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真に恐れる者

 

 何だろ、今、スッゴく気分が悪い。

 何だかよく分からないんだけど、すごく頭に来ているみたい。

 でも、一体何に対してなワケ?

 よく分からない、分からないけど……アタシは今、ムカついている。

 それが何なのかは知らないし、別に興味ないわ。

 ただ、さっきから凄く嫌な臭いが周りを漂っていて、履いてしまいそう。

 だから、とりあえず目障りなのよ、アンタは――!!



 ◆◆◆



≪くは、くはっははははは≫


 今や、魔術師の哄笑だけが辺りに響いている。

 周囲には生物の痕跡そのものが完全に途絶えている。

 それも無理はないだろう。

 ”ローティンったシー”は今やあらゆるモノを溶かしていたのだから。

 強烈な腐敗臭に死臭、そして巻き上がる溶解に伴う白煙。

 木々も溶け、地面をすら溶かす屍で彩られた消化液は、文字通りにあらゆるモノを溶かし、その量と勢いを増していく。

 それはまさしく”奔流”。

 何もかもをただ呑み込みながら襲いかかってく。


「く、ぐぐぐ」

 井藤が呻きながら毒を発し続ける。

 確かに彼の毒は迫り来る灰色の濁流を防いではいた。

 だがそれだけだ。気が付けば周囲を腐った海、腐臭に死臭の入り交じった汚水、汚泥の中に孤立。動く事は不可能だった。

 さらに悪条件がもう一つ。

 井藤の精神的な負担による限界が近付いていた。

 本来、彼の体内に溜まりし毒素は”殺し、溶かす”事が本質。

 だというのに先程からその毒を井藤自身及びに田島の守護の為に用いている。

 本来とは違うその活用に伴い、井藤は細心の注意を払う必要に迫られる。

 殺す為の、殺すしか出来ない毒で、自分以外の他者の身を守る。

 それは、本質と真逆の行為であり、毒の制御をより困難にしていたのだ。

「まずい、ですね――!!」

「すいません、……俺のせいで」

 田島は歯痒さを痛感。……己の無力さに身を震わせていた。

「いえいえ。見殺しになんて出来ませんから」

 気遣う井藤の言葉も今の彼には気休めにすらならない。

「でも、どうすればいいんだ? くそっっ」

 身を震わせ、舌打ちするしかない田島の気持ちは井藤にもよく分かってはいた。

 本来であればもっと気の利いた言葉の一つでもかけてやるべきなのだろうとは思ってもいる。

 しかし、今の彼にはそんな余裕は皆無だ。

 少しでも気を抜けば、毒は盾から本来の役割である死の使いへと変貌する。そうなっても使い手である井藤には何の問題はない。

 だがそうなれば田島は一瞬で骨まで溶かされ、即死は免れない。

 そうなってしまえば一巻の終わりだ。

 彼の毒が本来の役目を発揮すれば、この場は間違いなく死の世界と化する。今、襲ってくる腐った海の濁流をすら押し退け、全てを殺すであろう。

 戦いには勝てるかも知れない、だが彼はまたも仲間を失う。

 そうなるのだけは何があっても、もう御免だった。

 もう彼は身近な仲間を失う事に耐えられなかったのだ。

(こうなると、もう【彼女】に賭けるしかありませんね)

 井藤の脳裏には、さっき見えた美影の姿が浮かんでいた。

 そう、いつの間にか立ち上がった彼女の姿が。



 魔術師が彼女に気付いたのはつい今の事だ。

 魔術師はこの期に及び、美影に執着していた。いや、それも当然であろう。

 今、摩周には、生身の生きた身体が無いのだから。

 忌々しい笠場庵の身体等はもうどうだっていい。

 だが、美影の身体は、あの器だけは逃すには惜しい。

 長年、多くの異能者を見て回ってきたが、彼女程に秘めた可能性の大きさを感じさせる者にはこれまで一度も無かった。

 それだけ破格の器であるのだ。

 何があっても、あの器を手に入れる。

 それだけが今の摩周にとってもっとも重要な事だあったのだ。

 だからであろう、美影の昏倒していた場所には、摩周は一切手を出してはいなかった。

 あの場からどうやって無力化させるのかと、思案していた魔術師からすれば笠場庵は怒りの対象ではあったが、同時にある意味最高のアシストをしてくれたのだ。

 あの凍てついた拳で殴打されたのだ、まず意識は断たれたはずだ。


 腐った海はあらゆるモノを咀嚼し、喰らい尽くし、消化し、一つになるという性質を持つ。

 まさしく摩周という魔術師の切り札に相応しい。

 だが、問題点がないでもない。

 それは、一度解き放つと、そうそう細かな制御が出来ないという一点だ。何もかもを喰らい尽くすという性質を持つ以上、どんどん肥大化、拡大の一途を辿るので摩周が出来る指示は二つのみ。

 喰らい尽くせ、……つまりは攻撃。

 その場で死ね、……消滅しろ。

 これだけだ。一度使ってしまうと、手繰っていた肉体を全て失ってしまい、屍人形達はもう使えなくなるのだ。

 もっとも、その一度で充分でもある。

 この切り札を使った後には何も残らない。

 謎の神隠しとか、集団誘拐だとか、軍の秘密実験の失敗等々と様々な理由で取り上げられたが、誰にも分かりはしない。

 そう、誰が分かると言うのだ?

 単に喰われて、消化して無くなった等と誰が思うだろうか?

 探してる連中は自分達の足元に、消化されて地面の染みになったのだと誰が気付くのか?


 今、魔術師はあの腐った肉塊から脱した事で、少しは平静さを取り戻していた。

 今、魔術師の中身は、この腐った海と一体化している。

 全体の制御はやはり出来ないみたいではあったが、それでも器さえ無事であれば問題ない。

 この腐った海の一部ごと器に入り込んでみればいい。

 自分の中身が一緒であればある程度は制御も出来るのだ。問題ないはずだ。


 だと言うのに。

 あろうことか美影は立ち上がっていたのだ。

 有り得ない事だ。

 何故、立ち上がる。何故に足掻くのかが理解に苦しむ。

 そのまま大人しくさえしていれば、傷も付かないのに。


「…………、まよ」

 少女が何か呟いた。その声は消え入りそうな程に弱々しく、小さくて聞き取れない。訝しんだ次の瞬間であった。

≪――!!≫

 美影はその両の手から炎を巻き起こした。

 左右からの炎が手の動きに合わせて、まるで円を描くように揺らめき――襲いかかった。

≪ぐうあああああああ≫

 その炎は恐るべき威力を示した。

 この濁流に比して小さな、ほんの小さな種火にしか見えないその場に炎は瞬時に腐った海を、それを構成する幾つもの生き物の死骸が溶け出した液体、ゲル状のそれを蒸発させていく。

 それはまるで冗談の様な光景。

 小さな種火の様な炎を前にして、腐った海が、肉塊、臓物、それらに付随する体液から形成されたモノがまるで炎の勢いを加速させる可燃性の燃料の様ですらあった。

 今の摩周は”痛み”を感じるはずはない。

 何故ならこれは仮初めに間借りしているだけなのだから。

 だというのに、感じるこの”苦痛”は一体何なのか?

≪があああああああぐううううう≫

 何故、こうも苦悶の声をあげているのだろうか?

 そう、これは、この感覚は単なる炎等では有り得ない。

 あんな小さな種火が、魔術師の、切り離された中身にまで干渉してくるなんて有り得ない事であった。


≪読み違えた……この場で一番恐れるべきはかの少女であったというか≫


 ゆらりと立つその少女に魔術師はようやく殺意を抱く。

 するとその腐った海がにわかに動き出す。

 ドロリ、とした汚泥の様な何かが巨大な腕の様に変化――美影を叩き潰さんと振り下ろされる。

「…………」

 美影は無言で両の手から炎を再度生成。それを襲い来る巨腕へと向けて放つ。

 だが、それは魔術師とて承知だった。

 その巨腕は炎を前にして、その形状を変化。

 小さな雨粒と化して一気に降り注いでいく。

 完全に裏を突いた、そう摩周は思った。

 器の当てはまだあったのは不幸中の幸いであろう。

(残念だ、本当に残念だよ)

 魔術師はせめて、これから死に瀕する少女の断末魔の叫びと、表情を楽しむつもりであった。


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