閑話:黒森の継嗣
母が言うには、俺はこれまで魔王に2回会ったことがあるのだそうだ。
1回目は俺が赤ん坊の頃。これはさすがに覚えていない。何しろ俺は生まれてまだ半年にもならなかったというのだから。
2回目は妹が生まれてやはり半年のころ。俺が5歳の秋だ。
当時、魔王は俺たちの住んでいた家に突然現れて妹の顔を見に来たと言った。父と母が笑って出迎える横で、俺は魔王をやたらと怖く感じてずいぶん泣いていた。父が見かねてあまり怯えさせるなと魔王に言ったようだが、言われた魔王も困ったのではないかと思う。
魔王は一応人間の格好をしていたのだが、母が言うには俺は魔力に対する感覚が少々鋭いため、魔王から感じる魔力のでかさに怯えていただけらしい。ちなみに、魔王から、見た目は人間に近いくせにさすが黒森の血筋だとかなんとかと感心されたそうだ。
……魔族はオールマイティにどんな魔法でも使えると思われているが、実は結構な得手不得手がある。
俺の祖父である黒森の魔族は、どちらかというと戦いよりも感知や探索の方面に秀でた魔族だったということだし、母の場合、感知はそこそこ荒事はさっぱりだが、癒しと防護には秀でているのだとか。そして俺はといえば、祖父に似たのか、感知に関してはかなり良い素質があるようだ。
とはいえ、母から簡単な癒しと感知の魔法は習ったものの、最終的に魔法より剣を選んだ今となっては適正なんぞどうでもいいことだが。
そして、魔王が「魔王」と呼ばれるのは、その強い魔力はもちろんのこと、長生きゆえに得手不得手なぞ関係ないくらい魔法に造詣が深く、熟練しているせいではないかと俺は考える。そのうえ場数もそれなりにこなしているから体術も結構使えるとか、そりゃ、並の魔法使いや剣士じゃ普通に歯が立たないだろう。
寿命が長いとここまで差が出るものなのかと、つくづく呆れてしまう。
* * *
俺は13の時、叔父の伝手を頼り王都の騎士学校に入った。年頃の男の子として、やはり騎士というものにはあこがれるのだ。まあ、父が母にべた惚れ過ぎて、思春期の男子として、親にあてられっぱなしのまま家に居るのもどうかと思っていたのもある。
そんな俺の希望に対して、父はあまりいい顔をしなかったし、母もやはり種族が気になるのか、相当に心配した。
しかし、俺の見た目はほぼ人間で、注意して見れば尖っているとわかる程度の耳は、母方の親族に妖精がいるで言い訳がつくし、角はほぼないも同然、濃い灰銀の髪も赤みが強い暗褐色の目も人間には普通にある色だ。王都でそれほど目立たないから問題ないだろうと思えた。
それでも心配だと母は念入りに作った、守りの魔法のほかに一度だけ転移ができる魔法も込められた守りの指輪を俺にくれた。万が一血筋がバレてトラブったら、すぐにこれを使って逃げろということだった。非常に母らしい。
父とはちょっと……いや、かなりの喧嘩をした。どうやら父には相当思うところがあったようだ。しかし、最終的には折れて叔父へ口利きを頼む手紙を書き、これも俺の人生なのだと送り出してくれた。
そして5年。
学校では、まぁ一言では言い表せないようなこともいろいろあったが、無事卒業し、どうにか銀槍騎士団の下っ端騎士として王都に詰めることとなった。剣の腕はもちろんだが、癒しの魔法が多少使えることが有利に働いたようだ。
考えてみれば、騎士として任務を遂行する以上荒事は付き物なわけで、癒しが使える者を重宝するのは当然の成り行きとも言える。なんせ、騎士団ということで貴人の警護に当たることも多いから、余計だろう。
それからさらに2年。
王都での仕事にも慣れ、相変わらずだが、そこそこの下っ端騎士としての生活を送っていた。これで何か手柄を立てられれば、などとのんきに考えていた俺が同僚の騎士から聞いたのは、騎士団長の「魔王討伐」の話だった。
* * *
「……魔の森の魔王を討伐?」
「ああ、王に命じられたらしいぞ」
同僚と話しながら考えてみたが、俺が知っている魔の森の魔王といったら、ひとりしかいない。5歳の俺をびーびー泣かせたあの魔王だけだ。あいつがいったい何をやらかしたのかと思えば、そうではなく、団長の求婚の条件なのだと聞いて呆れた。
──団長には、新人の頃、一度だけ訓練で手合わせしてもらったことがある。ぶっちゃけ、団長はものすごく強い。わけがわからんほど強い。魔王討伐なんて箔なんかいらないだろうと誰もが思うくらい強い。
魔王もわけがわからんほど強い魔力を持っていたが、団長が相手ではただでは済まないだろう。最悪、本当に討伐されてしまうかもしれない。
とはいえ、団長が負ければ、それはそれで事態がややこしくなるだけだ。そんなことになれば、騎士団が魔王討伐という名目で魔の森へ出動するはめになるかもしれない。
ああもういったいどうなるんだと考えていたら、団長は一人でさっさと出立して、魔王を倒して戻ってきてしまった。……団長、そんなに姫さんと結婚したかったのか……。
それにしても、団長の行動力の半端なさには驚いたが、魔王は本当に討伐されてしまったのだろうかというのも気になった。しかしそれ以上に、あまりにもあっけない魔王討伐の結末に、団長の凱旋に沸く王都で俺はひとりぽかんとしていた。
そして、俺の心中に、本当にこれでいいのだろうかという疑問がわいたのはこのときだった。
俺が知っている限りでしかないが、あの魔王が人間に対して何か害をなしたという話は聞いていない。それを「討伐」とは、何故討伐の必要があるんだろうか。討伐っていったい何の討伐なんだ? 魔族というだけで害悪だということか。そもそも「魔王」というのも勝手に人間が付けた呼び名でしかないというしな。
……俺はずっと人間として暮らしていて、他に身近な魔族など母以外に知らないためあまりわかっていなかったのだが、このとき初めて、人間の魔族に対する悪感情というものを実感したと思う。母があれほどまでに心配していたのも、父が俺の騎士学校入学にいい顔をしなかったのも、人間の魔族に対するこれほどまでの嫌悪を知っていたからなのかと、何故かすんなりと納得できた。
ちなみにその凱旋から1週間後、騎士団本部のホールに団長が討伐の証として持ち帰った「魔王の角」が掲げられ、その角に宿った魔力が相当に強いというか元気というか、俺は、おかげで「あ、これは魔王生きてるな」と確信したのだった。
さらに言えば、魔王生存の確信のおかげで、団長……いや、今は元団長の行く末が、若干心配でもあったりする。
* * *
さらにその数日後、王都に父が来た。
俺が物心付いてからも付く前も、一度たりとも母を家に残して遠出などしたことのない父が、王都までひとりで来たことに驚いた。魔王討伐の話を聞いて、馬を乗り潰す勢いで駆けてきたらしい。ちなみに帰りは母が用意した転移の魔法で戻るのだとか……。
「討伐の話が届いて、シャスがひどく心配しててな」
父が非常に不本意そうな顔で俺に言う。あまりに母が心配して仕方ないので、母のそばを離れないという誓いを曲げて俺の様子を見に来たのだそうだ。母は俺と妹に過保護だが、父は母に過保護だ。
「あー、魔王の角が、ついこの前、本部のホールに置かれたんだけどさ……魔王生きてると思うよ」
はあ、と溜息を吐きながら、俺は声をうんと潜めて言った。
父も、ふう、と溜息を吐く。
「やっぱりな」
「やっぱり?」
「俺が昔本人から聞いただけで、魔王はこれまで6回は討伐されてるんだよ」
「は?」
「フリだ、フリ。今回もそうじゃないかと思ったが、やっぱりか……騎士団長のカーライルだったか……何もないといいな」
「あー……」
あの魔王が、討伐されてそのまま何もしないなんてありえないと、父も考えていたらしい。
「シャスには絶対大丈夫だから心配するなと言ったんだが、お前のことをあまりに気にするんで来たんだよ。で、お前のほうは変わりないか?」
「それは大丈夫。心配すんなって母さんにも言ってくれ」
それから、父がごそごそと荷物から腕輪を取り出した。
「あと、これを預かってきた。付けると姿変えの魔法が掛かるんだそうだ。……実は、ディアの角が少し伸びたんだ。だから、万一を考えてシャスがこれを作った。お前、姿変えの魔法は使えなかっただろう? 持っておけ。なんせ、混血がどういう風に育つのか、誰にもよくわからないんだ。用心して損はない」
妹のディアは俺よりも母方の血が濃く出たため人間と言い張るには少し苦しい容姿なのだが、ただでさえ目立つ角がまた伸びたらしい。魔族の角は成長期に伸びるものなのかと変に感心した。
「……わかった、もらっとく」
「じゃあ、くれぐれも、何かあったらすぐ戻ってこい。というかフォル、お前、たまには帰ってきて顔見せろ。シャスが心配して仕方ない」
「はいはい。……遠くてめんどくさいんだよなあ。俺も転移魔法習うかなあ」
「お前やっぱり騎士辞めて魔法使いになったらどうだ?」
「それはない。向いてないんだ、性格的に」
俺は肩を竦めて、それから父の顔をじっと見る。
「……なあ、父さん。魔族を討伐って、何なんだろうな」
「それはお前が自分で考えろ」
父は俺の肩をぽんぽんと叩いて、それだけ言った。