1章‐5 魔物
「どうせまた酒場じゃないのか? 巡回の騎士がそんなことでどうする」
困ったようにフォルセが叱咤し、ランシールは肩を落として「すみません」と呟いた。それを見てフォルセは頭をかく。
ランシールとともに街の巡回へ出たはずのロキシーが、いつの間にか姿をくらましていたのである。ふらふらと放浪癖があるのか、普段は目立つくせにこういうときだけ誰も気づかないのだ。
「まあ、とやかく言える立場ではないが・・・・・」
フォルセ自身、何度かロキシーを逃がしてしまったことがあるのだ。
「見つけたら注意する。ランシールは巡回に戻れ」
「はい」
ランシールは頷き、そこで初めてセオンに視線を向けた。
「えっと、セオンだったかな? ユリウスさんから聞いたよ。元気みたいで安心した」
セオンが首をかしげると、フォルセが話した。
「君を最初に見つけたのは彼なんだ」
「ランシール・シャスティーンだよ。よろしく」
ランシールが微笑む。孤児院で育ったランシールは、とにかく年下が大好きなのだ。元々世話を焼くのが好きなので、キシニアの子供たちともかなり親しい。兄のように慕われているのだ。
「はい。よろしくお願いします」
「いいよ、いいよ、僕に敬語なんて使わなくても。何か困ったことはない? よければ相談に乗るから」
「あ・・・・うん、有難う。でも、とりあえず大丈夫だから」
セオンの言葉に、ランシールは沈黙した。笑みが消え、ひどく悲しげな表情になる。ランシールはセオンの肩に手を置き、セオンを凝視した。セオンが首をかしげると、ランシールが呟く。
「昔の・・・・・僕と同じだね」
「え?」
「・・・・なんでもない。では副長、僕はこれで」
ランシールはフォルセに頭を下げ、踵を返す。フォルセも眉をしかめた。
「ランシール? あいつ・・・・・どうしたんだろう」
「昔って・・・・・どういうことですか?」
「ああ・・・・・ランシールはもともとキシニアの生まれではないんだ。10歳のときにこの街の孤児院で生活するようになった」
その当時から、フォルセ、ユリウスの兄弟とランシールは親しかった。孤児院育ちのランシールに文字の読み書きを教えたのはユリウスだし、体術を仕込んだのはフォルセだ。
(しかしよく考えてみれば、俺はランシールが孤児院に預けられる前のことは何も知らないな・・・・)
フォルセはふとそう思った。孤児院に預けられるくらいだ、両親に不幸があったか、酷い目に遭ってしまったかだと思っていた。だからフォルセも事情を聞かなかったし、ランシールも教えはしなかった。キシニアに来る前、どこに住んでいたのか―――それすら、フォルセは知らない。
「フォルセさん?」
セオンの声でフォルセは我に返った。セオンがフォルセの顔を見上げていた。
「すまない、ちょっと考え事だ。さてと・・・・問題はロキシーだな」
「探すんですか?」
「そうだな・・・・まあ丁度良いし、酒場をめぐりながら街を案内するよ。どうせどこかで見つかる」
フォルセはそう言って踵を返した。毎度のことのようだな、と見抜きつつセオンも後を追う。
「そういえば、聞いておこうと思っていたが・・・・・」
フォルセは歩きながら不意に口を開いた。
「明日からどうする、セオン? 俺も兄さんも殆ど一日家にはいられない。砦に来るのが一番良いと思うが」
セオンは少し首を傾けた。砦に行ってもどうしようもない気がした。なら、少しでもこの街に早く馴染んだほうがいい。
「俺は・・・・留守をお預かりします」
「ひとりで大丈夫か」
「はい」
セオンの意思に反して正直心配だったが、フォルセは少年の意思を尊重させた。
「・・・・・分かった、頼む。何かあったら、宿に行ってみるといい。テルファと、店主のヒンメルさんが良くしてくれるだろう」
「テルファ・・・・・さっきの女の子・・・・・?」
「ああ。・・・・なんだ、気になっているのか?」
からかうようにフォルセが微笑んだ。セオンは顔を真っ赤にし、慌てて首を振った。
「い、いえ、そうじゃなくて・・・・!」
「はは、分かった、分かったから」
顔を赤くしてむきになるなんて、案外可愛いところもあるじゃないか。フォルセはそう思っていた。
ふたりはキシニアの街を廻りながら、ついでにロキシーを探していた。セオンは熱気に包まれる鍛冶場の様子に目を奪われていた。そこで働く屈強な男たちは豪快で気さくだった。
「おーい、フォルセ! こっちに来てくれ、なかなか良い剣ができたぞ!」
鍛冶場の中からそう言ってひとりの男が手を振ってくる。フォルセはセオンを手招きして、鍛冶場の中に入った。
一歩中に入った瞬間、むわっと熱風が吹きつけてきた。中では大勢の男たちが剣を鍛えていた。彼らの服装は要するにタンクトップ一枚で、言ってしまえば暑苦しい。
自信たっぷりの鍛冶師から一振りの剣を受け取ったフォルセは、その刃をじっくりと見た。銀色に鋭く光る、切れ味のよさそうな刃だ。
「うん、なかなか良いな」
「だろう? そいつは試供品だからな、お前にくれてやるよ」
「また試供品か・・・・・うちの倉庫が試供品の剣でいっぱいなんだが?」
「細かいこと気にすんじゃねえ。それより依頼のあった武器、その形でいいならすぐ砦へ届けるぜ」
「そうだな、それで頼む」
「おうよ! お前用に、槍にもしてやるからな」
鍛冶師は額を流れる汗を、肩にかけたタオルで拭った。
「しかし、またハルシュタイルは攻めてきそうなのか?」
「さて・・・・・斥候を出してはいるが、今のところは。なぜだ?」
「このところ、やけに武器の受注が多いんだ。首都からも来るし、ノルザックからもだ」
「ノルザック?」
フォルセは眉をしかめた。キシニアの隣町ノルザックは、連合最大の商業都市だ。貴族の別宅の多い豪華な街で、内陸に位置しているので襲撃される恐れは殆どない。激戦区キシニアとは似ても似つかぬ平和な街で、なぜ大量の武器を必要としているのか。
「まあ、数年前赴任した騎士の隊長と、商業組合の頭との折り合いがよくないみたいだし、武力衝突でも起こそうっていうんじゃねえのかね」
「余裕な顔をしているが、もしそうなればノルザックから仕入れている食料品やら雑貨屋らの値段が跳ね上がるぞ」
フォルセは険しい表情を解き、和やかに鍛冶師と話をしていた。鍛冶師が親しげにフォルセに話しかけているのを見て、セオンは不思議に思う。豪快で知られる同じキシニアの民なのに、フォルセはなぜそこまで涼しげなのかと。「思いきりは良い」と言ったフォルセだが、セオンにはその様子が分からない。
鍛冶場を出て再び歩き出してから、セオンは疑問を口に出した。
「フォルセさん。ハルシュタイルって、敵なんですか?」
フォルセは一瞬言葉に詰まったようにも見えたが、あっさりと答えた。
「ああ、この国・・・・・カルネア連合にしてみれば、敵だ」
「フォルセさんにとっては、違うんですね」
「・・・・・彼らはキシニアを頻繁に攻める。そういう意味では、ハルシュタイルは撃退すべき敵だ。だが・・・・嫌だな、殺し合いというものは」
フォルセは寂しげに呟く。今まで一瞬たりとも忘れたことなどない。相手の胸を突き、その身体を槍が貫通した感触。フォルセの力量をもってすれば、鎧ごと貫くことなど造作ではない。それだけ多くの血を流し、殺してきた。今では【黒豹】という異名までついた。それはハルシュタイルの人間にしてみれば、忌むべき名だろう。
(俺は何人分の恨みを、この身に背負うことになるのだろうな・・・・・)
きっと、この葛藤は一生消えないだろう。
三軒目の酒場を覗くと、見なれた後ろ姿が見えた。ロキシーと、ランシールもいる。
「ランシール、ロキシー」
呼びかけるとふたりは振り向き、ランシールが頭をかく。
「あ、副長。・・・・・ここを通りかかったらロキシーさんがいたもので」
「ちゃんと隠れたのになぁ、なんでばれたんだ?」
ロキシーがのんびりと言い、フォルセが腕を組む。
「真面目にやれ、ロキシー。あまりランシールに迷惑をかけるな」
「はーい、すいませんでした」
ロキシーはどこまでも軽い口調だった。懲りてない。きっとまたやるだろう。
「それで、ふたりしてここで何をしているんだ」
「それがですね・・・・・」
ランシールの言葉を遮って、ひとりの男性が声を上げた。
「ふぉ、フォルセ! 頼む、あの魔物を倒してくれ!」
知り合いの猟師だった。森の中には魔物のほかに野生の獣も生息しており、猟師はそれを狩って、生計を立てている。戦うことに関して技量は確かだし、目の前にいる猟師の腕は良いはずだ。
「どうしたんだ」
「鉱山の近くに強い魔物がいる! 仲間たちで倒しにかかったが、四人殺されてしまった。残った俺たちもこの有様で・・・・傷の深い奴だけ連れて戻ってきた。まだ何人かは山で戦ってる!」
セオンはそこで初めて気づいた。店の奥に、何人かの男性が横たわっている。血が止まらない者、腕があり得ない方向に曲がっている者・・・・みな酷い怪我をしていた。
「死人が出たか・・・・・放っておくわけにはいかないな」
「だろだろ? 俺が最初に話を聞いたんだぜ」
「それとこれとは話が別だ。巡回をさぼった分の手当ては引かせてもらう」
「あー、そうやってまた金で脅す!」
得意げなロキシーをフォルセは一言で撃沈した。
「ランシール、ロキシー、行けるか?」
「え、副長は・・・・・まさか、僕ら二人に先行せよと?」
ランシールは早くも動揺し始めている。
「もちろん私も行く。だが応援を呼んでからだ。セオンも砦に預けなければならないし・・・・・すぐに向かうから、先に行って猟師たちに加勢しろ」
「あの・・・・・俺も行きたいです」
急にセオンが申し出た。ランシールが戸惑う。勇気を振り絞って引き留める。
「で、でも、危険だよ」
「承知の上です」
「坊やがいくなら俺は行かなくても良い?」
「良い訳ないでしょう!」
ランシールが即座に答える。セオンがフォルセを振り返る。
「邪魔はしません。お願いします」
「・・・・・そうだな。ひとり残すのも無責任か」
フォルセは呟き、顔を上げた。
「よし、4人で行こう。・・・・立てるか?」
フォルセの問いに猟師は頷き、立ち上がった。
「すまないが、私の代わりに砦へ行って応援を呼んでほしい」
「任せろ! 残ってるみんなをよろしく頼むよ・・・・・!」
「場所はルーネス鉱山か?」
フォルセの問いに猟師は首を振る。
「いや、アーリア鉱山のほうだ」
フォルセの表情が強張る。目を見張り、口を引き結ぶ。ロキシーが腕を組んだ。
「アーリアって、昔爆破事故で廃鉱になったやつだよな」
「・・・・あ、ああ・・・・・」
フォルセが曖昧に頷く。ランシールがロキシーの腕を引っつかむ。
「いててっ、なんだよ・・・・・」
「ロキシーさん!」
ロキシーが抗議しかけ、ランシールが首を振った。ただならぬ制止に、思わずロキシーも言葉をつぐんだ。
既に動揺を隠したフォルセがランシールとロキシーを振り返る。
「何をしている? 行くぞ」
フォルセが駆けだして行き、すぐ後をセオンが追った。ランシールとロキシーも酒場を出る。
ルーネス鉱山はキシニアの南、現在も使われている巨大鉱山だ。その反対、北側に廃鉱となったアーリア鉱山がある。かつては二つの鉱山で大量の鉱石を手に入れていたが、11年前にアーリア鉱山内に持ち込んでいた機器に異常があり、爆発したのだ。大勢の採掘員が亡くなり、現在までに人を寄せ付けない不気味な場所へ姿を変えている。
フォルセとユリウスの両親が亡くなったのはその事故だった。採掘員だった父と、技術者だった母。ふたりを失って以来フォルセは鉱山の話をまったくしなくなった。将来は父の仕事を手伝うのだと意気込んでいた面影は見えず、むしろフォルセの前でその話はタブーとなったのだ。ユリウスもそれを知っているので、これまで一度もその話題を出さなかった。
忌避していた場所に、こんな形で向かうことになるとはフォルセも思っていなかった。自嘲気味の笑みを浮かべて呟く。
「やれやれ、慌ただしい休暇だな・・・・・」
城門を出て森を進んでいく。フォルセが先頭で、ランシールが最後尾にいる。
フォルセが足を止めた。その瞬間に傍の茂みが揺れ動く。ランシールが飛びあがった。
「ひあっ!」
「お前、驚き過ぎだよ」
ロキシーが呆れたように肩をすくめる。茂みから出てきたのは狼のような魔物である。フォルセは今更になって重要なことに気付いた。
「そういえば槍は置いて来たんだったな・・・・・」
身につけているのは細身の剣、先ほど試供品としてもらった剣だけだ。服装も私服であることに気付く。仕方ない、と思いつつフォルセは剣を抜いた。相手の攻撃を避け、フォルセは剣を振り上げた。
魔物が横転して動かなくなる。ロキシーが拍手する。
「お見事!」
「すごいです・・・・・」
セオンも唖然としている。フォルセは剣を収めた。そして後方を振り返り、真っ青な顔をしているランシールに声をかける。
「大丈夫か?」
「は、はい・・・・・」
ランシールは頭を掻いた。ロキシーがセオンの肩をつつき、囁く。
「あいつ、戦いになると神経が過敏になるんだ。ちょっと脅かしてやったら面白いぞ」
「聞こえていますよ、ロキシーさん。セオン、この人の言葉は大半が嘘か冗談だから、聞き流してやってね」
ランシールがむっとして反論する。セオンが困ったような顔をしているのでフォルセが声をかけた。
「このふたりはいつもこんな調子だから、気にするな」
遠まわしに怒られ、ランシールは肩を落とした。
森はいつしか山道に変わった。途中で分岐があったが、南に行くとルーネス鉱山がある。四人は北へ向かい、殆ど整備されていない山道を進んだ。道は険しく、何年も放棄されていた様子がすぐに分かる。
セオンが緊張した面持ちで口を開く。
「空気が重いですね」
「分かるか? 血を求める飢えた魔物の気だ」
フォルセが微笑を浮かべる。ランシールが震えあがった。
「ろ、ろろロキシーさん。た、頼りにしていますからね、ちゃんと戦ってくださいよ!」
「なんだあ? いつも俺のこと散々に言っているのに、こんな時だけ頼るのかよ」
いつでも自然体なのがロキシーという男である。緊迫した場面では頼りになる。
「戦いにおいては、僕より貴方の方がずっと上でしょ。騎士歴も長いんですから・・・・・」
「騎士歴が長いっつってもな。まともに戦ったことないし」
「じゃあなんで騎士やってるんですか」
「賑やかしで」
いつもロキシーが公言していることだ。彼は自称「賑やかし」なのだという。確かに彼がいなければ、万年緊張状態のキシニア駐屯騎士は糸が切れているだろう。彼の賑やかし効果は高い。
ランシールがまじまじとロキシーを見やる。
「・・・・ロキシーさんって、もしかしてわざと騒いでいるんですか?」
「わざと? やりたいようにやっているだけだぜ。だってこの街って良い酒はある、賭博場はある、女はみんな美人。いやぁ、良い街だよなぁ」
「・・・・・・一瞬でも本気にした僕が馬鹿でした」
ランシールが盛大な溜息をつく。
何度か魔物に遭遇したが、すべてフォルセとランシールが退治した。ロキシーは後ろでのんびりとしている。セオンはそれを見て首をかしげる。
「あの・・・・戦わないんですか?」
「だって俺の出る幕ないからな。邪魔にならないようにしてる」
「はあ・・・・・」
セオンが曖昧に頷く。その傍でランシールが「うわーっ」と悲鳴を上げている。ロキシーがにっと笑う。精悍というより、悪童の顔だ。濃い蒼の髪の毛だが、雰囲気は底抜けに明るい。
「そういや、名乗ってなかったな。俺はロキシー。苗字はディスケイトね。歳は結構いっちゃってるけど、まあ気にせず仲良くしようや」
「はい、こちらこそ・・・・・」
「ところでお前、酒は好き?」
「え・・・・? 飲酒は二十歳まで駄目ですよね?」
「堅苦しいこと言わないの。いい店はたくさん知ってるんだ、今度行こうぜ」
「え、遠慮します・・・・・」
セオンが首を振った。フォルセが叱る。
「こら、未成年にまで酒を勧めるな」
「はいはい」
反省などしていないようである。
山道も険しくなりつつあるところで、ようやくアーリア鉱山が見えてきた。キシニアを囲む二つの山、ルーネスとアーリア。形が似ているので双子山とも呼ばれるが、雰囲気は対照的だ。明るい日差しが差し込むルーネス山に比べ、アーリア山は暗く不気味だ。かつては多くの鉱石が採れたので人も多かったが、今ではその痕跡が見えるだけだ。
「警戒しろ、近いぞ」
フォルセが注意を促した。ロキシーもさすがに異様な気配を感じたか、剣の鞘を掴む。ランシールの顔色は真っ青だ。
鉱山入り口は厳重に閉じられていた。生き物の気配はせず、いつもは涼しく感じる風も、うすら寒く感じる。
茂みが揺れた。ランシールが猫のように飛びのいた。しかし現れたのは人間だった。山に残って戦い続けていた猟師たちだ。みな傷つき、疲労している。
「フォルセ・・・・!」
猟師たちの声に感動が混じる。フォルセはゆっくりそのそばに歩み寄った。
「魔物はどこに行った?」
「それが、急に方向転換して行っちまったんだ。殆ど気配もしないし、薄気味悪くて・・・・・」
フォルセはあたりを見回した。風にそよぐ木々の葉。それしか聞こえない。
低い声でフォルセはランシールに問いかけた。
「ランシール、何か聞こえるか?」
ランシールは首を振った。
「いえ、何も・・・・・」
気配を察知するのに長けたランシールでも、生き物の気配は感じ取れない。
彼らは背中合わせに立ち、緊張を高めた。