1章‐4 其はキシニア、我らが故郷
『セオン! いつまで眠っているんだ、今日は私と剣の稽古をするのではなかったのか?』
『本当にセオンは朝に弱いね』
ふたりの青年がセオンの寝台の傍にたたずんでいる。ひとりは呆れた顔で、ひとりは微笑ましそうに穏やかな顔で。
すると、ふたりの青年の姿が遠ざかっていった。セオンははっとして、ふたりを引き留めようと腕を伸ばした。
そこで目が覚めた。寝台に仰向けで、右腕を天井に向けて突き上げる恰好だった。青年を追いかけようと手を伸ばした、その態勢だ。
セオンは腕をおろし、ゆっくり身体を起こした。薄い白のカーテンが、窓から差し込む日光を遮っている。セオンは、自分の右の掌を見つめた。
「夢・・・・・誰、だったんだろう・・・・?」
ぼんやりと呟く。かなり親しくしていたのは間違いない。思い出せないが、とても懐かしい気持ちになる。
立ち上がったセオンはカーテンを開けた。日差しがまともに目を直撃し、僅かに顔をしかめる。
穏やかな朝だった。雲一つない晴天。気温もまだ暑くなく、ちょうどいい。これから夏に向かう時期にしては、少し涼しい。視線を若干ずらすと、街の中央部に塔が見えた。時計台だ。鐘をついて時刻を知らせ、襲撃があったときは警鐘を鳴らす、重要な街の機関だ。
丁度、重々しい鐘の音が聞こえてきた。1、2、3、4・・・・全部で9回。
「・・・・・・9時?」
誰にともなく呟き、目を見張った。
焦って居間へ入ると、ソファに座ってフォルセが槍を磨いていた。気づいたフォルセが顔を上げ、にっこりと微笑む。
「良く眠れたか?」
「あ、はい・・・・・」
実のところ、昨晩いつ眠ったのか覚えていないほどぐっすり眠ったのだ。おかげで気力は十分だが、初日から寝坊をしてしまったと思うと恥ずかしい。
「ごめんなさい、寝坊して」
「疲れていたんだろう。よく眠っていたから、そっとしておいたんだ」
フォルセの前のテーブルには、珈琲のカップが置いてあった。朝食はとっくに終えているのだ。
セオンは頷きつつ、ほんの少し視線を室内に巡らせた。フォルセが先読みして答える。
「兄さんだったら、もう出かけたよ」
「病院・・・・・ですか?」
「いや。兄は軍医なんだ。だから砦に」
セオンは驚いたようである。兄弟そろって軍人だったとは思わなかったらしい。
「じゃあ、フォルセさんは・・・・・」
セオンの控えめの問いに、フォルセが立ちあがって答える。
「今日は非番だ」
騎士の非番は、月に1度である。夏と冬には長い休みを交代で取るが、フォルセはほぼ毎日砦で過ごしている。長い休みは、騎士が故郷へ帰郷するためにあるのだ。任務地と故郷が同じであるフォルセやユリウスには、関係のない休みである。それにしても、今日この日に非番が重なったのはうれしいことだろう。でなければ、しょっぱなからセオンを留守番させることになってしまう。
槍を壁に立てかけたフォルセは振り返った。
「腹が減っただろう。少し外に出ないか? 安くて良い店がある」
そうしてフォルセがセオンを連れてきたのは、自宅から少し離れた場所にある宿屋と酒場を営む建物だった。酒場と書かれた看板を見たセオンが目を丸くする。
「酒場ですか・・・・? こんな朝から・・・・・」
「・・・・・って、怪しくもないし、酒も飲まないぞ。ここはキシニアで一番大きな宿で、宿の中に食堂があると思ってくれれば良い。俺は昔から何度も来ているんだ」
フォルセは堂々と宿の扉を開け、中に入った。セオンも慌てて後を追う。
扉の先はすぐに大きなホールに繋がっていた。ソファやテーブルが並べられたロビーで、宿のカウンターもある。廊下が続いており、その先に幾つかの部屋と二階へあがる階段がある。ホールは人が多く、だいぶ繁盛しているようだ。
ホールにひとつ大きな扉があり、それは開放されていた。中に入ると、ホールより広い食堂だった。酒場とは言うが、セオンの想像とはまるで違うものだった。長椅子と長テーブルが並べられている。
「宿の客のための食堂だが、一般の者も入れるんだ」
そう言いながらフォルセは空いている席を見つけて、セオンとともに腰を下ろした。すると、すぐにひとりの少女がやってくる。
「フォルセさん、なんか久しぶりですね」
少女は親しげに声をかけ、水のコップをふたつ卓に置いた。セオンがしげしげと少女を観察する。
「ああ、そういえばそうだな」
「最近忙しそうですしね。そちらの人は?」
少女がセオンを見やる。セオンが返答に窮していると、フォルセが淀みなく答えた。
「いや、知り合いの子でね。事情があって引き取ることになった」
最初から用意していたとしか思えない答えである。
少女は疑うこともなくフォルセから注文を取って立ち去った。セオンが少女の後ろ姿を見つめて口を開く。
「あの子は・・・・・?」
「テルファと言って、この宿屋の娘さんだ。家族ぐるみの付き合いなんだ」
セオンが不思議そうな顔をする。フォルセは微笑み、卓の上に腕を置く。
「俺は15歳で両親を失って、兄さんと二人だけになってしまった。それから何かと世話になったのが、ここのご主人で・・・・」
フォルセは説明しかけ、はっとして我に返った。
「・・・っと、いきなり身の上なんて話してしまってすまない」
「い、いいえ・・・・・」
セオンが首を振る。むしろこちらが謝らねばならないと思っていたところだったのだ。
焼きたてのパンと野菜のスープ、ハムやチーズが載った朝食セットをテルファが配膳し、確かに空腹だったセオンはあっという間にたいらげてしまった。その間フォルセは2杯目の珈琲を飲んでいた。珈琲ばかりで大丈夫かと疑問に思ったが、フォルセは大の珈琲党なのだそうだ。
「不思議なものだな。子供のころは苦くてとても飲めたものではないと思っていたが、今は1日1杯飲まないと気が済まないんだ。少しは大人になった、ということかな」
「フォルセさんって、幾つなんですか?」
「俺か? 今年で26になった」
セオンは瞬きをしてフォルセをじっと見つめた。昨日はきっちりした騎士の制服を着こんでいたフォルセだが、今日は私服姿だ。黒が基調の制服ではなく、対照的な白いシャツとジーンズを身につけている。少し暑いのか、シャツの袖を肘のあたりまでまくっていた。制服姿も凛々しかったが、ラフな服装も非常に似合うし、若者っぽい。フォルセが苦笑を浮かべる。
「もう少し若いと思ったか?」
「は、はい」
「これでも騎士としては若いほうだが・・・・・・まあ、『あの人』にしてみればまだまだ若造か」
ぽつっとフォルセが呟いた。セオンが首をかしげる。
「『あの人』?」
「騎士になる前の訓練生時代、世話になった人がいるんだ。かなり強い騎士だから、追いつくのは一生無理そうだ」
フォルセは苦々しい表情でそう説明した。
食事が終わってお代を払うと、食べ終わった食器の片付けをしていたテルファが微笑んでセオンに手を振った。内心で驚いたセオンは、咄嗟に軽く会釈することだけはできた。
店を出て、セオンは宿屋を振り返る。
「あの子、どうして俺に手を振ったんだろう・・・・?」
「気に入ったんじゃないか?」
フォルセが唐突にそう言い、セオンは後ずさる。フォルセはそんなセオンの様子には気付かず、腕を組んだ。
「さて、何処に行こう」
そう言ってから、フォルセはおもむろにセオンの恰好を見やった。裾の長い黒コートを着込んだ、重々しい恰好だ。昨日彼が発見された時に来ていた服である。
「・・・・まずは、その服を何とかするか」
一言でいえば、見ているだけで暑苦しい。
フォルセはセオンを仕立て屋に連れて行った。所狭しと服が並んでいる。扉を開けて店内に入ると同時に、中年の女性が駆け寄ってきた。
「あらぁ、フォルセちゃんじゃないの! 今日はどんな服がほしい? いろいろ揃ってるわよ~」
ぐいっと顔を近づけて、ど迫力である。フォルセもたじたじだし、セオンも唖然としている。
「いや、今日は俺ではなくてこっちの子を頼むよ。上から下まで一通り揃えたい」
女性はセオンを見て、途端に破顔した。
「こっちも美少年ねえ~。いまどき珍しい知的冷静タイプのイケメンだわ。よーし、おばさん燃えてきちゃったわよ。本気で貴方に似合うものを見立ててあげるわ。けど、結構値は張るわよ?」
「金の心配ならしなくていい」
「言ってみたいわねえ、そんな台詞! じゃあ坊や、こっち来てみて」
女性は腰を振りながら楽しそうに店内の奥へ入っていく。戸惑っていたセオンの視線がフォルセに向けられる。フォルセは肩をすくめた。
「ああいう人なんだよ。テンションが高いが、別に危険ではない。安心して、良い服を探してきてくれ」
「・・・・・でも、本当に結構値段が・・・・・・」
傍にある上着の値札を見てセオンが呟く。フォルセが苦笑する。
「そんな心配はしなくていいから。ほら、そのコートは邪魔だろう。預かっているから、決めてこい」
セオンは素直にうなずき、黒コートを脱いでフォルセに預けた。そうして店の奥へ向かう。フォルセは入り口付近にある休憩スペースの椅子に座り、足を組んだ。
セオンは女性の言動に振り回されながら服を選んでいる、というより押し付けられている。フォルセ自身、何度もそういう目にあったのである。
すっとセオンのコートを持ち上げ、目の前に広げた。その材質や機能をひとつひとつ調べていく。外側はやや光沢のある革だが、内側は非常に毛が長い布だった。つまり、刃を通しにくく、冬でも暖かいコートなのである。
さらに、軍刀が収納されているコートの内ポケット―――背の部分にそれがある。背と言っても、セオンの身長なら尻のあたりだろう。右側に口が開いている。ポケットの形は軍刀の反り具合とぴったりだ。
セオンは右利き。軍刀を右手で抜く。だからポケットの口は右側を向いている。コートの裾なども、セオンのためだけに作られたものだ。
これでハルシュタイルの紋章でもあれば手っ取り早いのだが、このコートは騎士の制服ではないようだ。ただセオンの使いやすいように仕立てられただけである。しかしずいぶん使い古されている。傷も多いようだ。さしずめ、動きやすさを重視する装備ということだろう。
問題は、いまセオンが戦えるのかということだ。身体にしみ込んだ動きはそう簡単に忘れない。思い出せなくとも、軍刀を手にした瞬間に身体の使い方は分かるかもしれない。ハルシュタイル騎士の剣技は独特だ。見れば分かるはず―――。
「なあに、フォルセちゃん、難しい顔しちゃって。怖いわよ~」
急にそんな声をかけられ、フォルセははっとして顔を上げた。目の前に女性の顔があり、所在無げにセオンもたたずんでいる。先ほどまで黒衣だったが、いまは明るい色でまとめられている。首元まできっちりしていた黒のインナーが、胸元が開いている白いシャツになり、少しだぼだぼだった黒いズボンも、脛までの丈のものに変わっている。服だけでここまで雰囲気が変わるかと驚くほどだ。年相応の恰好である。
「なんでもない。それにしてもだいぶ印象が変わったな、セオン」
「そうですか?」
いまいちぴんとこないセオンは首をひねるばかりだ。
「うふふ、お買い上げでよろしい?」
女性が嬉しそうに尋ね、フォルセは頷いた。それから思い出したように言う。
「そうだ、腰帯を出してもらえないか?」
「はいはい、今持ってくるわよ」
女性がカウンターの裏に回り、壁にかかっていた帯を外してフォルセに見せた。フォルセはその中から適当なものを選び、セオンの腰に回した。長さを調節して固定すると、もうひとつ腰帯を取り出した。こちらは剣を吊るものだ。一般的には左腰の部分に、斜めに立てて吊るすものだが、セオンの軍刀はそうではない。腰帯を数本組み合わせ、フォルセは慣れた手つきで軍刀を収めるホルダーを作り上げてしまった。
そのホルダーを帯につけ、コートに隠されていた軍刀を取り出してホルダーに入れる。大きさはぴったりだった。コートの内ポケットに収納されていた時と、形は同じだ。
「よし、これでいいな。いくらだ?」
「帯はサービスにしておくわよ~。じゃ、お勘定ね」
女性が値段を示すと、フォルセは財布から銀貨を数枚取り出した。女性がにっこり笑った。
「こんな大金がポケットの財布から出てくるっていいわねえ・・・・・フォルセちゃん、次は絶対あたしに見立てさせてもらうわよ!」
「・・・・・どうしてそんなに見立てたいんだ?」
「フォルセちゃんは、あたしの好みど真ん中なのよ。となると・・・・これ以上ない最高の着せ替え人形ってわけよ!」
フォルセが肩をすくめた。そんなことだろうと思っていた。
女性に見送られ、ふたりは店を後にした。セオンがフォルセを見上げる。
「有難う御座います、フォルセさん」
「ああ、いや・・・・・・セオン、またあの店にいく時は気をつけろ。なるべく一人でいかないほうがいい」
「は、はい・・・・・」
セオンもうなずいた。
ふたりは街の中央、時計台の真下にある広場へやってきた。そこには、昨日助けた旅団が店を開いていた。多くの住民で人だかりができており、だいぶ繁盛していた。
「あれは?」
「この国を旅してまわっている行商だ。あちこちの街の特産物を仕入れてくるから、キシニアにいながら遠くの街の品物が手に入るんだ」
フォルセが説明すると、あの長の老人が手を振ってきた。
「フォルセ殿! 昨日は世話になったな!」
「繁盛しているようで何よりだ」
「それもお前さんたちのおかげだよ。お、坊主目が覚めたのか。良かったな」
セオンが不思議そうな顔になり、フォルセが微笑んだ。
「彼らの護衛任務中に、セオンを見つけたんだ」
「そうだったんですね・・・・・俺、どうしてここに来たんだろう・・・・・?」
セオンが呟く。フォルセが沈黙していると、背後から声をかけられた。
「副長!」
セオンは名を知らないが、ランシールだった。銃を肩に担いで物々しい装いだが、ただの巡回である。フォルセが腰に手を当てる。
「ランシール。こんな街中で副長と呼ぶのはやめてくれ。仮にも今日は休みなんだ」
「すみません。けど、僕にとって副長は副長ですし・・・・・いえ、そんなことよりロキシーさんを見ませんでしたか? あの人、一緒に巡回に出たのに姿を消してしまって・・・・・」
フォルセの顔が引きつり、盛大なため息をついて額に手を当てた。ランシールも縮こまっており、事情の分からないセオンはふたりを見比べて困惑していた。