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 夢を見ている様な気分だった。それもとびきりに悪い夢を見ている気分だった。

 酷く、酷く悪い夢。そんな悪夢をまるでヘッドマウントディスプレイでも付けているかの様に間近で、それでいて俯瞰しながら見せられている様な、そんな奇妙な感覚。

 夢の中では家族が化け物である誰かに殺され、その仇を取る為に自分も化け物になってしまう。そのくせ、いざ仇と相対したら自分が騙されていた事が発覚。仇なんて最初からいなかったと知った、けど化け物としての力が止められなくて……仇だとつけ狙った相手に倒される。

 そういう何とも後味の悪い夢だった。


「ううっ……はっ」


 薄暗い部屋の中で、見浦堅が最初に見たのは見覚えのない天井だった。寝かされているのはカウチらしく、ギシギシ音を立てる。

 だが、微かな香ばしいコーヒーの匂いと、聞こえてくる微かな音楽は何故か凄く心地いい。

(悪い夢だったな、なんなんだ……妙にリアルだった)

 自分の拳を天井に向け、かざしてみる。

 自分の身体なのに何かが違う、そんな感覚だった。

 身体を起こしてみたものの、やたら重く感じる。どうやら酷い筋肉痛に加え、全身が激しく疲労しているみたいだった。自分の身体なのにまるで誰かからの借り物の様にすら思える。

 ふぅ、と息を吐きようやく立ち上がると、ヨロヨロとしたおぼつかない足で部屋のドアノブに手を伸ばす。

 それは思った以上に重いドアで、軽く数十キロはある様に感じる。

 少しずつ開くドアの隙間。

 そこから何とも心地のいい、落ち着いた音楽が耳に届く。

 あまり音楽には詳しくない見浦だが、聞こえてくるのがジャズだとは分かる。

 こうした音楽は聞き慣れなかったが、聞き入ってしまいそうだ。


「いけね、くそっ……重いな」

 呻きながらも体重をかけ、ようやくドアを開くと見浦堅の目に入った光景は、

「おいおいマスター。酒をくれよぅ」

「こっちはお前よりも先に頼んでるんだ。おとなしく待ってろ」

 それは一言で言うなら混乱の極み。決して大きいとは言えない店内には座席数よりもずっと多くの客がいる。

 カウンターで泥酔した客が何やら言い争いを始めている。

 それをバーテン服を着た大男が苦笑しながら、まぁまぁ、と声をかけている。その顔には見覚えがある。

「ん? おお目を覚ましたか。大丈夫か?」

 その大男のバーテン服を着た大男、つまり進藤明海はその如何にも筋者の人間の様な凶悪な顔を緩めて笑う。

「あんたやっぱりこの前の」

 見浦は思わず後退りしながら警戒心を露にする。

 自分が何故ここにいるかは分からない。もしかしたらヤバイ場所なのかも知れない。

 周囲を見回すと、その推測を裏付けるかの様に店内にいるのはいずれも一癖も二癖もありそうな客の姿ばかり。


(やっぱりここはヤバイ)

 確信した見浦は、ゆっくりとだがこの場を離れようと試みる。一歩一歩と足を進めるのがもどかしかった。だが、下手に注意を引いてしまえば洒落にならない事態になりかねない。

 正直言ってそんじょやそこらの連中なら渡り合える自信はある。

 だが、裏社会の人間の恐ろしい所は、そうした表面上の、腕っぷしの強さではなく、どんな事をしてでも報復をしようとするその執念深さだ。とそうあの人は、彼の師匠である春日は言っていた。


 ──ま、あくまでも一般人ならだけどな。俺みたいにめちゃ強いともう関係ないけどな。


 そんな言葉を思い返し、少し背中に冷や汗をかきつつも見浦は外へと出る為のドアまでほんの数メートルにまで近付いた時だった。


「おいおいおいおい、今のはズルしやがったな」

 突然の怒声が店内に響き渡る。どうやらダーツの対決をしていたらしい二人組がそこにいて、結果に不満を抱いた坊主頭の中年がもう一人の神経質そうな青年に喰ってかかっていた。

 まさしく一瞬即発な雰囲気を醸し出すそこに店内の客が期待を込めた視線を向ける。

 どいつもこいつも無責任だとは思ったが、店内の客はこうした騒ぎにもなれているのか、煽る者こそいるものも、特に止めようと騒ぎ立てる者は一人とていない。

 どうやらこの程度の諍いにはここにいる連中には日常茶飯事の事なのだろう。

「おい兄ちゃん、何処行くんだ?」

 何時の間にか進藤がすぐ側に移動していた。

 今の騒ぎで気を取られた事を後悔したのがまずかった様だ。

 しかも、こうして間近で目にすると、強面の大男の顔だけじゃなく、腕や首筋にも切り傷や恐らくは銃創らしき抉られた傷が無数に刻まれており、それらがこの人物の人生の歩みが如何に厳しい物であったかが容易に想起出来る様だった。

「くそ、好きにしろよ」

 お手上げとばかりに両手を上げる。

 そこに進藤はぬっと手を伸ばすと、

「…………ほら、飲め」

 そう言うと差し出したのは紅茶だった。

「……え?」

 予想もしない事に、見浦は思わず間抜けな声を出してしまった。

 カップからは紅茶の恐らくはレモンの香りが鼻孔を刺激する。

 促されるままにカップに口を付ける。

「…………美味い」

「だろう?」

 進藤はその強面を破顔させた。



「しかし驚いたよ……あの零二の奴がお前さんを担いで来たのを見たときは」

「え? どういう事ですか?」

「言ったままの意味だ。何があったかは聞いていないし、聞く気は無い」

 カウンター越しにグラスを磨きながら進藤は言う。

 さっきの騒ぎはすぐに収まった。

 あの二人はこのマスターの一喝で大人しくなったのだ。

 それでも食い下がろうと試みていたものの、今度は店にいた他の客に睨まれるとすごすごと逃げ出した。


「何だお前、レイジの奴が連れてきたのか?」

「ほんとかよあの悪ガキがねぇ」

「こいつは珍しいぜ」

「おいマスター、祝い酒だ」

「お前さんは単に飲みたいだけだろ」

「バレちまったかぁ、いいじゃねぇかよ」


 そして店にいた客は、唐突に見浦の歓迎会を始め出す。

 そして彼らはこの店に居着いている少年を肴に盛り上がる。

 それから二時間後。宴も終わり、こうして今に至っている。



「悪かったな、後片付けさせちまって。高校生なんだろ? こんな時間に働かせちゃダメなんだが……ちゃんと金は出すよ。とりあえずは、こいつを食え」

 申し訳なさそうな顔で進藤は見浦に焼おにぎりを差し出す。

「いやいいっすよ。俺はそんなつもりでした訳じゃないですし、それに高校は中退しちまって」

 リーゼントの少年は焼おにぎりを頬張る。味噌を塗り、焦がしたらしく香ばしい匂いと鰹節の味がよく合う。

 すっかり腹が減っていた為に一気に食べ終える。

「おお、いい食いっぷりだ。いいぜお前さん……」

 そう言うと、ほら食え、と言いながら追加の焼おにぎりとお吸い物の入ったお椀を盆に乗せて相手の前に差し出した。

「ほーらもっと食え。どうだ、美味いか?」

「ええ、ほんとに美味いです」

「ま、うちの唯一の自慢だからなぁ、飯の美味さはな」

 進藤は嬉しそうに笑いながら厨房に積まれた皿をリズミカルに洗う。


「さっきも見た通りウチに来るのはロクでなしばっかりだ。世間様に自慢出来る様な肩書きの奴なんか滅多に来やしない。

 だがな、そういう連中にだって楽しむ場所はやっぱり必要なんだよな、ウチは俺の見た目もあるから普通の奴なんか寄り付きやしねぇしよ」

 ガハハハ、と笑う進藤の笑顔には後ろめたさは微塵も無い。

 そして何故か豪快に笑うこの大男に、師匠とも兄貴分とも慕っている春日の面影を見た。

「まあ、何にせよ。俺はあの零二バカを信用してるってこった。アイツはあんな奴だが、人を見る目はあるからな」



 ◆◆◆



 一方、同時刻。

 WD九頭龍支部では。


「それで見逃せと言いたいのですか?」

 支部長である九条は、その冷徹な視線を相手に向ける。まるでナイフを突きつける様な錯覚さえ覚える彼女の視線を恐れる者は多い。だがしかし、彼女の視線の先にいる人物は、決して目を逸らさず真っ直ぐ見据える。

「ああ、頼むよ姐御」

 その相手こと零二は珍しく真面目な顔をしている。

「アイツはまだ裏側こっちの人間じゃねェ……いや、じゃないです。だからさ……」

「……ですが彼はマイノリティです。しかも少なくとも【深紅クリムゾンゼロ】足る貴方に一撃喰らわせる事の出来る程度のイレギュラーを持ち合わせている」


 決闘場での戦いの後、気を失った見浦堅をバーに運んだ直後、彼は上司であるこの妙齢の美女に呼び出しを受けた。

 どのみち、壊した現場の修復を依頼しなければいけなかったので、発覚は時間の問題ではあったが、丁度バーに運び終えた直後にこうして連絡が入ると驚く。毎回この調子だった。

 一息付いた時を見計らって呼び出されるのだから。


(マジで監視されてるな、コリャ)

 ちなみに、さっきの戦闘の報告については、彼の相棒である桜音次歌音が一連の顛末を見ていた結果だというのを、零二は知る由もない。

 殺気には敏感ではあるが、そうでない相手の気配までは察知する事は彼には出来ない。

 もっとも、彼が相手の”熱”を見ようと思えばそれも不可能じゃないが。彼は熱探知眼サーモアイで一度目にした相手を追跡出来る。それで周囲を常に見ていれば可能ではあった。

 あくまでもその気があれば、ではあるが。

 彼は基本、細かい事を気にしない主義なのでそういった事には頓着しないのだ。

(ま。見たけりゃ見てればいいじゃねェか……好きなだけよ)


「で、どうなンだよ? いいのかダメなのか?」

「別に構いません。貴方がそれでいずれ寝首を掻かれようとも、それは貴方の決断です」

「だよな、そうだよな」

 九条のその言葉に零二はようやく笑った。

 彼女がもしも見浦を逃がすつもりがないなら、最初から言えばいいだけなのだ。もっとも、この不真面目なエージェントがその命令に従うのかは別ではあるが。


 WDの一員になった以上、遵守すべきはは自分に”素直”になる事だ。その結果が悪いものであってもそれも含めての”自由”なのだから。自分の決断の結果を全て”受け入れる覚悟”さえあるなら、大抵の事を目の前にいる女性は認めるのだ。

 そしてそれが彼がWDにいる最大の理由である。


「じゃ、オレは帰るよ。またな九条あねご

 それだけ言うと零二は部屋を出ていった。

 そうしてこの部屋にいるのは彼女ともう一人だけになった。

「【ピースメーカー】。宜しいのですか? 奴の要求を聞くなど」

 そう言いながら影から声を出すのはシャドウ。

 その名の通り、姿を見せずに物陰から声だけを上司に届ける。

「彼がどうしようとも問題はありません」

 淡々とした口調で九条は姿を見せない腹心に言葉をかける。

 そう言われてしまえば、彼に反論する事は出来ない。

「分かりました」

 ただそれだけ言うと、闇に溶け込んで消える。


「全ては大事の前の小事です」


 誰もいなくなった部屋で平和の使者を自称する人物は呟いた。



 ◆◆◆



 何だかんだと寄り道を、夜食をたっぷり買い込んだ零二が口におにぎりを突っ込みながらバーに戻ると、進藤が一人で最後の後片付けをしていた。

「よ、マスター。帰ったぜ」

「ん、零二か。アイツなら帰ったぞ。お前さんに一言伝言を残してな」

 そう言うと、ほら、と零二にメモを渡す。


 ”今日はあんたに借りを作ったみたいだ。だが、俺はもっともっと強くなって必ず借りを返す。待ってろよ”


「へっ、上等だよ」

 零二は笑う。こういう直球は嫌いじゃない。

「良かったじゃないか、ダチが出来たみたいで」

「ダチなんかじゃねェよ……単なるケンカ相手だよ」

「そうか、ならそういう事にしとくさ。じゃあ床にモップだけかけてくれ」

「ああ、いいよ。やっとくからオッサンはもう寝なよ」

 ハイハイ、と言いながら進藤は二階へと上がっていく。

 零二は、買い込んだ夜食の入った袋からメロンパンを取り出すと頬張る。時間はすっかり深夜だった。

「さって、とっとと片付けて寝るか」



 窓から見える九頭龍はぎらついている。 

 見浦堅は、夜行バスで帰路に付いていた。

 向かう先はもう決まっている。

 春日からメールが来ていたのだ。彼は今、東京にいる様だ。



「頼み事ですか?」

「そう、九頭龍でな。武藤零二って奴に会ってみてくれないか?」

「会うだけですか?」

「うーん、ならケンカしてこい。そしてどんな奴か分かったら戻って来ればいい」



 春日が何でそんな依頼をしたのかは分からない。

 結果は散々だった。全身が酷い筋肉痛だ。

 だが、それでも。以前よりも気分は良かった。どういう訳かは分からなかったが、モヤモヤしていた何かが消えた様な気がする。

 それが彼がマイノリティとして目覚めたから、だと知るのは東京に付いてしばらくしてからの事だ。


「思ったよりも面白い奴でしたよ」


 誰に言うでもなく呟き、そして車窓を眺めながら、彼は眠った。



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