7章‐4 神の招き
「良かった・・・・セオン、ようやくまた・・・・・」
「フォルセさん・・・・・どうしたんですか・・・・・?」
セオンがぼんやりとそう呟いたとき、地面が激しく揺れた。はっとしてフォルセは顔を上げた。セオンをかばう。
「地震?」
ランシールが訝しげにあたりを見る。そして次の瞬間、下から突き上げられるような強い衝撃が一同を襲った。スファルが怒鳴る。
「伏せろ!」
その声で立っていたランシールやロキシーが慌てて地に伏せる。フォルセは槍を掴み、片手でぐっとセオンを抱いて庇った。
天井からぱらぱらと瓦礫の破片が落ちてくる。ロキシーが頭を庇いながらつぶやく。
「こんなでかい地震初めてだぜ」
すると、ランシールが首を振った。
「違う・・・・・これは地震じゃない。揺れているのはこの場所だけです」
「風神さまのお告げかい?」
ロキシーの言葉にランシールは頷いた。
ぱたりと揺れが治まった。皆立ち上がり、あたりを見る。
「何だったんだ・・・・・?」
フォルセが呟いたとき、背後にいたオルコットが息をのんだ。
「み、みなさん! エーゼル王子が・・・・・」
いっせいにみなが、離れた場所に倒れているエーゼルに視線を移した。
エーゼルの胸元が光ったと思うと、黒い煙のような靄のようなものが浮きあがった。フォルセがはっとして断魔の剣を構える。
「これがエーゼル王子に憑依していた魔の正体か!」
フォルセが動くより早く、その煙はこちらへ向かってきた。否、ランシール一人を狙っていた。
「え・・・・!?」
ランシールが目を見開いた時には、ランシールはその煙に飲み込まれていた。顔を腕で庇う。視界が黒くなり、音がまったく聞こえない。
「ランシール!」
ロキシーが名を呼ぶが、ランシールは動けない。
闇の中に放り出されたような感覚だ。ランシールは急に恐怖を覚えた。と、目の前に光が現れる。だが、見ていて気持ちのよい光ではなかった。
『この世に漂う「気」を読む力を持つ者―――我の言葉を聞くがいい。そして告げよ。我が下へ来いと・・・・・』
ランシールがはっとした瞬間、脳天に激しい頭痛が襲いかかった。太い針で貫かれたような痛みだ。
「っ、あああっ!」
知らないうちに悲鳴をあげていたようである。ランシールは床に膝をつき、頭を押さえた。黒い煙はランシールから離れた。
「ランシール!? おいっ、しっかりしろ!」
ロキシーが必死でランシールを揺さぶる。やがてランシールは落ち着いたらしく、荒かった呼吸も静かになった。ユリウスがランシールの正面に膝をつく。
「大丈夫? どうしたの・・・・・」
問いかけかけたユリウスは言葉を失った。ランシールの瞳に光がなく、酷く虚ろで、焦点が合っていなかったのだ。ユリウスも異常に気付き、ランシールの肩を掴んで揺さぶる。
「ランシール!」
「・・・・っ」
ランシールが短く呻く。そして、ゆっくりとその口が動いた。
「我は・・・・・この地を治める、剣の神・・・・・我を追い、霊山まで・・・・・我はこの世のすべての民に、裁きを・・・・・」
無機質な声でそう告げ、ランシールは糸が切れたかのように倒れた。スファルが眉をひそめる。
「今のは・・・・・」
「剣神、アレース・・・・・ハルシュタイルを守護する神・・・・ですね・・・・・」
セオンがぼんやりと呟いた。
「霊山は・・・・・王都のさらに北にあって・・・・・アレースが住む山なのだと、昔から言われて・・・・・」
途切れ途切れになりながらセオンは説明した。それを聞いてフォルセは思う。おそらくセオンは、自分の身に何が起こったのかさっぱり飲み込めていないのではないだろうか。セオンの中で、「今」というのは、エーゼルに魄を抜かれたあの時で止まっていた。まさか2カ月も経過しているなどとは思っておらず、気を失っていて目が覚めた、としか思っていないはずだ。
「セオン、無理をしなくていい。少し休め」
フォルセがそう諭すと、セオンは首を振った。
「大丈夫・・・・・です。でも、どうして・・・・こんなに頭がぼんやりして・・・・・」
フォルセは無言でセオンを抱き上げ、立ち上がった。セオンは抵抗しようとしたが、そんな力はどこにもなかった。
「とにかく戻ろう。ランシールは・・・・・」
ランシールを診ていたユリウスが顔を上げる。
「気を失っているみたい。多分、あの黒い煙が・・・・ランシールに干渉して、自分の言葉を言わせたんだ」
「風読みってのも、場合によりけりなんだな」
ロキシーは言いながらランシールをひょいっと担いだ。
★☆
【黄昏の塔】に戻り、真っ先にケイオスのもとへ向かった。彼の部屋が最も医療器具が充実している、というユリウスの理由もあるが、何より、一番に報告しなければならないと思ったのだ。
「セオン!」
ケイオスがセオンを抱きしめる。セオンは何が何だか分かっていないような表情だ。ケイオスもすぐセオンの様子に気づき、少し休むべきだと促した。しかしやはりセオンは首を振るので、ケイオスは困ったような表情でユリウスを見た。
「すみませんが、少し休ませてやってください。急激に動けば影響が出ると思いますので・・・・・」
ユリウスは瞬きし、苦笑した。ケイオスの言った『休ませてやってくれ』は、『力づくで眠らせてくれ』という意味だ。そんなことをさらっと言うとは意外だった。
なんにせよケイオスの意見にはユリウスも賛成だったので、ユリウスはさっさとセオンに睡眠薬を打った。思考も動きも鈍っているセオンに薬を投与するのは呆気ないほどに簡単だった。
深い眠りに落ちたセオンを寝台に寝かせ、ケイオスにすべて説明した。エーゼルは正気に戻っていたこと、ルゼリオが彼に死で償うことを要求し、フォルセがとどめを刺したこと。剣神アレースと思われるものが、霊山へ来るようにランシールを通じて伝えてきたこと・・・・・。ケイオスは束の間沈黙していた。
「・・・・まさか、ハルシュタイルの国神が兄上に憑依し、操っていたなど・・・・・」
ケイオスは茫然と呟いた。オルコットが俯く。
「どうして、そんなことになってしまったのでしょうね・・・・・」
ケイオスは少し黙り、口を開いた。
「ルゼリオ兄上とエーゼル兄上の仲の悪さは有名でしたが・・・・私やセオンとの関係も、冷え切っていたのです。少なからず命を狙われたことがありますし」
「命を狙われる・・・・・?」
ユリウスが尋ねる。
「ええ。ですから・・・・・孤独だったのかもしれません。兄の孤独を埋めようと剣神アレースは憑依した。そうすれば・・・・操ることなど、容易いはずです」
重い沈黙が部屋を包む。それを破ったのは、やはりケイオスだ。
「・・・・・陛下のもとへ行きましょう。本当なら、私への報告など最後にしなければならないのですよ、スファル?」
やんわりと咎められ、スファルが頭を下げる。
「申し訳ありません、殿下。しかし、そのお身体で出歩くのは危険です」
「スファルの言うとおり。ケイオスさまはこちらにいらしてください。陛下をお呼びしてきます」
アイオラがそう言ってケイオスを押しとどめる。
「主従を間違えないで。私は陛下の臣・・・・・陛下にご足労を願うことなどできません」
「私の主はケイオス様ただおひとりです」
アイオラはきっぱりと断言し、ケイオスの反論を封じて部屋を出て行った。
「困ったものですね・・・・・」
ケイオスが溜息をつく。フォルセが微笑んだ。
「宰相殿もアイオラも、貴方にとても忠実ですね」
「・・・・元々陛下がガルスに、私の世話をするようにと命じていたのです。といっても、話し相手のようなものでしたが・・・・・」
ケイオスは目を閉じて、当時のことを思い返しながら呟く。
「私はガルスに、とにかく毎日愚痴を聞いてもらっていました。それに同情したのか・・・・ガルスも色々と私のために尽くしてくれました。そのうち、彼の娘だというアイオラを紹介され・・・・・当時は今より身体の自由が利いたので、無理をして発作を起こして、アイオラに叱られました。まるで本当の姉みたいですよ。私を1番に考えてくれるというのは良くないことでしょうが、率直に嬉しいと思います」
国と王に仕えるべき宰相と騎士が、第3王子個人に忠誠を誓っているのだ。確かに統制はとれておらず、体裁をなしていない。そうなると、エーゼルの意見も一理あるのである。現国王イスベルは穏やかな国王だが、どちらかというと虚弱だ。国を変えようという強い意志がない。彼の優しさが、息子たちを殺し合わせる結果を生んだのだ。
彼はきっと、王として国をまとめる才能がなかったのだ。
ロキシーは腕を組む。
「つまり、アイオラは母性本能をくすぐられたってわけなんだろうなぁ」
あまりに率直な感想を言ったロキシーをフォルセが制しようとしたとき、室内のソファに座って眠っていたランシールが不意に顔を上げた。その表情に浮かぶのは当惑だ。
「ランシール、目が覚めたか?」
フォルセの言葉にランシールは顔を上げ、曖昧に頷く。
「あ、はい・・・・・えっと、僕はいつの間に・・・・・?」
「覚えていないのか?」
「覚えていないって、何のことですか?」
ランシールはきょとんとした表情で首をかしげる。フォルセが説明すると、さらにランシールは当惑の色を深めた。
「そういえば・・・・・急に頭痛がして、立っていられなくなったことは覚えています・・・・・」
「身体は大丈夫?」
ユリウスに問われ、ランシールは頷いた。
「やっぱり一時的なショックだったみたいだね。もう少し座っていなよ。油断は禁物だからね」
「は、はい・・・・・」
ランシールは頷き、再びソファに身を沈めた。
すぐにアイオラが国王イスベルを伴って戻ってきた。イスベルはアイオラの不躾な願いも快諾したようである。
事情を話し終えると、イスベルはフォルセを見た。
「・・・・お前たちは霊山へ行くつもりか?」
「勿論です。剣神から直々にご指名を受けましたから」
フォルセがさらっと頷く。
「我が国で起こっている事件なのに、負担をそれ以上かけることはできない。せめて騎士部隊を同行させられないか」
「私は連合国の騎士です。他国の部隊を率いることは、かえって荷が重くなります」
フォルセの言葉は遠慮も容赦もなかった。
「しかし・・・・・」
イスベルがなお口ごもっている。フォルセはそれを見、提案する。
「でしたら、ひとつだけお願いがあります」
「なんだ」
「王権を陛下の手に取り戻してください。そして即刻、連合領内に残っているハルシュタイル軍を撤退させていただきたい。・・・私がここまで来たのは、ひとえにそのためでしたから」
モルザート元帥とシリュウに誓ったのだ。ハルシュタイル軍を退かせるため、根底であるエーゼルを止め、国王の王権回復を手伝う、と。
「・・・・わかった。邪魔をしないことが、私がお前たちにできる唯一の行為だな」
イスベルは閉じていた目を開け、そういった。
「霊山はまったく未知の世界だ。強い魔力が漂い、非常に危険な場所だと言われている・・・・・言い伝えでは、頂上に神殿がある。そこを目指すと良い」
「はい」
「・・・・・アルセオールも、同行するのだろうな」
イスベルは眠っている息子を見た。
「連合の【黒豹】・・・・・フォルセ。アルセオールを頼む」
フォルセは微笑み、イスベルに一礼した。
★☆
その日は【黄昏の塔】で一晩明かした。
翌日フォルセはセオンの部屋に向かい、扉をノックした。
「セオン、起きているか?」
だいぶ朝が苦手なセオンを、キシニアではよくこうして起こしたものだ。今日はゆっくり寝させてやろうと思いつつも、さすがに正午近くなって起こしに来たのだ。
かなり時間が経ってもう一度ノックすると、扉が内側に開いた。ばつが悪そうなセオンの顔に出会う。
「おはよう。よく眠れたか?」
おはようの時間ではないが、それ以外に言いようがない。セオンは赤面して頷いた。
「・・・・・はい。すみません、のんびり寝てしまって」
「大丈夫だ。他の皆も、ついさっき起きだしたばかりだからな」
セオンは頷き、おもむろに口を開いた。
「さっき日付を見て、吃驚しました。いつの間に2カ月も経っていたんでしょう?」
「それは・・・・・」
説明しようとしたが、何から話せば良いのか分からず、フォルセが腕を組む。と、セオンが微笑んだ。
「ごめんなさい。ちゃんと知っています」
「・・・・知っている?」
「はい。ルゼリオ兄上が、フォルセさんたちと旅をしたこと・・・・」
フォルセは目を見張った。セオンは考え込むようにして言った。
「勿論、俺の体験ではないので・・・・・・『記憶』というよりも、『記録』が残っているという感じです。眠っている間に、全部分かりました」
「・・・・ルゼリオ殿下が体験したすべてが、セオンに受け継がれた、ということか・・・・・」
「・・・・ですから、何も言わないでください」
セオンが目を閉じた。
「ちゃんと・・・・・分かっていますから」
「セオン・・・・・・」
「俺があそこでしくじったから・・・・・・だから、シリュウさんも・・・・・みんな危険な目に」
「セオン、それは違う。教官は自分の思うままに、騎士として生き抜いた。自分の責任にするな。俺のように、馬鹿者だと怒鳴られるぞ」
フォルセの言葉にセオンは頷いた。フォルセは小さく息をつく。
(セオンが己を責めるなら、俺はどうなってしまうんだ。直接的に教官に無理をさせたのは、俺が人質に取られたからなのに)
そこまで考え、フォルセは首を振った。
責任など考えたらきりがない。シリュウの死を悼むのも、悔やむのも、後回しにしなければならない。葛藤を抱えたまま槍を振るえる自信などフォルセにはなかった。
この日は朝早くから、イスベルとガルスが多忙を極めていた。フォルセに言われた通りエーゼルに奪われていた王権を回復すべく、エーゼル陣営の騎士たちをあっという間に降伏させたのだ。エーゼルがいなければ国王に逆らうことなどできないと思っているらしく、呆気ないほど簡単に降伏したらしい。そして連合へ騎士を送り、作戦の中止と撤退を命じた。連合からハルシュタイル軍が出て行くのも時間の問題だ。フォルセも同じようにキシニアに書簡を出し、ハルシュタイル軍撤退の通行と支援を頼むとともに、首都への連絡もハーレイに任せた。
後顧の憂いはない。霊山へ向け、出発するだけである。
「フォルセ」
急に呼び掛けられ、フォルセは足を止めて振り返った。ケイオスの部屋の前を通りかかったとき、その部屋からアイオラが出てきて呼び止められたのだ。
「アイオラか・・・・どうした?」
「私と、私直属の部下100余名・・・・・貴方たちが霊山へ向かうとき、同行させてほしいの」
その申し出にフォルセは驚かなかった。予想していたことである。
「ケイオス殿下の指示か?」
「まあ、ね。明らかに連合の騎士とわかる貴方たちだけでハルシュタイル国内を旅するのは危険だし、ハルシュタイルで起こっていることなのだから、黙ってみていることもできないわ。それに・・・・・これは私自信の意思でもあるの」
アイオラが目を閉じる。フォルセはすぐに悟った。
「・・・・キシニアのことなら、もういい」
「良くないわ。償っても償いきれないと思ってる。でも少しずつ・・・・・私の気持ちを形にしていきたいの。だから・・・・協力させて」
アイオラの気持ちに嘘偽りはない。フォルセはそう思った。戦局を覆すためとはいえ、キシニアの大勢の民を犠牲にした。その罪にアイオラはずっと苛まれていたのだろう。
事情を知らなかったとはいえ、彼女には酷な言葉ばかりぶつけてしまったように思う。
「・・・・・分かった。よろしく頼む」
フォルセの言葉に、アイオラは笑って頷いた。心から安堵した笑みだった。




