。アンタの情報通りにここで【予備】の器ってのを押さえていたらあっちからノコノコと来たもンでさ」
「予備の男はどうした?」
「向こうでお寝ンねしてるぜ。口封じも必要ないと思うぜ」
「殺せ、……万が一の可能性も有り得る」
「イヤだね。オレは弱いヤツや戦えないヤツを殺すのは嫌いだ。
それに、オレが姐御から聞いたのはあくまで獲物の始末のサポートであって。それ以外をどうこうするのは依頼から外れてるぜ」
「ほう。なら、ここで死んでおくか?」
「ヘェ、いいぜ。オレも殺るなら手応えがあるヤツの方がいい。
アンタ結構強そうだし、せいぜい楽しませてくれよな」
腰を上げた零二は嬉々とした表情を浮かべると、笠場庵の目の前に着地する。
既にその目は真っ直ぐ相手を見据えており、野生の獣の様な獰猛さを漂わせている。
「知ってるぜ、アンタもオレと同じで【熱操作能力】なンだろ? ここいらに張ってあったフィールドは熱を探知する仕組みだったから、発見されない様に、熱操作に長じたオレがここに来たってワケだし」
そう、協調性がほぼ皆無の零二がこの場に派遣されたのは、笠場庵からの支援要員の条件の中に”熱操作能力”を扱える者に限定する、というモノがあったからだ。
それも零二の得意な高温ではない。
「ふん、上部階層の一員だけの事はあるな。
俺のイレギュラーはWGの頃から秘匿されていたのだがな、……よくも調べた物だ」
笠場庵の周囲の空気が一変する。
にわかに漂うのは如何に深夜とはいえ、夏の夜には有り得ない白い冷気。ピキピシ、という音は周囲にある物の凍結していく音。
「うっわ、さっむぅ。こりゃもう……真冬日だな」
軽く身悶えしながら零二が口元を歪ませる。
同時にその全身から湯気が吹き出る。周囲の、凍結した地面から今度は湯気が上がる。ニタリと歯を剥き深紅の零たる少年は笑う。
「でも、オレの方が強いぜ」
「やってみろ、お前ごとき小僧に俺の邪魔はさせん」
「アンタが何を思ってるかなンか知らねェけどよ、いいぜ。
本気で来なよ、その全力を――オレは全部ブッ飛ばす」
「ふん、所詮は狂犬。ならば駆除してやる」
二人の間合いが徐々に近付いていく。
同時に対照的な”熱”がぶつかり合い、その余波で、木々が凍り付き、また燃え出す。
二人は無言で対峙する。
睨みあった状態から、――零二から仕掛けた。
蒸気を放ち、一気に相手へと踏み込む。
一歩、二歩で接敵。
互いに拳を相手へと叩き込もうとしたその瞬間。
ピピピピピ、という通信音が入る。
それは零二にも、そして笠場庵の双方の通信機に。
それはWDの緊急通信。
このタイミングで、これを送ってくる人物。
「あーあ、ここまでか」
ため息混じりに零二は拳を引く。
「…………ピースメーカーか」
笠場庵の問いかけにツンツン頭の少年は頷く。
受診スイッチを双方が入れる。
果たして聞こえてきたのは、
――双方そこまで。無駄な戦闘行為は即刻中止です。
WD九頭龍支部支部長にして、WDという組織の最高意思決機関である上部階層の一人である九条羽鳥であった。
「ちぇ、ったく姐御には敵わないぜ。あいよ」
零二はさっきまでの戦意は何処へやら、完全に戦う気を失くしたらしく、その場を立ち去っていく。
――さて、これで問題はありませんね?
その九条の声色はあくまでも淡々とした物だ。感情の昂りなど何処にも聞き取れない。
だというのに、笠場庵は危険を察知した。
そう、ここにはもう誰もいない。
それは間違いないはずだというのに。
笠場庵は、今夜あの魔術師を始末する為に幾重もの準備を整えた。
まずは、自身の指揮するWDの部隊の一員を騙して偵察に出す。
あの魔術師は間違いなく熱を探知するフィールドを展開しているはずで、何も知らない獲物は狩られるのみ。
予想通りに襲撃を受けた偵察要員は、緊急通信を送って救援要請を発する。
その通信を敢えてWGにもキャッチされる様に細工、WGを動かす。
そこに救援要請に応えた体を装って部隊を送り、WGの面々とかち合わせる。
そこでWG側に更に増員要請をさせる。
そうして派遣されるのは精鋭に違いない。
とすれば、沈黙し、潜んでいた魔術師は動く事だろう。
あの魔術師は常に”器”となる存在を欲しているのだから。
WG側には自身が接触、まだ自身がWDの一員である事は知られていない事は確認済み。なので、敵ではないと思わせる事は可能。現に、上手くいった。
そうして、彼は獲物を狩るつもりであった。
あの魔術師の真に厄介な点はその生存能力の高さ。
屍を手繰る為に、偽装や擬態はお手の物。
だが、WG側の優秀な人材であれば、勝てぬしても無傷は有り得ない。魔術師であろうと深手は免れない。
そこを仕留めるつもりだった。
だが、そこで予想外の事が起きる。
あの少女があろうことか魔術師を撃退したのだから。
そして笠場庵はその場から撤退する。
あのままでは自身の身も危険だと判断したからだ。
撤退しながらも、魔術師の気配は感じていた。
後はバックアップで用意したWDのエージェントがあの男を足止めしてくれればいい。
だったのだが、魔術師はそこでその悪運も尽きたらしい。
その身体は今や跡形もなく、塵となって消え失せていた。
――貴方があの魔術師に怨恨を持っていたのは知っています。
ですから、今の心中が複雑であるとも理解しています。
ですが、貴方の目的は達したはず。これ以上は無益です。
九条はいない、にも関わらず。
彼女は全てを把握していた。
それが笠場庵をして、彼女が実に恐ろしい相手だと認識させる。
「了解した、協力感謝する」
それだけ返すと、九条からの通信は切れる。
そして笠場庵もまた、その場から立ち去るのであった。