魔術師摩周
「はぁ? アンタ何言ってんのよ」
相手からの言葉に、いや提案とでもいうべきそれに、美影は思わず素っ頓狂な声を返した。
意味が分からない。
貰い受ける、という意味が。
普通に考えれば、それは求婚としか思えない。
思わずハァ、とため息を一つ。
美影は熱探知を中断し、目の前の相手の顔を素の目で見る。
年齢は三十代後半から四十代前半といった所であろう。
神経質そうではあったがその顔形は整っている、黒い外套の下には白のシャツと黒いズボン。どちらも仕立てがよく、見映えはいい。
あの時代がかった口調と言い、昔の貴族の様な雰囲気を醸し出している。恐らくは、黙っていればそれなりの気品に溢れた男なのかも知れない。
だが、その全てを台無しにしていた部位が男には存在していた。
それは彼の双眸。
赤いその瞳に宿るは何かの゛妄念゛。
その光を目の当たりにした美影は、即座に動いた。
具体的に言うのなら、その左の親指をパチン、と鳴らす。
それをキッカケに蒼い火花が巻き起こり、魔術師と名乗った男の目の前で破裂。
「く、がああああああっっっ」
完全に不意を突かれた格好の魔術には、対応しようにも至近距離過ぎたらしく、顔を手で押さえながら呻いている。
普段彼女が使っている威嚇と牽制用の火花とは少し違う、先制攻撃用の”破裂する火花”。その色合いが何故蒼いのか、そして何故火花に過度の殺傷力が備わっているかは彼女自身未だに良くは理解してはいない。ただ、いつの間にか備わっていたのだから。
それでも、敢えていつの頃かと考えてみるのなら、あの時なのかも知れない。
そう、あの焔を纏った少年との対決、無残に敗北したあの時だ。
今よりもずっと小さくて弱かった、でもそれでも確かにその目で見たのだ。
あの少年が纏っていた焔とはまた別のソレを。
その指先から滲み出ていた蒼き焔を。
少年の顔はもう随分と朧気になってしまった今でも、その焔の色合いだけは決して忘れる事はないであろう。あのくすんだ色だけはその頭蓋の中に、脳裏へと深く刻み込まれたのだから。
美影は素早く間合いを外す。今の先制攻撃は上手くいったらしいが油断は禁物だ。
何せ相手もまたマイノリティ。
常軌を逸した存在だという意味ではお互い様なのだから。
「くく、ふはははは」
その証拠に摩周は先ほどの苦悶の声に仕草は一体何処へやら。
何事も無かったかの如く、その場で立ち尽くしていた。
チッ、と美影が舌打ちする。
本気ではなかったとは言え、それなりに手応えはあったはずだ。
少なくとも火傷や裂傷の一つや二つはあって然るべき。
にも関わらず、
相手の整った顔には傷の一つも存在していなかった。
「くく、うむうむ。いいぞ、我輩の目には狂いはない。実にいいぞぉぉぉ」
そう愉悦に満ちた笑みと声をあげた男に、井藤と田島が美影の前に立ちはだかる。
「おっさん、気味悪いわ。……正直俺ドン引きだよ」
田島は呆れ果てていた。
「申し訳ありませんが、彼女をお任せする事は承服出来かねます。こういう事はまず彼女の了承とそれからご両親の――」
井藤はあくまでも真面目に。
「ちょ、支部長 、何言ってんのよ」
美影がすかさず突っ込む。この支部長は些か真面目に過ぎるのが欠点であった。
「…………」
そして、いつの間に置いてけぼりの魔術師が一人。
それに、どうやらこの男の怒りの沸点はかなり低かったらしい。
その表情にはさっきまでの様な愉悦混じりの不気味な物とはいえ、笑顔は浮かんでいない。
その手足は軽く震えており、怒りに塗れているのは明白であろう。
「誰よ、わざわざ怒らせたのは?」
美影は思わずジト目で自分以外の男二人を流し見た。
田島は思わず目を逸らしながら「お、俺じゃないからな」と弁解している。
正直、それは彼女も分かってる。ただ何となくさっきからにやにやしていたのが気に食わなかっただけだ。
ファニーな少女の視線の本命は空気読まない支部長へと向けられていた。
そして当の本人は「? どうかしましたか?」と言葉を返した。
「はぁ、」と美影はため息するしかない。何となく分かっていたが、この支部長は”天然さん”だった。
空気読むとか読まないとかいう以前の話であった。
「ま、いいわ。ええ、と摩周さんでしたっけ? アタシ、正直言ってお断りです。何処の誰かも知らないオジサンに妙な告白だか何だかよく分からない口説き文句を貰ってもちっとも嬉しくないし。
そもそもアタシは恋愛とか興味ないし、趣味じゃないわ」
全く容赦のない返答を返した。
「うわ、キッツう」
美影はそう声を洩らした同僚を再度睨み付ける。同僚たる茶髪の少年は口笛を吹いてとぼけて見せた。
「つまりは、我輩の提案を無下にするのだね?」
静かな声で魔術師と名乗った男は尋ねた。
「ええ」
美影は簡潔に拒絶した。
「くく、はははは。はーはっははは」
摩周は突然破願した。さっきまでは怒りに満ちていたのにも関わらずに。
この日一番の笑い声が轟き響く。
そうして数秒、ひとしきり笑い終えてスッキリでもしたらしい。
すると突如として黒い外套の男の魔術師は「#$$%’&%$#”」と謎の言語を口にし始める。
何を言ってるのかは全く理解出来なかったが、三人は理解出来た。これは相手からの攻撃であると。
すかさず田島はショルダーホルスターから自動拳銃を抜き出すと淀みなく安全装置を解除。迷わずに発砲。せいぜい五メートルの距離からの射撃だ。日頃から訓練を積んでいる彼の狙いは一番大きな上半身。
まだ高校生ながらも、膨大な数の実弾を撃ち込んできた。よもや外す道理がない。
実際、ハンドガンから放たれた二発の弾丸は寸分違わずに相手の腹部へと吸い込まれていく。
今ので同類を倒せるとは彼も思ってはいない。
狙いはあくまでも敵の行動の阻害。それ以上は無理はしない。
油断なく銃口を向けたまま、美影の横に立った。
「変な真似はするなよ、おっさん」
だが、
魔術師の言葉は止まらない。黙々と得体の知れぬ言語で、不気味な呪文を唱え続けている。
そして異変はすぐに起きた。
突如、三人のすぐ側の地面がボコり、と盛り上がったのだ。
田島が唸る。
「こいつは何だ?」
井藤も訝しむ。
「どうやら人ではありませんね」
そして美影は困惑に満ちた視線を相手へと向ける。
「アンタ……ふざけてるワケ?」
相手の意図が何らかの害意に基づく事であるのは理解していた。魔術だか、イレギュラーだかはどっちでも別に構いやしない。
だが、今。
彼女達の目の前にその姿を見せたのは愛らしい”ウサギ”だった。
土をたっぷりと被ったその体躯をブルブルと振わせて土や泥を落としていく。
そしてその姿が露わとなる。
「え?」
美影は今度こそ困惑した。
愛らしいウサギのその全身は紫色。何処か毒々しい色合いだった。
さらにその目の色は赤くなく、白く濁っていた。まるで、生気が感じられない。
それは、明らかに自然界に存在する生き物だとは思えない。
そして、更に地面がボコボコと盛り上がっていく。それも無数に。
そして地面から姿を現すのはリスやイタチに、それから何故か鳥類だ。
だが明らかにおかしい、異常だった。
ある個体は片足だけが巨大だった、またある個体は単眼だった、そしてある個体は口や鼻などの呼吸器官を持っていない。そう、ここには一匹、一羽たりとも正常な生き物の姿はない。
そうして、森は一気に喧噪に包まれた。夥しい数の異常な容姿を持った奇妙な生き物達の出現によって。
「さて、どうかね? なかなかに心躍る光景であろう、これら小動物がこうして集う光景は」
いつの間にか摩周と名乗った魔術師は先程の木の枝に腰掛けていた。
ただ、さっきまでと明らかな違いがそこにはあった。
如何にも興味なさげであったその双眸はただ美影に注がれている。
そして、見下ろしている。
さぁ、と言いながら魔術師は言った。
「我輩の欲しいのはそなたの【器】のみ、あと二人はどうでもよい。壊れてしまえばいい」
それをキッカケに無数の小動物が獣と化し獰猛に唸り始める。
「――喰らい尽くせ」
号令に従い、獣の群れが三人へと襲いかかった。