1章‐7 疑念
その頃砦では、昨日フォルセらが討伐した魔物について会議がもたれていた。唯一刃が通るのは胴体である、というのがたったひとつの事実で、あとは見当もつかない。あの山にもともと生息していたのか、魔物が進化したのか、外部から入って来たのか、まったく分からなかった。
魔物は昨日のうちに砦へ持ち込み、軍医であるユリウスが解剖した。「魔物を捌くなんて初体験だなあ」と呑気に言いながら、魚でいうなら見事な三枚おろしにしてくれた。組織としては通常の魔物と大差ない、としか分からなかった。魔物の死体は『長持ちしない』のだ。
死体は数時間放っておくと、煙のように跡形もなくなってしまうのだ。その瞬間はさながら蒸発するようで、専門的には「気化」と呼んでいる。なので、短い時間で多くのことを調べることはできない。魔物の生態系は謎に包まれたままだ。
「・・・・とりあえず、樹海部の警備を強化させよう。あとは、山中の見廻りもする。遭遇したら、全力でそれを討伐。いいな」
フォルセの言葉に、名だたる部隊長位の騎士が頷く。彼らが会議室を出た後、フォルセは卓に頬杖をついた。皆がいる前では決してやらない、かなり疲れた時にしかしない格好だ。
「もう一例くらい確認できれば良いんだがな・・・・・」
「お疲れですね」
ランシールが声をかける。
「ああ、まったくだ。ロキシーはどうした、会議にも出てこなかったが」
実を言うとロキシーは部隊長位の人間ではないのだが、会議の時は必ず彼がいた。図々しいと目の仇にする者もいるが、ロキシーがいるだけで場の空気がなごむ、と受け入れる声の方が多い。
「医務室にしけこんでいますよ。ユリウスさんが優しいから」
「困ったものだ。どうしてああ自由かな」
フォルセが溜息をついて身体を起こす。
「セオンはどうなんですか?」
「今日の朝にはすっかり元気だったよ。あまり戦った時のことを覚えていないようだ」
「凄まじい剣技でしたね。あれがハルシュタイル流なんでしょうか」
ランシールの疑問に、フォルセは首を振る。ここではハルシュタイル=敵だ。確証がない以上、セオンをハルシュタイルの人間と決めつけたくなかった。彼にその可能性があるということは、一部の人間しか知らされていない。
「それは分からない、まああの子のことは心配するな。ランシール、巡回に行くぞ」
「あ、はい!」
ランシールは立ち上がって歩きだしたフォルセの後を追った。
そうして、フォルセが帰宅できたのは夜中だった。いつもより数時間以上遅くまで勤務していたので、さすがに疲れがたまっている。
家の扉を開けると、セオンの声が飛んできた。
「フォルセさん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
フォルセは無理に笑みをつくった。が、すぐにフォルセは訝しげな顔になる。卓を挟んでソファにセオンとユリウスが座っており、二人の手には数枚のカードがあったのだ。
「・・・・・って、何をやっているんだ?」
「カードゲームだよ。暇だから一緒にやってたんだ」
「暇だからって、まったく・・・・・」
フォルセは槍を壁に立てかけ、黒い制服の上着を脱いだ。
「夕食はどうしますか?」
「砦の食堂で食べてきたよ。けど、この時間まで働いていると小腹が空くな」
「あ、ちょっと待っていてください」
セオンは立ち上がって足早に台所へ姿を消した。生活するようになってまだ時間が浅いが、家事は一通り覚えたらしい。ユリウスはカードを卓に放りだして肩をすくめる。
「いやあ、やり方知らないって言うから教えたんだけど、セオンが強い強い。賭博の才能もあるよ、うん。ロキシーと勝負させたくなる」
「そんなものに手は出さないでほしいな。呑気なんだから・・・・」
「だって、色んな偶然が重なってセオンと出会えたんだよ。いっぱい想い出を作っておかなきゃ。ずっと一緒にいられる保証はどこにもないし」
いつもと変わらないユリウスの口調だが、フォルセは目を閉じる。
「・・・・・ずっと一緒にはいられない、か・・・・・」
セオンが記憶を取り戻したらどうなるだろう? それを考えるとフォルセは不安になる。
フォルセはセオンを弟のように思っているが、最初の疑念は騎士として捨てられない。すなわち、ハルシュタイルの任務で間諜として連合に潜り込んだ可能性だ。ハルシュタイルの戦士の教育は恐ろしいと聞いている。敵を殺す技術だけを教え、まるで暗示をかけるように人心を破壊し、戦うだけの人形に仕立て上げる。戦士となることを決められた少年たちは、10歳になる以前からその教育を施される。
いまは無邪気に笑っているセオンがその記憶を取り戻したとき―――彼はきっと、ためらいなくフォルセを斬るだろう。負けるほど自分がセオンより劣っているとは思わないが、フォルセの槍は鈍るだろう。フォルセはもう、セオンを斬ることができない。
自分の甘さだ―――と、フォルセは弱い自分を痛感する。
「フォルセさん、これどうぞ」
フォルセの思案を打ち切らせたのは、当のセオンだった。セオンが持っている盆にはカップの焼き菓子が乗せられていた。
「どうしたんだ、これは?」
「今日テルファにもらったんです。手作りだって」
セオンが照れ臭そうに言う。
「テルファは確かに菓子作りが上手かったが・・・・そんなに親しくなったのか?」
フォルセの問いに少年は顔を背けた。
「い、いえ、そんなことは・・・・・」
「色々あって、テルファの手伝いをしたそうだよ。そのお礼なんだってさ」
ユリウスが助け舟を出し、セオンは頷く。フォルセはその様子に違和感を覚えながらも頷く。
「何でもいいが、有難く食べさせてもらうよ」
久しぶりに食べる、テルファの菓子だ。ひとつめのカップを手に取ったフォルセに、ユリウスがカードを片づけながら尋ねる。
「それで、魔物の方は何か分かったのかい」
「いや、何も。周辺の森や山を巡回させたが、強力な魔物とは遭遇しなかった。念のため夜間に人の出入りを禁じたが、あれがただの突然変異であってくれれば良いな」
「そうだねぇ。ロキシーもぼやいていたよ、あんな奴と戦うために俺は騎士をやってるんじゃない、ってね」
「・・・・今度ロキシーが医務室へ行ったら追い返してくれ」
「医務室は来る者拒まず。悩みがあるのなら聞いてあげるのも医者の務めだよ」
「兄さんは外科医だろう。・・・・そもそもロキシーは精神病患者じゃないぞ」
頭を抱えるフォルセに、ユリウスはころころと笑う。
「問題児がひとりくらいいた方が楽しいじゃない」
「迷惑なだけだ」
フォルセが溜息をつく。ずっと難しい顔をしていたセオンが不意に口を開いた。
「魔物って、悲しいですよね・・・・・」
その言葉にフォルセとユリウスは顔を見合わせた。魔物は恐ろしいものであって、可哀想なものではないはずである。
「なぜそう思うんだ? まあ、確かに魔物だって生きているわけだから、人間が殺して良いという話ではないが・・・・」
すると、セオンは首を振った。
「魔物から伝わってくるんです。苦しみや憎しみが・・・・・魔物は生存欲で戦うんじゃないんですよ。きっと、楽になりたいんです・・・・」
「戦うことで楽になる・・・・」
フォルセが腕を組む。
思いつくことと言えばひとつ。復讐、仇討ちだ。死んだ者が生き返らないと分かっていても、鬱憤を晴らしたくなる。人間はそういう生き物だ。しかし、魔物が人間になんの恨みがある?
「・・・・魔物は死ぬと気化して消滅してしまう。だからそもそも『生物』なのかすら謎なんだ。でも、今の話が本当なら・・・・・」
ユリウスがぶつぶつと呟いて考え込んでいる。セオンは目をつぶった。
「なんだろう・・・・・俺、絶対にあれを知っているんです。思い出せそうなのに、思い出せなくて・・・・・」
フォルセがセオンの肩を叩いた。
「焦らなくても良い。誰も急かしたりしないから」
セオンは頷く。顎を摘まんでいたユリウスが立ち上がる。
「ちょっと僕は蔵書に埋もれてくるよ」
「こんな時間から?」
フォルセの言葉にユリウスが振り返る。
「先に休んでいていいよ」
「それはどうでもいいが、兄さんも寝てくれ」
「はいはい」
セオンが思い出したように顔を上げた。
「あの、地下の書庫・・・・・昼間掃除しちゃったんですけど、まずかったですか?」
「え、掃除? してくれたの?」
ユリウスが驚いて聞き返し、セオンは頷く。ユリウスは笑った。
「そいつは助かるよ。もう何年も片づけていなかったからね、有難うセオン」
ユリウスはそう言って居間を出て行った。
「兄さんは歴史本の類の中毒者なんだ。放っておいたら3日間だろうが書庫から出てこないよ」
フォルセが肩をすくめた。セオンが不思議そうにフォルセを見上げる。
「フォルセさんは本とか、読まないんですか?」
フォルセがぎくりとする。頭を掻いて答える。
「そんなことはないが、兄さんの読んだ数の五分の一も読破していないな・・・・・」
情けなさそうにフォルセは笑った。
「・・・・・本音を言うと、書物は好きではないんだ」
一見文武両道なフォルセだが、やはり根っからの騎士は武芸に傾いて行ってしまうようである。ここまで正反対の兄弟もいるのだな、とセオンは思う。
★☆
翌朝になってセオンはフォルセとともに朝食の用意をしたが、いつまでたってもユリウスは居間に出てこなかった。フォルセが困ったように肩をすくめる。
「また兄さんは本の虫になっているのか」
「呼んで来ます」
「ああ、頼む」
セオンは頷いて居間の扉を開け、廊下を歩いて行った。突き当たりの扉を開けると、階段が現れる。セオンはそこを下って地下の書庫に降りた。
奥の方にぼんやりと灯りがともっている。セオンがそこへ向かうと、本棚の前に座りこんでいるユリウスを見つけた。彼が座っているのは幾冊かの本を積み重ねたものだった。
「ユリウスさん」
「もしかして、もうおはようの時間?」
ユリウスが苦笑いを浮かべる。一睡もしていないらしい。だが、疲れは全く見えない。
「ごめんね、一度夢中になると止められない性格で」
ユリウスは手にしていた本を本棚に戻し、椅子代わりにしていた本を手早く元に戻して行く。セオンが首をかしげる。
「何か分かったんですか」
「何にも。少しずつ脱線して行っちゃって。ほら、昔のフォルセが学校で書いた作文とか出てきちゃってね」
そんな事だろうと思っていたので、セオンも苦笑を浮かべる。
「ああ、でもね・・・・・」
ユリウスが顎に手を当てて少し考え込む。
「傾向として魔物は人の住む、でもとても貧しい場所に多く生息しているようだよ。もしセオンが言ったように魔物が憎悪とか、そう言う感情で動いているのなら―――魔物とは、怨念の塊かもしれないね。もしくは、怨念を食い物にしている」
「怨念、ですか」
「そう。貧しい暮らしを強いられている人たちの気持ちを考えてごらん。ああ、なんで自分たちだけこんな生活をしているんだ、隣町の人間はあんな裕福なのに。こんなの許せない、奪ってやる―――」
ユリウスが感情たっぷりに説明する。セオンが視線をそらした。
「・・・・恐ろしいです」
「そんな怨念が実体をもったのが魔物。本来目に見えないものだから、魔物の活動が止まるとまた元に戻っていく。・・・・・って、朝からする話じゃなかったね」
ユリウスが笑う。セオンは思い切ったように尋ねた。
「ハルシュタイルは、貧しい土地なんですか?」
ユリウスが振り返る。それから頭をかく。
「地形的に言うなら貧しいとは思う。険しい山脈に囲まれていて、まったく手のつけられていない森や山が多い。凶暴な野生生物もいるようだし、何より気候が不安定だ」
ハルシュタイル山間部は豪雪地帯である。王都イルシェルも厳しい寒さの街で、王都とは言えカルネア連合のように豊かではないだろう。
黙ってしまったセオンの肩にユリウスが手を置く。
「難しい顔しないで。僕は散らかした本を片付けてから行くから、先にご飯食べておいで」
「は、はい」
セオンはユリウスに押されて階段を昇った。
居間に戻ると、フォルセがすでに朝食を配膳し終えていた。
「ユリウスさん、片付けてから行くから先に食べていろって・・・・・」
「はは、また長くなるな」
フォルセが呆れたように肩をすくめた。しかし、席に着こうとしないセオンを見て首をかしげた。
「どうした、セオン?」
「・・・・・フォルセさん」
「ん?」
改まったセオンの様子に並々ならぬものを感じ、フォルセも真面目な表情になる。
「俺、ハルシュタイルの人間ですよね」
「・・・・・その可能性はあるな」
「記憶が戻っても、いまこうしている思い出はなくなりませんよね」
「ああ」
フォルセは頷いた。セオンは顔を上げる。
「たとえ・・・・・たとえ俺が何かの任務で連合に来たのだとしても。フォルセさんやユリウスさんと過ごした思い出がある限り、俺はみんなを傷つけません。絶対に・・・・・・」
フォルセは目を見張った。セオンは気付いていたのだ。内心でフォルセに疑われているということに。
「セオン・・・・・」
フォルセは呻くようにつぶやいた。と、セオンが微笑んだ。
「でも、それでも駄目だったら・・・・・俺を殺して・・・・」
最後までフォルセは言わせなかった。セオンを抱きしめたのだ。
本当に人の内面を見透かす子だ。
「そんなことを言うな! ・・・・・すまなかった、セオン。大丈夫だ、俺はもう疑わない。だからもっと・・・・そんな思いつめなくていいから、楽しく暮らしてくれ」
セオンはフォルセの腕の中で微笑み、頷いた。
「はい・・・・・有難う・・・・・」