死霊遣い――ネクロマンサーpart4
それはいつの間にいたのだろうか。
少なくとも美影は気付かなかった、というより気付けなかった。
いや、彼女だけではなかった。
井藤にしろ、田島も同様に察知をしていなかった。
彼らはミスを犯した。
それは目の前で哄笑していた魔術師をそのまま構う事なく倒してしまえば良かったのだ。
彼らは相手の魔術、もとい、イレギュラーにもっと注意を払うべきであったのだ。
あの無数の小動物達の群れの数にではなく、それらが悉く屍の群れであった事にこそ脅威を感じるべきであったのだ。
つまりは、それはいつの間に? と言うのであれば最初から、だった。
その攻撃は突如始まった。
背後にまるで突風でも吹いたのか、と思った。
だが違った。
それは巨大な棍棒にも思えた、それほどに巨大で極太の腕だろうか? それが地面から生えていた。
それは三人めがけて頭上から振り下ろされる。
その圧倒的な勢いから襲い来る風圧が三人を圧迫。それを前にして普通の人間であれば身動きすら出来ずにそのまま押し潰された事だろう。
だが、三人共に荒事には流石に慣れている。幸いにも相手の攻撃は決して早くはない。焦る事なく同時に飛び退いて躱した。
その直後。
バアアアアン、という激しい衝突音。まるで爆発したかの様な衝撃。
それを目にした田島は唖然とした。
「おいおい何だよ、あれは」
それを目にした井藤は言葉を失う。
そしてそれを目にした美影は瞠目する。
ボコボコ、と地面から出てくるモノ。手が伸びてきて、そこから胴体、腰、足とその全容が明らかになっていく。
そこにいたのは怪物、そうとしか表現しようのないナニカ。
大きさは樹齢数百年の木々に匹敵する巨躯。
その巨大な手足の大きさは工事現場で解体作業で用いられるパワーショベルの如く。
ただ、それが真っ当な生き物ではない事だけはすぐに理解出来た、何故ならば。
それには”頭”がなかった。
それだけではない。その代わりとでも言うのかは分からないが、腹部には割れ目がある。
その上下に二つある割れ目からは液体が流れ落ちており、僅かに見えるその隙間からは白いモノが、歯が覗いており――つまりは口がそこにあるらしい。
さらに見上げてみると、相手の身体には本来とは違う箇所に目が付いているのも分かる。……具体的には胸部に二つの双眸が煌めいている。
この薄暗い闇に赤いそれが眼下にいる獲物を見下ろしていた。
「ふふん、どうかね? 我が輩の使役するペットは。これはなかなかにしぶとい上に攻撃力もかなりのモノだ」
その使役者は、実に愉快そうにそう告げる。
いつの間に場所を移動したのか、自慢のペットの肩にちょこん、と座っている。
これでもう勝った、とで思っているのかも知れない。確かにそう自惚れてもおかしくない怪物がそこには聳え立っていたのだ。
だが、
そのご満悦な気分を彼女の言葉がブチ壊す。
「何て言うか、バカと何とかは高い所が好きってヤツ。……アレって本当だったのね」
美影はそう言うと大袈裟に、これ以上なくゆっくりとした動作で肩を竦めて見せた。
「なに?」
魔術師は相手の言葉がよく分からなかったのか、聞き返した。
正気を疑いたくなった。今の現状が理解出来ていない、そういう事なのかと思った。彼が期待する反応は恐れおののく表情が最上。次いで、焦燥。それらの表情を上から眺めるのがたまらなく愉快であったから。
であるのに、
「わかんないヤツね、あんたやっぱり【バカ】なのね」
その相手は全く動じる様子はない。それどころか美影もある意味丁寧にゆっくりと強調して”バカ”と。そうハッキリと伝わる様に。
つまりは、……完全に煽っているのだ、相手を。
「…………」
魔術師は沈黙した。
だが、そのさっきまでの様な自慢気な様子は消え去っている事から、今現在どういう感情がかの魔術師の中で渦巻いているのかは聞くまでもないだろう。
「いいでしょう、かほどに我が輩を愚弄し得ると言うのであれば……致し方ありますまい。
君達には無残な最期ここで迎えて頂くとしよう」
その声の調子に先程までの様な愉悦はない。機械的な感じの声色にはただ、相手を殺す、という殺意が滲んでいた。
「おいおい、ドラミさん。こいつぁまずかないか?」
田島としては美影がただ事態を悪化させただけに思えた、それも著しく悪化させた様に。
美影や井藤とは違い、そのイレギュラーはあくまでも支援特化型である。
こんな得体の知れない、巨体の怪物とすら言えるのか分からないナニカを前にして、今の自分の存在は完全に足手まといにしか思えない。
実際、ナニカがその巨大な足を上げるとそのまま、踏み潰さんと襲いかかって来る。
その巨体もあいまって、動きは相変わらず遅い。
とは言ってもその迫力は凄まじい。
どすん、という鈍い音と共に足は地面にめり込む。
かの足が落ちた場所にはまるで隕石でも落ちたかと思わせる様にクレーターが出来上がっている。
(おいおいおいおい、こんなの喰らったら粉々だぞ)
田島はそうなる自分の姿を思わず連想し、青ざめる。
「で、今ので何がしたかったワケ? ……お花の種でも埋めるにしてはムダに大きな穴よね」
だが、それでも美影の挑発は留まる事を知らない。
その右の指先からパチン、と高らかに音を鳴らし、火花を放つ。
その火花は高みの見物を決め込んでいた魔術師の眼前で弾けた。
殺傷性は低くとも威嚇には充分。
「…………小娘が、随分と愚弄してくれるではないかね」
ナニカが美影へと振り向く。それを目にした美影は後退。その場から離れていく。
「舐めるな小娘ッッッッ、怖じ気付いたからと言って、ここから逃げられる等と思うな!!」
そう叫ぶとナニカは主人の怒りの対象を追い始める。
鈍重な歩みとは言え、その巨体の歩幅は大きい。先行する美影はこのままでは追い付かれる事は必定に見えたが両の掌から瞬間的に炎を吹き出す事で加速と、制動を巧みに使い分けて躱していく。
「さて、これで少し猶予が出来ましたね」
「え? まさか」
井藤のその言葉は思いもよらなかった。
「ええ、彼女が相手を引き付けている内にこの事態の収拾の手立てを考えないと。どうもあの相手には私のイレギュラーはあまり相性が良くありませんのでね」
そう言われて田島は、はたと気付く。
この井藤支部長のイレギュラーは”全てを殺す毒”である、と。
確かに強力なイレギュラーには違いない。
だが、この凶悪なイレギュラーにはある一つの”前提”がある。
それはこの毒が真の効力を発揮し得るのは相手が”生きている”という物だ。
無論、生き物以外に対して無力というのではない。
閉じ込められた際に毒でその穴を溶かしたと、その場にいた進士から聞いてはいた。
だからこの元精鋭である戦闘部隊所属のエージェント上がりの味方がこと戦闘では圧倒的な強さを発揮するモノだと思い込んでいたのだ。
だが、そんなに都合のいいイレギュラーであるはずがないのだ。
そもそも、この毒は制御が極めて困難である。
扱えるのはこの毒に対する抵抗力、とでも言えばいいのかそれを体内で清清出来る本人のみ。
そして、それを封じる事が可能なのもまた、体内で生成出来る人物、つまりは井藤本人のみだ。
この毒の厄介な所は迂闊に接してしてしまったら最後、だという点だ。うっかり吸い込めば肺腑が死ぬ。
手で接触してしまえば、その手は即座に腐り爛れて死ぬのみだ。
だが、その絶対的な殺傷力も本来であれば生き物に対する効能。
無機物に対しては無効とまではいかぬも、その猛威は確実に減退してしまう。
その分を補うのは、使用者である井藤自身だ。
彼が毒を意識的に扱う事で無理矢理溶解させる。
異常な能力を意識的に本来とは違う使い方で用いるというのは恐らく田島が考えている以上に井藤を疲弊させているのだろう。
「あれは既に【死んだもの】の塊です。それをもう一度毒で殺すのはなかなかに難しい」
田島は黙って頷く。彼は今、自分を恥じていた。
自己中心的だとばかり思っていたあの美影だが、決してそうではなかった。彼女は彼女なりに考えていたのだ。
(それに比べて俺、カッコ悪いよな)
バチン、両の掌で頬を叩く。
「支部長は無理しないでください。……ドラミの援護は俺がしますから」
そこにいたのはさっきまでの彼ではなかった。
気合いの入った表情をした田島一というエージェントであった。