死霊遣い――ネクロマンサーpart5
≪くはは、くっはははははは≫
魔術師の哄笑が轟く。その声はまるで自分へと纏わりつく蛇の如く、粘着質で実に不快な響き。
それが聞こえて来る…………破壊の渦中だと言うのに。直接鼓膜を揺らし、脳がその言葉を理解している。
どうやら、一種のテレパスなのかも知れない。つまりは、自分には対処する術がないという事に、思わず溜め息の一つでもつきたい所だった。もっともそれは、今は叶わぬ望みである事を彼女は理解していた。
深い深い森の中で、生き物の動物の気配が全くしない、死の静寂に包み込まれた空間の中で、断続的にゴオン、ゴガン、という地響き。その都度、大気までもが震え、周囲の木々がバタバタと折れ、倒れ、吹き飛んでいく。
後で事情を知らない第三者がここの有り様を目にすれば、まるでここだけ局地的な災害、例えば竜巻か地滑り、土砂崩れにでも遭遇したのだと思うに違いない。かほどに凄まじい破壊が、この場では起きていた。
そんな中で、一人の人影が暗闇の中で動いている。
「…………」
その姿を今まさに、破壊をもたらしているモノの主である魔術師の目はハッキリと捉えていた。
その人影は、前後左右へとそれこそ縦横無尽に動き回っていた。
そして、掌から一瞬だけ炎を噴出し、ブレーキをかけたり、また逆に加速したりと速度調整をもこなしている。
そうする事で先程からの災禍を巧みに躱していた。
「ふむん、いいね。そうでなくてはならない」
今、彼の中で渦巻く感情は愉悦である。さっきまでの怒りが消えたわけではない。だがここに来てそれ以上に、今のこの眼下での光景に彼は怒りよりも優越感が勝っていた。
まるで虫けらの様な相手をいつ踏み潰せるのかに彼の関心は傾いていた。
「ふむん、そうだ。逃げるがいい、何処までも逃げてみせろ。我が輩を侮辱したその罪悪は万死に値する。
だから、せいぜい逃げ惑い、悲鳴をあげてみせろ」
そう、自身は超越した存在である。
それが僅かな時間ではあったとは言え、下等な、下賤なる異能者等に怒りを抱く等あってはならない事だ。
何故なら、自身こそは”魔術師”なのだ。
自らの”意思”に依りて正当な力を得た者。
生まれながらに獣の如き力を備わったり、何の覚悟も持たずしてそれを行使する様な愚昧の者共とはその存在の重みが違うのだ。
「はっ、はあっ」
軽く息を切らしつつ、美影は周囲を素早く見回す。
皮肉ではあったが、周囲の状況把握は実に容易であった。何せ彼女の熱探知眼には生き物の反応等は映らないのだから。今、少なくとも半径二〇〇メートル程に於ける生命反応は自身とあの頭上にいる魔術師以外は皆無であるのは間違いない。
とりあえずは思惑通りに、この魔術師から井藤と田島を引き離す事には成功したらしい。
そう思った美影が突然足を止める。
それを見た魔術師が問いかけた。
≪おや、どうかしたのかね? 体力の限界でもあるまいし。もしや、自身の愚かさに気が付いたとでも言うのかな? であるならば、謝罪でもして貰うとしようかね≫
「は、冗談でしょ。何でアタシよりも弱いヤツに謝罪しなきゃならないワケ?」
≪口の減らない小娘め。では何だと言うのだね?≫
「簡単な話よ。ここならもう邪魔は入らないからアンタを灰に出来る、それだけよ」
≪これはこれは驚いたよ。さっきから逃げ惑っていたのにな。………………よかろう。
では、足掻いてみせるがいい。我が輩の【屍肉人形】を退けられるのならばな!!≫
んんんにょ
そう言い終えたのと同時に屍肉人形は再度動き出す。
その巨大な腕を振り上げると、そのまま無造作に下へと叩き付ける。確かに圧倒的な破壊力ではあったが、美影はもう幾度となく目にしてきた。だからその攻撃速度は既に見切っている。腕が地面を直撃するすんでの所で彼女は飛び退く。
と同時に、右手を相手へと突き出すとそのまま火球を放つ。
その火球は相手の巨躯へと命中、身体に火が付く。
だが、効果は無かった。
燃えていた炎はあっという間に消えてしまった。
「ち、ならこれで」
続いて美影は同時に三つの火球を放ってみせる。それらはほぼ一直線に相手へと向かっていく。
≪ふむん、無駄だ≫
魔術師の嘲笑混じりの声が届くが美影は相手にするつもりはない。
「ばっっ」
掛け声と同時に三つの火球が分裂。無数の火の塊がまるで散弾の様に襲いかかる。
それらは相手の身体を直撃。そしてそれぞれが呼応して燃え広がる。
「GURRRRRRRAaaahhhhh」
耳をつんざく様な大音声の絶叫。
屍肉人形の胴体に火が広がっていく。
火はそのまま勢いを増して――巨大な怪物を焼き尽くすかと思われた。
しかし、そこまでだった。
確かに相手の胴体は燃えていた。
だが、そこで美影は目にした。
相手の身体の表面には、燃える側から新たにその炎の上に新たな皮膚が出来上がっていく。それでもまだ胴体からは火の気が上がり、焼けた肉の臭いを漂わせる。それを幾度も繰り返し、そうして火は消える。
それを目にした美影は思わずチッ、と舌打ちする他なかった。
(コイツを仕留めるには半端な炎じゃダメだ)
そう結論付けた美影の脳裏にあるのは自身の十八番である”怒りの槍”。
敵の肉体を貫通し、そこから肉体そのものを内部からも外部からも焼き尽くす彼女の必殺の槍。
だが、と思う。それでもあの巨体が相手だ。一撃では無理かも知れない。
≪おやおやぁ、どうかしたのかねェ?≫
見透かす様な愉悦に満ち満ちた魔術師の声。だがそれももう慣れた。美影はどうとも思いはしない。
そして繰り出される腕と足。極々単純で単調な攻撃。最早、美影が躱すのはあまりにも容易なその攻撃。
一見すると派手な破壊の連続で、さぞや困難な熾烈な戦いが起きているに違いないと第三者は思うに違いない。
だが、実際は違う。確かにあの屍肉人形の一撃一撃がもたらす破壊そのものは凄まじい威力であった。実際、さっきまでなら周囲には巨木がこの場を埋めつくしていた訳だが、それが嘘の様に今や周囲には木々は立っていない。その悉くが倒れ、折れて、砕けてしまっていた。
それは上空から見れば一目瞭然の光景に違いない。
深い深い森に突如、円状に木々が一本もない場所が浮かび上がるのだから。
だが、美影はもう既にこの単調な攻撃を完全に見切っていた。
それに地響きによる振動は問題ない。
何故なら美影が加速や制動をかける際、彼女は地面に足を付ける必要がないからだ。その気になれば彼女は一時的ではあるがかなりの高度に飛び上がれるに違いない。
彼女の掌からの炎の噴出は僅かな一瞬。その爆発的な勢いは擬似的ではあるがジェット噴射の様なモノだ。
もしもこれを長時間継続出来るかと問われればそれは否である。
一瞬だからこそ可能なのだ、継続等すればあっという間に美影の疲労は増大してしまい、戦闘続行不可能に陥ってしまう。
だから美影の関心事は如何にあの怪物を倒すのか? その一点のみであった。
とは言え、美影に油断はない。
彼女はかつて周囲の誰よりも弱かった。少なくとも扱えるイレギュラーの性能、制御等々の全ての項目で。
WG有数の炎熱系の担い手とさえ言われる今でさえ彼女は自分は決して強者ではないとさえ思っていた。
彼女は理解していたのだ。
マイノリティ同士の戦いに於いてイレギュラーの強弱は確かに重要なファクターではあるがそれが絶対の物ではないのだと。
他ならない自分自身がそれを実践しながら生きてきたのだから。だから、相手の攻撃を見切った今、美影は既にこの戦闘に於けるイニチアティブを取ったも同然だった、少なくとも本来であれば。
だが、それでも尚魔術師の表情に、声色に焦燥の色は全くない。
そう、美影は油断などしていなかった。
それでも尚、彼女は気付かない。実際、気付ける者がどれ程いるのだろうか。
それ程に、巧妙な一手が既に打たれていた。
未だ美影は察知していない。
この戦いに優劣があるなら、自分の方が不利である、と。