7章‐1 守るべきもの
キシニアへ到着するまでの数日、ユリウスとランシール二人がかりで作製書の解読に精を出した。ふたりとも様々な古書を読み漁ってきたので、暗号に精通していた。色々試し、ようやくすべて解いたのだという。
「ユリウスは分かるが、ランシールはなんでそんなに本好きなんだ?」
ロキシーが心の底から不思議そうに尋ねる。ランシールは広げていたメモ書きの紙の束を集めながら言った。
「好きというわけではなく、僕は最初字が読めませんでしたから。読み書きを習って、ひたすら慣れるために本を読んでいたんです。そうしたらそのうち」
「昔はよくうちの書庫に浸りに来たな」
フォルセの言葉にランシールは微笑む。
「はい、だいぶお世話になりました」
「そのうちって、優等生発言だよなぁ」
ロキシーが溜息をつく。
キシニアに到着したのは夜中だった。本当ならすぐにハーレイへ報告しなければならなかったのだが、みなそれどころではなく疲れていた。フォルセとユリウス、ルゼリオは家へ戻り、ランシールとロキシーは騎士団宿舎へ、オルコットとスファルは宿屋『黒い豹』へ行った。
ルゼリオはすぐに眠ってしまった。内面が大人とはいえ、その身体は17歳の少年のものだ。本人の意思に関係なく休養を求めていたらしい。
フォルセは庭に出ていた。空を見上げるといつものように星が瞬いている。何の変哲もない星空なのだが、一度読み方が分かると面白いように解ける。
(俺の読みは、当たらなかったんだな・・・・・結局教官は助からなかった)
そう思うと何も信じられないが、どうしても視線は星を探してしまう。
フォルセの視界に入ったのは、戦乱を示す星だった。
(戦乱の星・・・・・時期は、5日以内・・・・・近いうちに、キシニアがまた襲われるのか・・・・・)
当たらないことを願いたいが、何とも言えない。
その時、フォルセの視界が揺らいだ。頭の中を掻きまわされているような不快感。フォルセは無意識に膝を折った。
『星読みは酷く体力を消耗する』
シリュウがそう言い、無茶をするなと咎められた。少し調子に乗ってしまったようだ。
「・・・・フォルセ?」
物音に気付いたのか、ユリウスが庭に出てきた。フォルセが座り込んでいるのに気付き、駆け寄ってくる。
「どうしたんだい? 酷く顔色が悪いけど・・・・・」
「少し、目眩がしただけだから・・・・・大丈夫だ」
フォルセが無理矢理微笑む。ユリウスははっとしたように尋ねる。
「・・・・・まさかフォルセ、星を読んだ?」
怪訝そうに尋ねられ、フォルセは自分の予想が正しかったことに気付いた。
「やはり、兄さんは最初から全部知っていたんだな」
「え?」
「キシニアに住む人たちが、アーリアの部族の血を引いているってことや、星読みの力があること。最初から知っていたんだろう」
ユリウスは力を抜く。
「・・・・・うん。フォルセはそれを誰に? ・・・・あ、やっぱり言わなくていい。どうせシリュウさんでしょ?」
「ああ」
「一体いつの間に?」
「氷山に行く前日、あの村で」
ユリウスは息をつき、フォルセの隣に腰を下ろした。
「僕はね、父さんに教えられたんだよ。鉱山の民の歴史も。フォルセにも一応読み方は教えるが、詳しいことは説明しなくて良いって言われた」
「なんだよ、それ・・・・・」
フォルセが不満そうに呟く。それから目を閉じる。
「・・・・・星読みって、当たるのか?」
「さあ・・・・・試したことはないから。どうして?」
「教官に言われて星を読んでみたら・・・・・そこに教官の死はなかった。でも、教官は・・・・・・」
ユリウスは黙り、空を見上げる。
「・・・・フォルセ、なんて見えた?」
「5日以内に戦争が起きる・・・・・・」
ユリウスはしばらく空を見上げ、やがて頷いた。
「・・・・・僕にも同じものが見えたよ」
「じゃあやっぱり・・・・・?」
ユリウスは腕を組んだ。
「多分ね、もっと深く読み進めたら詳しいことが分かると思うんだ。明日死ぬ人とか、そういうことがね。それが現実になったらどう思う?」
フォルセは黙っていた。ユリウスが続ける。
「自分が星を読んだせいだ。・・・・僕ならそう考える。残酷な未来が見えるたび、現実になる。それに耐えられるかな?」
「・・・・・いや」
「そうだよね。だから父さんは詳しく教えなかった。だから、アーリアの民は部族として滅んだ。僕はそう思ってるんだ。それなのにこうして教えが受け継がれているのは・・・・・きっと、読むなっていう意味だと思うんだよ」
星を読んで未来を知る一族。彼らなら、自分たちの滅びを知っていたはずだ。それでも対策を立てず、その運命を受け入れた。
生憎とフォルセに、そんな潔い考えはない。
フォルセは頷いた。それから立ち上がる。
「そうだな。俺も、自分の未来が決まっているんだって思ったら怖い。もう読むのはやめておく。それよりも、襲撃に備えて騎士を動かさなければ・・・・・」
ユリウスが笑う。
「やれやれ、副長に戻ってきたね。とりあえず、今日はもう休もう」
フォルセは頷いた。
★☆
翌朝、一行は早々にハーレイの元を訪れた。ハーレイはいつもと変わらぬ様子だったが、シリュウが死んだという報告を聞き、表情を動かした。
「まさか、シリュウ殿がな・・・・」
そう呟いたきりしばらく黙っていた。ハーレイにとっても大きな存在だったのだろう。
「これから剣を鍛えるのか」
「はい。キシニアの鍛冶師に協力をお願いします。その作業が終わるまではここに留まります」
ハーレイが頷く。
「それと・・・・近日中にハルシュタイル軍が攻めてくると思われます。念のため防衛の強化を」
「お前に任せる」
あっさりとハーレイが投げ出し、フォルセが虚を突かれる。
「―――は?」
「防衛指揮はお前の仕事だ。そろそろ交代しろ」
「交代って、そりゃもともと隊長の仕事だろ」
ロキシーが思わず突っ込む。と、フォルセが苦笑してそれを制した。
「分かりました、引き継がせていただきます」
フォルセは部屋を出て一息つくと、あっという間に副長の顔に戻った。
「兄さん、作製書を持って鍛冶場へ。ランシール、ロキシーは部隊の確認を急げ。斥候を出し、ハルシュタイル方面への監視を強化させる。城壁の砲火台の確認も頼む」
「了解」
ユリウスが代表で頷き、3人が身を翻す。と、オルコットが進み出た。
「フォルセさん、私にも指示を」
「他部隊の大隊長に指示を出すのは気が引けるが・・・・」
「遠慮しないでください」
フォルセは頷き、オルコットにも武器確認を頼んだ。そのあとルゼリオとスファルに向き直った。
「申し訳ありませんが、お二人は待機をお願いします。なんでしたら市街の散策でも」
「さすがにそこまで満喫はできないよ。ただ・・・・戦闘が始まれば私も役に立てると思う」
ルゼリオの言葉にフォルセが首を振る。
「相手はハルシュタイル軍です。前線に出ていただくわけにはいきません」
「それは勿論分かっている。私はこれでも、狙撃の訓練は幼いころから受けていたのだ。城壁からの狙撃ならできる」
その言葉にフォルセは目を見張った。
「剣の国で銃を?」
「ああ、異国の文化に触れようと思ってな。それくらいなら、許してもらえるだろうか?」
ルゼリオは試すような顔に笑みを浮かべて尋ねる。
「これはセオンの身体だ。無理はしないと誓う」
「・・・・・分かりました、お願いします」
ルゼリオは微笑んだ。ルゼリオが踵を返し、スファルが溜息をつく。
「やれやれ・・・・どうやら、武人の血がここにきて騒いでおられるらしい」
「そのようだ。あの方は武勇に優れた、ハルシュタイルきっての剣豪であられた」
フォルセの言葉にスファルは頷きつつ、呟く。
「どれだけ・・・・無念な思いを抱えておられるのだろうな。弟王子の謀略によって命を失い、いまこうして、別人の身体に宿って2度目の生を受けている。それももう少しで終わってしまう。なんと自分勝手で・・・・酷なことをさせているのだろうな」
フォルセは目を閉じた。
「・・・そうだな。だが、少なくとも殿下御自身は悲運だと思ってはおられない。俺たちにできることは、殿下の願いである未来を守ることだ」
スファルは頷いた。
「・・・私は殿下の御傍にいる」
「ああ」
スファルは踵を返した。フォルセはその背を見送り、自分も身を翻した。
ユリウスはすぐに砦へ戻ってきた。医務室へ直行した彼は、久々に白衣に袖を通し、書類を片付け始めた。
鍛冶場の者たちは、この無理難題をあっさり快諾してくれた。キシニア鍛冶師の腕の見せ所だとはりきっていたのだ。何より、フォルセの頼みだからこそ彼らはやる気を出している。
フォルセは街の住民にとって大恩ある存在だ。直接命を救われた者も多いし、何よりフォルセは国民的な騎士だ。そのフォルセの頼みとあれば、誰もがやる気を出す。
「いやあ、我ながら出来過ぎた弟を持ったもんだ」
ユリウスはひとり呟き、苦笑した。やはり自分は、医薬品が鼻につく医務室勤めが一番似合っている。ここにいれば、ロキシーやランシール、フォルセが自然と集まる。まるで授業をさぼる子供のように。その時間がユリウスは一番好きだった。
フォルセが出した斥候は半日で砦に舞い戻ってきた。フォルセとユリウスの星読みは的を射て、国境付近でハルシュタイルの一軍を発見したのだ。
「いったい何のつもりで攻めてきたんだ?」
ロキシーが不思議そうに尋ねる。フォルセが腕を組んで説明する。
「おそらく、こちらが断魔の剣の素材をすべて集めたのを知って、妨害しに来たのだろう。敵襲時、一切の鍛冶場を閉鎖することを相手は知っているらしい」
騎士の乗る馬の馬蹄の音や大砲の音は、キシニアの町の大地を大きく震わせる。その振動の中で作業をすることが危険と判断されたものはすべて中止していた。砦を攻撃すれば剣を鍛えるどころではないと思ったのだろう。
「エーゼル王子にしては甘いな。これくらいのことでやめられるわけがない」
フォルセは不敵に微笑み、背後にいる部下を振り返った。
「町の鍛冶場へ小隊を向かわせろ。鍛冶師に協力し、護衛するように」
「了解しました!」
騎士が駆け去る。フォルセは立てかけておいた槍を掴んだ。
「戦闘準備! 城壁部隊は配置につけ! 騎馬部隊は乗馬して指示を待て!」
そう言い、フォルセはロキシーとともに城壁へ向かった。そこには既にランシールとルゼリオ、スファル、オルコットが控えている。ルゼリオはランシールから砲撃台の扱い方を教わり、短時間で完璧に使いこなせるようになったらしい。
「ランシール、準備はできているか」
「はい、抜かりなく」
冷たい風が吹きぬく。ランシールは目を閉じた。
「・・・・・いい風です。読みやすそうですね」
誰がどこから矢を射かけるか。どこを突かれたら崩れるか。そういったことが風に乗ってランシールにおもしろいように伝わるのだ。いつもランシールはそれらを感じ取ることに優れていたが、かつては限りなく勘に近かった。今は己の能力だ。自分でも信用できる。
「いつものように、的確な援護をよろしくな」
「お任せください!」
ランシールが胸を張る。そのあと、フォルセは緊張からか微動だにしないオルコットに向き直る。
「オルコット。お前は私の指揮下にはない。自分の判断で動け」
オルコットは振り向き、うなずく。
「はい」
答えてからオルコットは声をひそめる。
「・・・・・早く片付けば、それが一番ですよね」
「術を使うつもりか?」
後輩騎士は微笑んだ。
「必要に応じて」
フォルセは困ったように肩をすくめた。城壁からハルシュタイルを見つめていたスファルが振り返る。
「見えてきたぞ」
点のように小さいが、大量の騎馬が見えてくる。ランシールは自分の砲撃台に手を置く。
「照準合わせ! できるだけ引きつけろ」
ランシールが声を張り上げる。それぞれが微調整を繰り返して狙いを定める。
ランシールの耳に聞こえるのは風の音だけだ。目を細め、引金に手をかける。
―――この距離なら避けられない。
「斉射!」
ランシールの声と同時に、城壁に設置されたすべての砲撃台が火を吹く。
銃弾がハルシュタイル軍に降り注いだ。
ルゼリオの射撃は素晴らしかった。寸分の迷いなく急所を撃ち抜いている。さすがに素質が違う。
と、不意にオルコットが口を開いた。
「・・・・・戦いに術を使ってはいけないと族長に言われ続けてきましたが、致し方ありません」
オルコットはランシールに向き直る。
「ランシールさん、矢を射れますか?」
「どうしたんです、急に?」
「炎神祭の出張サービスをお見せしましょう。それも、風の民イウォルの最高の弓とともに」
ランシールはその意味を悟った。常に傍に置いている弓矢を手に取ると、弦をぴんと張り、矢を番えた。
「どこを狙いましょうか」
「そうですね、燃えやすそうなところを」
オルコットがランシールの矢に手のひらを向けると、鏃に炎が宿った。
ランシールはそのまま矢を放った。矢は真っすぐ地面に突き立つ。傍の草に炎が燃え移り、火が大きくなる。
オルコットが目を閉じ、右手を空へ向けた。その瞬間、小さな火種が一気に炎の柱として空に立ち上った。傍にいた騎士たちが飲み込まれ、吹き飛んだ。
ふう、とオルコットが息をつく。フォルセもその威力と演出に唖然とした。
「・・・・たいした威力だ」
スファルの言葉にフォルセが頷く。
「籠城なんてしたことないんで、どこを狙えばいいのか分からないんですが・・・・・なんとかやってみます」
オルコットに頷いたフォルセは槍を握りなおす。
「今の攻撃でハルシュタイル軍も混乱しているようだ。この不意を突く。出撃するぞ!」
フォルセに従っていた騎士が気合のこもった返事をし、ともに駆けだす。
フォルセは愛馬に飛び乗った。ロキシーが傍に馬を寄せる。
「作戦は?」
「完全に掃討する」
「それ作戦じゃねぇよ。とにかく突っ込めってことだろ」
ロキシーの言葉に、ほかの騎士たちも苦笑いを漏らす。副長の大雑把さも、久々で彼らは嬉しいのだ。
フォルセは肩をすくめ、馬を最前線へ移動させる。
「一人でも多く生き延びろ。引き返すのも恥ではない」
「そうそう。死んじまったら終わりだからよ」
ロキシーも剣を抜き放つ。
城門が上がる。フォルセは馬腹を蹴った。
「行くぞ、遅れるな!」
キシニアの黒豹たちが一斉に飛び出した。




