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遠き空の下  作者: 狼花
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6章‐8 処刑

 誰かに背負われて歩いていることに気付き、ユリウスはぼんやりと目を開けた。だが、この心地よいまどろみにもう一度身を委ねたい衝動に駆られ、ユリウスは身動きを取れなかった。


 やがてユリウスの身体は冷たい床に下ろされ、壁に背を預けた。そっと目を開けると、見知らぬ青年たちが巨大な扉を閉めようとしていた。そして―――。


 その隙間から垣間見えた、正面の鉄格子のなかにフォルセがいた。意識はないようだ。首に太い鎖を取り付けられ、壁から少しも動けないように手も足も固定されていた。


「―――フォルセッ!」


 ユリウスの意識は一瞬で覚醒した。立ち上がって外へ駆けだそうとしたが、寸前で扉を閉められてしまう。ユリウスは扉に拳を打ちつけた。ガン、と堅い音が響くが、ユリウスの鉄拳をもってしても扉はびくともしない。


 背後を振り返ると、仲間たちがいた。ルゼリオ、スファル、ランシール、ロキシー、オルコット・・・・・そこに、シリュウとフォルセの姿はない。


 ユリウスはずるずると地面にへたり込んだ。


「僕たちは押し込まれただけなのに、なんでフォルセだけ拘束されて・・・・・」


 呟きながら、ユリウスははっとした。


「・・・・! まさか・・・・・・人質!?」


 シリュウの弱みはフォルセだ。フォルセを人質に取られ、何か取引に応じたのではないのだろうか。


 ユリウスは倒れたままのランシールの傍に行き、彼を揺さぶった。


「ランシール、起きて。しっかり」

「・・・・うぅ・・・・ユリウスさん・・・・?」


 ランシールは億劫そうに身体を起こした。その後次々と仲間たちは意識を取り戻した。ロキシーが頭髪をかき回して天井を見上げる。


「どこだよ、ここ・・・・」

「副長と・・・・・シリュウさんは?」


 ランシールの顔に不安が過る。ユリウスの顔が蒼白なのを見て、ルゼリオは立ち上がった。独房の扉の上部に取り付けられた格子の窓から外をのぞく。向かい側の牢にフォルセが囚われている。ユリウスと同じ光景を見、ルゼリオも眉をしかめた。


「人質か」

「ど、どういうことですか」


 オルコットが尋ねる。そこでユリウスが先ほどの自分の予想を説明した。


 そのユリウスの予想は、すぐに確信へ変わった。


 廊下をこちらへ向かって歩いてくる足音。おそらくひとりだ。シリュウによく似た青年がユリウスらの独房の前で足を止める。


「目が覚めたようですね」


 その声は冷ややかだ。


「貴方は?」


 ほぼ分かっているが、一応ユリウスは尋ねた。


「私の名はイブキ。この【凍牙】の民を統べる者です」

「シリュウさんの弟・・・・・」


 ランシールが呟く。容姿は似ていても、まったく正反対の兄弟だ。


「シリュウさんはどこです? フォルセを・・・・どうするつもりなんですか」


 ユリウスが詰問しても、イブキは顔色ひとつ変えなかった。


「シリュウならば今、この氷山の頂上へ紺碧を探しに行っています。ひとりで探し、見事手に入れたら紺碧はお渡しする。そのかわり、彼の大切な弟子を人質とさせていただきました」


 イブキはちらりと後方に視線を送る。


「期限は丸1日。明日の日没までにシリュウが戻ってこなければ、彼を殺します」


 ランシールがはっとして声を張り上げた。


「・・・・副長っ! 目を覚ましてくださいっ、副長・・・・っ!」


 ランシールの声はフォルセに届かず、フォルセは依然意識を失ったままだった。イブキが首を振る。


「無駄ですよ。彼には術を施してあります。私が解かぬ限り、彼は目覚めません」


 ランシールがイブキを睨みつける。


「なぜそこまで!」

「外の世界には・・・・枷になりたくないと自ら死ぬ者もいると聞きます。死なれては、人質の意味がありません」


 ランシールを押しとどめ、スファルが口を開く。


「シリュウが無事戻ってくれば、どうする?」

「無論、貴方がたも彼のことも解放しましょう」


 ロキシーが腕を組む。


「そんなの、シリュウには朝飯前だ。とっとと帰ってくるだろうさ」

「生還の可能性は極めて低いです。あの場所は族長にのみ立ち入りを許された神の領域。族長以外が立ち入れば、即座に神が裁きを下される。いくらシリュウといえども、無事には済まないはずです」


 淡々と語るイブキを、スファルは睨みつけた。


「シリュウが帰って来ようが来まいがどちらでも良いわけだな。死んで帰ってこないならそれで良し、戻ってきても裏切り者として処刑するのだろう」

「その通りです」


 ユリウスが茫然と口を開く。


「シリュウさんが帰ってこなければ、フォルセは・・・・・」

「先ほども言いましたが、死んでいただきます」


 ふとイブキは口を閉ざすと、ユリウスを見つめた。珍しく多少の興味を持ったらしく、イブキは尋ねる。


「・・・・彼は貴方にとってどういう存在なのですか? そこまで大切に思う人間なのですか?」


 ユリウスはきっと顔をあげ、イブキを睨みつけた。


「フォルセは僕の弟です」

「・・・・大切なのは血縁だからですか」

「そうですよ。もうこの世にひとりしかいない、僕と同じ血を持つ人間です。両親を失ってから、フォルセは僕の生きる全てだった! こんな場所で死なせるなんて・・・・僕は絶対に認めない!」


 イブキは目を閉じた。


「・・・・不可解ですね。私たちに比べ遥かに貴方がたは短命だ。それなのに、容易く命を捨てる。大切な人のため、名誉を守るため、生き恥を晒さないため・・・・・命を捨てて守った者でさえ、たった数10年の延命に過ぎない。なぜそんな短い時間のために誰かを大切に思えるのですか」

「短いからこそだ」


 ルゼリオが即答した。


「もっとも、私たちは短いなどとは思っていないが。だが、だからこそかけがえのない存在を大切にできるのだ。永く生き過ぎると、そういう感覚が麻痺してくるはずだ」


 イブキは沈黙し、ルゼリオはさらに追い詰めた。


「貴方は恐れているのだろう。大切な人を作り、そして失うことを。だから山を出ない。だから頑なだ」

「我々はこの閉ざされた山の中で500年以上を過ごす部族。そのような人間的な感情とは無縁です」


 イブキはそう突き放してから、ルゼリオに向き直った。


「・・・・貴方はその身体の本当の持ち主ではないようですね。一度黄泉を体験したようです」

「ほう、分かるのか。確かにこれは私ではなく、弟の身体。貴方の嫌いな、人間らしい感情によって私はここにいる」


 ルゼリオは不敵な笑みを見せる。


「人の生きる理由は、一見些細なものだ。だが・・・・それで十分なのだよ」


 セオンの顔にはあまり似合わない表情だが、なぜかしっくりくる。


 イブキはしばらくルゼリオを見据えていたが、やがて踵を返した。


「明日までおとなしくしていてください。何かしようとすれば、貴方の弟を盾に使わせていただきます」

「・・・・・」


 ユリウスがイブキを睨みつける。イブキはそのまま歩み去った。


「シリュウさんへの劣等感、敬慕、嫉妬・・・・あの人は色々ですね」


 ランシールが呟く。ユリウスは深いため息とともに目を閉じた。


「シリュウさん・・・・お願いだ、帰ってきてください・・・・貴方を・・・・フォルセの仇と憎みたくない・・・・」


 ユリウスの中の優先順位は、勿論フォルセが一番だ。ユリウスはこの扉を蹴破ってでも、フォルセを助けると心に決めていた。


 窓がないので時間の感覚はあまりなかったが、おそらく夜が明けただろう。静寂に包まれていた牢の中に若干人の気配を感じた。夜が明け、人々が活動を始めたということだ。


 みな、殆ど眠らなかった。眠れるはずもない。ユリウスなど一晩で憔悴してしまっている。


 時間は刻一刻と過ぎていく。シリュウはいまだに戻ってきてはいないようである。


 ランシールは小さく息をついた。手元に武器があれば、即座に牢を破った。だが、眠っていた間にすべて没収されてしまったようだ。いまこの場でまともに戦えるのは、格闘を主としたユリウスと、炎を操るオルコットだけだ。


 相変わらずフォルセはイブキの術で意識を失ったままだ。すぐそばにいるのに、誰も何もすることができなかった。


 そして、恐れていた時が訪れた。


 何人かの青年が牢に現れ、フォルセの牢を開けた。壁に取り付けられた鎖をはずし、フォルセを抱き起した。


 それと同時にユリウスらの牢の扉もあけられた。


「出ろ」


 ユリウスは唇を噛みしめた。


 向かったのは開けた広場のようなところだった。そこに置かれた処刑台を見てランシールは青ざめる。絞首だ。首につけられた鎖が上に取り付けられている。いまフォルセは椅子のようなものに座らされているが、椅子をとられれば即座に首が絞まるだろう。


 日没までにはまだ時間がある。だが、赤い太陽は今にも山に隠れそうだ。陽が完全に隠れたとき、フォルセは殺されてしまう。


 ユリウスらの周りは完全に固められている。手出しはできなかった。


 イブキがフォルセの傍に歩み寄る。眠ったままのフォルセを見つめ、呟く。


「未来は変えられない。貴方が優れた星読みであればあるほど、その真実は残酷に貴方を打ちのめすでしょう。この先を生きても・・・・貴方がそれに耐えられたのか」


 イブキには、フォルセがシリュウとともに星読みの話をしていたことが筒抜けに聞こえていたのだ。その会話で、シリュウにとってフォルセがどれだけ大切な存在なのかを思い知った。これ以上ない、効果的な人質だと思ったのだ。


 あたりが暗くなる。イブキは背後を振り返り、そして目を閉じる。


「時間ですね」


 イブキが部下に手を挙げる。ふたりの青年が準備にかかる。


 ユリウスが飛び出しかけ、【凍牙】の青年が押しとどめる。ユリウスはそのまま地面に膝をつく。オルコットが小さく手を動かし始めた。おそらく、術を放つ準備だ。だが、それも見切られている。青年がオルコットの腕を後ろ手に抑えたのだ。


 ひとりがフォルセを抱き上げ、もうひとりが椅子をとった。フォルセを支えていた青年が腕をはずす。その瞬間、フォルセの首に鎖が絞めつけられた。


「・・・・・・っ・・・・う」


 フォルセが顔をゆがめる。ユリウスは声も失い、茫然としている。叫んだのはロキシーだ。


「副長っ!」


 駆けだそうとし、やはり遮られる。ロキシーはそれを睨みつけ、怒鳴った。


「邪魔だっ、どけッ!」

「フォルセさんッ!」


 ランシールが叫ぶ。副長、ではなく、幼いころのようにその名を呼んだ。茫然としていたユリウスの目から涙があふれる。ようやくユリウスは声を取り戻した。


「フォルセ―――ッ!」


 フォルセの身体から力が抜けていく。その瞬間、銀色の閃光が走った。


「・・・・なにっ」


 イブキが対応しきれなかった。一瞬で絞首台は破壊され、フォルセを拘束していた鎖が呆気なく断ち切られる。フォルセの身体は、彼の師の腕の中にあった。


 ロキシーの顔に歓喜の笑みが広がった。


「シリュウ!」

「すまん、少し寄り道したら遅くなってしまった。まあ、間にあったのだから許せ」


 シリュウは淡々と説明し、手に持っていた剣をロキシーに放った。その次に銃をランシールに投げる。すべて、没収された武器だった。武器を取り返すために『寄り道』をしていたのだろう。


「シリュウ・・・・さん」


 ユリウスは張り詰めていた緊張が一気に解けたように、深く安堵の息をついた。


 シリュウは意識を失ったままのフォルセに視線を落とした。


「・・・・イブキの術がかかっているのか」


 シリュウはフォルセの顔の前で小さく指を鳴らした。それだけでフォルセは僅かに身じろぎした。


「おい、フォルセ。いつまで寝ている? さっさと起きろ」

「・・・・教官・・・・・?」


 フォルセは寝ぼけているような声でぼんやりとシリュウを見上げた。


「戻ってきたな。お前、殺されるところだったんだぞ」

「え・・・・? それは、どういう・・・・」

「悪いが、ユリウスにでも聞いてくれ。もう時間がない」


 シリュウは懐から碧い宝石を取り出した。それとともに紙の束を取り出し、フォルセの手に握らせる。一瞬でフォルセがはっと我に返った。


「教官、これは・・・・!」

「『紺碧』だ」


 ユリウスたちが駆け寄ってきて、シリュウとフォルセの周りを固めた。いま、【凍牙】の民の青年たちが刀を構えて臨戦態勢にあった。だがその様子も気に留めることなく、フォルセは紺碧を見つめている。


「私からの餞別だ。感謝しろよ」


 シリュウはそういうと立ち上がった。フォルセに槍を差し出す。フォルセは茫然とそれを受け取った。


 いつもより、その槍はずっしりと重かった。


 ぽたっと、何かがフォルセの頬に落ちた。フォルセがそれをぬぐうと、それは赤い血だった。自分の目の前に立つシリュウの背が、赤く染まっている。かなりの大怪我だ。


 そこへ、イブキが歩み寄った。


「なぜ・・・・なぜ貴方は生きて、戻ってくることが・・・・?」


 かなり動揺しているようだ。シリュウが腕を組む。


「さて。もしかしたら、氷神ソリルが約束破りの族長に愛想を尽かしたのかもしれんな」


 イブキが唇をかみしめる。シリュウの声音が真剣味を増した。


「イブキ。お前はフォルセらを解放する気などなかったのだろう。私が帰ってきても、全員殺すつもりだったはずだ。そうだな?」

「・・・・・彼らは氷山の暗示を破りました。この後、同じように氷山に足を踏み入れられたら困ります」


 イブキはあっさりと認めた。外部の者に寛容なのかとついユリウスらは錯覚してしまっていたが、まったくの妄想だった。


「そんなことをされてはこちらこそ困る。こいつらの仕事は、これでようやく始まるのだからな。私は逃げ隠れするつもりはない。だからせめて、私の首で許せ」

「教官、何を・・・・・・」


 フォルセが口をはさむ。


「フォルセ。あの日首都で、元帥と私がしていた話を聞いていたのだろう。そういうことだ」


 シリュウが微笑む。フォルセは言葉を詰まらせたが、激しく否定した。


「いいえ! 私は、何も聞いていない・・・・何も」

「まあ、そういうことにしておいてやってもいいが・・・・フォルセ、早く山を降りろ」

「嫌です。どうしてそんなこと・・・・・」


 シリュウは溜息をつき、フォルセに向き直る。


「いいか。お前たちの為すべきことはなんだ。こうして4つの鉱石を集めたのは過程に過ぎない。本当にするべきことは急いでキシニアに戻り、断魔の剣を完成させ、第4王子を助けることだ」

「それは分かっています、ですが・・・・」

「私は死と引き換えにお前たちの安全を族長に要求したはずだった。だが奴は守るつもりなど更々ない。それでは不公平だ。だから、命にかけてお前たちを逃がす。それが私の最後の仕事だ」


 フォルセがうつむく。イブキがゆっくりと剣を引き抜いた。


「それも私が阻止しましょう。貴方を殺し、貴方の大切な弟子も死んで頂く」

「お前の介錯は必要ない。自分の始末は自分でする」


 シリュウはきっぱりとそう告げた。彼の瞳は真剣だ。


 死にかけながら頂上で守護獣を倒し、紺碧を取ってきたのだ。役に立ててくれないと困る。

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