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暗躍するモノ

 

 その終わりは思いの外、呆気なかった。

 あれだけ猛威を振るったはずの肉片の散弾、降雨は降り止む。

 そこには先程までの様な悪意はもうなく、ただ宙に在ったモノが、重力に引き寄せられただけの様だ。

 ボトボタという不快な耳障りを立てて、もう原型を失った無数の屍だったモノが、地面へと吸い寄せられる様に落ちていき――ただ腐臭と死臭を撒き散らしている。

「ううっっ」

 思わず田島は鼻をつまむ。さっきまでと比しても凄まじい臭いに吐き気どころか、目眩までする。

 思った以上に腐敗が進んでいた事から、今までは何らかの防腐処置を施していたのかも知れない。

 あの魔術師の魔術とやらで手繰っていたこれらの腐肉は、担い手がいなくなった事で本来の状態に戻った、という事だろうか。

 悪意によって手繰られた彼らもようやく、死ねるのだ。


「終わったみたいですね……」

 深く息を付きながら井藤はよろめいた。咄嗟に田島がその身体を支える。想像以上に華奢、というよりは痩せぎすの身体は軽く、本来の姿について説明を受けている田島は、今の支部長の肩で息をしている状態を見るにつけて、自分の無力さを実感していた。

 結局何も出来なかった。その事を深く深く。


「もう、限界です。田島君、代わりに支部に連絡をとってください。私は少しばかり休みますので」

「了解しました」

 井藤は本当に限界だったらしく、その会話を最後にして即座に意識を失くす。力なくだらりとしたその身体を、肉片が落ちていな場所まで運ぶとそっと寝かせる。


 もう、周囲に敵の気配はなく、戦いは終わったのだろう。

 だが、それでも田島は自動拳銃を構えながら油断なく状況確認へと向かう。

 まずは近くにいたはずの笠場庵。

 真っ先に姿が見えなくなった元WGエージェント。

 だが、その姿はこの場にはもうない。

「………」

 周囲をゆっくりと見回すものの、誰かがいた痕跡も、まして死んだと思われる様子もそこからは窺えない。

 文字通りに、”何も”そこにはなかった。

(幽霊ってハズはないよな。じゃあ、あいつは一体?)


 ガサ、という足音に思考は止まる。

 思わず銃口を向けた田島の視線に映ったのは、

「ちぇ、やってられないわね。……何よその歓迎は」

 美影だった。

 その顔色は蒼白で、疲労困憊である事は明らか。

 足取りも重く、一歩一歩、ゆっくりと、よろけつつ。

 だが、彼女は生きていた。

 あの降雨の最中を、潜り抜けて。


「生きてやがったか、……ドラミ」

「次言ったらブッ飛ばしてやる、……けど今は勘弁したあげる」

「だな、今なら俺でもお前には勝てそうだしな」

「言ってろ…………バカ」

 そう言いつつ美影はその場に大の字に倒れ込む。

 肩で息をしながらも、今にも失神するのでは、と思える程にクタクタであっても、黒髪の少女の口元には笑みが浮かんでいた。

「ま、今は休んどけよ。……迎えが来るまでちょい時間がかかるからな」

「しょうがないな、そうする――」

 するとすぐに小さな寝息が聞こえて来た。

 限界だったのだろうが、そのあまりの切り替えの早さに一人残された田島は思わず苦笑した。

 美影の寝顔が月明かりに照らされる。

 一瞬、直視するのを躊躇いながらも、田島はその表情を眺める。

「ったく、そうだな。黙っていれば美人さんだよな、お前は」

 そう呟くと、通信装置を取り出す。

 かくて森に静寂が戻り、死の世界は消え失せた。

 そして、美影は今日も生き延びた。



 ◆◆◆



「は、はぁ、はぁはぁ」

 地面を這いずるモノがいた。

 黒い外套に、それなりに上等な設えのシャツにズボンは既にボロボロで、特に彼のお気に入りだった外套に至っては無残に引き裂かれ、遠目から見れば死にかけの虫が地面を這いずっている様に思える事だろう。

 魔術師摩周は未だ死んではいなかった。

 あの不可解な器たる少女の異能を前に成す術もなく破れこそしたが、彼は生きていた。

 間一髪とはこの事だった、そう思わざるを得ない。

 危険を感じたその瞬間に魔術師は、自身の中身を、正確には自身の一部を、あの場から退かせたのだ。

 そうして辛くも死から逃れた魔術師ではあったものの、

 その状態は実に無残であった。

 今の彼は、元来が一部に過ぎない。

 五体で言うのならば、今の彼には両手足が欠損している様な有り様である。勿論、例え話ではあるのだが。

 元々が、あの器、つまりは美影に移り変わるつもりであったからこそ、心臓を埋め込んだのだ。如何に魔術師とてそうそう長時間身体を持たせるのは困難であった。

 それでも、あの屍肉人形があったからこそ、万が一の負けも有り得ないとそう思っていたからこそ、の行動であった。

(そ、それが今はこの様だとは……)

 今や、這いずりながら辛うじて何とか動いてる状態だ。

 このままでは持って数時間、朝日が昇る前には絶命は必至であろう。

(だ、だが。まだだ。まだ【アレ】がある)

 そう、魔術師には最後の一手が残されていた。

 彼にはまだ”器”があった。

 それにさえ、入り込めば生き永らえる事も出来よう。

 何の気なしに気紛れにやった処置であったが、ここでそれが生きるとは思いもしなかった。

(とにかく、器さえ替えれば何とかなる。おのれ、小娘!!)

 怒り心頭であったが、最早あの少女の事は二の次だ。

 魔術師にとって大事なのは、如何に今の窮地を逃れるかだけであり、それ以外の事は全てが些事に過ぎない。


 幸いにして、器のある場所はそう遠くもない。

 もうすぐで、辿り着く。そうすれば生き残れる。それだけを一心に思いながらひたすらに這い寄る。

 そして、器とすべきモノが見えた。

 それはまるで野生の熊と言っても差し支えない髭面の大男。

 この夜に於いて、摩周が撒いた餌にかかった愚か者。

 撒き餌として利用したこの男が呼び寄せたのが、あの悪魔の様な少女だったという訳だ。

(く、まぁいい。口惜しいが、今少しだ)

 あの身体を器にしたら、まずは地下に潜らねばならないであろう。如何せんあの巨体だ、どうしても目立つ。

 乗っ取ったら後は少しずつ慣らしていけばいい。いつも通りに。

 摩周の精神に同化させていけば、同時に器の外見もまた変化していく。そうして彼は生きていたのだ。

 数年もすれば摩周本来の姿も取り戻せる。

 そうしたら改めて、あの黒髪の少女に復讐を。

 今度は最初から殺すつもりでいくまでだ。

 彼はあの時理解した。

 あの少女の深層に巣食うモノを。

 あれは、危険だと。


 あとほんの数メートル。それだけで生き永らえる。


 手を伸ばせばもう届く、そこまで近付いた時だった。


「お、ようやく来たみてェだな」


 不意に声がかけられる。

 思わず見上げた魔術師の視線の先にいたのは一際大きな岩に寝転がる一人の少年。

 その少年は欠伸をしながら腰掛けていた岩から軽々と飛び降りる。摩周はその様子から明らかに異能者マイノリティだと気付く。

 好戦的な態度を隠す事もせず、髪を逆立てたその少年は、地面を這いずる魔術師を傲然とただ見下ろす。その目は虫でも見ているかの様だった。

「き、貴様ッッッ……」

 屈辱だった。それもこれ以上ない屈辱。自分の一〇分の一も生きていないで有ろう子供に侮蔑の視線を向けられたのだから。

「ったくさ、退屈だったンだぜ。さっさとブッ飛ばしてやりたかったンだけどさ、姉御が【動かず待機】だなンていうからさぁ。

 あーあ、今日だけはドラミが羨ましかったよなぁ、マジで」

 少年のその言葉に、態度に緊張の色は窺えない。

 完全に見下されている、そう摩周は理解した。

「貴様ごときの小僧っぱらが我が輩を見下ろすなぁッッッ」

 激昂と共に、残された力を発する。自身の肉体を仮初めの肉体を細分化し、地面を這わせて襲いかからんとした。

 それはまるで鼠のような姿を取った肉片で彩られた無数の人形。

 薄暗い足元を縫う様に素早く小生意気な少年へと躍りかかっていく。少年は、気付いてもいないのか無警戒のまま、見下ろしている。

(我が輩を侮辱したのだ。ただでは殺さん――

 その癪に触る口元を苦痛に歪ませてやる、喉笛を引き千切らせて、目玉をくり抜いて、臓腑を抉り出して……嬲ってやる)

 摩周はその光景を脳裏に浮かべて愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 だが、

 その次の瞬間にはその表情は驚愕へと変わっていた。

 鼠を象った小さく危険な獣は、いずれも少年へと辿り着く事は叶わない。それら全てが少年へ喰いつく前に燃え尽きたのだ。

 それは熱の壁、視認した脅威を自動的に排除するイレギュラー。

 ある悪名高き少年の代名詞の一つ。

「な、なに」

「ハァ、くっだらねェな。それが精一杯ってか?」

 やれやれとばかりに少年――武藤零二が盛大なため息をつく。

「ま、オレとしちゃ不本意なワケだけどさ、たまには真面目にお仕事しなきゃならねェンだよ。――ってなワケで……」

 あばよ、と零二はそう言うと獰猛に歯を剥きながら右拳を白く光輝かせる。

 その拳が迫る直前、摩周は理解した。

 この少年もまた、あの少女に匹敵する程の異能者であった、と。

 何故、彼が”結界”に感知もされずにここで待ち受けていたのか? 色々な疑念はあったが、最早それも詮無き事だった。

(我が輩もまた、神の贄であったか)

 そんな事を考えた瞬間、拳が彼の身体を貫き、灼き尽くした。


「ち、くっだらねェ」

 舌打ちしながら、燃え尽きていく魔術師を見下ろす零二。

 その表情にはさっきの口振りとは裏腹に、不満が見て取れる。

「オレを掃除人扱いとは……上等だよ、アンタ」

 零二の獣の様な獰猛さを称えた双眸が、相手へと向けられる。

 その視線に応じて、姿を見せたのは――。



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