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第三者

 


「始まったか」

 その光景を目にして男は呟いた。

 距離にしておよそ一キロ少々といった所か。

 最速で向かえばおよそ一分といった所だろう。

 だが、彼に急ぐつもりはなかった。

 あの魔術師のやり口は知っている。あの男は獲物をジックリと嬲る事を彼は知っている。

 現に、彼の視線に映る光景がそれを裏付けている。

 あの摩周が呼び寄せたのは、彼が使役する禍々しき生き物だ。

 彼は自身の血肉を植え付けた生き物を操るのだ。

 植え付けられた生き物は大抵の場合、即座に死亡する。あの男の血肉には解析不可の毒素が入っているらしく、それが死をもたらすらしい。

 だが、そこからがあの魔術師の悪辣な所だ。

 死んでも尚、いや、死んでしまったからこそ彼らには救いがない展開が待っている。

 躯と化した彼らの抜け殻は邪悪な意思に操られるだけの傀儡と化するのだ。

 そして、その外見は変貌していくのだ。

 まずは、肉体が変異していく。例えば手足の異常な発達や退化。

 その自然界に本来存在していた姿が歪んでいくのは、彼が鑑みるに恐らくはあの黒い外套の男の歪んだ精神が関係しているのだろう。


(それにしても)

 男は思う、妙な感じだった。

 摩周が狙うのは男だけだと思っていた。

 だが、どうも今狙っているのは一人の少女らしい。

 これまでにあの魔術師がつけ狙った幾人もの獲物とはあまりにも差異が大きい。

(何か、あの少女にある、という事か?)



 彼が自身の獲物であるあの魔術師に仕掛けないのには理由がある。

 あの男に対して、下手に近付こう物なら即座に察知される。

 この一キロという距離が相手に察知されないギリギリなのだ。

 だから今、あの魔術師に分かっているのは、せいぜい漠然と何処かにいるな、といった程度の実感位だろう。

 それに対して、男は今、間違いなく相手をその目で”目視”している。

 この差は大きい。


(そうだ、今アドバンテージを握っているのはこちらだ)

 だからこそ、だ。

 急く必要などない。

 あの魔術師は油断ならない相手だ。倒すのであれば機会を待ち、確実に仕留めなければならない。

 そして彼は今の状況を黙してその場に待機する事を選択した。

「そうだ、俺は【正義】を為さねばならない。そしてその為に必要であれば」

 彼は気付いていない、そう呟く自身の目にはある種の狂気が浮かんでいる事に。



 ◆◆◆



「く、なかなかに厄介だねこれは」

 藤田が思わずその表情を曇らせる。

 ジャリッ、という肌を裂かれた感覚が襲い、肩からは鮮やかな鮮血が吹き出す。

 そしてそれを行わしめた相手の姿が僅かにその視界に収まる。

 六メートルを超える規格外の巨躯を誇る灰色熊と化した藤田の分厚い皮膚はそんじょやそこいらの防刃防弾チョッキよりも性能は高い。

 だが、目の前に一瞬映りこんだ相手の攻撃、より正確には爪の鋭利さはその皮膚をも容易く引き裂く。

 薄暗い闇の中だからこそ分かりにくいものの、彼の全身には肩口と同様の裂傷が無数に刻まれている。

 そうさっきからずっとこの展開であった。

 相手の素早さは藤田の想像を凌駕していた。

 つい先程まで桐栄青年だった狼、いや野犬といった方がしっくりくる獣と化したフリークは強敵だった。

 その目にも止まらぬ速度とその速度が加味された爪の威力はまさしく凶器。

 正直言って、変異してなければとうにスライスされた肉片と成り果てていたであろう。


 確かに藤田の全身は血に塗れていた。

 その爪は彼の皮膚を裂いていた。

 だが、

 それ以上に発達した筋肉の壁には辿り着いてはいない。剛性よりも柔性を重視したその筋肉はあの鋭き爪をも寄せ付けない。剛柔両方を兼ね備えた鎧。それが灰色熊と化した藤田の最大の特徴だ。

 とは言え、大男は苦戦していた。

 確かにあちらの攻撃は決め手に欠けてはいる。

 だが、それはこちらも同じ事だ。

 いや、敢えて比するなら自分の方が今は分が悪い。

(何せこっちはあちらさんを全然捕捉出来ていないんだからねぇ)

 とは言っても、マイノリティとしての戦闘経験値では圧倒的に灰色熊が上だ。

 これでかれこれ何度目なのかはもう考えるのも面倒なので頭から外した。

(さぁ、来い)

 藤田は一呼吸置くと意識を集中させる。目を凝らし、野犬の動きを少しでも目で追う事を心掛ける。

 反撃の下準備として、まずは相手の動きを見切る事から。

 それが今の藤田が実行している事だ。

 どんなに素早くともいつまでも無尽蔵に動き続けるのはどんな生き物であっても不可能だ。

 加速したのであれば、いつかは減速しなければならない。

 どんなに素早くとも動き続ける限り、スタミナを消耗する。

 つまりは持久戦だった。

 これは耐久力に秀でた藤田だからこその戦術だ。

 これまでもそうだ。彼はどんな強敵であっても粘り勝ってきた。

 どんなに強力なイレギュラーを持った相手であっても、藤田は粘り強く耐え抜いた。

 灰色熊と化した藤田の欠点はボディのイレギュラーを扱う者としては動きが鈍重な事だ。

 それもまた当然だ、自然界では有り得ない大きさと重量の獣だ。

 彼は速度を犠牲にし、その分その肉体強度に特化している。


 正直、自分でも思わず苦笑した事も数多い。

 これまでに何度も色々なWG(みうち)と手合わせをしてきたが、その戦績はお世辞にも良くない。

 完全に黒星が先行しており、自分よりも大分年下のそれも同じ相手に幾度も一本取られたままだったりもする。

 とかく速度で勝る相手に対して後手になってしまうので、そういった相手に訓練でマトモに勝ち越したのは一体いつの事だったのかも思い出せない位だ。


 だが、それでも彼は周囲の誰よりも多くの戦いを生き延びて来た。

 周囲の誰よりも多くの敵を打倒せしめて来た。

 その結果が今の岐阜支部の支部長という立場だ。

 彼は誰よりもタフに生き延びる。

 普段こそ愚鈍そうに見える男は実戦に於いて、その巨躯は誰よりも威圧的で攻撃的だったが、誰よりも心穏やかな藤田はその凶悪な外見に反して戦闘では誰よりもその身体を張り続けた。その強壮な肉体は様々な攻撃に対して絶対的な戦術的アドバンテージを彼とその部下や同僚に与えた。

 指揮官が最前線で直接指揮を執るという行為の是非は別としてもその存在は支部の、特に最前線で身体を張る戦闘やその支援エージェントからの絶大な信頼を構築させる事に繋がったのだった。


(でも、それもこのザマさ)

 ザシュ、太ももの皮膚が裂かれた。


 藤田は悔しさに震えた。自身の判断が間違っていたとは思わない。あのWDエージェントと思われる通信を傍受した際に即座に動く事にした。真偽の程もまだ定かではなかった段階での自身をも含めた部隊の派遣はよその支部かた見れば拙速にすら映ったかも知れない。


 ビシュ、脇腹を軽く抉られた。


 通信を追い求める内に辿り着いたあの集落、そこで唯一の生存者だったあの桐栄青年。

 怯えきっていて、憔悴しきったあの姿を見て、今の状況を予期出来る者が一体どれだけいると言うのか?


 メリメリ、腕の筋肉を爪は軽くだが確かに裂いた。


 誰が予測出来得ただろう、あの青年が自分達を殺す存在であった、と。

 藤田は確信していた。

 あの惨殺を引き起こした実行犯は今、自分の全身に傷を刻んでいる野犬と化した哀れな青年であると。

 あの爪先の威力、そしてあの速度であれば不意を突いてしまえば充分に可能であろう。

 徐々にだが、相手からの傷が深くなっていた。

 どうやらここに至り、あのフリークは更に攻撃力を高めているらしい。

 このままでは、あと二度か三度目の攻撃で深手を負う事になりかねない。


 ふぅ、と灰色熊はため息をついた。


(そろそろ決着を付けないとな)


 その為の準備は整った。後は仕掛けるだけだ。

 藤田は勝負に出るべく動き出した。



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