その存在
キーンコーンカーンコーン。
いつも通りのチャイムなのに今日は何処か軽妙に聞こえるから不思議だ。
あっという間に七時間目の授業が終わり、そしてHRも終わる。
放課後になった教室はこれから部活動に励む生徒と、帰宅する生徒へと別れる前にザワザワと歓談したり、支度をしたりと各々準備に勤しんでいた。
そんな中で、
「あー痛い、痛いなぁ」
と不満たらたらに愚痴る不良少年が一人。
零二はわざとらしく呟く。その相手はお隣さんこと怒羅美影。
さっきの口論講じてのケンカは、引き分け。
世間一般から見れば絶対に零二の負けにしか見えないだろうが。
何せ、一方的にボコられたのだ。
一応零二は女子供は殴らない、と周囲に公言している。
実際、そうだ。この不良少年は好戦的で野蛮ではあったがその見た目の印象とは異なり、無闇に暴力は振るわない。
それは、彼は自分という存在が如何に容易く人を殺せるのかを骨身に染みて分かっているからに他ならない。
ただ、例外として。同じマイノリティ同士での命の張り合いならば話は別だ。現に美影とは既に一度先日命やり取りをした訳なのだが。
つまりは、
そこはお互いのプロ意識とでも言えばいいのか。
マイノリティとしての戦い、WG、WDといった互いの組織の事はさておき、何の関係もない一般生徒が大勢いる場では本気では決して戦わない。そういう”暗黙の掟”があった。
WGという組織であればごく当然の事だが、WDといういわば社会の敵とも云える組織の一員であってもそういう決まりを守るとは、九頭龍に来る前の美影であれば、目の当たりにするまで信じられなかった事だろう。
WGの他の支部にいた頃は、敵はほぼ例外なくフリークだった。
それもそのはずで、美影の役割は戦闘任務。正確には既にフリークと化したWDのエージェントやWG関係者。それ以外ではマイノリティになった際のショックに、そのイレギュラーの強力さに心を奪われた破壊者ばかりであり、その指示は極めて簡単で“脅威を速やかに排除せよ”だけ。
最早人間性を喪失した彼らに説得など通用しない。
だから、
殺るか殺られるか、ただそれだけ。
シンプルながらもシビアな日々を彼女は過ごしてきた。
だからこそだろうか、敵とは即ち、フリークであり、殺すしかないと思い込んでいた。
だから、正直いって驚いた、武藤零二というマイノリティの存在に。
彼は美影が知り得る限りでWDのエージェントとしては初めて遭遇した、フリークではなく人間性を保持した存在だった。
極めて強力なイレギュラーを持ったマイノリティだとは以前からその評判を聞いていたのだが、それもフリーク故の制御の不可。最早手の施しようの無い状態に違いない。だから、どうしようもないものだと思っていたのだ。
そもそも考えてみれば何もおかしい事でもないのだ。
フリークになる危険性はWDに限った話ではない。
WGのエージェントにも同様の危険性はあるのだ。
そもそも、フリークに成り果てる原因はほぼ例外なく”精神的”な負荷によるものだ。
マイノリティに目覚めた者は、様々な原因で自身の身体が普通ではない、と唐突にあるタイミングで気付かされる。
例としては、イレギュラーの種類、特に肉体操作能力の保有者に多いのだが、自分が異形の存在になった事に耐え切れなくなる。
巨大化した自分の身体であったり、素手で鋼鉄をも破壊出来るといった、明らかに人とは“違う”生き物と化した自分の姿に驚愕する。
そして彼らはこう思うのだ、……自分は化け物なのだ、と。
他にも、自然操作能力の保有者だと覚醒時に勢い余って周囲を巻き込む。炎が建物を焼き尽くし、雷が家を直撃する。覚醒時、そのマイノリティは通常の精神状態ではない。
それも当然だ。
マイノリティになるきっかけの多くが過度の精神的、肉体的な負荷に伴う物、具体的には命の危機に多発する物だからだ。
そうした一種の興奮状態での、思わぬ力……、異能力の発露は当然ながら制御不能になる可能性が極めて高い。
怒り、妬み、怨み、悲しみ、そういった感情に伴う興奮状態で起きる事故。大勢の人がいそうして巻き込まれる。
結果として、そのショックで大部分のマイノリティは心が、理性が損なわれる。
彼らは直視するから。
自分が引き起こした災厄を。
そしてその罪悪感に、人はヒトで足り得ない。
潰れ壊れたその光景を前にして、その心は自身のもたらした罪の重みに耐え切れない。
そうしたマイノリティの成れの果てこそがフリーク。心を失い、怪物と化したかつて人間だった者。
そうした連中を美影は数多く”処分”という名目で倒してきた。
だから思うのだ。
これ迄の自分は単なる組織の”処刑人”でしか無かったのではないのか、と。
ただ、組織の命令に忠実に従うだけの殺し屋。それがファニーフェイスこと怒羅美影、即ち自分だったのではないのか、と。
確かに自分は多くの人を救ったのかも知れない。
だが同時に。
自分はもしかしたら救えたかも知れない同輩を、
その“可能性”をも殺したのかも知れないのだ。
だから……自分のすぐ側にいる、その相手が気になってしまう。
何から何までもが癇に障るその隣人をつい、見てしまう。
(何でコイツはこんなにも楽しんでいられるの)
そうした疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消えていき、何とも言えない不愉快な気分になる。
「るっさい、バカ」
美影はそう言い捨てると帰ろうとしたが、そこでクラスメイトの西島晶に「ねぇ美影」と声をかけられる。
「なに?」と言いつつ思わず振り返ると、自分よりも頭一つ小さい少女、晶がそこに立っており「美影は今日会議でしょ、クラス委員の」と指摘する。
「あ、」
美影は思わず苦笑いする。あまりの苛立ちの為に、今日の会議を失念していたのだ。
「ごめんヒカリ。あたし行ってくるよ、……有難う」
そう言うと、美影は手早く鞄に筆記用具等を入れると教室を出ていく。晶と話したからだろうか、美影には少しだが心に余裕が生じていた。
これで天敵がいなくなった、そう思った零二はあーあ、と思いっきり伸びをする。
すると思わぬ所から口撃を受けた。
「でもさ、武藤くんも良くないと思うよ?」
「ン、へ?」
それは晶からだった。
決して怒っている様子ではない。だが、その目は真っ直ぐに不良少年の目を見据えていた。
「ううっっ、なンだよ」
思わず気圧される。何ともいえないその独特の雰囲気に気勢を削がれる感じ。
「美影も悪いけど……そもそも武藤くんが居眠りしなければいいだけだと思うよ」
何故か知らないが、零二はこの小柄な女生徒が苦手だ。そのホワホワした雰囲気は美影にせよ、零二にせよその刺々しい空気をあっという間に打ち消してしまう。
それはまるで、イレギュラーでも使っているかの様ですらある。本当に不思議な感覚だ。
(でもま、コイツは違ェだろさ)
思わずかぶりを振りつつも髪が逆立った不良少年はすっかり毒気を抜かれた面持ちで「ハイハイ、気を付けンよ」と掲げた右手を軽く振ると教室を後にした。
◆◆◆
同日夜。
九頭龍と岐阜県との境目に程近い山間の集落。
「あ、ぐあああ」
か細い喘ぎ声が闇夜に響く。
周囲には生き物の気配が全くない。
普段であれば、すぐ近くにある森からの多くの動物達が今頃は大合唱を開いているであろうに。
その理由は単純。
彼らの様な野生生物にとってすぐ側の集落から感じるのだ。
それは濃厚な”血の香り”に、それ以上に強烈な”死の匂い”を感じ取ったからだ。
事実、集落はまさしく”死の世界”であった。
「ぐ、があ……っっ」
声の主は死に瀕していた。
手足は元より、腹部、顔、頭部に至るまで全身から出血しており、その傷は傍目から見ても明白であろう、これは既に“致命傷”である、と。
にも関わらずに…………。
声の主は未だ生きていた。
「んんんん~~~~♪」
その原因はその有様を満足げに眺めている一人の男の手で血液の流出が遮られていたから。
ざ、ざ、ざっっ。
黒い外套をたなびかせ、地面を悠々と歩きながら地面を這いつくばる相手を、男は心底愉し気に見下ろしていた。
「そろそろかね……」
さて、と不意に男はそう言うと懐から懐中時計を取り出すと、満足気に笑みを浮かべた。
そして、自分が延命させていた相手の進行方向に立ち塞がる。
「こ、殺せ。頼む、死なせてくれ」
その声からは彼が耐え難い程の苦痛を感じている事が伝わる。
既に目の焦点は合わなくなっているらしく、黒き外套の男の存在を感じてはいるが、差し出す手の向きと見ている場所はずれており、的外れもいい所であった。
「いいとも。吾輩も鬼ではないのだ、君の望みを叶えてしんぜよう──」
だがね、と言いつつ男は左手を掲げる。
「──代わりに一つ、頼まれて欲しいのだよ」
囁く様に話しかけると、その手を振り下ろす。
ゾブブッッッ、指が肉へと食い込んでいく気味の悪い音。
そして、
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」
という凄まじい断末魔の叫びが集落はもとより、周辺にまで轟いた。