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死を招くモノ

 

「う、くう」

 藤田は呻きながら面を上げた。

 空は深い森の木々に遮られ、辛うじて僅かばかりの星が見える。星の位置は殆ど変わっていない事からどうやらあまり時間が経過した訳ではなさそうだ。

「つっ、…………くそ」

 頭に鈍痛を感じる。

 背後から一撃、それも一撃で意識を断たれたらしい。

 手足は拘束されているが、手錠やワイヤー等ではない。

「何だこれは?」

 見た事もない奇妙な紋様が刻まれた布切れ。

 ハンカチの様な物であろうか。

 そんな如何にも頼りなげな物で手足を縛っていたのだ。

「……バカにしてるのか?」

 はぁ、とため息を付く。

 そして直ぐ様に布切れを引き千切る事にした。

 だが、

「ん? どういう事だ?」

 その手足の拘束は千切れなかった。

 力加減を間違えたとか、そういうレベルではない。

 そもそも、こんな薄い布切れに力を込める必要性を感じなかった。だから何の気なしに引き千切ろうとしたのだし、出来るはずだった。

 にも関わらず、それは外れなかった。

「何だと……!」

 藤田は今度こそ驚愕した。この布切れ一枚がまるで破れない。今、彼は本気でこそ無かったが最初とは違い、意識して引き千切ろうと力を込めたはずだった。

 だが、実際にはこの薄い布切れには一切の変化はない。

 ただほつれる事もなく手足を縛っている。


 そこへ声がかけられた。


「やぁ、目を覚ました様だ。藤田田熊君」

 黒い外套を纏った男がいつの間にか目の前に置かれたパイプ椅子に腰掛けていた。

 何がそんなにおかしいというのか、如何にも愉快気に微笑をたたえながら。

「何故、名前を知っている?」

 思わず息を呑む。藤田はこの集落に来てからまだ一度も名乗っていないし、部下にも個人名での呼称を禁止していた。ここがどういう場所かも分からないままに向かうのだ。だから現地へと向かう際に徹底させた。

 だから、自身も含め誰も個人名の特定に繋がる様な私物も一切持ち込ませてはいない。

 可能性としては、自分の顔が割れている、というのが一番現実的であろうか。

 そして、そうしたデータを持っている相手として最有力なのは……。

「WDのエージェントなのか?」

 という自分達の敵対組織の関係者という疑念。

 だったら仲間、或いは味方をも躊躇なく弑したとしても不思議ではない。

 彼らは往々にして身内同士でも構わずに殺し合う。

 彼らにとって大事な事は個人の願望、目的を叶える事。その為に取る手段の善悪には意味がない。そういう考えのもとで様々な事件や事故を全国各地で引き起こすのだ。

 そうした様々な事でまた大勢の無関係の人達が犠牲となる。

 それが藤田田熊には許せない。

 彼もまたそうした事件で家族を失ったのだから。

 そう、彼は怒っていた。

 一見すると髭面に穏やかなその表情からは汲み取れない。

 だが、フツフツとした怒りはまるでマグマの様に沸騰し、今にも噴火しそうであった。

「…………」

 藤田はいざとなれば”全力”を出すつもりであった。

 全力さえ出せばこの奇妙な拘束も引き千切る事は出来よう。

 だが、今はまだだ。彼は目の前にいる相手を睨む。そうこれもまた一つの戦いだった。


 対しての男の回答は、

「WD、いや違うな。一緒にしないでもらいたい」

 アッサリと否定した。その表情はさっきとは違う。

 さっきまではニヤニヤと笑っていたその表情に浮かんでいたのは嫌悪。そして口にしたのは、

「我輩はあの様な愚者とは存在が違う」

 という言葉には明らかに侮蔑が込められており、この得体の知れぬ男が本心からWDを嫌っている事が窺える。

「では一体何処に所属しているんだアンタは?」

 これこそが藤田の本当の質問であった。

 最初から同じ質問をかけた場合、或いははぐらされたかも知れない。

 だが、今は違う。

 この黒い外套を纏った男はその格好にせよ、口調にせよかなり気位が高い事は明白だった。

 恐らくはその虚栄心も相当に強いはず。

 だから、今ならこの男は己が自尊心を満たす為に本当の事を話す可能性があった。

 だが、

「くく、なかなかに頭脳派ではないかね。もう少しでムキになる所だったよ」

 通じない。その目論見は外れる。相手は猿芝居にかかったフリをしていたのだろう。さっきまでの憎々し気な表情が一変、この上なく愉悦に満ちたモノへと変貌していた。

 パチン、と指を高らかに鳴らす。その途端、ぐぐぐ、と藤田の手足の拘束が更に強くなる。

 その締め付けは強力で手足首へと食い込み、挙げ句には血が滴る。

「我輩の素性を教えるつもりは無かったが…………興が乗った。まぁ、いいであろう」

 男は「#$%&&$#*」と何やら聞いた事のない言語を口にする。だが、それでも理解出来る。その言葉の響きに潜む例えようもない底無しの悪意を。

「我輩が何者かは今から教えてくれよう。その身をもってな」

 そう言うと男はス、と影の様に姿を消した。


「うっ、なに?」

 藤田は今更ながらに気が付いた。鼻をつく強烈な血の臭いに。

 さっきまでは気付かなかったが、自分の周囲には無数の骸が置かれてると。

 間違いなく彼らは藤田の部下であり、襲撃してきたWDの部隊であり、恐らくはここの集落で殺されたであろう犠牲者達であろう。

「うう……くそっ」

 それはあまりにも濃厚な死の臭い。藤田が呼吸をすると、思わず蒸せかえる程に空気をも毒している。

(何故気付けなかった?)

 あの黒い外套の男の存在感で意識を逸らされた? 違う、確かにあの奇妙な男の醸す雰囲気や存在感は異常な程に強烈ではあった。だが、だからといってこれ程の惨状に気が付かないはずがない。異常だ、まるでそう、自分がここの光景を"見ていなかった"或いは、見ていたが"意識、認識"出来なかった、とでも言うのか?

 その手口は一種の催眠状態にも繋がる。

(となると、あの男のイレギュラーは【精神感応】か?)

 そう思い始めた時であった。


 うじゅ、ぐじゅ、ねちゃり。


 奇怪な音がした。

 それは何かが蠢く音。

 そう、肉が潰れる音。

 だが、この場に今、生者は自分だけのはずだ。

 ならば一体何が――――?


「なってこった…………」

 そう……呟くしかなかった。

 その場で蠢くのは生者ではない。

 蠢くは命を失ったモノ。ただの抜け殻、骸、遺体、肉塊。

 どの様に表現しても変わりはない、それらの指すのはいずれも生者に対するモノではないのだから。


 蠢くは死者だ。

 間違いなく彼らは死んでいた。

 仮に仮死状態だったとしても、あの手足が千切れたのに構わず立ち上がろうとするのはおかしい。

 胸に大穴が穿たれているのに、それを気にもしないのはおかしい。

 彼らがもしも正気だったら、或いは生者であったなら、自身の肉体の欠損を無視など出来得る訳もない。

 命に関わる深手に無頓着でいられようはずがない。


「お、お前たち…………」

 藤田は絶句した。

 彼らの、仲間であったモノ達の成れの果ての姿に。

 その双眸に。魂の入っていないがらんどうの姿に。


「UHHHHHHH」

「ああああああがあががががが」

 その声にならない唸り声からは知性を感じ取れない。

 獣の様ですらある。

 だが違う。彼らは獣ですらない。ただ蠢くだけの手足を持った肉塊に過ぎない。

 漂うのは死臭。

 その凄惨な死の後で尚も辱しめを受けるモノ。


≪どうかね? なかなかに面白い見世物であろう≫


 あの男だ。

 姿は見えない。気配も感じない。

 だがこの声は、間違いなくあの男に他ならない。


「あんたには死者に対する敬意が無いようだな」


 藤田の声はこれ迄になくドスの利いた物だった。

 その風貌と合間ったその声を、姿を初めて出会う人が見たのなら十中八九逃げ出す事は請け合いだろう。

 それ程に今の灰色熊グリズリーベアと呼ばれるエージェントからは凄絶さを窺わせた。


≪ほうほう、これはなかなかにいい殺意だ≫

 その声からは本当に楽しいらしく、くく、という笑い声も洩れ聞こえる。

「……………………」

 もういい、それが藤田の心の声だった。

 あの男の全てが気に食わない。声も、あの姿も、何より存在も。その全てが許せない。


「ならいい。俺はあんたを殺すだけだ」


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