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遠き空の下  作者: 狼花
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6章‐7 凍てついた兄と弟

 翌朝、フォルセは仲間内で最後に起き出した。ランシールが首をかしげる。


「珍しいですね、副長が最後なんて」

「あ、ああ・・・・昨日はなんだか疲れてしまって」

「それだけ準備万端ってことだろ」


 ロキシーの言葉に、フォルセがちらりとシリュウに視線を送る。シリュウは誰にも気づかれずに肩をすくめて見せた。


 村の北部へ向かいながら、スファルが口を開いた。


「今さらという気もするが・・・・」

「どうした?」


 フォルセが振り向く。


「相手もシリュウと同じように優れた視力や聴力を持っているのだろう。私たちの言動は筒抜けなのではないか?」


 シリュウが頷く。


「当然、そうだろう。術で隔たれているせいで私には何も聞こえないが、相手には丸聞こえだ」

「腹を括って進むしかない訳だ」


 ロキシーが緊張感のかけらもなく言った。彼らしい前向きな言葉に、ランシールも励まされたように頷く。


 シリュウが足をとめたのは巨大な崖の前だった。頂上は地上からは見えず、距離や厚さは無限にありそうだ。


「さて、このあたりで良いだろう」


 シリュウの隣にランシールが立ち、崖に片手をあてた。


「妙な空気が漂っていますね・・・・この崖の向こうが、特に強い」

「ほう、分かるのか?」


 ランシールは苦笑した。


「僕もオルコットさんと同じです。手元に新緑があるから、昔の力を少しだけ使えるようになりました」


 失われた風読みの能力が蘇り、ランシールは再び風を読むことができるようになった。風読みとしてできるのは、おもに天気や危険を察知することだ。ランシールが敵襲にいち早く気づいたのは勿論おびえて神経が鋭敏になっていたということもあるが、風読みとしての力が無意識に使われていたからだ。


 シリュウはランシールと同じように崖に手を当て、目を閉じた。崖が白く光り、やがて光は消えた。


「よし、これでいいな」


 シリュウが手を離して呟く。フォルセが首をかしげる。


「崖のままですが・・・・・」

「まあ、そうだろうな。みな、目を閉じろ」


 言われたとおりに全員目を閉じた。


「私の言葉だけを聞け。他に意識を逸らすな」


 頭の中でシリュウの声だけが反響する。


「お前たちの目の前にあるのは氷山だ。白く、美しく、雄々しい・・・だが険しい山々がある。頂上は雲を突き破り、木々も氷に閉ざされている。肌を突き刺すような冷風が吹き荒れ、手足からも感覚がなくなる。その様を想像してみろ」


 その後もシリュウが氷山について話し、しばらくして「目を開けろ」と言った。


 目を開いて飛び込んできた光景に、フォルセは目を見張った。そこには崖などなく、シリュウが言った通りの氷山が鎮座していた。氷に包まれた山。頂上は遥か上空だ。


「こ、これは・・・・」

「心理トリックというやつだ。私が術を解いても、そこに氷山があると確信できなければその姿を見ることはできない。それほどまでに世間から遠ざかることを選んだ部族なのだ」


 シリュウが説明する。と、傍にいたオルコットがふらっと倒れた。咄嗟にシリュウが支える。


「オルコット、大丈夫か」


 フォルセが駆け寄る。オルコットはかなり辛そうだ。無理もないだろう。氷山が目の前に現れた瞬間、凍てつく風がフォルセらを襲っていた。その寒さは想像以上だ。


 シリュウが軽く手を空に掲げる。碧い炎が生まれ、それが仲間たち全員の身体に宿った。その瞬間、感じていた寒さが緩和された。オルコットも驚いて立ち上がる。


「これで寒さは凌げるだろう。何もせずに足を踏み入れれば確実に凍死するからな」

「こんなに術を使って、貴方は平気なのか」


 ルゼリオの問いにシリュウは微笑を浮かべた。


「大丈夫だとも。さあ、行くぞ。お出迎えがあるだろうから、そこまでな」


 シリュウは散歩に行くのではないかと思うほど軽やかな足取りで山道に足をかけた。


「地面もほとんど凍っている。滑らないようにしろ」


 流石にシリュウは歩きなれているようだが、他は誰も氷の大地を歩いたことなどない。最初こそ苦戦したが、みな数分ほど歩いてしまえば慣れた。


 ほぼ垂直の坂道を登りきると、少し開けた平らな地面が現れた。数時間ロッククライミングをして、ようやく2合目といったところか。


「ここの人たちはどこに住んでいるんですか?」


 ユリウスの問いにシリュウは上を見上げる。


「ふむ・・・・まだまだまだ、上だ」

「頂上?」


 ロキシーが尋ねるとシリュウは首を振った。


「頂上に人は近づけない。そこは氷神ソリルに最も近い場所だ。族長以外は決して行くことができない。だが、そこに紺碧がある」


 説明してから、シリュウは腕を組んだ。


「・・・・そろそろ歓迎があってもいい頃合いだが・・・・・」


 それと同時にフォルセが槍を構えた。


「誰か来る」


 シリュウが前に進み出た。歩いてきたのは逞しい青年―――実際はシリュウとそう年が変わらないのだろう―――だった。この寒いのに袖は短く、肩がむき出した。背後には10人ほどの青年が従っていた。


 腰を落としたフォルセを制し、シリュウは青年と対峙した。お互いの間合いぎりぎりの距離だ。


 青年は軽くシリュウに頭を下げた。


「お久しぶりだ、シリュウ殿」

「スイ、お前か。相変わらずの腰巾着ぶりだな」


 スイと呼ばれた青年がぴくりと頬の筋肉を反応させる。思いきり不愉快そうな視線でシリュウを睨む。


「貴方こそ、その服装がよくお似合いだ。さすが200年以上を連合の犬として生きてきただけのことはある」


 シリュウは露とも気にしなかった。それしきの言葉で腹を立てるような安いプライドではないのである。


「このような場所に来ていただいては困る。外の人間は勿論だが、シリュウ殿、貴方は掟に反し二度とこの氷山に足を踏み入れることを許されぬ身だ。今のうちに引き返すがいい」

「さて、残念だがそうもいかない事情があってな」


 シリュウは剣の鞘をつかんだ。


「お前こそ退け。悪いが、私の相手にはならない」

「ぬ・・・・」

「私と同等に戦えるのは、あいつだけだ・・・・・」


 シリュウの言う「あいつ」が、自分の弟のことをいうのだろうとフォルセは悟った。


 スイが口を開きかけたとき、急に彼は口を閉ざした。じっと黙りこんでいる。と思えばいきなりあわてたような表情で、


「いや、しかしですね・・・・・」


 などと呟いている。ロキシーがぼそっと呟く。


「・・・・頭大丈夫か、あいつ?」

「ちょっと、ロキシーさん・・・・・」


 しかし、シリュウにも同じ声が聞こえていた。シリュウは笑みをこぼし、後方を振り返る。


「族長から、私たちを自分の元に生かして連れてこい、というお達しだ」


 スイは不満そうに息をついた。


「・・・・気は進まないが、族長のご命令だ」


 背後にいる部下に目配せをすると、ひとりの青年が持っていた袋の口を開いた。中身を掌に出すと、それは白い粉末だった。息を吹きかけると、粉は真っ直ぐにフォルセらに飛んで行った。


「! スイっ!」


 シリュウが怒鳴る。その瞬間、ルゼリオの身体が傾いた。


「殿下!?」


 スファルが慌てて抱きとめる。ルゼリオは完全に意識を失っていた。


「一体何を・・・・・」


 ランシールが呟いた隣でロキシーが地面に崩れ落ちた。オルコットも、ルゼリオを抱えたスファルも同じように意識を失ってしまう。


「うっ・・・・・この薬は、あれか・・・・えーっと・・・・」


 ユリウスが呟きながら倒れる。ランシールも耐えられずに力尽きた。


 フォルセは地面に槍を突き刺し、それにすがって地面に膝をついた。薬を吸った直後から視界が激しく揺らぎ、手足から力が抜けていく。だがそれでもなんとか、フォルセは意識を保とうとした。


 シリュウが駆け寄り、フォルセの肩を掴んだ。


「フォルセ! ・・・・無理をするな、大丈夫だ。お前たちには、私が指一本触れさせない・・・・」

「・・・・教、官」


 フォルセは顔をあげかけ―――そこで意識が暗転する。


 フォルセは横に倒れ、槍もすぐそばに音を立てて転がった。フォルセの身体はシリュウが堅く抱き留める。ほんの数秒で、シリュウ以外の騎士が全員倒れてしまった。シリュウは弟子を抱いたまま立ち上がり、スイを睨む。スイは肩をすくめた。


「そんな顔で睨むな。・・・・外の人間に、族長の元までの道を教えることはできない。連れて行かねばならぬのなら、こうして一時眠ってもらう。貴方はもともと知っているから仕方がないが、これが常識だっただろう?」

「・・・・そういえばそんな常識があったかもしれないな。だが、道中彼らに手を出してみろ。・・・・・すぐにその首を刎ね落とす。覚悟しておけ」


 騎士人生の中でここまで誰かを脅したのは初めてだった。シリュウはそのくらい本気だ。シリュウの激しい感情を悟ったスイは肩をすくめ、部下に「丁重に連れて行け」と妙な指示を出した。シリュウは両側を固められ、さながら連行だ。


【凍牙】の民だけの登山は実に軽快だった。激しい傾斜の道や氷などものともせずに登っていく。何人かでフォルセらを背負っているというのに、なんという身体能力なのだろう。


 そうして、フォルセたちが長い時間をかけて2合目まで到達したのとほぼ同じ時間で、彼らは居住区を過ぎ、族長のもとにたどり着いた。居住区といっても山の斜面に掘られた岩窟で、族長といえども例外はなかった。


 代々の族長が使用する拝謁の間に向かうと、そこにはシリュウとよく似た青年がいた。だが、シリュウが静かな瞳の中にも熱い感情を持っていることに対し、その青年の瞳は冷たく澄んでいた。まるで刃のようだ。


「・・・・お久しぶりですね、シリュウ」


 青年がそう声をかける。スイたちは無造作にフォルセらを地面に横たえ、シリュウはそれを睨みつけた。それから青年に向き直る。


「ああ、久しぶりだ。かれこれ200年になるな。・・・・イブキ」


 シリュウの実弟、族長イブキだ。


「なぜここへ、と問うまでもないでしょう。紺碧を求めて来たのですね」

「そうだ」


 イブキは腕を組んだ。


「渡すわけがない、と・・・・そう理解しておられたはず。一族の秘宝を、裏切り者に託すことはできません」

「そうだろうと思った。だが、私は是が非でもそれを手に入れなければならない。お前がどかぬなら、押し通る」


 一触即発。まさにそういう状況だった。イブキが息をつく。


「我々【凍牙】の民を守護する氷神(ひょうじん)ソリル・・・・その姿は美しき紫龍(しりゅう)。その名を賜った貴方が、まさか掟を破るなど・・・・皮肉としか言いようがありませんね」


【凍牙】の族長は氷神ソリルの声を聞く唯一の人間だ。そして民の名はすべて氷神が定め、族長を通して告げられる。シリュウが生まれたとき、先代の族長、つまりシリュウの父は氷神より『シリュウ』という名を息子に授かった。シリュウは氷神の仮の姿、神に愛でられし子として将来を渇望されたが、期待に反しシリュウは山を下りてしまった。


「私はその紫龍の口から発せられる息吹(いぶき)。貴方がこの山に残っていれば、どうにでもできたでしょうに」

「名など意味はない。父に似てだいぶ説教臭くなったな、イブキ」


 イブキは不愉快そうに眉をしかめる。


「たった30年で私の前から姿を消した者に、何が分かるのですか」

「・・・・話を戻そう。退く気はないようだな」

「ええ。貴方こそ、立場を弁えてはいかがですか。この者たちが帰るというのなら危害を加えるつもりはありません。しかし、貴方を見逃すつもりはありませんよ。故郷へ戻れば処刑されると知っていながら、のこのこと戻ってきた貴方を・・・・・」


 シリュウはふっと微笑んだ。


「それも覚悟の上だ」

「・・・・なぜ、そこまで? それほど彼らが大切なのですか」

「ああ、命に代えても失いたくない」


 フォルセが眠っているのをいいことに、シリュウは普段は絶対に口にしない言葉を連発した。


「私は山を出て、行き倒れたところをカルネアに助けられた。あの男の大陸統一という偉業を真横で見た。そして―――命ある限り連合の行く末を見ていてほしいと、そう託されたのだ」

「・・・・・・・・・」

「いま連合は危機にある。その命運はこいつら次第だ。だから私はそれを手助けする。連合の礎として・・・・・弟子を守って死ねるのなら、本望だ」

「・・・・なんと馬鹿馬鹿しく、愚かな感情ですか。貴方はすっかり外の空気に染まったようですね」


 イブキが憐れむような視線を兄に送る。シリュウもふっと笑みを浮かべ、真っ向からその視線を受け止める。


「お前には分からぬだろうさ。理解してほしいとも思わん」


 シリュウは笑みを消し、弟を見つめた。


「・・・・だから頼む。紺碧と断魔の剣の作製書をフォルセに渡してほしい。そして、私を殺せ。掟を破ればこうなるという、見せしめだ」


 初めてイブキの顔に笑みが浮かんだ。


「・・・・人に頼みごとをする態度ではないですね」


 イブキは腕組みを解き、シリュウの傍に歩み寄った。そのまま倒れているフォルセに視線を落とし、無造作にフォルセを引き起こした。


「貴方の大事な弟子は・・・・・この男ですね」

「・・・・・どうするつもりだ」

「紺碧も作製書も差し上げましょう。ただし、貴方一人で氷山の頂上にある祠へ行ってもらいます。そこにいる守護獣を倒し、見事戻ってきてください。期限は丸1日。帰ってこなければ・・・・この男は死ぬことになります」


 イブキは淡々と語り、傍にいるユリウスたちにも視線を送った。


「彼らも同様に預からせていただきます。・・・・・できますか」


 シリュウはふっと笑みを浮かべた。


「容易い。・・・・私が戻ってきたその時は、約束を守ってもらうぞ」

「ええ。彼らを麓まで帰し・・・・貴方の命を頂きます」

「・・・・ああ、それでいい」


 シリュウは頷き、フォルセの顔を見つめた。それから黙って踵を返し、駆け出した。


 イブキはフォルセを見下ろした。


「・・・・・こんな男のどこが良いのですか。貴方はおかしいです、シリュウ・・・・・」


 イブキはそう呟いた。兄に丸聞こえだと分かってはいたが、どうしても呟いてしまった。


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