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遠き空の下  作者: 狼花
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7章‐2 苦闘を制す

 激しい地響きがキシニアの町を襲う。ユリウスは顔をあげ、額を流れ落ちる汗を拭った。


「まだ決着はつかない、か・・・・・」


 ハルシュタイル軍が攻撃を仕掛けてから、すでに5日が経つ。相手の攻撃は止むことがなく、しかも増援が限りなく湧き出る。完璧に、ハルシュタイルの狙いはこちらを疲弊させることにあった。


 騎士たちは戦い続けで疲労も極限にある。ユリウスは軍医として仕事をしつつ、時折鍛冶場へも足を運んだ。剣の状況を確認するためだ。


 ルゼリオの話では、断魔の剣があるだけで戦局がひっくり返るほどなのだという。そしてそれは使う人間によって左右される。


 フォルセは槍を好んで使用するが、剣の腕も一流だ。この場にいればシリュウが振るうべきだったが、それは叶わない。フォルセに持ってもらうしかなさそうである。


 もしくは、ルゼリオ―――ないしセオンだろう。


 ユリウスはもう一度額の汗を拭う。鍛冶場の中にいるので非常に気温が高いのだ。それと、緊張のせいでもあろう。


 大勢の人間で鍛えている、眩い剣。地水火風の力を持つ剣が完成されつつある。その様を見、ユリウスは己の心が高ぶっていることに気づく。


「もう少しだ、もう少しで完成だ!」


 鍛冶師がそう言って励ましあう。過酷な状況でここまでやってきたのだ。振動と闘いながら、必死に彼らは剣を鍛え続けてきた。


 鍛冶師たちが歓声を上げる。代表でもある鍛冶師の男性がその剣を高々と掲げていた。ユリウスの眼はその刃に吸いつけられる。今までに見たことのない輝きだった。


 男性はそれを鞘に収め、ユリウスに差し出す。


「さあユリウス、早くフォルセんところに持っていけ! こいつぁ俺たちキシニア鍛冶師の最高傑作だ!」


 ユリウスは壊れ物を扱うかのようにそっとそれを受け取る。ずっしりと剣の重みが伝わってきた。


 ここまでに数え切れない犠牲を払ってきた。たくさんの騎士を失った。たくさん怪我をした。譲れない思いのために肉親と剣を交えた。シリュウというかけがえのない仲間を失った。


 だがこれでようやく、『戦いを終わらせる』ための戦いを始めることができる。


 ようやくセオンを助けられる。


 ようやく―――この旅を終わらせ、元の生活に戻れる。


「有難う・・・・みんな、本当に有難う・・・・!」


 ユリウスはこみ上げる想いを何とか抑えた。だが、声の震えだけはどうにもならない。


「ユリウスの兄貴!」


 ひときわ若い声がユリウスを呼んだ。前に進み出たのは20歳前後の青年。ユリウスは見覚えがあった。


「ヴェン」


 孤児院で育った青年だ。ランシールとは初期の家族であり、今でもランシールを強く慕い、憧れている。孤児院を出て鍛冶師になっていたようである。


「ラン兄・・・・どう、してる?」


 最近まともに会えず、心配していたのだろう。ユリウスは微笑んだ。


「大丈夫。ランシールはぴんぴんしてるよ」

「そっか・・・・引き止めてごめん。ラン兄とフォルセの兄貴によろしく!」


 ユリウスは頷き、身を翻し、砦へ向かった。


 フォルセは砦に戻り、城門を下させた。半ば落馬するかのように地面に降り、そのまま床に座り込む。ロキシーもぐったりとしていた。


 騎士が駆け寄ってくる。フォルセは息を整え、尋ねた。


「・・・・何人、戻れなかった?」

「20名です。帰還者の中にも腕や足を失った者が多数・・・・・」


 フォルセは目を閉じた。


「これでは相手の思う壺だな・・・・・」


 ハルシュタイルの攻撃は衰えを知らない。幾つもの部隊が代わる代わる攻撃をしてくるのに対し、こちらはひとつの部隊しかない。徐々に戦死者も増えていった。しかも、2日前から部隊の中に魔族が混じり始めていた。とどめのつもりだろう。


「さて、これで何日もつか―――」


 フォルセが天井を仰ぐ。とりあえず、束の間の休息だ。


 すでに城壁上にいるランシールらの集中力も途切れているだろう。最悪の状態だ。


 フォルセは首を振って目を開けた。


「・・・・ああ、駄目だ。目を閉じていると意識を持って行かれそうになる」


 そう呟いて己を叱咤する。ロキシーが言った。


「いっそのこと少し寝たらいいんじゃないか?」

「二度と目覚めんかもしれないぞ」

「縁起でもないこと言うなよ」


 ロキシーが身を起こす。フォルセは苦笑して「冗談だ」と言った。


「なんか楽しいこと想像しようぜ。そうだ副長、全部終わったら飲み明かそう。酒豪の副長とユリウスがいれば楽しそうだ」


 こんなときまでロキシーは楽しげだ。無理にはしゃいでいるのだろうが、それもありがたい。


「そうだな、良い酒を紹介してくれ。奢るよ」

「太っ腹! 目星は付いているんだぜ」


 ロキシーが腕を組む。その時、彼の右脇腹がひどい出血をしていることに気付いた。フォルセははっとして体を起こす。


「ロキシー、その傷は・・・・・」

「う、うん?」


 ロキシーがぎくりとした顔で腕を下す。どうやら隠していたらしい。


「そんな傷を放っておくな。早く治療を」


 ロキシーはぱっと立ちあがった。


「大丈夫! ほら、なんともない―――」


 言いかけたロキシーの顔がゆがみ、ロキシーはずるずると壁にすがりついた。フォルセがその身体を支える。


「言った傍からこれでは、納得できるわけがないだろう」

「う、う・・・・・」


 ロキシーが喘ぐ。降参しかけたようだが、やはり彼も簡単には引き下がらなかった。


「傷も含めて俺の失態だ。俺がいなきゃ、誰があんたの後ろを引き受けるんだよ」


 確かにそれはある。ロキシーが背後を守ってくれたからこそ、フォルセは存分に戦うことができたのだ。彼がいなければ何度死んだかわからない。その自負はロキシーにもあるのだ。


「ロキシーの後は私が引き継ぐ」


 急にそんな声が聞こえた。そこにいたのはハーレイだ。ロキシーが目を丸くする。ハーレイが前線に出るなど、初めてなのだ。だがかつて平原を、瀕死のランシールを庇いながら越えた男だ。技量は十分なのだろう。鈍っていなければ、の話だが。ロキシーは意地悪くそう考え、ぽつっと言う。


「・・・・こんなに手間取っているのに今更かよ」

「切札の出番は最後と決まっている」


 ハーレイがさらっと宣言し、ロキシーは今度こそ唖然として瞬きを繰り返し、「自分で言った!」と呆れている。


 フォルセは無言でうなずく。と、ユリウスが駆けこんできた。息は切れ、頬は上気し、手には剣を抱えている。


「フォルセ」

「兄さん、その剣―――」


 ユリウスは断魔の剣をフォルセに差し出した。


「キシニアのみんなで鍛えた最高の剣だ。フォルセなら、使いこなせる・・・・よね」


 フォルセは剣を抜き放つ。溢れんばかりの輝きにフォルセは目を奪われた。


 フォルセは黙って剣を鞘に戻した。


「・・・・受け取った。必ずハルシュタイルを退かせる」


 フォルセはそう宣言し、愛馬に飛び乗る。


「ロキシー、観念してそこで待っていてくれ」

「・・・・了解だよ」


 ロキシーが肩をすくめた。


「待ってくれ」


 そこへルゼリオが駆け寄ってきた。


「殿下」


 フォルセの傍にルゼリオは歩み寄り、馬上のフォルセを見上げた。


「断魔の剣に振るわれてはならない。貴方が剣を振るうのだ。それだけを覚えておいてくれ」

「・・・・・わかりました」


 ルゼリオは頷き、傍を離れる。ハーレイも軽々と乗馬する。


 何度目か分からない出撃だった。だがフォルセの気力は失せていない。


 ハーレイが剣を無造作に振る。大振りな剣技だが、まったく隙もないし腕も鈍っていないようだ。安心できる後衛だ。


 フォルセは愛用の槍を振るっていた。使うべき時まで断魔の剣を抜くつもりはなかった。


 魔族の堅い皮膚が槍をはじく。フォルセがよろめいた瞬間、ハーレイが魔族を吹き飛ばした。


「すみません」


 フォルセが視線をそらさずに謝す。ハーレイは無言だ。


 城壁に背を預けていたランシールが体を起こす。隣に座っていたオルコットが驚いて顔を上げる。


「ランシールさん!」


 ランシールはハルシュタイル側の攻撃でかなりの深手を負っていた。魔族が投入されてから、鳥型の魔物が砦を越えようと襲ってきたのだ。それらと応戦しているうち、ランシールは肩に傷を負ってしまった。剣も持てず、銃も構えられず、ここで傷みが和らぐのを待っていたのだ。


 ランシールは無言で砲撃台の照準を合わせた。だが、微調整が効かない。腕の神経が殆ど動かないのだ。ランシールは息をつき、弓を手に持った。


「腕は大丈夫なんですか?」


 オルコットが問いかける。ランシールは目を閉じた。


「子供のころから嫌って言うほどやってきましたからね。目を閉じて射る自信がありますよ」


 ランシールの閉ざされた視界の中で、風が戦場の情報を伝えてくる。ランシールは弦を引き絞り、放った。


 その矢は完璧に鳥の魔族を射落した。オルコットが驚愕している。


 どこにそんな力が残っていたのだろう。疲労と傷で限界のはずなのに。オルコットはそう思いつつ、すぐに納得する。


 ランシールの原動力はフォルセだ。フォルセが戦うから彼の援護をしなければと気力を振るう。実は、たったそれだけだ。


 オルコットも術の使い過ぎで目眩すら覚える頭を振り、身構えた。


「できれば・・・・副長の周囲を一掃してください」


 ランシールに言われ、オルコットは頷く。そして手を天に掲げた。


 フォルセは頭上に熱を感じた。ちらりと上を見上げると、巨大な火球がそこにあった。さすがに驚いたが、オルコットの炎はフォルセを含め、キシニアの騎士にいっさい影響を与えなかった。


 フォルセを襲おうと駆け寄ってきた騎士や魔族が吹き飛ばされる。フォルセはその隙に断魔の剣を引き抜いた。


 強烈な光が戦場にいる騎士の眼に飛び込む。フォルセは遅い来る魔族に向け、剣を一閃した。


 光の衝撃波が飛ぶ。魔族は一瞬で霧散した。城壁からそれを見ていたロキシーが言葉を失う。


「魔族が一瞬・・・・・・!?」


 ようやくそれだけ言うと、ルゼリオが頷く。


「断魔の剣は魔や負の感情に強い。人間の負の心から生まれる魔物に最も有効な武器なのだ」


 フォルセの振るう断魔の剣は、ハルシュタイル軍を圧倒した。誰も近寄ることすらできずに討ち取られていく。


 ついに、ハルシュタイル軍は撤退を始めた。フォルセはそれを馬上で見送っていた。


 城壁でランシールが弓を取り落とし、貧血になったかのように後方へ倒れた。オルコットが寸前で支え、彼自身も床にへたり込む。


 ロキシーも長く深く息をついた。スファルが微笑む。


「キシニア騎士は、粘り強さが勝利の要因ですね」


 隣にいるルゼリオが頷く。


「ああ・・・・素晴らしい人々だ」


 ハーレイがフォルセの傍に馬を寄せる。すでにハルシュタイル軍はほとんど撤退しており、残ったのは無惨な屍だけだ。


「フォルセ」


 ハーレイが呼びかけると、フォルセは断魔の剣を鞘におさめた。


「・・・・剣に振り回されるって、こういうことなんですね・・・・」


 フォルセは茫然とつぶやいている。


 血に飢えた剣が敵を求め勝手に動く。そんな感触だったのだ。


「無駄な殺生をしてしまったような気がします・・・・・」


 ハーレイは無言で首を振る。そしてフォルセの馬の手綱を持ち、馬首を返した。


 砦は歓喜に包まれていた。極限状態を乗り切ったという絆が彼らに涙を流させ、喜ばせた。


「副長!」


 ロキシーとランシールが部下たちに支えられながら傍に駆け寄る。フォルセは馬を下り、ふらついているランシールを支えた。だがさすがにフォルセも限界だった。


 フォルセが倒れる。急いで駆け寄ってきたユリウスが弟の体を抱え、抱き起こす。


 ハーレイがその傍に歩み寄る。フォルセは激しく呼吸を繰り返している。


「少し休ませてやれ」


 ユリウスは頷き、そっと抱き起こす。ハーレイは皆を見まわした。


「最優先ですべきは―――みな、とにかく寝ろ」


 苦笑が騎士たちの間に広がった。


★☆


 フォルセが目覚めたとき、目に入った天井は医務室のものだった。カーテンで仕切られており、ひとつの個室のようだ。


 重かった頭も身体も軽くなっており、気分もいい。よほど眠ったのか、ユリウスが何か薬を投与したのか、それは分からないが、戦後処理もできずに倒れてしまったことを恥じた。とりあえず床に降り立ってカーテンを開けると、寝台に寝かせられなかった騎士たちが床で雑魚寝している。中には怪我をしている者も多く、過労で倒れた自分より怪我人に寝台を使わせてやれば良いのに、とフォルセは肩を落とす。


 診察椅子にはユリウスが座り、机に突っ伏して眠っていた。机の上には大量の診断書と使い終えた道具があり、彼がどれだけたくさんの怪我人を診ていたのか一目瞭然だった。フォルセは自分にかけられていた毛布を手に取り、そっと兄の背にかけた。そしてそのまま医務室を出る。


 いつも騒がしい砦内が静かだった。無論、死の静寂ではない。廊下のあちこちに力尽きてぐっすり眠っている騎士が多く見られ、疲れきっているのだ。だがその顔は満足そうだ。


 ホールへ向かうと、そこにハーレイがいた。ハーレイはすぐにフォルセに気づいて振り返った。


「もう起きたのか」

「はい。・・・だいぶ時間が経ちましたか?」

「3時間は経った。戦後処理は終わったぞ」


 フォルセははっとしてハーレイを見た。戦後処理のような事務仕事こそ、副長の真の役目だというのに、眠っている間にやらせてしまったようだ。


「も、申し訳ありません」

「こうなることを予想して、私は力の出し惜しみをしていたのだ。気にするな」


 頭の下がる思いである。


「断魔の剣は完成したようだが、もう2、3日出発は無理だろう。ランシールとロキシーは相当深手を負っているし、オルコットなど術を使いすぎて気絶している。ユリウスにも、まだ診てもらわねばならない者が大勢いるのだ」


 キシニア駐在の軍医はユリウスのみだ。もうひとり医者はいるが、彼はキシニアの町医者で、時々砦にも足を運んで協力してくれている。今も町医者が協力してくれているが、なんにせよユリウス一人の負担は相当だ。


「そうですね。みなの調子を見て決めます」

「ああ。・・・・ところでフォルセ」

「はい」

「・・・・・お前は幼いころから、ランシールとともに過ごしてきたと言っていたな?」


 突然の話にフォルセは目を見張った。


「はい。彼が孤児院に預けられてすぐ、知り合いました。それ以来、ずっと共に」

「胸の傷を気にしていたか?」

「・・・・何度か激痛があったらしく、兄がよく診ていました」

「・・・・では、なぜあいつは騎士になった?」


 フォルセは微笑む。


「そういうことは、本人に確認されては?」

「聞いても答えん」


 憮然とハーレイは言う。フォルセはその様子に微笑みを浮かべるのをこらえ、目を閉じる。


「本心は私も存じませんが、騎士になったのは私のせいです」

「どういうことだ」

「ランシールは私の家に来ては、私に武芸の教えを請いました。護身術を身につけたいのだと言って。ですが、ランシールは既に護身術以上の武芸を習得していました。それで互いに熱が入り、あっという間にランシールは強くなった」

「・・・・・・」

「私が騎士として赴任してすぐ、魔物が町を襲いました。その場にいた人々の中で戦えるのはランシールだけだったそうです。しかし、彼は戦えなかった。稽古では何ともなかったのに、いざ実戦になると剣が怖い。でも、戦えるようになりたいと・・・・・だいぶ葛藤していたようです」


 ハーレイは黙っている。


「なぜそんなに強くなりたいのかと尋ねると・・・・・いつか『あの人』に再会できたとき、『あの人』に恥じることがないようになりたい、と。そう話してくれました」


 フォルセが微笑んでハーレイを見やった。勿論、『あの人』はハーレイだ。


「正直私はランシールから剣を取り上げようかとも思っていました。それくらい危ない状況だったのです。しかし、それだけ強い思いがあるのなら・・・・と考え直して。彼に銃を勧め、騎士の道を教えたのも私です」


 ハーレイは深い吐息をした。


「・・・・それだけ再会を望んでいたのなら、孤児院の者に私のことを尋ねれば良かっただろうに」

「レガリアさんですか?」


 孤児院を運営する女性だ。ハーレイが彼女にすべてを話し、ランシールを預けたのだ。


「彼女はすべてを知っていた。ランシールに尋ねられたら答えて良いとも言った。だが、ランシール自身が尋ねなかったのだな」

「おそらく、自力で見つけたかったのでしょう。しかし、あまりの豹変ぶりに気付かなかった、と」


 フォルセは肩をすくめる。


「貴方も、相当意地悪な人ですよ。隊長」

「・・・・・自覚はしている」


 ハーレイはまた憮然として呟いた。本当は、この人はランシールが心配でしょうがないのだろう。フォルセは心からそう思った。


「私からも聞いていいでしょうか?」

「なんだ?」

「なぜ、隊長は指揮をなさらないのですか? クロースの敗戦があったから・・・・・ですか?」


 ハーレイは目を逸らす。


「それもある」

「他には?」

「・・・・聞いたら、後悔するぞ」

「しませんよ」


 ハーレイはフォルセの断言を聞いてふっと笑みを浮かべた。


「嫌いだから。面倒だからだ」

「は・・・・・?」


 ハーレイはそれ以上は言わず、踵を返してしまった。



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