死霊遣い――ネクロマンサーpart1
「ふむん、予定通りだ」
摩周は満足気にかぶりを振る。
魔術師は状況をコントロールしていた。
眼下では虫や小動物の群れに三人組が完全に翻弄されている。
それぞれが何らかの異形化を果たしたあれらは、その小さな身体に似合わず過剰な殺傷力を保持しており、決して侮れる存在ではない。
「いい、なかなかにいい」
魔術師の目は三人を、その中で紅一点の少女へと注がれていた。
実際、三人の中で美影が一番目立っている。
美影の繰り出す炎はその都度、確実に自身の周囲に群がらんとする敵を的確に薙ぎ払い、焼いていく。
本気を出していない事も明白であった。
彼女がもしも本気でその炎を繰り出していたならば、今頃はこの森自体が火事に見舞われていたかも知れない。
かなりの数が既に燃やされ、灰に還っていた。
どうやらかなりの精度で炎を繰り出せるらしい。
(卑賎なる異能者にしてはよく積み上げたものだな。これはいい【器】だ)
「何よコイツら、数が多過ぎっ!!」
美影が思わず舌打ちする。自身の周囲を無数の生き物に囲まれたまま膠着状態に陥りつつあった。
炎、いや、火花でも蹴散らせるような小さな生き物の群れ。実際かなりの数を彼女は既に屠っていた。
しかし、群れは続々と地面から新手が出てくるらしく、際限など無さそうに思えてしまう。
「支部長、これマズイです」
思わずギリ、と歯を噛みしめた。
田島の自動拳銃の残弾数は残り六発。既に予備の弾倉は二つとも使い切っていた。
田島の”不可視の実体”は虚像、つまりは幻を浮かび上がらせるイレギュラー。攻撃能力はなく、それにそもそもこの彼らを取り囲んでいる無数の生き物達に虚像はどれ程の効果をもたらすのか未知数。あくまでも一時凌ぎにしかならない上に、黒い外套の男がこちらを観察しているらしい状況下で使ってしまうのは自分の手の内を晒す事になってしまう。支援に特化した自分のイレギュラーは相手の不意を突かなければその効果は半減してしまう。
「………確かにこのままでは少しマズイですね」
井藤もまたこの状況下で苦慮していた。彼は今、田島を庇いつつ無数の生き物を排除していた。彼の指先から霧状に噴霧される毒は効果範囲や持続時間こそ短く調整してはいるが殺傷性は三人中で一番だ。
現に霧を吸い込む、もしくはそれに触れた個体は瞬時にその身体を崩し、溶けていく。
だが攻め切れていない。彼が毒を周囲に撒き散らせばこの包囲は解ける。だが、同時に田島をも巻き込む事は必定だ。田島に間合いを外して貰おうにも敵の包囲は足の踏み場もない程に密集しており、突破は困難であった。
だが、と井藤は思った。
(妙ですね、何故決着を付けようとしないのか?)
これだけ重層な包囲を敷いておきながら仕掛けてこない。
一応散発的に襲いかかってくる個体もあるが、それも間断なくという程でもなく、これは単なる持久戦とも思えない。
「田島君、一つ考えがあるのですが……いいですか?」
背中合わせの相手に小声で囁く。
「それは奇遇ですね、俺もです」
田島も同様に言葉を返してきた。
一方で、
「思った以上に訓練されているらしいね、彼らは」
魔術師は感心した表情で膠着した状況を眺めながら呟く。
確かに群れにはこう命じてある、”取り囲め”と。
殺せ、とは命じていないのでこういう展開は充分に予期し得たことであった。
彼の魔術とはイレギュラーに置き換えるならば”人形使い”だ。
その方法は彼自身の血肉を標的に与える事で発動する。
彼の血肉には魔術によって特殊な”毒素”が含まれる。
その毒を取り込んだモノは大半がその場で即死する。
そういう意味でも脅威ではある。だが、この魔術師を自称する男の悪辣さはそこから先にこそある。
彼の血肉を受けて死したモノは死した後に傀儡と化する。つまりは屍を人形とするのだ。
彼の人形は意思等持ち得ない、当然だ。彼らには既に”魂”という中身が損なわれているのであるから。
摩周が彼を知る者から密かに”死霊遣い”と呼ばれる由縁である。
彼は常にこうして屍人形を手繰り、自身は高みの見物をする。
魔術師である彼は、自身のその手を卑賎なる者の血で汚すつもり等ないからだ。
彼が今、勝負を急ぐ気がないのは彼にとっての最強の駒が今、手元にないからだ。
それは今、藤田とかいう男と戦っている獣、つまりは桐栄青年だ。
あの桐栄という青年は死してはいない。
だが、彼もまた間違いなく魔術師の傀儡。
これこそが彼の魔術、その血肉に含まれる毒素の悪辣さの本領であった。
彼の血肉の毒素は簡単に云えばある状態に”覚醒”させる効果がある。
それは一言でいうのなら、異能を強制的に目覚めさせるというモノだ。
マイノリティへの覚醒とはイレギュラーの所得、それから肉体及びに精神の進化を促す。その両方が伴わなければ器である肉体や精神は目覚めた能力の負担に耐えられないから。
それでも覚醒時に於いておよそ半数以上は耐え切れずにフリークと化してしまうのだが。
だが、この魔術師の肉体を巡る毒素は、そのステップを無視する。
肉体や精神の進化という手順をすっ飛ばして、強制的に異能のみを取得させるのだ。
となると当然、覚醒の成功率は低くなる。つまりは死亡者が増えるのだが、同時に屍人形が増えるとも言えた。
だが、そこで覚醒に成功する事例も稀にある。
そしてそれこそが彼が求める”器”の第一の選別でもあった。
"教団"に関わる魔術師は摩周以外にも存在する。
だが、彼らは決して敬虔な神の信徒等ではない。
自分達の邪悪な欲望の達成の為に教団の存在は都合が良かった、ただそれだけの事だ。
彼らは神などは信じるつもりはない、だが、その絶大なる力を利用したい。
そういう打算を前提にした協力関係に過ぎないのだ。
「何にせよそろそろ終わる頃だろう」
摩周は桐栄青年の敗北等は考えの外だった。
あの青年は実に有能だった、従順そうな普段の姿はまるで偽りでしかないかの様に。
あの獰猛さが魔術師の露払いには丁度良かった。
(だが、それでも【器】としては些か役不足ではあるがね)
苦笑しつつも、事態が順調に推移している事に破願した、その時だった。
プツン、という何かを断ち切られた感覚。
思わず摩周はその瞬間、表情を歪める。
何が起きたのかは理解した。
感じたのは自身との経路の断絶だ。そして今、彼がパスを繋いでいるのは先日、仕込んだあの桐栄青年だ。パスを繋ぐ手段とは即ち、自身の一部を相手に移植、簡単に云えば”埋め込む”のだ。
その後、パスが繋がるまでに時間が必要である等の多少の手間こそかかるが、埋め込んだ自身の一部はやがて相手の血肉と一体化した時こそがパスが構築される時だ。
そうなれば、もう相手は自分のモノだ。
その趣味嗜好、行動に至るまで主である摩周には全てを、本人さえ知らぬ”本質”さえも把握される。
本質とは、本能であり、根源でもある。
それを知る事は完全なる支配の完成。
あの青年はついぞ知らぬ事だろう。
自分の中の、奥底に根底に根差しつつも気付かなかったであろう”衝動”。
それを刺激されて殺したのは、あくまで”自分の意思”だったと思っていたに違いない。
まさか、それをも、他人に操られていようとは夢にも思わなかった事であろう。
そして徐々に己が手駒に変えていくのだ。
この魔術師は長年こうやって幾人もの人々を殺し、手駒にしてきた。自分とは違い、長い時を過ごせないのでその都度新たなに補充するのは少々手間ではある。
あの桐栄青年はこれまでのどの手駒よりも優秀であった。
それが死んだのだ、最早猶予はない。
と、同時だった。
彼の眼下にて異変が起きた。
突如巨大な炎が巻き上がり、そしてその中心には美影の姿。
さらに、切り離したはずの他の二人まですぐ側にいた。
つまりは、包囲は崩れたのだ。
思わず摩周は「ぬ、ぐう」と苦々しい表情で言葉を洩らす。
「アンタの番よ、降りてきな」
美影の目は静かに、だが、真っ直ぐに頭上の敵を見据えていた。




