6章‐9 気高き者、氷に眠れ
フォルセは放心状態のまま動かない。
シリュウは自分の後方で身構えたままの味方に声をかけた。
「お前たち! フォルセを連れてここから逃げろ!」
だが、誰も動かない。その時、フォルセが怒鳴った。
「・・・・ふざけるなッ!」
「!」
シリュウが呆気にとられる。今まで一度としてシリュウに逆らったことのないフォルセが、本気で怒鳴っていた。
「俺が貴方を見殺しにするとでも・・・・!? ふざけるのもいい加減にしてくださいっ! 貴方はずっと、騎士として好き勝手やって来たではありませんか! 一度くらい、俺の好きなようにさせてくださいっ!」
「お前・・・・」
シリュウが目を見開く。ロキシーが呆れたように肩をすくめる。
「あんた、時々本当に馬鹿だよな。俺たちが従うわけないって」
スファルが頷き、身をひるがえした。先陣を切って駆けだす。フォルセがシリュウの腕をつかみ、走り出した。
イブキが目を閉じ、静かに命じる。
「シリュウと外の人間を殺しなさい」
慣れない山道を駆け下るのは相当なことだった。だが、誰も足を止めない。行く手を遮ろうとした者は、みな一瞬で斬り捨てられた。フォルセも無言で槍を振るっている。そのすさまじい戦意と技量にシリュウは呆気にとられるばかりだ。
「フォルセ・・・・・・」
シリュウはぼそっと名を呼ぶ。フォルセは答えないが、きちんと聞いている。
「私は・・・・もう少し、お前の師でありたい」
つい、本音がこぼれた。フォルセが笑みを浮かべる。
「でしたら、早くここを出なければなりませんね。その傷の手当もしなければなりませんし・・・・」
「・・・・そうだな」
シリュウは頷きながらも思う。本当に安全にフォルセらを逃がすならば、自分が出口まで案内してやればいい。もっとも簡単な方法がある。
シリュウは前に進み出ると、崖から下を見下ろした。すでに地上は見えている。それを確認し、シリュウは振り返る。
「お前たち、ここから飛び降りろ!」
さすがにみな躊躇った。
「大丈夫だ、下で受け止める! 飛び降りてこい!」
シリュウはそういうと、ひとり崖を蹴った。
シリュウは地上まで一直線に落下した。接地の寸前にシリュウは自らの魔力を高め、身体と地面の間に抵抗を置いた。まるでクッションのように衝撃を和らげるのだ。
最初に飛び降りたのはフォルセだった。次々と同じように飛び降り、最後尾をスファルが務めた。
そのスファルを追い、【凍牙】の民も飛び降りてくる。その瞬間にシリュウが飛び出し、片手を上空に向けた。
(許してくれ、フォルセ・・・・・)
シリュウは目を閉じてフォルセに詫び、己の魔力を限界まで高めた。
「教官!?」
フォルセが叫んだ。
空が凍りついた。そうとしか、フォルセには言いようがない。
巨大な氷の壁が現れ、彼らを封じ込めてしまった。分厚い氷が空を覆いつくしている。たとえどんな手を尽くそうにも、決して解けぬ氷の壁。
同じようにその場に到着したイブキも目を見張る。
「それは、禁呪・・・・・!?」
絶対の禁忌とされる、氷壁の術だ。
そもそも、【凍牙】の民は攻撃的な魔術を使うことができない。支援したり、治癒したり、そういった術しか習得しないのだ。しかし氷壁の術は、唯一の攻撃魔術―――術を攻撃に使うことを禁じられた部族であるがゆえの禁忌。
その禁忌の代償は、術者の生命。
「教官! 教官・・・・っ!」
フォルセが叫ぶ。シリュウは氷の壁を支えながら苦しげに微笑む。
シリュウの腕から、額から、血が流れる。紺碧を取るために孤軍奮闘したシリュウは、最強の剣士といえども重傷を負った。さらに禁忌の術を使ったことにより、負荷がかかっている。
―――助からない。
「フォルセ、すまないが・・・・・こればかりはどうしようもならんのだ」
「・・・!」
「最後だから・・・・・言うぞ。お前が・・・・・お前こそ、私の最高の弟子だった! 誰にも文句は言わせん、フォルセという騎士を育てたのは私だ。それが、私の誇りだ・・・・!」
フォルセは黙って、師を見つめている。師も、いま伝えられることを精一杯伝えようとした。何より、シリュウは初めてフォルセを弟子と呼んだのだ。
「だから生きろ! 生きて、戦い抜け!」
フォルセは黙っていた。それから、深くシリュウに頭を下げた。ランシールとロキシー、オルコットが真っ先にそれに倣う。連合最高の騎士に、最高の敬意を払ったのだ。
そして、真っ先にフォルセがシリュウに背を向けた。仲間たちもそれに続く。彼らは氷山から脱出した。
残ったのは、構えを解いたシリュウ。そして離れた場所に立つイブキ。氷壁が不気味な音を立て、今にも崩れそうになっている。シリュウは、氷壁の真下にいた。
イブキが呟く。
「なんて愚かな一生ですか、シリュウ・・・・・まるで外の人間と同じ」
「ああ、私は外の人間さ。―――これが私の生き方だ。誰にも否定させない」
すでにシリュウの身体は限界に近い。だが、最後の力を振り絞った。氷壁が強く発光する。
「これ以上、あいつらの背後を襲うことは許さん!」
シリュウの言葉と共に、光が爆発した。
爆発が収まってイブキが目を開けると、そこには砕かれた氷の破片が散らばっていた。巻き込まれた部下たちが死んでいる。
己の命を力に変えて発動させる技。シリュウは高すぎる代償を払い、弟子の背後を守ったのだ。
「・・・・私の負けですよ。兄上殿」
イブキは僅かに微笑んだが、その笑みはどこか悲しげだった。
★☆
エスタの村に戻ってきて背後を振り返ると、そこには崖があるだけだった。おそらく、シリュウの術が解けたことによって、可視できなくなったのだ。
「フォルセ!」
ユリウスが弟を抱きしめる。フォルセは驚いて兄を見つめた。
ユリウスは泣いていた。物心ついて以来、初めて目にした涙だった。
「兄さん、どうして泣いて・・・・・?」
フォルセが戸惑ったように尋ねる。だがユリウスは答えようとしない。代わりにランシールが説明したのだ。
自分が人質として処刑されかけたこと。シリュウがひとりで、命を代償に紺碧を取りに行ったこと。
「・・・・あの時は動転して気づきませんでしたが・・・・シリュウさん、傷だらけでした」
オルコットがうつむく。シリュウがどれだけ苦しい戦いを、たったひとりで乗り越えたのかが分かる。
フォルセはシリュウに託された紺碧に視線を落とす。蒼く美しい紺碧の鉱石。シリュウが託した、最後の希望。
「教官・・・・・・」
フォルセは呟き、目を閉じた。
勿論、悲しい。泣きたいくらい辛い。だが、泣いたらシリュウは「馬鹿者」と怒鳴りつけるだろう。だからフォルセは振り返らなかった。シリュウが教えてくれた強い心のまま、先を見据えようと思った。
「・・・みんな。キシニアに戻ろう」
フォルセが一同を見据える。
「俺たちは教官に生かされてここにいる。これからの戦いも・・・教官と共にやり遂げる」
みな、頷いた。
ロキシーがフォルセの隣に立つ。
「・・・・・いつかキシニアで、副長が言った言葉の意味がやっと分かったよ」
「・・・・?」
「自分のこと、薄情な男だと思ってくれって言っただろ。・・・あんたはそう思われてでも、立ち止まれないんだよな」
テルファが死んだときだ。悲しむのは後で良いとも言った。それどころではないのだと、自分を押し殺した。
ロキシーは真摯な視線をフォルセに向けた。
「副長。あんたは何も気にしなくていい。迷わず突っ込んでくれ。・・・・・あんたの背中は、俺が守る」
「ロキシー・・・・」
「だから・・・・悲しんだっていいんだぜ」
フォルセより2つ年上のロキシーが、初めて本当に年上のように見えた。フォルセは微笑む。
「・・・・有難う」
ランシールは涙をぬぐい、フォルセを見た。
「シリュウさんを失った穴を埋めることなど、僕には到底不可能ですが・・・・・それでも、僕は戦わせていただきます」
フォルセは頷き、泣いているオルコットの肩に手を置いた。
「オルコット」
「・・・・・すみません。私よりフォルセさんのほうがずっと悲しいはずなのに・・・・・」
オルコットは俯いた。フォルセは首を振った。
「お前は優しいから。・・・・・だが、涙は後に取っておけ」
フォルセが微笑むと、オルコットも顔をあげ、強く頷いた。
ルゼリオは沈鬱な表情で黙っている。その傍にいるスファルが呟く。
「死とは最も無縁だと思っていた最強の剣士を失うなど・・・・そんなことが」
「ああ・・・・・できれば、もう少し傍で教えを乞いたかった」
ルゼリオの言葉にスファルは首を振る。
「いいえ、殿下。シリュウの教えならばフォルセが引き継いでいます。これからの彼の行動すべてが・・・・シリュウのそれと重なることでしょう」
「・・・・・そうか、・・・・そうだな。だが・・・・エーゼルは一体何人の人々の心に傷をつけさせるつもりだ。ここまでにどれだけの犠牲を・・・・・!」
ルゼリオは怒気を含んだ声で吐き捨てる。
「・・・・早く止めねばな」
「はい」
スファルは頷いた。
フォルセは沈黙しているユリウスに声をかけた。
「兄さん・・・・心配をかけてごめん」
ユリウスは苦笑した。
「フォルセが謝ることじゃないよ。僕は知っていたんだ、ずっと前から・・・・シリュウさんが死のうとしていることに」
「そうなのか・・・・?」
「でも止められなかった。止めるって宣言したのに・・・・情けないよ」
ユリウスは自嘲気味に首を振った。
「できればあのイブキとかいう奴をぶっ殺したかったよ」
兄の口から放たれた強烈な言葉にフォルセは目を見張った。
「兄さん・・・・・殺すなんて、そんなことを」
「・・・・医者なのに、最低だよね。でも本心なんだ。僕はきっと、フォルセのためなら、どんな非情なこともやってしまう」
フォルセは言葉を失い、ユリウスを見つめていた。
「人間ってね、本当に一瞬の感情でなんでもやらかしちゃう生き物なんだよ。・・・・けど、シリュウさんの思いは一瞬のものなんかじゃなかった。それを忘れないでね、フォルセ」
「・・・・・ああ。・・・・兄さん、今度の戦いが終わったら格闘から足を洗ってくれ。兄さんは医者でいてほしい」
「ははっ、洗うも何もこれは護身術だからね。キシニアに戻れば善良な医者だよ」
ユリウスは微笑む。
「あともう少しだ。頑張ろう、フォルセ」
「・・・・有難う。嫌だろうに、ずっと戦ってくれて」
「フォルセがみんなを守ってくれるように、僕も守りたいと思う。そういうことだよ」
フォルセは頷いた。
一行はキシニアへ向け、エスタの村を発った。
紺碧を得た代償は、あまりにも高かった。




