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遠き空の下  作者: 狼花
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7章‐7 記憶~氷、炎

 シリュウが扉を開けると同時に冷気が吹きこんだ。例のごとくオルコットとランシールが身を縮める。


「寒っ!」


 シリュウの故郷、フォーマル氷山である。シリュウが「おや」と呟く。


「これはどうやら私の過去らしい」

「見りゃ分かるよ。で、何年前だ?」


 シリュウは腕を組んでいたが、遠方から刃鳴りの音が聞こえ、腕組みを解いた。フォルセが顔をあげる。


「誰かが戦っている・・・・・?」

「200年前、私が山を下りる直前のことのようだ」


 シリュウはやれやれとばかりに首を振る。と、刃鳴りとともに戦っていた人物が姿を現した。休むことなく跳躍と攻撃を行っているのは、紛れもなくシリュウと、その弟イブキ。ふたりとも容姿は今とほとんど変わらず、そして剣の技量も拮抗していた。


「イブキさんって、強いんですね・・・・」


 ランシールの呟きにシリュウが頷く。


「ああ、3回に1回は負ける相手だ」


 激しい鍔迫り合いの末、ふたりは同時に間合いを取る。イブキがシリュウに向けて怒鳴った。


『なぜです! なぜ山を降りるなど!』

『こんな氷山に籠って数百年を生きるだと? 馬鹿馬鹿しい、まっぴら御免だ』

『シリュウ! 山を出ることは氷神の教えに反します。まして、貴方は氷神の言葉を直々に授かることができる! 貴方は次の族長なのですよ!? それなのに・・・・・!』

『族長など、お前がなればいい。こんな場所に私を縛り付けるような神、私には憎くてたまらない』


 シリュウは辛らつに吐き捨てた。イブキは苛立っているような悲しんでいるような複雑な表情で兄を見つめる。


『地上に降りて・・・・・どうするつもりです?【凍牙】の民は長い間地上から離れていた部族。地上での生き方など、貴方にも分からないのでしょう? もう、氷山には戻れませんよ』

『戻るつもりはない。私はただ・・・・・自分で世界を感じ、自分で生き方を選びたい。だから、私の邪魔をするな。私もお前の邪魔はしない。お前が一生をこの山で過ごしたいのなら、そうするがいい』


 イブキは力を抜き、目を閉じた。


『・・・・・もう良いです。説得は無駄のようですね。しかしこれだけは言っておきます。氷山へ戻ってきたら・・・・・その時は、私は躊躇いなく貴方を殺します』

『ああ、構わん。ではな、イブキ』


 シリュウは刀を収め、踵を返した。


「・・・・壮絶な兄弟喧嘩だな」


 スファルが呟く。シリュウがふっと微笑む。


「私も青かった。外の世界を見たいがために・・・・つまり好奇心だけで故郷を捨てたのだからな」


 と、一瞬で景色が変わった。場所はまったく知らない草原だ。200年も昔の連合は、今よりもっと緑に覆われていたようだ。


「これは・・・・・」


 シリュウが眉をひそめる。


 前方から、過去のシリュウがふらふらと歩いてくる。刀を杖にし、身体は傷だらけだ。


『くっ・・・・しくじった・・・・』


 シリュウは悔しげに呟いた。数日間飲まず食わずで、運悪く部族の狩場に足を踏み入れてしまった。おかげでまともな抵抗ができず、それでもなんとかここまで逃げ延びてきた。


 シリュウが限界に達し、その場に倒れた。自分の死を覚悟しながら、シリュウは目を閉じた。


『大丈夫か?』


 傍らにひとりの青年が跪く。青年はシリュウを抱き起こし、傷を確かめる。


『酷い怪我だ。北を陣取る部族の奴らにやられたか?』

『あ・・・ああ・・・・』


 シリュウはなんとかそれだけ答える。


 青年は傍にあった旅人のための小屋にシリュウを連れていき、そこで傷を手当してくれた。シリュウが数日間絶食していたというのを知ると、簡単に食事まで用意してくれたのだ。まともに話せるようになってから、青年がシリュウに問う。


『あんた、名前は?』

『シリュウ』

『シリュウ・・・・・変わった名前だ。どこの部族だ?』

『言っても分かるまい』

『知っているかもしれないぞ』


 そうは思わなかったが、シリュウは素直に答えた。


『【凍牙】の民だ』


 と、予想に反して青年はふっと笑みを浮かべた。


『やはりそうか』

『・・・・本当に知っていたのか』

『ああ、昨日知った』


 青年は楽しそうにくすくすと笑った。


『ふうん、あんたが。そうか、そうか・・・・』

『おい、ひとりで納得するな。どういうことだ?』

『かつてアーリアという部族が存在した。今はもう滅んでいるが、俺が生まれ育ったキシニアという街は、その部族の血を濃く継いでいる』

『・・・・ほう』

『俺たちは星を読むことができる。未来を占うのだ』

『で、昨日私と出会うということを知ったのか』


 青年は頷く。


『ああ、まさに。あんたが俺の相棒になってくれるということもな』


 シリュウは眉をしかめる。青年はシリュウにずいと顔を近づける。


『なあ、俺の話をもう少し聞いてくれるか?』

『・・・・聞くだけでいいならな』

『つれない奴だな。まあいい・・・・』


 青年は座りなおす。


『俺はこの大陸を統一したい』

『・・・・突拍子もない話だな』

『そうだろうとも。だがな、この周辺は部族と部族の争いでごたごただ。血を見ない日はない。安心して暮らせる日は来ないのか? 俺は常々そう思っている。だったら、誰かがすべての部族をまとめてしまえばいい』


 青年はそのあと長々と熱弁をふるった。シリュウもなかなか興味深く思って聞いていた。


『・・・・どうだ? 少しは俺の熱意が伝わったか?』

『ああ、嫌というほどに』

『ならひとつ頼みがある。あんたを腕利きの剣士と見込んで・・・・あんたに怪我を負わせた北の部族を叩き潰す』


 本気の思いにシリュウはふっと笑みを浮かべた。


『・・・・いいだろう』

『本当か?』

『助けてくれた恩がある。・・・・それに、なかなかおもしろい野望だ。お前の占いに乗ってやる』


 青年は満面の笑みを見せた。笑うと、案外若々しい。


『そうか! 頼もしいぞ、シリュウ』

『ただ、ちょっと待て。お前の名は?』

『おお、そうだった』


 青年ははっと思いだし、頷いた。立ち上がった青年が、シリュウに片手を差し伸べる。


『俺はカルネアだ』


 これが、連合一の剣士シリュウと、連合統一の英雄カルネアの出会いだった。


「カルネアはだいぶ豪快な人だったんですね」


 ユリウスの言葉にシリュウがふっと微笑む。


「それはほら、奴も生粋のキシニアの民だ。豪快で気さくなのは昔からだったな」


 このあとカルネアとシリュウは次々と部族を降伏させ、統一していった。しかし彼らの力をもってしても東の山を越えることはできず、結局四大元素を司る地域を結んで国境を作り、さまざまな部族が暮らす『連合』という国家を築いた。シリュウはカルネアとともに国を作っていくことに生き甲斐を感じた。カルネアの隣は非常に居心地がよく、また、彼が創る新たな歴史の一部に自分も名を連ねれられることを誇りに思った。


 自分は何百年もの時を生きる。取り残されることを悲嘆はしなかった。むしろ喜んだ。カルネアに代わり、この国を守っていこう。そう決めたのだ。


『シリュウ・・・・・連合の未来は、あんたに任せた・・・・!』


 カルネアはそう言い、生涯を終えた。託された思いを胸に、シリュウは連合に留まり続けた。ただひとつ、部族間の争いを無くし、人々が平和に暮らせる日々のために。


「私が弟子を作ったのは・・・・・カルネアと私の思いを継いでもらうためだった。部族間の争いを止められるだけの力を持つような、最高の騎士。そして、連合を守り抜くような騎士・・・・」


 シリュウは誰にともなく呟いた。全員がその言葉を聞いている。


「だが、お前に出会って自分の誤りに気付いたよ、フォルセ」

「私、ですか」


 フォルセが訝しげに尋ね返す。シリュウは頷いた。


「ああ。お前は連合の未来など知ったことはないという顔をしていた。お前はただ故郷と、故郷に住む人々を守りたかったのだろう。その思いがよく伝わった。これ以上私の勝手な願いにお前を巻き込んではいけない。そう思うとともに、戦うことを強いてしまったかつての弟子たちに申し訳なく思った」


 シリュウはいつになく素直に感情を表現した。そして呆気にとられているフォルセに向き直る。


「だからフォルセ。お前は、お前が守りたいと思うものを守るためだけに槍を向けろ。キシニアの騎士であり続けろ」

「はい」


 フォルセは短く、だがしっかりと頷いた。


「教官。教官がどう思われていようと・・・・・私は貴方から学ぶことができたことを誇りに思っています。ですから、教官の思いは引き継がせて頂きます」


 シリュウはふっと微笑んだ。と、目の前に紺碧が現れた。シリュウは刀を引き抜く。


「さて、私の思い出旅行はこれくらいで良いだろう。次に行くぞ」


 シリュウが刀を一閃させ、紺碧を砕いた。


★☆


 次にいたのは熱砂の砂漠だった。


「これは私の記憶・・・・ですね」


 オルコットが進み出る。すぐ傍にオルフェイの町の城門があり、一行は中に入った。


 と、どこからか悲鳴が上がった。はっとして顔をあげると、町の奥のほうに黒煙が見えた。


「火事か」


 スファルの言葉にオルコットがはっとして、一瞬で顔色を失った。


「ま、さか・・・・・」


 オルコットの言葉が震えている。セオンが心配そうに振り返った。


「オルコットさん、どうしたんですか?」


 オルコットは答えなかった。一目散に駆けだし、火事の現場へ向かう。フォルセらも急いで後を追った。


 一軒家が燃えていた。近くには消火のために多くの大人たちがいるが、火事になった家をぼんやりと見上げている、地面に座り込んだ少年がいた。


「あいつ、もしかしてオルコット?」


 ロキシーの言葉は、問いというより確認だった。見紛うことはない、完全に幼いころのオルコットだ。年は13歳くらいか。


『母さん・・・・・』


 幼いオルコットが呟く。オルコットは立ち上がり、炎の中に駆けだそうとした。と、騒ぎを聞いて駆けつけてきた姉のアジーナが弟を抱きしめた。


『オルコット、駄目!』

『離してよ、姉さんっ! 母さんを助けなきゃッ!』

『やめて! お願いだから、やめて・・・・っ!』


 アジーナは抵抗する弟を、それでも抱きしめていた。


 火はやがて消し止められ、残ったのは焼け焦げて真っ黒になった家の残骸だった。そして、ひとりの女性が焼死体で発見された。


『母さん! 母さんっ!』


 オルコットが地面に崩れ落ち、泣き叫んだ。アジーナも同じように地面に座り込む。


「も・・・・もう、やめてください。お願いですから・・・・・・これ以上・・・・・!」


 かつての自分を見つめていたオルコットが、額を抑えてよろめいた。フォルセが支える。


「オルコット!」

「・・・・すみません。ちょっと・・・・動揺しちゃって」


 オルコットのそれは動揺というより、恐怖に近い。オルコットは暗い声音で呟いた。


「あの火事を起こしたのは・・・・・私なんですよ」

「・・・・・・」

「ほんの遊び心で。ようやく自力で火を起こせるようになって、調子に乗って・・・・・子供のころから炎と慣れ親しんでいたから、まさか・・・・・火が、人を殺せるものだと思わなかったんです」

「お前が騎士になったのは、これが原因か」

「族長に、ほとぼりが冷めるまで町を出ろと言われました。そうやって、私を守ってくれたのです」


 そのまま町にいては、母親殺しといわれるだろう。だったら、周りの者に悟られる前に町を離れ、騎士の修行に出たと言っておけばいい。そうやって族長サマンは幼いオルコットを庇った。炎の民が術の使い方を誤ったなどという不名誉な罪を隠した。


「騎士になれと言ったのも族長です。ただし、時が来るまで術を使うなと言われ・・・・・そして首都へ行きました。それからはずっと・・・・」

「ノルザックでの行動はこれがあったからか? 火の中に飛び込んだだろう」


 フォルセの言葉にオルコットは頷く。自分から炎の中に飛び込み、逃げ遅れた男性を救出したのだ。


「あの時は無我夢中で・・・・でも、母のことを思い出してしまって。私は火の民ですから、暑さには強い。あそこで助けられるのは、私だけだと・・・・・」


 オルコットは目を閉じた。


「炎って怖いですよね。制御を失った力は・・・・・本当に恐ろしい」

「・・・・大丈夫ですか?」


 セオンの問いには意味が色々こめられている。気分が大丈夫かどうか。そして、これから先その術を使えるのかどうか。オルコットはどちらも察し、頷いた。


「意味さえ見失わなければ大丈夫。族長の言った『時』はきっと、使うべき理由が見つかった今のことだと思うから。私は皆さんの力になりたい。・・・・だから、大丈夫です」


 フォルセは微笑んで頷いた。


 オルコットはその足で、傍にあった族長の館の地下へ向かった。そしてそこにあった緋蓮を自ら砕いた。


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