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美影の理由

 

「ったく、こんな場所から歩くなんてな、あいたっ」

 と、ブツブツ文句を言っているのは田島だ。

 だが、それも無理なからぬ事だろう。

 今、彼らは予定とは違って深夜の森の中を行軍していたのだから。

 田島と、美影、それから井藤の三人がヘリで降り立つはずだった降下ポイントが突然の悪天候で使用不可能となったのだ。

 だが救援要請があった以上、そこに向かう必要がある。そこで、井藤の判断で降下ポイントを変更。

 そして地図をチェックした結果が、今歩いている森の手前への降下ポイントの変更であったのだ。

 こうして夜間行軍となった訳だが。三人の差はハッキリしていた。

 井藤は元々、日本支部の最精鋭である戦闘部隊ストライクの出身で訓練の賜物だからか、足元の不安定な深夜の森も弱々しい見た目とは違い特に問題もなく歩いている。

 美影は戦闘部隊出身でこそ無いものの、その戦闘経験は同年代のエージェントと比較してもかなりの物で、しかもこの深く暗い森も熱探知眼サーモアイで視認出来る為、その歩みはまるで今が日中であるかの様に軽快そのもの。

 どうやら鼻唄まで歌っている始末だ。

 そんな中で、ただ一人だけ足元が覚束ない田島だけが悪戦苦闘していたのだ。

 しかも、他の二人とは違って足元はスニーカー。泥が跳ねる度に小さく「あ、っ」と声を洩らし、木の枝に引っ掛かっては「いてぇ、ああくそ」と喚いている。

 正直言って今から戦闘が起きている場所に向かうにしてはどうにも三人中、二人には緊張感が完全に欠けていた。


「あーあ、いいよなぁ……ドラミは」


 田島としてはボソッと呟いたつもりだったが、本人には丸聞こえだったらしく、即座に美影からの反撃。

「あっちいいいい」

 コツン、と額に何か熱い物が当たり、思わず尻餅を付く。

 何が当たったのかと周りを見回すと、その正体はすぐに知れた。

 小さな小石だ、それも蒸気を発した小石が。

 大方、美影がその辺に落ちていた小石を拾い、それを熱して投げ付けたのだろう。

「あーら田島くん、――どうかしたの?」

 美影がウフフと笑い声をあげる。犯人にはどうやら全く悪びれる様子もない。

「ふっざけんなこの」

 怒り心頭に達した田島は声を荒げて掴みかかろうとした。

 別に殴ったりするつもりなんかない。

 単に少し驚かせる為だった。

 田島のイレギュラーはあくまでも支援限定だ。戦闘能力、まして殺傷力等は皆無。

 間違いなく美影の方が強い。

 しかし、それはあくまでもイレギュラー込みでの話だ。

 素手での戦いなら、勝てるんじゃないか?

 美影のイレギュラーは炎の射出だ。接近戦が出来ない訳ではないにしても不得手ではあるはず。

 まして、今二人の間合いはほんの一メートル足らず。

 だから思ったのだ。

(ひょっとしたら今ならギャフンと言わせられるんじゃないか)

 そう思ったからこその行動であった。

 が、

 だが残念な事にその試みは成立しなかった。

 美影の襟首を掴もうとした手が届く前。逆に相手からの差し手が伸びてきて襟首を掴まれた。そうしてその次の瞬間には彼の視界は反転。そのまま地面へと組み伏せられ、田島は「ぎゃふ」と呻いて倒された。

 どうやら大外刈りか何かを喰らったらしい。

「悪いわね、つい虫を払っちゃった。いつものクセってヤツで」

 美影はそう軽く言ってのける。


 怒羅美影、ファニーフェイスの異名を持つ彼女は良くも悪くも有名人だ。

 そのイレギュラーが炎熱系、より具体的には炎を繰り出し、数多くのフリークを葬ってきた事も、つまりはその戦闘スタイルも判明しており、中距離での戦闘を得手にしているとも。

 だからだろうか、彼女と戦う相手は往々にしてこの女性エージェントとの戦いに際して接近戦を挑んでくる。相手が炎を繰り出す暇と間合いを与えない為に。

 確かに美影にとって接近戦は決して好ましい展開ではなかった。

 だが、だからといって戦えないという訳でもない。


 ◆◆◆


 そもそも彼女は幼少時に誘拐され、それから数年様々な非人道的な実験を受け続けて来た。

 その中でとある研究施設で彼女は同年代のマイノリティ達とも戦いを強いられ、文字通りに命懸けの日々も送った。

 そんなある日、彼女はあるマイノリティと戦った。

 そして敗北した。

 元々決して強い炎熱系のマイノリティとは言えなかった彼女であったが、それでも勝ってきたのは、彼女の強さの根源がイレギュラーに起因するものでは無かった事だ。

 彼女の強さの根源、それは何が何でも"生き抜こう"という生への執着心。

 自分よりもずっと強いイレギュラーを有したマイノリティ達との戦いを制してきたのは、ひとえにその一点から来るものであった。彼女は諦めない、だから故に負けないし、負けを認めない。


 だが、彼女は負けた。それも完膚なきまでに。

 その少年はそれまでに、そして今に至るまで最強の焔使いであった。

 全身から炎を吹き出し、そしてそれすらもまるで児戯であるかの様な全てを焼き尽くす焔を繰り出す少年を前にして、当時の美影に勝機は皆無であった。

 負ければ死あるのみ、という暗黙の掟があったその戦いに負けたにも関わらず彼女が生き延びた理由は簡単だ。

 勝者である少年が彼女を見逃したのだ。

 その時の言葉が耳から離れない。

 彼はこう言った。

≪もっと強くなれるさ、君なら間違いなく≫

 それは紛れもなく強者の言葉だった。自分の方が遥かな高みに立っている事を理解した者の言葉。

(違う、負けてない、――――まだ)

 彼女は、

 そう言葉を発したかった。

 だが、

 言葉は出ない。

 身体も動くし、怪我も然程酷くもない。五体満足だ。

 だと言うのに。

 言葉だけが出ない。

 その言葉を今、発したらどうなるのか。

 ふとそれを考えてしまった。


 それは"死"。免れない絶対の理。

 その鎌口が喉元へと突き付けられる感覚に底から震えた。

 そして、彼女の心は折れた。

 その時彼女は負けた。完膚なきまでに。

 そして生き延びた。


 確かに彼女は生き延びた。今回も死ぬ事なく。

 敗北を喫し、本来であれば廃棄処分になるはずであった美影がそれを逃れたのは全くの偶然。

 別の研究施設への移送が決まったからだった。

 そうして美影はそこから生き延びた。

 あの"白い箱庭"から。


 彼女は決意した。もっと強くなろうと。

 あの時、喫した敗北。あれで彼女は嫌という程にその身に刻み込んだ。

 敗北の苦汁を。

(もっとだ、もっと強くなるんだ。絶対に死なない。アタシは死んでやるものか)

 その一心で貪欲になった彼女は、その後に味わった更なる非人道的な実験にすら耐えた。

 誰もが心を壊し、廃人か、フリークと化した実験を受けても尚、心を揺らぐ事なく耐え抜いた。


 WDでの実験が彼女の精神面を鍛えたのだとするなら、救出後のWGでの日々は彼女に技術を与える物だった。彼女は出会った。先代のファニーフェイスである彼女に。

 美影は彼女からその異名を受け継ぎ、訓練を受けた。

 そして数年。

 美影は自ら志願し、全国各地のWG支部を巡る日々に入る。

 彼女の希望はたった一つだけ。

 強いフリークがいる場所、いる支部という事だけ。

 全ては自分をより高見へと登らせる為。

 あの研究施設はもう存在しない。何かの実験に失敗し消滅したらしい。

 その際にそこにいた者は全て死に絶えたとも聞く。

 だが、それは嘘だと彼女は確信していた。

 あの少年が、あれだけのイレギュラーを扱えるマイノリティがそう易々と死ぬはずが無い。

(だから、アタシは強くなるんだ。誰よりも、そして――)

 かつて自分に初めての感覚を与え、それを教えてくれた相手に、いつの日か必ず借りを返す為に。


 美影が近接戦闘にも対応出来る様に自身を鍛え出したのは、先代からの助言だ。

 先代は言った。

 何でもかんでもイレギュラーという便利な能力に頼っていては、いざという時何も出来ないかも知れない。イレギュラーにも限界がある。最後に残るのは自身の手足に脳髄、身体に教え込んだモノだけ。

 ならば、教え込めと。選択肢を増やす為に。そして、もう決して誰にも負けない為に。生き残る為に。


 ◆◆◆


「いてて、何だよ普通に強いのかよ」

 半ば呆れ気味に田島が愚痴る。その顔には今舞い散ったらしき葉っぱや、跳ねた泥が付いており、正直なところ間抜けそのものにしか見えない。

 しかも梟のホーホーという鳴き声がすぐ側でも聞こえてきて、何だか今のやり取りを笑われているかの様だった。

 美影は思わずぷっ、と笑う。そして、

「当ったり前でしょ、アタシは強いんだから」

 そう言うと倒した相手に手を差し伸べた。

「ちぇ、いいさ。その内にギャフンと言わせてやるから」

 その田島の負け惜しみを受けた美影はくっく、と笑うと「いつでもどーぞ」と軽口を返した。

 そう返す彼女の表情はさっきまでとは違い、年相応の少女のものだった。


「まだまだ子供ですね。ですが…………」

 それでいい、とその二人の様子を横目に井藤は微笑んだ。


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