その身に飼うモノ
ああ、アタシこれで死ぬのかも。
思わずそう、思った。
身体が動かない。これは散々経験した事だから気にしない。
イレギュラーが使えない、これも同じ。
痛みには慣れていた、そう思っていた。
散々色んな実験ってヤツで酷い目には合ってきたから。
でも、これは今までとはまるで別次元だった。
お腹の中にナニカがいる。
それはあの気味の悪い魔術師だとかいう男が埋め込んだ肉塊。
ビクビク、と脈動していた臓器が今、アタシの中でウゾウゾと蠢き、いや、暴れ狂っていた。
お腹の中のナニカはもう単なる肉塊なんかではなく、一匹の生き物となっている。
「うぐ、う」
その苦痛で声が洩れる。
今やそのナニカは、お腹の中から胸部にまでその行動範囲を広げ、好き放題に、我が物顔で闊歩している。
ただ蠢くだけでもとんでもない痛みが幾度も幾度も腑を突き破らんとしている。
ゴホッ、という咳、同時に口から血が滲むのが分かる。
リカバーしていても関係ない。ナニカは回復、修復した側からアタシの中身を傷付け、殺していく。
「うあ、…………っっっ」
呻き苦しみながら、意識が遠退いていく。
(ダメだ、もう……………)
そう思った次の瞬間、完全にアタシは目の前の世界から意識を絶たれた。
◆◆◆
「馬鹿な――! 何が起きたのだ?」
魔術師は驚愕する他無かった。
信じられない事が起きていた。
目の前に倒れる少女を彼は支配したはず。
魔術師の一部、それも脈打つ心の臓を腹に埋め込んだ。
あらゆる臓物の中で、脳髄以外で、一番重要なその部位を腹に埋め込んだはずだ。
現に心の臓は期待通りに器となる少女の腸をかき乱し、暴れ回り、うねっていた。
そのまま魔術師の邪悪な意思に則って臓器は肉片と化し、さらに分解し、血になり、血管を伝わり、最終的に脳にまで達し――相手の意思に干渉出来る様になるのだ。
本来であれば、あの少女の意思を奪っていたはず。
「貴様、何をしたのだ?」
思わず声をあげる。
ゆっくりと美影が起き上がる。
「…………………」
「答えろッ」
「………………………………」
美影は答えない。沈黙したまま、だが、立っていた。
それは有り得ざる事だった。
「く、おのれ。…………あくまで喋らぬつもりか」
摩周は地面に染み込ませた骸を呼び出す。
ボコボコ、と地面が盛り上がり、無数の屍がその異様な姿を晒す。
それらには幾つもの顔が付いている。それらには明らかに不必要な手足が全身から伸びている。
一個の個体というべきなのかもよく分からないが、複数の生き物だった残骸が不必要に付き、垂れさがり、半ば腐り始めたのだろう、凄まじい腐臭と死臭が辺りに漂う。
「どういう手管かは知らぬが、抵抗は出来ぬだろうさ」
そう、確かに魔術師は驚いてこそいたがまだその心には余裕もあった。
彼の埋め込んだ肉塊は相手の臓腑にあるのを、その存在を確かに感じていたのだから。
(立ち上がった所で何が出来るというか)
屍人形はノロノロとした動作で美影へと近付き、這い寄り、その肩を掴まんと緩慢に手を伸ばした。
動きこそ遅いがあれらには力加減などは存在しない。腐っていようが何であろうがお構いなしに華奢な少女を捕らえる事であろう。
(そうだ、捕まえればいいだけだ。肉塊が、あれが少女の全てを牛耳るまでのほんの僅かな、そうだ僅かな時間を稼げばいいのだからな)
そう思い、笑みを浮かべた。
だが、魔術師はここで気付くべきであった。
今、思った考えは既にその論理が破綻している事に。
本来であれば、既に全身にまで支配が達しているはずの経過時間。にも関わらず、何故に少女が立ち上がったのかについて考え至るべきであった。
屍人形が少女の肩を掴んだ。
そしてそのまま組伏せるはず、であった。
だが、次の瞬間。
「な、にぃ?」
いよいよ魔術師は困惑した。
屍人形が突然、燃え出す。一気に火柱が巻き上がって、屍で象られた歪な人形は一気に炎上、一瞬で灰になる。
「ば、かな。異能だと? 何故使える?
身に感じるその痛みで、能力の行使どころではないはずだ」
「………………」
美影は魔術師の疑念には答えない。
ただ無言で立ち尽くすのみ。
「おのれ、……侮るなッッッ!!」
摩周は周囲の屍人形を繰り出す。
のろのろと遅い歩みで、その腐臭の群れは一人の少女へと殺到していく。
美影は動かない、否、動こうとしないのか、その場にただ立ち尽くすのみ。
だと言うのに。
屍人形は一体たりとも美影へと触れる事は叶わなかった。
全ての人形は瞬時に炎上、灰に還っていく。
だが、それは”想定内”の出来事であった。
「く、はははははッッッ」
魔術師が飛び込んで来る。
美影の間合いに肉迫すると、その両の手を突き出す。
狙いは少女の腹部。
炎が巻き起こり、敵へと襲いかかる。
「くぐう」
手を焼かれ、皮膚が焦げる。だがこれも予想の範疇。魔術師は構わずに手を突き出し――相手の腹部に手を刺し込む。
狙い通りに入ったその手。ねっとりとした血と臓腑の感触。
摩周は決して戦闘を得手としてはいなかったが、これは例外だ。
魔術師は今一度、そう今一度その体内に自身の血肉を埋め込もうとしたのだ。
どういう事かは判然とはしなかったが、心臓が上手く作用していないと言うのであれば更に餌を与えるだけの事だ。
「今度こそ我が物となれ――!!」
魔術師は高らかに声をあげた。
◆◆◆
――〇%¥♀☆♂℃
声が聞こえた。
誰なのかは分からない。
でも、それは何処かで聞いた声。
懐かしいとか、そういうのじゃない。
ただ、聞き覚えのある声だった。
――諦めるのか?
うっさいわね、身体が動かないんだから仕方がないでしょ。
――諦めるのか?
何よ、しつこいわよアンタ。動けないって言ってんでしょうが。
――何もせず、何も抗わずに簡単に諦めるのか?
声はしつこくアタシを糾弾する。
ちなみに声、とは言っても音が聴こえるワケじゃなく、あくまでもそういうイメージだとでもいえばいいのかな。
――やれやれだな。こんな気弱な女子が俺の器にならんとするとはな。
はぁ、何よアンタ。随分な言い草じゃない、アンタなら何とか出来るっての?
――当然だ、この程度の児戯など何の支障もない。
お前は俺の力を受け入れた程の女子だ。少しばかり【力】を貸してやるよ。さぁ、使いこなしてみな。
上等よ、やってやるわよ。
アタシのその声に対してアイツは微かに笑って、そして気配はかき消えた。
すると、アタシの意識は急に薄れていく。
でも同時にナニカが表に出て来るのが感じ取れた。
得体の知れないナニカ。でも、今はこれしか頼れそうになかった。
◆◆◆
「ば、なんだと、――? こんな事が、有り得るとでも言うの…………ぐがぎゃああ」
襲いくる激痛を前に、摩周は思わず刺し込んだ手を引き抜いた。
引き抜いたその手が、先程までとは明らかに違っている。
その手は確かに刺し込む際に炎で焼かれはした。
だが、今。彼の手は見る影もなく焼け爛れている。
左手は、今にも折れ崩れそうになっており、右手は指先が欠損していた。
「な、貴様。我が輩の血肉を消すなどとは…………、
一体その胎内に何を飼っているのだ?」
そう、魔術師の心臓は、埋め込んだはずの肉片は、今や跡形もなく消え失せていたのだ。
そして…………、
魔術師は今、ハッキリと自覚していた。
自分が目の前に佇む少女に対して”恐怖”しているのだと。
ガササ、という草を踏みしめる音。
そこに、井藤、田島に笠場庵の三人が姿を見せた。
まさかの登場に摩周は焦りの色を隠せない。
「な、貴様ら――――」
自身の窮地に、魔術師はいよいよ顔を蒼白にするのであった。