死霊遣い――ネクロマンサーpart2
包囲を突破した方法はつまる所は、力業だった。
魔術師は気付かなかった。
三人は無線で通信が出来た事に。
この森に入る前から超小型の無線通信機を耳に備えていた事に。
そして、三人はこの状況下で、互いに何か気付いた点を口にし、事態を転換する為の方法を模索していたのだ。
結論として正面突破を決意させたのは、田島の言葉から。
美影の炎や井藤の毒の様な確たる攻撃手段を持たない支援要員である彼にとって、戦いとは如何に状況を冷静に把握出来るか、である。味方を如何に有利に戦える様にするのか、これもまた立派な戦いであった。
だから、彼はじっと周囲を見回す。
何とか事態を打開する為に。
その事に気付いたのは自分の足元からだった。
そこにはネズミが群がっている。もっとも、その対象は田島でもなければ無論、井藤でもない。
一心不乱に何かを囓っている。
いや、正確には違う。
彼らは貪っていた、死した同類を。
共喰いという行為自体はは自然界では別段珍しい物ではない。
彼らは自分が生き抜く為に同類を喰らう。
そうして種を残す機会を維持し、待つ。
また、雌が雄を捕食する事もある。これは来るべき新たな命の誕生を前に少しでも栄養を取る事と、新たな命がむざむざ己が伴侶に喰われない為にする処置でもある。
げに自然界とは厳しい世界だ。
だから、共喰いという行為も人間としての尺度からであれば異常な行為に見えても、倫理的には受け付けなくとも、自然な行為なのだ。
だが、それはあくまで普通の状況での話だ。
今、この場は戦闘状態に突入している。
しかも、この異様な群れは明らかに普通の生き物等ではない。
まず地面から出て来た訳だが、その間彼らはどの様にして生きて来たというのか?
ネズミなどはまだ理解できる、虫も同様だ。だが、明らかに地面に生息し得ない鳥類までもが同様に地面から出て来ていたのを、田島はハッキリと記憶していた。
呼吸をしない、という動物は存在しない。
何故なら、呼吸という行為自体が”生きる”という行為そのものなのだから。
それに、裏付けもあった。
まず田島は、この状況下であっても冷静に相手を観察していた。
様々な生き物をじっと観察、そして確信した。
彼らは呼吸をしていないと。肺呼吸をすれば胸部が動く。だが、彼らは一体残らずそうした機能を用いていない。
そして、美影が返答を返した。
――アンタの言った通りよ、コイツらは生きてない。一体残らずに死んでるわ、間違いなくね。
美影の熱探知眼はこの異様な群れの本質を看破した。
熱というのもまた、生き物が生きている証だ。彼らは個体差こそあれども、熱エネルギーで生きている。
それがなくなるのは、死した後。
そして美影の目には彼らが死んでいる状態に視えたのだった。
全く熱が伴わない訳ではない、微弱ながらも熱は持っている、だから動けるのだろう。
だが、その弱々しくあまりにか細い熱量は生きているとは到底言い難かった。
だから美影は断言した、相手は死んでいるのだと。
つまりは死んだモノが蠢いているのだ。
「つまりは、これらは一種の”人形”という事ですね」
すぐ後ろの井藤の問いかけに、田島はええ、と頷く。
その上で、今。
田島の足元では共喰いが起きていた。
生きていないはずの生き物が共喰いという行為に走る。
つまりは、これは。
「本能って事です、コイツらは死んじまったけどまだ動物としての本能は微かに残ってるって事みたいですね。それも多分、もっとも原始的な本能である、」
「【食欲】みたいね」
美影の視界にも同様のモノが視えていた。
美影が燃やした犬だった何かに無数の、死した生き物達が群がっている姿が。
彼らは一心不乱に貪り、喰らい、何も残さない。
恐らくあの魔術師を自称する男からの命令はこの場での三人の足止め、その為の包囲であろう。
にも関わらず、共喰いという行為に夢中であるという事は、命令よりも本能が彼らには優先されるという事。
そして、そこに付け入る隙がある事を示唆していた。
まずは田島が動いた。
彼は自分のすぐ側にいたネズミに銃弾を浴びせた。
一発、二発。普通のネズミよりも明らかに巨大なそれは風穴が開いて崩れ落ちた。
すると、新たなエサを見つけた、とばかりに他のネズミ達が群がっていく。小型犬程のサイズというネズミとしては破格の巨躯が、あっという間に骨へと変貌していく。
そこで田島はポーチに入れていた最後の予備弾倉を取り出すと、自動拳銃に装填。迷わずに周囲に弾丸をばら撒いた。
狙いは正直どうでも良かった、ただ、命中さえすればいい。
びっしりと包囲している、という事はそれだけ無数の生き物がそこにいる、という事だ。銃口の高さにさえ気を付ければ、目を瞑っていても何かに弾丸は当たる。
命中した屍達は弾丸が命中しても怯んだりはしない。何故なら彼らは既に死んでいるのだから。
そこで、田島は考察する。
この生きる、いや、動く屍は一体、何の感覚を保持しているのか、と。
彼らは見た所、視覚は弱い様に思えた。
理由は美影だ。彼女のイレギュラーは炎だ。多くの動物は本能的に火を恐れる。
だから、本能が作用するのなら、火が見えているというのであれば逃げるとまではいかないまでも、何らかのリアクションがあって然るべきだ。
だが、彼らは何も動かなかった。美影の炎はマッチやライター等とは違い、彼らを確実に焼き尽くしていた。それを目で見ていたのであれば、彼らの本能は何らかの退避行動を取らせていたはずだ。
だから視覚は除外した。
次に触覚。
これもまた違うと田島は判断した。
何故なら、食欲に直結する感覚ではなかったから。
三つ目は嗅覚だった。
匂いというのは様々な事態を想起させる。
それは動物が生きる上で目で見るのと、肌で感じるのと同様にその感覚が重要だからだ。
例えば見た目では何事もなさそうでも、食べ物が痛んでいたらそれは命の危機にも関わる深刻な事態を招く可能性がある。
腐る、という概念を知らなかった原初の生き物はそれを喰らい、幾度も幾度も命の危機に陥った事だろう。
だが、そうした事態を目にした結果か、或いはそこから生き延びたという経験則からかは分からないが、生き物はやがてそうした事態にも適応する様になった。
そしてそれは、後々に至るまで本能として引き継がれていく。
この臭いは危険だ、食べてはならない、と。
腐っているから危険だ、毒だから危険だと、遺伝子に刻まれ、本能でそれを察するまでどれだけの歳月を経たのだろう。
嗅覚とは生き物が食べ物の有無、安全性を判断する上で極めて重要な感覚なのだ。
そこで田島は思い返す。喰われたソレの共通項を。
ソレらは弾丸を喰らっていた、美影の火花でその身を破裂させられていた。
それらに共通するのは、そのいずれも”出血”していた事だ。死したその身からは生前と同様の派手な血の流出は起こり得ない。
だが、それでも充分であった。
血の匂い、肉を喰らうという遺伝子に刻み込まれた本能は、魔術師の上書きした命令をすら遥かに凌駕したのだ。彼らは貪る、もはや死した今や食べるという行為に何の意味もなくとも。それ程に刻まれた本能とは強いのだ。
もう三人は迷わなかった。
田島が撃ったモノが血を流した。
そこから流れ出でる赤い流れは食欲を刺激する。
そうして群れはその包囲を乱した。
この時、魔術師がもしも経路が途切れた事に意識を奪われなければ、事態の推移はまた違った事だったろう。
だが、そんな事は今や関係ない。
「貴様ら、…………」
ギリリ、と歯ぎしりする魔術師からはさっきまでの余裕の表情はもうない。
その目に映るのは、自分の計画を阻害する者の姿。
「もういい。出来れば無傷でその身を手に入れたかったのだが、もういい」
そう言葉を発した黒い外套の男からは邪悪な気配が漂っていた。
三人共に分かっていた、これからが本番だと。