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遠き空の下  作者: 狼花
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1章‐3 記憶

 徐々に日も傾き、室内が赤く染まってくる。


 あれ以来、フォルセは殆ど医務室を出ず、いまだ目覚めない少年の傍に付き添っていた。


 食堂へ夕食を摂りに行っていたユリウスが戻ってくる。その手にはフォルセのための夕食の盆がある。


「まだ目覚めない?」

「見ての通りだ」


 ユリウスは卓の上に盆を置き、指定席である診察椅子に腰を下ろす。足を組み、眠ったままの少年を見つめる。


「ずっと傍にいるのはこの子の監視?」

「―――何らかの任務を帯びて連合に潜入した、という可能性は充分ある」

「そんなに気を張らなくても。まだ子供じゃない」


 フォルセは苦笑する。しかしその笑みは、彼がまったく少年に対して油断をしていないことを表していた。


「ハルシュタイルには人間離れした剣の使い手がごろごろいる。このくらいの歳の子だって、立派な戦力だ。少年隊という部隊があるくらいだからな。それで戦力不足を補っているわけだ」

「ふうん・・・・・詳しいことは分からないけど。とりあえず、ご飯食べたら?」


 ユリウスが盆を押しやる。フォルセは肩をすくめて食事に手をつけ始めた。


 ユリウスとフォルセは、周りから見ればあまり似ていない。容姿もそうだが、柔らかくて自由気ままなユリウスと、堅物で生真面目なフォルセは性格上、仲が良いとは思われないようだ。しかしユリウスはフォルセの真面目なところが好きだし、肩の荷が重い時にユリウスと話すと気が楽になるようにフォルセは感じている。兄弟ふたりだけで生きてきたということもあり、ふたりの絆は深かった。


「僕はそろそろ交代だから帰るけど、今日は泊まり込みするの?」


 ユリウスの言葉に、フォルセは首をかしげる。口の中に放り込んだ最後のパンを飲み込んでから答える。


「この子次第だな」

「ちゃんと寝るんだよ。寝不足はお肌の大敵」

「あのな・・・・・・」


 呆れかえっているフォルセに「冗談、冗談」と手を振り、ユリウスは立ち上がった。白衣を脱いで壁際のハンガーに引っかけ、いつも使っている診療道具の入った愛用のバックを肩にかける。


「じゃあフォルセ、お先に」


 ユリウスはひらひらと手を振り、医務室を出て行った。


 ひとりになったフォルセは息をつき、あたりを見回した。書棚には医学の本が大量に収められている。ユリウスは暇さえあれば読書にのめり込む性格で、特に医療に関する知識は豊富だ。それ以外にも地理や歴史が得意だ。ランシールもユリウスに比肩するだけの知識を備えているが、彼は生物学や計算は大の苦手にしている。その点に関して、ユリウスはまったく問題なかった。


 どちらにせよ、フォルセには理解しがたい分野である。勉強は不要とまでは思わないが、努力してもできないものはあるのだ―――とフォルセは言い訳をしている。努力だけはしてきたのです、しかし結果が出ないのです、と。これほど悲しいことはない。


 読む気などさらさらなかったのだが、暇なので一冊の本を適当に抜いて開いてみたが、専門用語だらけで頭が痛くなったのですぐ取り替えた。結局、兄が息抜きで置いているらしい架空の小説をぱらぱらとめくって時間をつぶした。そうしている間に、徐々に赤かった空は暗くなってきて、灯りなしでは室内が薄暗くなってしまった。フォルセが灯りをつけようと立ち上がった時、寝台が僅かに軋んだ。振り向くと、薄闇の中で少年が僅かに目を開いていた。


 フォルセは目を見開き、急いで灯りをつけた。室内がぼんやりと明るくなり、少年が眩しそうに眉をしかめる。

 少年の瞳は赤かった。宝石のような綺麗な赤で、黒い髪と妙によく合っている。


「目が覚めたのか。良かった」


 フォルセが声をかけると、少年は目を瞬いた。

 フォルセはすぐに素性を明かすのは避けた。少年がハルシュタイルの人間だとしたら、ここは敵国カルネア連合だ。あまり刺激したくなかった。


「外の森で倒れていたんだ。私はフォルセ。君の名前は?」


 問いかけると、少年はたっぷり沈黙してからぼそっと呟いた。


「―――セオン」


 少年は身体を起こし、あたりを見回した。というより、何も見ていないようだ。酷く虚ろな表情で、ぼんやりとしている。


「ではセオン。君はどこから来た? 行く場所があるなら案内するが」


 少年はフォルセに視線を向け、首を小さく傾げた。


「・・・・・さあ?」


 帰ってきた答えにフォルセは少々自失した。気を取り直してもう一度尋ねる。


「・・・・・なぜここに来たのか記憶にない、というのか?」


 少年は頷いた。取り乱している様子はない。ただ淡々と自分を観察しているだけだ。


「名前しか分からない」

「・・・・名前以外はすべて?」

「はい」


 どうやら嘘をついている訳ではなさそうである。だとすれば、こちらの素性を隠しておく意味がない。フォルセは溜息をつきたい気分を抑え、改めて名乗った。


「私はこの街に駐屯する騎士部隊の副長、フォルセ・ミッドベルグ。ここはカルネア連合の最東端、ハルシュタイルとの国境に接している街キシニアだ。・・・・何か聞き覚えは?」


 即座に少年は首を振った。そもそもハルシュタイルやカルネア連合の知識さえ失ってしまっているようだった。まだどこかぼんやりしている少年に頭を悩ませつつ、フォルセは立ち上がった。


「立てるか?」

「・・・・どこに行くんですか?」

「隊長と会ってもらいたい」


 さすがにハルシュタイルの人間と思わしき少年を、隊長に無断でどうにかすることはできなかった。


 セオンと名乗った少年とともに廊下を歩き、真反対南側の五階にある隊長の執務室へ向かった。扉をノックしても答えは返ってこない。いつものことなので、フォルセはそのまま名乗った。


「隊長、フォルセです」


 しばらくして、静かな声が返ってくる。


「・・・・・入れ」


 フォルセはセオンに目配せして、扉を開けた。

 室内は広かったが、必要最低限の家具しかなく、「無駄に広い」といった印象である。中央に大きなデスクが置かれ、その後ろに窓がある。隊長はそこに佇んで外を見ていた。


 ハーレイ・グラウディは今年で四十歳である。この大隊の隊長だけでなく連隊長まで務めているのだから相当な実力者だが、本人はあまり前に出ないため騎士たちからは距離を置かれている。彼と騎士の架け橋であるということが、フォルセの立場でもある。


「ランシールから話は聞いた。見知らぬ少年を拾ったとか―――」


 ハーレイはこちらに背を向けたままそう言った。フォルセは頷く。


「はい。ですが彼は自らの名以外、すべての記憶を失っています」


 ハーレイが初めて振り返る。そうして見ると、実年齢より若く見えなくもない。顔立ちは意外に端正だ。細身でもなく、筋肉質でもない―――しかしどこか騎士としての威厳を感じさせる姿だ。


「ただ、所持品から想像するに―――この子はハルシュタイルの騎士である可能性が高そうです」


 フォルセは説明しながら、セオンが持っていた軍刀をハーレイに差し出す。それを手に取ったハーレイは頷く。


「確かに、ハルシュタイルの軍刀だな」


 ハーレイは軍刀をフォルセに渡しながら、ぼんやりと部屋の様子を見つめているセオンに視線を向けた。少年は会話など耳に入っていない様である。


「記憶がなくてはなんの対処もできない。お前が面倒を見てやってはどうだ」

「私、ですか?」


 フォルセは戸惑ったように聞き直す。


「ユリウスとお前、どちらも面倒見が良さそうだ。記憶が戻るまで、あるいはその少年が何か言いだすまで、面倒を見てやれ。記憶がないままふらふら街の外に出ても、魔物に食われるのがおちだ」


 もっともなことなので、フォルセは返す言葉を失くしてしまう。


「少年、名は?」


 急に声をかけられたセオンはゆっくり視線をハーレイに向け、短く答える。


「セオン」

「行く場所がなければこの街にいると良い。そこにいるフォルセが何かと手を焼いてくれるだろう」


 セオンはハーレイを見上げて頷いた。ハーレイはセオンの頭に手を置き、背を向けた。

 みな、ハーレイという男を誤解しているのだ。彼は弱者を慈しむ心を持っている、情に厚い人物だ。だがそれを表に出すことができず、突き放すように見えてしまう。本当は子供が好きなのだということを、フォルセは知っている。


「そういうことだ。分かったな、フォルセ」


 フォルセは困ったように肩をすくめつつ答えた。


「はい」


 執務室を出ると、妙な沈黙がふたりを包んだ。と、ぽつっとセオンが呟いた。


「良い人ですね・・・・・」


 突然の言葉にフォルセはセオンを見やる。


「隊長のことか」

「はい。すごく優しい」


 ハーレイを「良い人」だと称した人物に、フォルセはここまで会ったことがなかった。フォルセ自身は何度も部下に対して「誤解している」と言ってきたが、誰も認めなかった。なのに、こうして一発でハーレイの本質を見抜いてしまう少年に、フォルセは感動に近い共感の念を覚えた。記憶を失って先入観や偏見を持たない彼だからこそ、そう思ったのかもしれない。


「そうか、そう思うのか」


 フォルセは少し微笑んで呟いた。


「それで、本当に私で大丈夫かな? 私は戦うことしか能のない武骨な男だ。君に、寝る場所と食事くらいしか与えられそうにない。それでも平気か?」


 セオンは頷いた。


「迷惑にならないよう、気をつけます」

「・・・・・そうか。ならこれからよろしく、セオン」


 セオンは僅かに頷いた。


「今日はもう遅い。家へ帰ろう」

「さっき、官舎がありましたね」


 鋭いセオンに驚きつつ、フォルセは頷く。記憶はなくても官舎が分かるのだ。やはり彼は騎士だったに違いない。


「ああ、皆は砦内の宿舎だ。だが私は・・・・・このキシニアが生まれ育った故郷なんだ。だから街に家がある」


 15で両親を失うまでキシニアで育ち、10年の騎士生活の場はキシニアだった。キシニアを離れたのは結局、入団試験のために王都へ行った、1年だけだった。家もそのまま残っており、フォルセとユリウスの実家だ。


 砦を出て市場を抜けるが、夜だというのに人の流れは尽きていなかった。あちこちの露店で活気の良い声が飛び交い、傍にある鋼鉄工場からは熱気が飛んでくる。


「賑やかですね」


 セオンの言葉にフォルセが説明する。


「この街の傍に大きな鉱山があって、そこで採られた鉄がこの街に送られてくる。それを剣にしたり、鉄製品にしたりしているんだ。体力のいる仕事だから、この街の人はみな豪快だ」

「フォルセさんも?」


 フォルセは笑う。騎士という役柄の時の笑みとは違う、ひとりの青年の爽やかな笑顔だ。


「どうだろう。自分では分からないが・・・・うん、思いきりは良いかもしれないな」


 代表されるフォルセの「思いきり」は入団である。「よし、騎士になろう」という気持ちだけで、彼は騎士になったのだ。兄のユリウスは元から医者を目指していたが、フォルセが騎士になると言うので「僕も行く」と、街医者を諦めて専属の軍医の道を選んだのだ。


「これを返しておくよ。勝手に使ってすまなかった」


 フォルセはそう言いながらセオンに軍刀を返した。セオンはしげしげとそれを見つめた。


「・・・・俺のものなんですか」

「ああ、君が持っていた。君の記憶の唯一の手掛かりだ、大事に持っていろよ」


 セオンは頷きつつ、物珍しそうに軍刀を見やった。


「これ、なんですか・・・・・?」

「軍刀だ。折り畳み式の珍しいものだな」


 フォルセはハルシュタイルの名は出さなかった。


「とりあえず街の案内はまた今度にしよう。今日はゆっくり休んでくれ」


 フォルセは言いながら、市場を抜けて住宅街に入っていく。やがて喧騒が遠のき、静かな地区に出た。そこの一角に、フォルセの家はあった。他の住宅と殆ど変らない規模だ。平屋建てだが、地下室がある。

 扉を開けるとそこは居間である。ソファに座って本を読んでいたユリウスが振り返る。


「お帰り・・・・って、んん?」


 ユリウスが目を丸くして、フォルセの後ろにいるセオンを見やる。フォルセが戸惑っている少年を中に入れて扉を閉める。


「私の兄だ。兄さん、これからこの子と暮らすことになった」


 物分りの良いユリウスは頷きつつ立ち上がり微笑んだ。


「そっか、じゃあよろしく。僕はユリウス。お医者さんなんだ、なんかあったら遠慮なく言ってね」


 セオンも名乗り、ユリウスは簡単な食事を彼に出した。目が覚めてからセオンに何も食べさせていないことに気づいたフォルセは、気が利く兄に頭が下がる思いだ。


 セオンが食事を摂っている間にユリウスは空き部屋を手早く掃除し、あっという間に生活できる部屋に変えてしまった。


「隣を君の部屋にするよ。好きに使ってね。今日は早めに休んだ方がいいんじゃないかな」


 食器を片づけているフォルセを戸惑うようにセオンが見やった。フォルセは微笑む。


「医者の言うことだから、聞いた方がいい」


 セオンはその言葉で顔を上げた。


「・・・・有難う御座います」


 ユリウスがセオンを連れて居間を出た。1本の廊下が続いており、その左右に部屋が並んでいる。ユリウスが案内したのは居間の隣の部屋だ。扉を開けると、寝台が2つ並んでいた。テーブルとソファ、戸棚やクローゼットも完備されている。


「僕とフォルセの両親の部屋だったから、広くて落ち着かないかもしれないけど・・・・・向かい側がフォルセの部屋で、その隣が僕の部屋。何かあれば来ていいからね」

「はい」


 セオンが寝台の傍に歩み寄った。その途端、少年の膝ががっくりと折れた。ユリウスが驚いて倒れたセオンを抱き留める。


「セオン?」


 目を閉じたまま動かないセオンの呼気を確かめたユリウスは、ほっと息をついた。セオンを抱き上げて寝台に寝かせ、毛布をかけてやる。


 居間に戻ると、片付けを終えてソファに座っていたフォルセが振り向いた。


「セオンは?」


 フォルセの問いにユリウスは微笑む。


「まるで気絶だね」

「は・・・・? 気絶って、どこか悪かったのか?」

「違う違う、そのくらいすぐ寝ちゃったってこと。疲れたんでしょ、心配はいらないよ」

「そうか、ならいいが・・・・・」


 ユリウスはフォルセが腰かけているソファの反対側に腰を下ろした。


「で、事情を聞こうか? どうしてあの子、うちで引き取ることになったの?」

「・・・・彼には記憶がないようなんだ。覚えていたのは、セオンという自分の名だけで。それをハーレイ隊長に話したら、俺が引き取ればいいだろうって言われたよ」


 実の兄にも堅苦しいフォルセだったが、家ではかなり砕けている。一人称も「俺」になっていた。


「記憶が戻るまで面倒見ろって?」

「ああ」

「まったく、人任せだねぇ」


 呆れたようにユリウスが歎息する。フォルセは怪訝そうな顔をした。


「・・・・兄さんも、隊長を避けているのか?」

「避けるも何も、ほら、僕は一介の軍医ですから」

「真面目に答えてくれ」

「はいはい。正直、良く分からないよ。フォルセから聞くあの人の言動と、僕たちが実際に見る姿は別人だからね。一度全軍を指揮でもしてくれたらもう少し変わるかもしれないけど」


 フォルセは沈黙する。ユリウスが軽く腕を組む。


「隊長が表に出ない理由、フォルセも知らないの?」

「ああ・・・・理由はあるはずなんだが」


 フォルセは頷いた。それだけでなく、騎士になった理由や過去の話など、ひとつも聞いたことはなかった。


「謎の多い人は格好良いとか言うけど、ありすぎるとかえって駄目だよね」


 ユリウスは気楽そうである。隊長が誰だろうが構いはしない、ということだろう。確かに、一軍医は隊長などに関心はないだろう。


「組織として成り立たない、というのは分かってる。けど僕は、フォルセがみんなの真ん中に立っていたらそれでいいと思うよ。それがこの部隊、第五連隊の第一大隊なんだからさ」


 それを求められているというのは知っている。だから、期待に添えるよう毅然として皆を引っ張ってきたつもりだ。肩の荷が重いというつもりはない。ごく自然な当り前なのだ。


「・・・・・フォルセ、明日は非番だったよね」


 ユリウスが急に話題を変える。フォルセは顔を上げた。


「そうだけど・・・・・」

「明日はいっぱいセオンと遊んであげなよ。ゆっくり休んで、ね」


 フォルセは少し黙り、頷いた。


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