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腐った海――ローティン・シー

 

 魔術師摩周は今、歪んだ優越感に酔いしれていた。

 眼下で蠢くのはまるで蟻の様な敵の姿。

 彼らは骸の群れと戦っているが、勝利はもう時間の問題。

 そもそも彼らは根本から勘違いをしていた。

 今、自分達が戦っているものを”群れ、群体”であると考えているのだから。

 あれらは衆にして個。そういった存在であるのだから。

 一見すると無数の個体に思えるあれら全ては、今摩周が宿った巨人から派生しているのだ。

 つまりはこの巨大な屍肉人形が一本の巨木の幹の様な物だと仮定するなら、他の小さな屍人形達は、その枝先にある葉っぱ、もしくは地中に張り巡らされた根っこの様な物だ。

 無数にある木の根っこや葉っぱの一枚や一本が切られたり、焼かれた所で本体には何の問題も有りはしない。

 流石に無限とまではいかないが、たかが三人の愚者を始末するには少々もてなしが過ぎたな、と思わず自嘲する。

(だガね、それデもダ。与えられた屈辱ヲはラスにハ足りなイ、ぜっタイてキニ足リなイよナァァァァァ)

 そう、かくなる上は、三人もこの屍肉人形の一部としてやろう。

 無論簡単には死なせず、その四肢を引き抜き、腑をすり潰して、生きたまま脳を抜き取ってやろう。この屈辱はそうでもしなければ注げない……と、魔術師はそう心に誓うのであった。




「……すげぇ」

 思わず田島はそう言葉を洩らした。

 その対決はもっと一方的なものだと思っていた。

 確かにあの男は強い、それはこの数分間で十二分に理解していた。彼は一撃で敵を倒し、その間に数十倍もの攻撃を平然と受けてたった。

 だのに、彼は未だ無傷であった。

 そこから理解出来るのは、その尋常ではない攻撃力と、それ以上の防御力、もしくは耐久力。

 つまる所はその強さ、であった。


「確かに」

 井藤もまた、驚いていた。

 彼が以前所属していた戦闘部隊(ストライク)の先人として、笠場庵の事を知ってはいた。

 そこでの戦闘データも記録映像アーカイブにあったので目を通した事だってある。

 アーカイブに残っていた戦闘時の姿は一言でいうのなら徹底した近接戦闘型のマイノリティである事であった。炎熱操作の一種でもある氷雪能力者である彼は、凍てつかせたその拳を敵へと躊躇なく叩き込む姿を幾度も目にした。

 まるで巨大なハンマーで殴り付けたかの様な轟音に威力。

 まさしく圧巻であった事をよく覚えていた。

 だが、今の彼は明らかに以前とは違う。

 アーカイブでの彼は華麗なステップワークで相手を翻弄しつつ、ジャブを放ち、ストレートやフック等のパンチテクニックを、両の拳を叩き込むというボクサースタイルを駆使するエージェントであった。

 しかし、今。目前にいるのはあの華麗なステップワーク等欠片すらない、ただただ敵を殴るだけ。

 そこにはもうかつての美麗とも云えた姿は見る影もない。

 コールドブラッドというコードネームは、冷静さと洗練さを持っていた彼へのある種の敬意の現れであった。だが、今や彼の姿はまるで、獰猛な野獣。

 それはもう完全に別人としか思えない姿であった。

(一体何があったのですか? ……笠場庵?)

 井藤の中で、彼に対する不安感が増していくのだった。


「くぐギキききィィィィ」

 魔術師が唸る。

 その理由は単純で笠場庵があの巨人の足を”砕いた”からだ。

 それは想定外の事であった。

 摩周は以前、笠場庵とは相見えている。

 確かに、彼は優秀であった。でなければそもそも”器”にしようとはしない。

 記憶にある限り、笠場庵という異能者はその拳を凍り付かせる事でそれを攻撃に用いていた。

 あれにはなかなかに手こずった。

 何せ屍人形が続々と凍て付かされ、動きを止められ、または破壊されたのだから。

 持久戦に徹する事も考えたが、結果として搦め手を用いる事で勝利を収め、そして血肉を埋め込んだのだ。

 確か、あの時は腎臓を埋め込んだはずだった。

 そうして幾度か簡単な”お使い”に使役した後に、逃げられた。

 その彼が今、眼下にいた。


 この巨大な屍肉人形はあの際には使えなかったが、これは魔術師摩周の切り札だ。

 彼の探求してきた魔術の副産物であり、強大な戦力であり、なまじっかな事では打倒する事は困難。まさしく難攻不落の要塞の如き怪物であった。

 その最大の特徴は一見すると無尽蔵にすら思えるその耐久力。

 そう、だから多少の事ではやられるハズなど無かった……はずであった。

 だが、今。

 有り得ざる事が起きていた。

 足が砕けたのだ。

 この巨大な屍肉人形の足がたったの一撃、それも単なるパンチで足首が凍り付き、粉砕したのだ。

 ぐらり、と身体全体が大きくバランスを崩す。

 倒れ込みそうなのを左右両手を地面に付ける事で何とか防ぐ。

 そこに笠場庵は追撃をかける。

 彼はこうなるのを見越していたかの様に左右の手の中間にて待ち受けていたが、迷うことなくまずは右手首を凍て付かせた左拳で、踏み込みながらの一撃を直撃させる。

 ドシン、という轟音。そして振動が巨体を伝う。

 屍肉人形の右手首か肘までの部位があっという間に氷結していく。

 さしもの魔術師もいよいよ驚愕せざるを得なかった。

 確かに笠場庵は以前から強敵ではあった。

 あの時に彼を屈服せしめたのは、無関係の人質を取る事による無力化であった。

 そうしなければ負けこそしなかったにせよ、より危険な状況に陥っていたのは間違いない。

 だが、彼は。

 その凍て付かせた拳はここまで強力であったか?

 この巨躯を、その巨木の幹の如き手足を凍り付かせ、挙げ句には砕くまでに至るとは、と。


(だガ、ね――――)


 そう、だが。

 魔術師には未だ勝算があった。

 その切り札を使い、この場を制圧する事を摩周は決断した。

 その瞬間であった。

 突如、屍肉人形の巨躯が崩壊した。

 ピキピキ、と全身に亀裂が走り、砕け散っていく。

 無数のガラス片状の破片となり降り注いでいく。

 田島が驚き「な、なんだよこれ?」と言いながら、嫌な予感を感じてその場から飛び退く。

 井藤も同様で、飛び退きこそしなかったが指先から出した毒を円状に展開し、それを盾にする。

 唯一、笠場庵だけは何をするでもなくその場に立ち尽くすのみ。

 その場に降り注いでいく屍肉人形の破片。

 すぐに異常は起きた。

 地面に落ちた破片は即座にシュウウウウ、と音を出し、周囲を溶かし始めたのだ。

「やっば――」

 田島はその様子を目の当たりにし、即座に着ていたジャケットを脱ぎ捨てる。間一髪でジャケットが溶け、難を逃れる事に成功する。

 そこに井藤から「こちらへ!!」と呼び掛けられ、迷わずその側に飛び込む。

 井藤の周囲を円状に展開した毒の盾が破片の溶解攻撃を防ぐ。

「こいつは何なんです、毒の一種でしょうか?」

「断言は出来ませんが、違うと思います。強酸性の性質こそ持っていますが、毒成分は感じられません」

 そうした二人をよそに、笠場庵はそれをただ受けている。

 ジュウウ、という音。全身を白煙が包んでいく。


≪くひゃヒャヒゃハはハは――はははっは≫


 その不快な声色は間違いなく魔術師その人。

 だがその姿は見えず、声も虚空から聞こえる為に何処から話しているのかは分からない。


≪ドうデすカねェ、【ローティンったシー】の感想は? これはこの場にあった全ての屍を【消化液】の様な物として変化させたモノです。触れたモノを消化し、また消化液へと変貌させる。

 言っておきますが、逃げ道は有りません。あらゆるモノを溶かして一部へと変えていくのですからね≫


 その言葉通り、不気味な消化液は地面を溶かし、木々を溶かし、その場にてあらゆるモノを溶かしながら、その量を急激に増やしていく。池の様なそれは瞬く間にまるで湖の様に広がっていく。


「ヤバイ、これ本当にヤバイですよ支部長」

「ええ、マズイです。少しでも気を抜けば即座に溶かされます」

 辛うじて毒を盾にし、自身達の身を守る井藤と田島。だが、周囲を腐った海に囲まれ、動けなくなる。


≪ふむん、これで詰みです。死んで貰おうか?≫

 状況に満足し、勝ち誇った魔術師の声が響き渡った。


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