閑話――ある魔術師
それはそう、初めて器を入れ替える前の事。
魔術師となり、人としての理を捨てた摩周ではあったが、それでもこの世界に生けるモノとしての”摂理”からは逃れる事は叶わなかった。
そは”寿命”。
それはあらゆる生き物に必ずや、平等に訪れる権利。
摩周が齢にして六〇年を過ぎた頃の事だ。
彼は肉体的に限界を向かえつつある事を察知した。
それまでは壮健であった肉体が、徐々に衰えていく。
魔術の効能により、凡人の様に衰えずにいたはずの肉体が、見るも無残に老化していき、それを留める事が出来なくなった。
このままでは自分は死ぬ。
そう思うと恐ろしかった。魔術師となり、人としての条理を越えたはずだった。
だというのに、それでも世界の条理からは逃れ出でる事は不可能だというのか?
神とやらの事を思い出す。
あれは確かに圧倒的な存在であった。
あれの後押しで魔術師へと完全に成り変わったというのに。
それでも死ぬ、というのか?
許されない、そんな事は許されない。
自分はこの世の条理を越えるのだ、何としても。
誰よりも長く生きて、この世の全てを眺めて、己が好奇心を満たすのだ。
(それなのに…………死ねるかッッッッ)
かくて摩周はモラルを捨てた。
彼はそれまでは魔術をあくまでも世界の探求にのみ用いていた。
それはあくまでも個人的な目的。そこに他者の介入する余地もさせるつもりも無かった。
だが、迫る来る現実の前に彼の精神は歪んだ。
もう避けられない最後の刻を前に恐怖した彼は、残っていた倫理を捨て去った。
それまでは、既にこの世を去った故人の遺骸に一時的な生を与える条件として様々な知識を蓄えていた。
その際に魂の召喚と移植を行うのだが、これを応用し自分の中身を、……つまりは魂の移植が出来るのでは? いつの頃からかそう考え至っていた。
時間はあまり残されていなかった。
だから最初の器は大急ぎで見つけ出した。
それは自身の一族の、残された兄弟の孫。
理由は単純だ。
魂の移植にはいくつかの課題があり、その最大の懸念が魂の定着化であった。
どうしても関係性の薄い、つまりは血の繋がらない器に魂移植しようと試みても上手く定着しないのだ。
そうして最初の器に魂を移植した。
結果は成功した。摩周は新たな肉体を得て、新たな生を始めた。
だが、問題はすぐに発覚した。
それは器の限界時間。
如何に血の繋がりがあろうとも、別の魂を写すという行為は器に多大な影響をもたらす。
限界時間はその器次第の様だったが、おおよそ二〇から三〇年程。だから魔術師は常に新たな器を探す必要に駆られた。
二度、三度目と新たな器には一族の末裔を使った。
だが、ただでさえ世界中に離散した一族。そうそう次が見つかるハズもなく、やがて彼は窮地に立たされる事となる。
転機となったのは偶然からである。
ある日、神とやらのへの貢ぎ物、つまりは生け贄の儀式に便乗して新たな屍人形を見繕う彼であったが、手違いで生け贄となる少年に自身の血液を供与してしまったのであった。
その血液は神への捧げ物だったのだが、どうやら神の信奉者が誤って飲ませたらしい。
(手間をかけさせる)
と久方ぶりに苛立ちを覚えた事に自分自身少し驚いたものだ。
かれこれ数十年。
徐々に余計なモノをこそげ落とし、魔術師として前を向いていた自分にまだ凡人と同様のモノの残滓があった事に思わず気色ばむ。
しかし、彼が本当に驚いたのはその後の事であった。
生け贄の少年は穢れた、そういう事で捧げられずに捨て置かれていた。
好奇心からなのか、それとも他の何かであったかは分からなかったが、摩周は少年に近付き、検分する事にした。
(どうせ余り物、好きにしても構わないだろう)
そう思い、新たな屍人形の材料として解体にかかろうと、その身に手を触れた瞬間。
摩周は本能的に察した。
少年の肉体が器として扱える様になっている、と。
驚いた魔術師が様々な角度から彼の血縁関係を洗ってみたが、一族の末裔ではない。
思わぬ僥倖から器を手にした摩周は数年かけて結論を出した。
自身の血肉を与える事で、それに馴染んだ肉体は器と化す、と。
これにより摩周は世界中を巡り、器に相応しい肉体の持ち主を探索する事にした。
数多くの実験から、凡人では摩周の血肉には適応出来ない事が分かった。そして適応する比率が高いのは、常人以上の能力を持つ者であった。
だから探すのは何かしら秀でた才能を持つ者に絞る。
彼は探した。
ある国では天才ともてはやされた博士を。
ある霊山では開祖の再来とまで呼ばれる修験者を。
ある戦場では、最悪の殺し屋と呼ばれた少年兵。
彼らは高い適応率を誇り、その中の幾人かは実際に器となった。
そうして魔術師は幾星霜の時を過ごして、今に至る。
摩周は今、この森に囲まれた祭壇にて新たな器を求める為に動いた、忌むべき存在であった異能者を今度の器とすべく。
そうして、幾人かに目星を付け、最終的に美影を認めたのであった。
それは魔術師にとっては信じ難い程の存在。
一見すると他の異能者と比して、決して大きな器ではない。
だが、その底の深さ。つまり、潜在能力は底知れない。
そして彼女は美しかった。かつて魔術師が興味を抱いた往年の名女優を思わせるその美。
(これこそ神の差配よ、素晴らしい)
最高の器か、至高の人形か、いずれにせよ魔術師は損はしない。
(さぁ、我が輩を喜ばせるがいい)
そう思い、美影へとにじり寄った。