閑話:彼女は何処へ
魔の森には魔王が棲んでいる。
……と、話していたのは誰だったか。
* * *
シャスが姿を消してから半年。
家のごたごたをどうにか片付け、すぐさま馬を走らせて真っ先に向かったのは黒森のあの家だった。シャスがくれた指輪のおかげか黒森の魔物たちはまったく姿を見せず、徒歩でかかった時間の半分ほどで到着できた。
だが、家の中は既にもぬけの空。シャスの父のものだという蔵書も何もかもが無くなっていた。
シャスはいったいどこへ姿をくらませたのか、手がかりもまったくない。
念のために近隣の村を訪ねて聞き歩いてはみたものの、何もわからなかった。もう見事としか言いようのないくらい、彼女はきれいに黒森から姿を消していた。あれほど世間知らずだったのに、よくもまあここまでと感心するほどの手際だ。
それにしても、いったいどこへ消えたのか。どこへ向かったのか。
またこの黒森のような深い森を探してそこに引きこもるのか、それとも町の中に紛れるのか。彼女ならどちらを選ぶのだろうか。どうすれば彼女の行き先を探し当てることができるだろうか。この黒森以外に身を寄せる場所なりあるとは思えないが……と、考えて、ふと、思いついた。
──魔族の頂点に立ち、彼らを統べるという魔族の王……魔王。
もしかしたら、魔王であれば配下の魔族の所在を知っているかもしれない。彼女は生粋の魔族ではないが、魔族の血を引く者には間違いない。ダメで元々だ、あたってみる価値はあるだろう。
* * *
そうして俺は魔の森に入り、魔王の住まう森の中心を目指した。
噂によれば魔の森は多くの魔物もいる危険な森とのことだったが、俺はただの一匹たりとも魔物に会うことなく、あっさりと魔王の元へとたどり着いてしまった。それはもう、拍子抜けするくらいにあっさりと。
「では、お前は何のためにここへ来たと申すか、人間よ」
漆黒の髪にねじくれた2本の角を持ち、深紅に輝く恐ろしげな目でこちらを見やる魔王の姿に、なるほど、生粋の魔族とはこういうものなのだなと変に感心しながら、俺は魔王の前に立っていた。
俺が討伐に来たわけでも戦いたいわけでもないと言ったら、この質問だ。それ以外の目的でここへ来る人間は皆無なのだろう。
はたしてまともに話ができる相手だろうかという不安も、杞憂に終わってしまった。
「魔王よ、あなたが魔族を統べる者だと聞き、尋ねたいことがある」
「……ほう、まずはそれを申してみよ」
「ここから西にある黒森に住んでいた魔族の行き先を知りたい……いや、正確には、生粋の魔族ではなく、半分だけ魔族の血を引いている娘だ」
「黒森か……たしかにあそこにはひとり住んでおったが、なるほど、あやつには娘がおったか。わたしに知らせぬとは水臭い」
魔王はなぜか面白そうな笑みを浮かべ、ぶつぶつと独り言のように言う。魔王はシャスの父を知っているようだ。
「人間よ、まずはお前の思い違いを正してやろう」
「思い違い?」
「魔族には王などおらぬ。ゆえにわたしは魔王ではない。人間が勝手にわたしを魔王と呼んでおるだけだ」
「……なに?」
「魔族を統治するものなどおらぬからな、他の魔族の行き先を知る者は存在せぬよ」
魔王は称号でもなんでもなく、魔族を統治するものなどは存在しない。
魔王の言葉が頭にしみこむにつれ、今度こそシャスの手がかりが完全に消えたことを理解し、俺は途方に暮れた。
ただ一人の相手を探し出すには、この世界は広すぎる。どれだけ探せば彼女は見つかるだろうか。
「ふむ、だが黒森の娘とはおもしろい話を聞いたな。……なぜお前はそやつの行方を知りたいのだ?」
魔王がずいっと俺に顔を寄せる。正直、面白がられているようにしか感じないのは何故だろうか。
それに、なぜそんなことを気にするのかと、訝しみながら俺は答える。
「……俺は、人間が言うところの“魔に魅入られた者”だ。追いかけずにいられないことの何がおかしい」
「なるほどなるほど……お前のつけている魔族の守りの指輪は、その娘が作ったものか?」
「ああ、これは彼女が作って俺にくれたものだ」
魔王がますます笑みを深くする。そして手を伸ばし、俺の指にずっとはめられたままの指輪をつつく。何がなるほどだというのか。
「それでお前は何事もなくここにたどり着けたというわけか、ふむ」
「……彼女は、指輪の守りは黒森でのみ有効と言っていたと思うんだが、この森でも有効なのか?」
「指輪の守りは特に場所を限ったものではない、さらに言うなら、指輪の“守り”の力などせいぜいが受ける傷を若干軽く済ませる程度のものだ。
だが、魔物どもは我らを忌避する。我らの魔法を見、魔法を込めた者の強さを推し量る。そして己より強いものであると判断すると、その持ち主を避けるのだ。おそらく、魔族の恨みを買いたくないとでも考えてのことであろうが。
……その指輪を作った娘の魔力はなかなかのものであるようだな。半端ものというのにめずらしい。それとも、半端であるから強まったと考えるべきか」
「そうなのか……」
俺は指輪に目を落とした。
「お前が望むなら、遠見の魔法をかけてやろう」
「遠見?」
「お前の持つその指輪を媒介として、その娘の現在の姿を水鏡に映してやろうというのだ」
現在のシャスの様子がわかるなら、居場所もわかるかもしれない。……だが。
「代償はなんだ」
「抜け目がないな、人間。……なに、お前が首尾よくその娘に会えた暁に、わたしをお前のもとへ招けばよいだけだ」
「……彼女に何ら危害を加えないというのであれば、構わない」
「危害など。その黒森の娘を見てみたいだけだ。あの頭に馬鹿がつくほど堅物であった黒森の魔に、娘ができておったとは。しかも半分とは」
くっくっくと笑いながら、魔王が言った。
……シャスの父親は、いったいどんな魔族だったんだ。
「わかった。それなら、ぜひ頼む。正直なところ、手がかりがまったくなくて困っていたんだ」
* * *
用意された水盤に、彼女の守りの指輪を浸し、魔王が魔法を詠唱し終えるのを待つ。
ゆらゆらと水面が揺れ、だんだんと何かの像……風景を映し出した。俺は映されたものを何一つ見逃さまいと、水鏡に必死で見入る。
水鏡には様々なものが映った。いくつかの山の形と牧草地、穏やかな村の様子。そして今のシャスの姿。耳と角を隠し、目の色だけをわずかに変えた今の彼女。
小さな家を構え、様々な薬草に囲まれ、人間の隣人として暮らしている彼女の姿に、俺は見入る。
水鏡の映像が消え、俺は深く息を吐いた。あとは、彼女を追いかけるだけだ。
俺は魔王に向き直り、最敬礼を取った。
「魔王、あなたに心からの感謝を。無事彼女に会えた時には、必ずあなたを招待しよう」
「楽しみにしておるぞ」