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死の気配

 

 暗闇。

 誰の姿も見えない漆黒の世界。

 ポチャン、ポチャ、という音は水滴の滴る音だろうか。

 見えない空間では聴覚が普段以上に明敏となる。

 ギシ、という軋む音。それは彼が腰かける椅子の出した音だ。

 アンティーク調の椅子で、かなり値の張る逸品。それを自身と、対面する位置にもう一脚置いてある。それは、間もなく来るであろう客人の為に用意した物であり、彼なりの礼を尽くした事の証。


「…………」

 そこで少年は待っていた。

 今から、ここで客人と少年は会合を持つ。

 表向き、いや、実際、両者は敵対関係にある。

 少年の姿を被った人形遣いは、客人に命を狙われる立場にある。

 だから、本来であればこの会合に彼が参加する理由など皆無だと言えた。

 だが────。

 今、彼はこうして客人の到来を待ち受けている。

 目前に迫る死の脅威よりも、好奇心が勝った結果として。

 そう、この会合を持ち出したのはあくまでも客人たる彼女からなのだ。

「…………」

 珍しく沈黙を貫くのは、柄にもなく緊張している為か。

 仮に剣呑な雰囲気となっても問題ない。この身体も人形でしかないのだから。死ぬ事はない。だからこそ、彼は死を恐れずに大胆に立ち回って来た。

 彼が彼女を恐れるのは、自分の死を恐れての事ではない。

 もしも、相手の虜となれば何をされてもおかしくはない。

 自分が考え得る最悪の事態をも、容易に踏み越えた手段を彼女であれば表情一つ変えずに、声色一つ震わせずに彼女は命ずる事だろう。

 彼女に盲目的な忠誠を誓う、あのダークスーツの影であればこれまた即座に実行するであろう。

 或いは、彼女が今、子飼いにしている拷問嗜好者に委託か。それならば何とかなるだろうか、精神的な苦痛であれば耐え切る自信が彼にはあった。何故なら、自分は所詮人形なのだから。


「お待たせしました」

 声が聞こえ、同時に漆黒の世界を、開かれた扉から入り込んだ光が切り裂いていく。いや、切り裂いたというよりも、闇の世界に光が一筋の道を切り開いた、と言った方が正しい表現なのかも知れない。か細いながら、しかしクッキリとした道を客人はゆっくりとした足取りで進んでいく。

 ぎぎぎぎ、という音を立てて扉が閉められた。

 どうやら客人の護衛として来たはずのダークスーツの男辺りが、閉めたらしい。

 世界から光が駆逐され、漆黒が全てを覆う。

 カツ、カツというヒールの音。

 この光差さぬ闇の中、

 方向感覚を狂わせる事もなく、客人は迷う事なくこちらへと向かっているらしい。

「…………」

 彼は相手の様子に意識を払う。

 今、ここは彼の”庭”だ。ここにある物全てが、彼には全て正確に把握出来ている。

 漆黒の世界であっても彼には昼間の様に相手の姿が観える。

 いつも通りのスーツに今日はパンツ姿。

 闇の中でも顔色一つどころか、眉も、口元も、その細部に至るまで何一つ変える事もなく、淡々としたものだ。


 やがてゆっくりとした足音はすぐ側で止まると、スッ、という椅子に腰かける音に気配。それをきっかけにして彼は「ようこそピースメーカー」と歓迎の言葉を口にした。

 対して、ピースメーカーこと九条羽鳥もまた「お招きいただき感謝します、パペット」と返事を返す。


 沈黙が場を支配した。


 漆黒のこの場をパペットが選んだのには理由がある。

 それはこの一面の闇の世界。

 扉さえ閉めてしまえば光など差さぬこの場所。

 まともな精神の持ち主であれば、長くは持たない。

 理由は至極単純で、心理的な圧迫感に押し潰されるからだ。

 闇とは、人の心の不安を誘う物だ。

 それはマイノリティであっても同様。

 イレギュラーによっては暗闇でも視界を確保出来るので、何も気にしない者も確かに存在する。だが、彼らとて闇そのものへの畏怖を克服出来ている訳ではない。あくまでも視えるというだけ。

 根源的な闇に対する感情は変わらないだろう。

 それは九条とて同じであろう、そう思っての事だった。

 だが、パペットには観えている。今、この場の状況が。

 何故ならここは彼の”庭”であるから。

 いくつか存在する彼にとってのホーム。

 絶対優位な空間の一つ。

 他者の不具合も庭の主には何の差し障りもない。

 にも関わらずに、だ。


 目の前に座る淑女からは、一切の動揺も恐れの色も窺えない。

 ただ普段通りに、そこにいた。


(参ったね、これじゃ駆け引きなんか無意味だよ)


 根負けしたのは人形、この庭の主であった。

 すると、その様子を見計ったかの様に九条が言葉を発する。

「では、話を始めましょう。これは決して貴方にとっても無関係な話ではありませんので──」

 そう切り出した。


 そして、狩りは始まった。



 ◆◆◆



 午後十一時半。

 九条羽鳥と姶良適時のゲーム終了まであと三十分。

 そんな中。

 人々の喧騒に満ちた日常の世界のすぐ脇で。

 それは蠢動していた。

 僅かな時間、ほんの十秒程だろうか。

 繁華街の大通りから直線距離にして僅か二十メートルも離れてはいない裏路地にて。


「あ、あああ――――!」


 凍り付いた声と共に、

 非日常がそこに繰り広げられられていた。

 彼は一部始終を理解してしまった。

 彼らは二人で自分達のコマンダーを守護していた。

 互いの名前は知らない、もっとも知る必要も感じない。

 何故なら互いに裏世界の住人である。何か事が起これば昨日の仲間が明日の敵になる、そういう事が当然の世界に二人は生きていたのだから。

 だから互いの素性を詳しい経歴を知ろうとは思わないし、今後もそうあるべきであった。最低限の接触に留め、踏み込まない。今夜もこれからも、そのはずだった。


 ごとり、というその音は老人の最期を示す音でもあった。

 そこに落ちたのは何か重い物だ。

 ボールの様な円形ではある。だが弾みもしなければ、コロコロと転がりもしない。


「う、うええええええ」


 思わず胃液が逆流しそうな気分に襲われる。

 彼とて裏社会の一員、それもマイノリティの殺し屋を務める男だ。人の生き死に等多く見てきた、……はずだった。


 なのに、今、目の前で起きた事には吐き気を覚えた。

 おぞましいとはこの事であろうか。

 相手の気配に気付いたのは、老人の方が先だった。

「ワシが行こう、援護を頼む」

 白髪ではあったが髪の量は同年代に比すればかなり多いだろうその老人は何て事ない、と言わんばかりに

 窓からひょい、と飛び降りる。

 普通であれば自殺行為にしか見えない行為。

 だが、老人にすれば何の問題もそこにはない。

「相変わらずよく分からんじい様だぜ」

 まるで、散歩にでも出るかの様に老人は鼻唄混じりで、壁を歩いていた。

 平然と、さもそれが当然の事かの様に。

 老人にとって、地面とは自分が歩く場所に他ならない。

 足が着いて、そこが老人にとっての大地となる。何度目にしても異常な光景だった。そう、あの老人が脱獄したのは、単にイレギュラーを静かに鍛えられる場所を欲していたから。単にそれだけの理由で人を殺し、わざと捕まったのだ。

(俺もそうだが、マイノリティってのはぶっ壊れたヤツばかりだ)

 そう、彼もまた裏社会の住人であった。

 表の社会で、天才的な狙撃手と呼ばれ、オリンピック候補にもなった彼の人生。

 自衛隊への入隊も決まり、人生は順風満帆に思えた。

 そう、テロに巻き込まれ、視力を失うまでは。

 見えない、視えない。

 目の不自由な男の人生は転落した。

 思えばあの頃から、マイノリティになっていたのかも知れない。

 気が付くと、彼は人を殺していた。

 何かが足りない、そう思いながら、見えないのに相手を殺していた。そして、気付いた。

 見えなくても、視えるのだと。

 彼のイレギュラーは驚異的な皮膚の触覚。

 意識を集中させるだけで、周囲の人の呼吸、温度、体格に、髪の乱れまで、皮膚で感じる事が可能だ。

 そして、いつしか彼は狙撃手に立ち戻っていた。

 今では、五百メートル。それが彼の視える範囲。

 だから、老人が感じた気配も本来なら、彼こそ先に気付くはずだった。


 ぞわり、とした悪寒が走った。


 何かがいる。それは分かっている。

 だが、気付きたくない。彼は理解してしまったのだ。

 今、背後に立つ何かが放つ、絶対的な”死の気配”を。

 その呼吸、笑み、ぽたぽた、と何かが滴る音。

 それら全てが、物語っている。

 振り返れば死ぬ、のだと。


 だから彼は逃げた。

 迷わずに逃げた。

 見えなくとも視える彼には、昼も夜も何の変わりもない。

 普段から地図を頭に叩き込んでいるから、すいすいと裏へ裏へと暗く狭い道を駆ける。


 そうして逃げ切った、はずだったのに。


 唐突に足元に転がった何かが足を止めた。


 分かっている、それが何だったのかは。

 ついさっきまで話していたあの老人の末路だと。


 だが、分からない。


 何故、相手が視えない。


 彼の皮膚は何も感じない。誰もいない。

 だのに、感じる。絶対的な殺気だけを。

 動けない、動きようがない。あまりにも恐ろしくて。


 ズブリ、終わりは一瞬だった。


「あー、……………っっっ」

 彼が視たのは背後から背中を貫き、摘出された自分の中身。

 そしてそれを無造作に掴んでいる手。

 その手が中身を潰すと同時に彼の中身へと戻る。

「心配するな、痛みは少ない」

 誰かの囁き。

 だが有り得ない。

 背後に誰かがいるはずがない。

 だって、

 そこには壁しかないのだ。

 ぞぼぼぼ、中身を引き抜かれる感触。

 痛みはない、ただゾッとするような恐怖だけを感じながら。

 彼はこの世から消えた。

 その脳を穿かれた穴から引き抜かれた瞬間に。

 魂を失った肉塊がそこに転がり、誰かが代わりに立っていた。

 その男は着けていた手術用の手袋を外すと電話をかける。


「パペットか、終わったぞ」

 ──ああ、お疲れさま。解体者ブッチャー


 それだけのやり取りで男は、解体者は姿を消した。

 当たり前のように、壁の中へと入り込んでいった。


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