死霊遣い――ネクロマンサーpart3
魔術師摩周。
この邪悪なる魔術師は悠久とまではいかないものの、それでも凡人よりも長い時を生きてきた。
かつてただの人間であった頃はこれでも普通の男だった。
周囲と比して少し違ったのが家族環境だったという、……ただ、それだけの事。
彼は北米のとある港町で生まれ育った。
そこの名家こそが彼の一家であった。
彼の父親は商船の船長で、ある時航海の際にとある島へと立ち寄った。
その島の港は交易で周辺の島々や時折、西欧諸国の商船とも交流があるらしくそれなりに栄えた街が形成されていた。
そこで変わった話を耳にした。
この島の奥地にはまだ昔ながらの暮らしを営む住人達が暮らしており、彼らは自分達の事をこう称していた、”神の民”と。
話を聞くと、この島にはある古来の神への信仰があり、その神は今でこそ知る者は少なくなったが、かつて世界に多大な影響を及ばした偉大な神だ、という話だった。
港町で暮らすのは彼らとはまた別の島から渡って来た人々らしく、その為に奥地の人々とはあまり交流はないらしい。
半年に一度の頻度で彼らは港町を訪れ、自分達の村の工芸品等を売りにくるらしい。
彼らの工芸品はかなりの高額で売れるらしく、それを目当てにここを訪れる商人もいるらしい。
それで、今がまさに丁度かの奥地から住民が何人かここを訪れているのだそうだった。
初めは単なる好奇心からであった。
今の世の中に、神などいるはずもない。魔術師の父は当時としてはまだ少数派の現実主義者であった。
だから神の民を自称する彼らに近付いたのも、茶飲み話のタネにでもしようと思ったからだそうだ。
彼らの信仰する神とやらも、その話も最初は眉唾モノの作り話だと思ったそうだ。
だが、彼らの話は聞く内になかなかに興味深いモノであった。
中でも驚いたのが、彼らのある習慣であった。
何でもかの村の住人では、誰もがかなり昔からの言い伝え等をほぼ正確に諳じられるのだそうだが、その理由は彼らが古来から”文字”と”書物”を持っていたのだからだそうだ。
信じられない話だと思いつつも、彼らの書物を譲って貰った船長は、それを故郷に戻ってから古代文字に詳しい学者に解読させてみる事にした。
その結果はまだ小さな少年であり、魔術師でもなかった摩周は知らない。
だが、その後の結果なら知っている。
父はそれから幾度となくかの島に立ち寄り、奥地の村へ行くようになったのだから。
それは最初は交易のついでの寄り道から、やがてはそこを訪れる事が目的へと変わっていくのであった。
その没頭ぶりはまだ子供だった摩周から見ても異様な様だったと覚えている。
もはや、それは単なる知的な好奇心ではなかった。
彼は気付いてしまったのだ。
この世に、神は確かに存在しているのかも知れない、と。
何故なら、そこには定期的に野蛮な生け贄の風習があったのだが、不思議な事に大嵐や地震などに伴う津波が何故かその島には到達しなかったのだから。
ある時には大嵐により周囲の島は全滅したというのに、それらの島々のほぼ中央にあるこの島だけは全く怪我人すら出なかったのだから。実際に、それを目の当たりにしたのだから。
そして彼は思った、――神へと生け贄を捧げれば何処まで願いが叶うのかと。
だから――――試しに、
彼は生け贄を、たくさんの生け贄を捧げてみた。
そして、
全てはそこから始まった。
結果として、父はその神とやらの加護を受け、その恩寵を受け、莫大な資産を築き上げる事に成功した。
だが、何もかもが都合よくいくはずがなかった。
生け贄を求める様な神なのだから。
やがて神の眷属との”契約”とやらで一家の中に眷属とやらから娘が送られてきた。
”彼女”たちは一見すると普通の人間に思えた。
だが、それは間違いだとすぐに理解する事になる。
彼女たちはそれぞれがその身体の一部に異形の刻印を得ていた。
彼女たちは常人を遥かに凌駕する力を秘めていた。
そうして娘たちは一家の者と交わり、やがてたくさんの子供が生まれた。
だが、そいつらもまた普通の子供ではなかった。
その身体には明らかに異形の痕跡を残し、何よりも獰猛だった。
それは例えるならば、人の皮を纏ったケダモノ。
時は流れた。
一家は繁栄を極めていき、周囲から羨望の目で見られるようになっていたが、摩周少年は不安を感じた。
自分の家族が増えていく、それもケダモノの様な家族ばかりが。
気が付けば、父も既に普通の人間ではなかった。
姿形こそ変わらないが、分かる。何かが決定的におかしい、と。
そして不安は増していく。
このままでは一家は化け物に取って代わられるのでは、と思うようになった。
いや、既に乗っ取られ始めているのだ。
そう確信するまでに、然程時間は必要なかった。
そうして少年はいつしかその異形達を屠る術を求める様になり、各地を巡った。表向きは勉学の為の世界各地の探訪という形で。
その上で辿り着いたのが”魔術”であった。
魔術とは人ならざる術の事だ。
それを学ぶという事は最後には自らの意思で人である事を放棄する覚悟が必要になる、そう彼に魔術を教えた師匠は言った。
だが、摩周青年は迷わなかった。
そんな事は後で考える事だ、そう思った若き魔術師は一家に反感を抱いていた人々と共闘関係を結ぶと即座に襲撃をかけた。
激しい戦いが起きたが、最終的に一家にいた異形のモノ達はほぼ全滅。一家も父は殺され、母は投獄、家族は離散した。そうして、彼は一人となった。
そして、彼はそこで出会ってしまう。
神の眷属に。
彼らの持つ尋常ならざる力をその目にした。
そして、
そして、若き魔術師は目にした。
神と形容する他ない、強大な力を秘めた存在を確かに目の当たりにしたのだ。
為す術なく神の前に若き魔術師は敗北を喫した。
戦った訳ではない、ただその巻き起こす力を目にしただけ。
だが、それでもう充分であった。
そして、………………。
この魔術師が人間と決別したのはそれから数年後の事だった。
◆◆◆
その泡立つモノを男は一瞬何か分からなかった。
それは久しく忘れていたモノ。
それは感情の一つ。
男は長らく喜怒哀楽から喜びと楽しみ以外の二つ、それらに付随する感情を忘れていた。だからこそ、だ。最初、この気持ちが何かを思い出せなかった。
そう、それは何といった感情だったか?
長らく忘れていたその感情に魔術師は困惑を覚える。
意に反して、自分が下賤なモノ達に同じ地に立たされた。
そう、コイツらは自分とは違う。所詮はひ弱な人の枠からはみ出せない愚者に過ぎない。
そう、全ての愚者共は残らず自分にとって駒であって、見下ろすべき存在に過ぎない。
にも関わらず、
何故自分が今、その愚者、その中に於いても人間等という下等生物から見切りを付ける事も叶わない偽善者共と同じ視線に立たされているのだというのだ?
「理解出来ないよ…………」
摩周という魔術師が呟く。
正確にはかつて摩周、マシューと呼ばれた一族の一員であった男の変わり果てた姿を、人の皮を纏った人ならざるモノが呟いた。
奇妙な感覚であった。
ついぞ今まで忘れていた感情。
本来であれば激怒してもいいはずの精神状態。
にも関わらず、彼は気が付けば笑い声を高らかにあげていた。
「…………ち、」
舌打ちしつつ、その哄笑を聞いた美影は相手を訝しむ様に見据える。油断はしない。
それは田島と井藤の同様で、警戒心を剥き出しにする。
殺意が溢れ出す。
愉悦に満ちた笑い声をあげながら、男は殺意を明確にした。
「そんなに死にたいかね…………いいだろう」
そうして凄惨な笑みを浮かべた。