死霊遣い――ネクロマンサーpart7
気が付くと天井を見上げていた。
真っ暗ではない、薄暗いのは微かに灯る非常灯の光の為だろうか。
仄かな緑色の光だけがここを照らし出している。
う、という声が思わず洩れる。
何だろう、スッゴク気分が悪いと思った。
そうだ、ひたすらグルグルと回り続けて平衡感覚がおかしくなる、っていうのがしっくり来る感じかな。
吐きたいけど、吐けない。だって今、アタシの胃の中は空っぽだったから。
そうか、この数日間の点滴はこの為の仕込みだった、ってワケね。確かに効率的よね、流石に何回もこんな”実験”を繰り返してるだけのコトはあるよね。
それにしたって…………、
とにかく頭がズキズキ痛む。
目が、視界がハッキリとしない。
多分、クスリか何かで意識が朦朧とさせられているんだろう。
何度も何度も味わった感覚だ、こんな気持ち悪いのを忘れるはずもない。
他にやるコトもない、だから考えてみる。
今、分かってるのはアタシをクスリを投与されて、動けないというのと、それから今、寝かされてるのはいつもと同じ実験室の手術台だという事くらいか。
靴の音が聞こえて来る。白衣の先生達のお出ましってワケね。
それにしても、いつもよりも人数が多いみたい。
誰かがこっちに近付いて来る……いえ、こちらを見ているのかな? とにかく嫌な雰囲気だ。
ネチネチとした薄気味の悪い視線にまた気分が悪くなる。
何よ、用があるならアタシの意識がハッキリしている時にしなよ。そんな度胸も無いってゆうんなら、さっさとどこかに失せな。
ちぇ、せめて手だけでも動いたなら、目を瞑っていても炎を手繰れるのになぁ。
プシュ。
音が聞こえる、注射だ。何かの薬品を注入しているらしい。
多分、今日投与するのはその注射に入れているソレってワケ。
色はう、真っ赤だ。まるで人の血じゃないのよ。
気持ちワルい、くそ、こんなひ弱そうな奴にも何も出来ないだなんて――!!
はぁ、しょうがない。…………好きにしなよ。
ただし、覚えときな。
アタシはどんな実験でも耐えてみせる。
どんなに酷い目に合わせようったって構わない。
アンタらが殺す気でも絶対に死んでやるものか。
生きて、生き抜いて、絶対にこの借りは返してやる。
そうよ、アタシは絶対にここから出てやるんだ。
◆◆◆
意識を失った美影へ摩周が近付いていく。
屍肉人形は、そのサイズを二メートル程に変体させた。他の余った肉片は、周囲に張り巡らせて、警戒と索敵を担わせる。
「念の為にだね。……尤も、残った二人に我が輩を弑する事など叶おうはずもないだろうがね」
今、摩周は警戒心を高めていた。
何故なら、ついさっきまではしっかりとその位置を把握していたはずだった。
そう、魔術師は美影から離れていく残りの二人の位置を完全にロストしていた。
この魔術師の張り巡らした結界は主に二つの手段で侵入者を捕捉している。
一つはその速度。移動速度が早ければ早い程に把握するのが容易となる。とは言え、あまりに速度が速い場合は把握出来ない。
次いで、侵入者の温度、つまりは熱反応の感知。 こちらの方が把握しやすいので便利だった。
だが、こちらにも難点もある。
もしも相手が自身の”熱”を操作していたのであれば、感知出来なくなる可能性があるのだ。
そこで魔術師は、屍肉人形を小さく無数に分けて地面へと浸透、周囲の索敵を任せる事にしたのであった。
「まぁ、これで万が一我が輩に挑もう等と愚かな考えを抱いたのだとしても、対処出来よう」
憂いに対処した為か、少し笑みを浮かべ、気を失った少女へ視線を向ける。
魔術師はジックリとその容姿を眺める。見目麗しいとはこういうモノだろう、と思った。
その面持ちはいわゆる、昨今の基準でいう所の美少女なるモノとは断じて違う。
可愛いとか、綺麗だとかそんなありきたりの賛辞はこの少女には似合わない。
例えるならば、そう、往年の名女優の様な雰囲気、時代のトレンドなど超越した美とでも言えばいいだろう。
この魔術師は他者よりも多少長く生きながらえて来た。その人生に於いて様々な地に赴き、様々な神秘を目にもした。そうした中で彼は世界に”神”なる存在は間違いなく存在し得るという確信を深めていった。
そうした旅路の途上で時折目にしたのが、その土地毎の美なる存在であった。
彼女達は凡人の身でにありながら、何故もこう、大衆の心を動かすのであろうか。
ましてや、最早常人よりも遥かな高みの存在と相成った自分をも何故に魅了して止まないのであろうか?
幾度も疑念を抱き、幾人かは間近で調べても見たが、結局何も分からなかった。
だが、その答えを摩周は突然に、唐突に悟った。
それは一本のビデオテープに映ったある女優の映画であった。
彼女の事は魔術師も知っていた。当時世界中で人気を博していたのだから。
映画はその女優演じるとある王国のプリンセスが婚約者との顔合わせにある街へと訪れた事から始まる。
その顔合わせの前に、せめて束の間であってもいいから、自由を謳歌しようと一人で街へと抜け出して、そこで街に住む青年に出会って………そういうありきたりな内容の話であったと記憶していた。
彼女はとうに故人であった。
だが、その画面越しに映る彼女は輝いていた。
何をしていても、何を誰と話していてもそれは同様だった。
初めて名画を目にした時と同じく、釘付けになり、しばし時間が過ぎるのも忘れ、魅入った。
そして分かったのだ。
これもまた、”神の与えた造形物”なのだと。
そうしてやがて魔術師はこう思うに至る。
やがて手に入れるべき”器”。
これは自身が生きる為に必要なモノである。だから常に探し求めなければならない。
だが、それだけではつまらないではないか、と。
自身が長い生を生きていくのは当然の権利ではある。
だが、そうであるのなら何かしら。”愉しみ”もなくては折角の生も酷く味気ないものになってしまう、と。
であるなら、何か愉悦を感じられる対象がいる。
名画はどうであろうか、否。
名画を愛でるのは気分が良いものではある。だが、魔術師は一所に長くは滞在はしない。
名画を常に持ち歩くのは都合が悪い。
なら、宝飾品は、これも否だ。
あれらは所詮は、作り物に過ぎない。如何に精巧にして美しくとも加工されたモノだ。
では、何か? 一体何であればこの心を愉しませるというのか?
そう、真の美とは、儚くなくてはならない。
触れれば、容易く手折れてしまう様な儚い美。それは、そうあの女優の様なモノ。
あれらを”永久”にしてしまえばいいのだ。
幸いにして、自分にはソレが可能だ。
死して尚、その美しさは不変の美。
そして誓ったのだ。
いつになるかは分からない。当分先でも構わない。必ずやそうしたモノを手に入れんと。
そして時が経ち、それは今、眼前にあった。
改めてその姿を、肢体を眺める。
そして口をついた言葉は「素晴らしい」という感嘆だった。
美影は理想的だった。
器として、彼が各地を探して回った中でも近年稀に見る程に。
だが、同時に人形としても最高だとも思えた。
無論、屍肉人形等という無粋なモノにではない。
あれは単なる腐りかけた肉を再利用しているに過ぎない。
ここでいう人形とは、芸術としてのソレだ。
「悩ましい、実に悩ましい。……器とすべきか、いや待て、さりとて人形とするのも捨て難い」
ブツブツと呟きながら思考の世界に入り込む。
まるで夢遊病者の様に、その場をウロウロと歩く。時間にしてはほんの数秒だったが、魔術師にとってはまるで数十分にも感じられる有意義な時だった。
そして出た結論、それは。
「――まぁ、まずはこの身を我がモノにせねば始まるまい」
魔術師はそう一人頷くと何を思ったか、その手を突如自身の胸部へと刺し入れるのだった。