7章‐3 別れと再会
騎士たちは3日目にしてようやく以前のような落ちつきを取り戻した。疲労と歓喜が騎士たちを休みなく襲っていたので、落ち着かせるのに時間がかかったのだ。
ロキシーもランシールも容態はすっかり良くなっていた。他の仲間も体調は万全だ。
「よおし、さくっと行って来よう!」
「なんとお気楽な出発の言葉ですか・・・・・」
ロキシーがハイキング気分で歩き出し、ランシールが呆れたように後を追う。ハルシュタイル王都イルシェルからキシニアへ戻ったのと同じ道を辿るのだ。
フォルセはさっさと歩を進める部下2人の背中を見やり、振り返ってルゼリオに断魔の剣を差し出した。
「殿下、これを」
ルゼリオは断魔の剣から視線をフォルセに移した。
「私が持っているのか?」
「貴方にこそ相応しい。ふたつの武器を振るう技量は、私は持っていないのです」
自分の腕は槍だけだ。ここまで一度も折れたことのないフォルセの腕。フォルセはそう思っている。
それに、ルゼリオが断魔の剣を持っていれば護身もできるだろう。ルゼリオに危険があれば元も子もない。フォルセらの目下最大の目的はセオンを助けることなのだ。
「分かった」
ルゼリオは素直に頷き、剣を受け取り、慣れた手つきで腰帯に佩いた。
★☆
王都イルシェルは、以前よりも深い雪と寒さに閉ざされていた。冬真っ盛りなので、気温も低い。
「寒・・・・・」
ハルシュタイルは初めてのオルコットが、常の穏やかさも精悍さもかなぐり捨ててむっつりと黙りこんでいる。砂漠の民には辛い寒さだ。
以前のように地下水道を通って黄昏の塔に向かうと、すぐにアイオラ・レインヴァルが出迎えた。
「待っていたわよ」
アイオラは微笑み、一行をケイオスの部屋へ連れて行った。
室内にはケイオスだけがいた。彼はこの数月の間にさらに衰弱しているようだった。ユリウスが予想した彼の余命は、残り1カ月を切っている。
「みなさん・・・・・よくご無事で」
ケイオスがルゼリオに支えられて身体を起こす。ケイオスは礼を言い、不意にくすりと微笑んだ。
「どうした?」
ルゼリオが問うと、ケイオスは微笑んで兄を見上げる。
「・・・・・私の眼に見えているのはセオンなのに、兄上なのだと思うと・・・・・なんだかおかしな気分です」
ルゼリオも微笑んだが、次の瞬間には目を見張った。ケイオスの眼から涙が溢れだしていたのだ。
「おい、ケイオス・・・・?」
「・・・・・私の勝手な判断だったのです。兄上、申し訳ありません・・・・・」
ケイオスはルゼリオに手を握り締める。
「兄上なら、セオンを守ってくれると・・・・・しかし、そのせいで兄上に辛い思いをさせて・・・・・」
ケイオスも、以前スファルがフォルセに言ったようなことを考えていたのだ。そして己を責めていた。ルゼリオは困ったように首を振る。
「そんなことはない。もしお前が私の魄を奪ってくれなければ・・・・私は一生エーゼルに捕らわれたままだった。こうしてお前とも再び言葉を交わすことができた。私は嬉しいぞ」
「ですが、兄上はもう・・・・・!」
「忘れているようだが、私は死んだ身だ。いつまでもここに残っていることはできない。お前こそ・・・・当分、黄泉の国へは来るんじゃないぞ」
ルゼリオはそっとケイオスの手を離した。ルゼリオはそのままアイオラに視線を向けた。
「アイオラ、エーゼルは?」
「依然玉座の間を占拠したまま、こちらには何の手も出してきてはおりません。相変わらず多数の魄を有し、部下の一人も傍に置いていないようです」
「そうか。では、突っ込む以外に道はないということだ。少し休んだら行くか」
ルゼリオも最後の最後にだいぶ大胆だった。
「策を弄しても、エーゼルには魄の力ですべて知られてしまうだろう。それに、あいつは我々を迎え撃つつもりでいる。向こうも妙な策は用いない。エーゼルは良くも悪くも実直な男だ」
ルゼリオの言葉はいつも説得力があり、重い。それだけに信頼に足る。エーゼルの人柄も、ルゼリオが言うとおりなのだろう。
「・・・・皆と戦うのも、次で最後だ。もうしばらくよろしく頼む」
ルゼリオはそう言って微笑み、部屋を出て行った。重苦しい沈黙を破ったのはユリウスだ。
ユリウスはケイオスの傍に歩み寄り、様子を診始めた。
「ユリウスさん・・・・・もう手のつけようはないんですよ」
ケイオスの言葉にユリウスは微笑む。
「・・・・死にたいですか? それも貴方の自由です。楽になりたければ・・・・・この薬の投与をやめます。これだけの量の薬を身体に入れていれば、苦しまず眠れるはず・・・・」
ケイオスは目を見張り、それからすぐに首を振った。
「いいえ・・っ! 死にたく、ないです・・・・・」
それを聞いてユリウスは頷く。
「でしたら、僕は医者としてできるだけのことをします。キシニアでいろいろ調べてきたんですよ」
医者が患者を助ける理由など簡単だ。ひとりでも多くの人を助けるのが医者の務め。それがユリウスの思いだ。
一通りユリウスは治療を終えた。ずっと黙っていたケイオスはようやく口を開いた。
「・・・・あの、シリュウ殿はどうされたのですか・・・・?」
フォルセは少し黙り、口を開いた。
「教官は・・・・・【無音のシリュウ】は、一族の禁忌を破って私たちの背後を守ってくれました」
ケイオスは目を閉じた。
「そうでしたか―――セオンが悲しむでしょうね・・・・」
「教官は、悲しんだり悔んだりすることが嫌いでしたから。くよくよしていれば、また馬鹿者とどやしつけられてしまいます」
フォルセの顔はさっぱりしている。シリュウの死をきちんと受け止めている証拠だ。
「今は―――セオンを取り戻すことだけに集中します」
ケイオスはじっとフォルセを見つめ、やがて深く頭を下げた。
「・・・・よろしくお願いします」
フォルセも微笑んで頷いた。
★☆
王宮の廊下に兵はほとんど配置されていなかった。おかげで剣を交えることなく、一行は玉座の間に到達した。
玉座の間にいるのはエーゼル一人だ。その傍には赤い宝石―――魄が多数浮遊している。それは以前と変わらなかった。
唯一の変化は、エーゼルの顔が青ざめていることである。前回のような超越の笑みがない。ただ焦っている。
「エーゼル」
ルゼリオが静かに名を呼ぶ。エーゼルはルゼリオを見つめた。
「・・・・やはりルゼリオ兄上、貴方か。まさか、兄上が断魔の剣を手に私の前に現れるなど・・・・・・」
エーゼルは目を閉じた。
「・・・・これが、報いというやつか」
その言葉にフォルセは違和感を覚えた。それはどうやら皆も同じだったらしい。以前のように高圧的ではなく、どこか後悔の色が滲んでいる声音と表情だ。エーゼルらしくない。
エーゼルは顔を上げた。その顔は幾分か以前のように威圧的だった。
「ハルシュタイル一の剣士と呼ばれた兄上を、この手で屠れること―――とても嬉しく思う」
ルゼリオが失笑を浮かべる。武人の顔だ。
「お前ごときが何を言う。他者を傷つけ得た力などで私を斬れると思っているのか」
いつになくルゼリオは冷淡だった。その会話を聞き、本当に仲が悪いのだと誰もが思う。
奥の扉が開き多数の魔族が現れた。ルゼリオが断魔の剣の鞘を払いつつ、前に進み出る。
「エーゼルの相手は私が務めよう。すまないが、魔族を頼む」
フォルセは無言で頷き、槍を構えた。
ルゼリオとエーゼルは間合いをとって睨みあう。そして、どちらからともなく動いた。
エーゼルの剣をルゼリオが受け止める。ルゼリオは片手でそれを払いのけた。剣の力もあるだろうが、驚くべき実力だ。
ルゼリオはエーゼルに立て続けて斬撃を浴びせた。エーゼルはだいぶ劣勢に押し込まれていた。
「どうしたエーゼル、お前の腕はその程度か? 堕ちたな、お前も・・・・・」
「くっ・・・・」
エーゼルが呻き、兄の一撃を受け止める。彼は全く魄に触れなかった。ルゼリオは表情を消し、連撃を叩きこむ。
フォルセらがあっという間に魔族を殲滅し終えたとき、既にルゼリオとエーゼルの戦いも終結しつつあった。
ルゼリオの剣がエーゼルの剣を弾き飛ばす。セオンとよく似た、だが彼以上に力強く的確な剣技。ルゼリオは確かに強かった。
エーゼルの手から剣が落ち、第2王子は床に倒れ伏した。
フォルセらがルゼリオの傍に歩み寄った。ルゼリオはエーゼルを見下ろす。
「・・・・・エーゼル、なぜ魄の力を使わなかった?」
エーゼルは沈黙している。
「お前は・・・・正気に戻っているのだろう?」
むしろ優しい声でルゼリオは問いかけた。エーゼルは初めて兄を見上げる。だが、やはり何も言わない。フォルセはその様子を見て、ルゼリオの言葉が正しいということに気付いた。
「そう・・・なのですか」
フォルセがエーゼルに問うと、エーゼルは顔をそむけた。
「・・・・自分の体が自分のものではないようなのだ。気付けば、私は兄上を殺し・・・・・アルセオールから魄を抜き取っていた」
ロキシーがエーゼルを睨む。
「・・・・そんな言い訳で済むかよ」
「勿論、済ませるつもりはない・・・・・・だが」
エーゼルは拳で床を叩いた。
「なぜだ! なぜこのとき『貴方』は私を導かない・・・・! 最後まで極悪人として死なせてくれ!」
「エーゼル!」
ルゼリオがエーゼルを制する。エーゼルは兄を見上げた。
「頼む、その剣で私を刺せ・・・・・! そうすれば、私の中にいる魔が姿を現す・・・・!」
ルゼリオは沈黙していた。そしておもむろに断魔の剣を持ち上げ、エーゼルに剣先を向ける。
「ルゼリオ殿下・・・・・」
フォルセが名を呼ぶ。キシニアでルゼリオはフォルセに言ったのだ、『エーゼルが正気に戻った時は殺さないでやってほしい』と。しかし、ルゼリオ自身がエーゼルに剣を向けていた。ルゼリオもそれに思い当ったのだろう、目を閉じた。
「・・・・あの時の私は甘かったようだ。これだけの犠牲を出してなお生かしておきたいなど、弟を手にかけたくないという私の臆病だった。エーゼル・・・・・お前は、死んで償え。無差別に奪ったたくさんの命に。キシニアに住むすべての民に・・・・・」
氷の刃のようなルゼリオの言葉を、エーゼルは甘んじて受けるようだった。
ルゼリオの腕が震えている。だが彼は決意を固め、一息でエーゼルの胸を貫いた。
静寂が訪れる。
ルゼリオはエーゼルの胸から剣を引き抜いた。エーゼルは床に倒れる。しかし即死ではなかった。エーゼルは腕を伸ばし、転がっていた魄を掴むと、ルゼリオに差し出した。
「アルセオールの・・・・魄、だ」
ルゼリオは黙ってそれを受け取る。ルゼリオは弟の息の根を止めようと進み出たが、フォルセが遮った。
「フォルセ」
「それ以上、背負う必要はありません」
フォルセは有無を言わさず槍を倒れているエーゼルに向けた。
フォルセは前置きもなく、一撃でエーゼルの首を掻き切った。すでに意識を失っていたエーゼルは、そのまま絶命した。
「・・・・貴方が何に取りつかれていようと・・・・・申し訳ないが、私には関係ない。・・・・両親の仇は取らせてもらう」
フォルセはエーゼルにそう言葉を投げかけると、槍を引いた。そしてルゼリオに深く頭を下げた。ルゼリオは首を振る。
「まるで悪魔のようでしたね。申し訳ありません。しかし・・・・己の心に沸き立つ負の感情を、どうしても抑えきれなくて」
「当然の感情だ」
ルゼリオは断魔の剣をフォルセに差し出した。フォルセがそれを受け取る。
「エーゼルに憑依していたものは出てこないようだが、先に別れることにしよう。セオンに身体を返す。私の魄は・・・・・その剣で砕いてくれ」
「砕くって、そんなことしていいんですか?」
オルコットが身を乗り出す。ルゼリオは頷いた。
「断魔の剣で砕けば、魄は解放される。砕かなければ・・・・・魂は永遠にこの世にとどまってしまうからな」
ルゼリオは微笑む。2度目の死を受け入れる、穏やかな表情だ。
「魔物も同じだ。断魔の剣で斬れば、魔物も憎悪から解放される。できるだけ解放してやってほしい」
フォルセは沈黙している。ルゼリオはそんなフォルセを穏やかな眼差しで見つめた。
「フォルセ。貴方とともに旅ができたこと・・・・とても嬉しく思っている。ここで別れるのは少々無責任にも感じるが―――後は、貴方に任せた」
「・・・・・私も光栄に思っています。貴方の思いを・・・・未来に繋ぐ」
フォルセも無理やり笑みを浮かべる。ルゼリオは視線をスファルに移した。
「スファル。・・・・・ここまで世話になった。セオンのことをこれからも支えてほしい」
「ルゼリオ殿下・・・・・・」
スファルは口ごもる。ルゼリオは微笑んだ。
「返事はどうした」
からかうように、楽しげにルゼリオは問いかけた。スファルは目を閉じ、そして頷いた。
「仰せのままに。私の剣はすべて、セオン様に捧げたものです」
「・・・・それで良し」
ルゼリオは頷いた。そして次に見たのはユリウスだった。
「ユリウス。・・・・・ケイオスをもっと生きさせてやってほしい。あいつはまだ19年しか生きていない。貴方なら・・・・・延命に過ぎずとも、ケイオスを救ってくれるだろう?」
ユリウスは苦笑する。
「医者の行いはすべて延命です。人は、遅かれ早かれ死ぬものですからね。・・・・・しかし、それを我慢できないのが医者です。僕はその使命を全うします」
ルゼリオは安心したように頷き、彼らの背後にいるランシール、ロキシー、オルコットにも笑みを向けた。
「みな、世話になった。私は―――一足先に戻る」
ルゼリオが魄を掲げる。と、その魄が赤く光り、ルゼリオの体内に埋まった。それと同時にルゼリオの身体から魄が浮かび上がった。
ルゼリオの魄。ルゼリオの魂そのものだ。
フォルセは前に進み出、断魔の剣を振り上げた。硝子を割るような音がして、魄が砕け散った。床に飛び散った赤い硝子は、そのまますっと消えてしまった。
目を閉じて立っていたセオンが倒れ、フォルセがそれを支えた。
「セオン」
懐かしい名を呼ぶ。と、すぐ傍に誰かの気配を感じ、顔を上げた。
そこにいたのは見慣れない青年だ。金色の髪と碧玉の瞳をもつ美青年。背は高く、浮かぶ笑みは穏やかだ。しかし腰に佩いた剣や長衣が、彼が生粋の武人だということを物語る。
「ルゼリオ殿下・・・・・」
初めて見るルゼリオの姿に、みな唖然とした。フォルセは2度目だ。以前戦場で剣を交えたときと変わらない、ルゼリオの姿だった。ルゼリオはそっとセオンの頬に触れると、フォルセに笑みを残して掻き消えた。そこには沈黙が残っているだけだった。
『ありがとう。セオンを頼む』
どこからともなく、ルゼリオの声が聞こえた。しかし、その声は聴きなれないものだ。いつもルゼリオが発していた声はセオンの声だった。ルゼリオの声はもっと低く落ち着き、心地の良い声だった。
セオンの瞼が震える。フォルセが身を乗り出し、仲間たちもフォルセを取り囲んだ。
「セオン!」
フォルセが呼びかけると、セオンはゆっくりと目を開いた。その瞳の色はルゼリオのような碧空の色ではなく―――美しい紅の宝石だった。
「・・・・フォルセ、さん」
セオンがかすれた声で呼ぶ。安堵の息がみなの間から洩れた。フォルセは何も言わず、ただセオンを抱きしめた。まだ身体の力が戻らないセオンはそっとフォルセの肩に手を置く。その力の弱さに、フォルセは目を閉じた。
「・・・・良かった、セオン・・・・・」
フォルセは心から安心した。
ようやくセオンの身体に、セオンの心が戻ったのだ。




