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遠き空の下  作者: 狼花
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6章‐4 シリュウの覚悟

 その夜、シリュウはモルザートの部屋にいた。蝋燭の火が頼りなく揺れている。


 静かだった。窓の外では夜光虫が涼しげな鳴き声を響かせている。


「何だ、話とは?」

「こうして飲み交わすのも、これが最後かと思いまして」

「物騒なことを言うな、君は。どうしたというのだ?」


 モルザートが問いかけながら、シリュウの正面のソファに腰を下ろす。向かい合って座る二人の前には、赤いワインの入ったグラスが置かれていた。唯一の共通する好みが、この葡萄酒だった。時折、こうして夜通しふたりで飲み明かすこともあった。


 シリュウは少し黙ってから顔を上げた。


「平原のあと、私たちはフォーマル氷山へ向かいます」

「君の故郷だな」

「【凍牙】の民は外に出ることを許されない一族。こうして掟を破った私が氷山へ戻れば、生きて出ることは不可能でしょう。悪ければ、私と共にフォルセらも殺される」


 シリュウはそこで目を閉じた。


「しかし、フォルセらを殺させはしない。彼らの行く末を守ることが、私の最後の使命だと思っています。ですから―――」


 シリュウは真っ直ぐにモルザートを見据えた。老元帥もひるまずにその視線を受け止めている。


「私は己の命を賭け、彼らを守ります。今日は―――お別れに来たということです」


 沈黙がふたりを包む。モルザートは呟くように言った。


「・・・・・君が命を捨てれば、彼らは助かるのか?」

「助けます」

「・・・・・それで本当に良いのか? あれほど大切な弟子を、もう見ることができなくなるのだぞ」


 次はシリュウが黙る番だった。


「運が良ければ全員で脱出できるかもしれない。族長だという君の弟も理解するかもしれない。断魔の剣を手に入れたとしても、戦いはそれからだ。まさに君の力が必要になるかもしれないというのに」

「元帥。・・・・・フォルセはやり遂げます。実際、彼は私に頼らずここまで皆を引っ張ってきた。もう、フォルセは子供ではない。立派な騎士です」


 シリュウは、晴れ晴れとしたような表情だった。


「それに、何100分の1かの可能性のために、危険を冒させたくありません。元帥の息子だっているのですから」

「シリュウ・・・・・」

「フォルセと出会った時から漠然と感じていたのです。共にいれば、いずれ故郷に帰ることになるかもしれない。その時はきっと死ぬことになる。もうずっと前から覚悟していたことです。そして今回、氷山へ行くと決まり・・・・覚悟は決意に変わりました」

「・・・・・・」

「私は250年以上の年月を生きてきました。もうそろそろ、世代交代も良いのではないかと思うのです。私が・・・・カルネアの心を後世に伝え、その力となる騎士を育てるという使命は、終わりました。これからはカルネアに縛られず、新しい時代を拓いて行ってほしい」


 モルザートは初めてワインに口をつけた。いつもは味を吟味しながらゆっくり咀嚼するのだが、この日は喉を湿らせるという、まるで水と変わらない役目しかない。


「君は、あのハルシュタイルの若き王子に期待しているのか?」

「はい。・・・・第4王子は冷徹で政治に無関心なお人でした。それでも彼は・・・・フォルセから、思った通り優しさや思いやりを学んだ。あれは、良い為政者になる」


 シリュウはそう言いながら、同じようにワインを口に運んだ。はっとした元帥が身を乗り出す。


「思った通りとはどういう意味だね? ・・・・・まさかシリュウ、君が第4王子の記憶を消したというのか!?」


 シリュウは微笑む。それは是だ。


「【凍牙】の民は、相手を直接傷つける術を使えません。その代り・・・・記憶操作など、容易い」

「なぜそのようなことを・・・・」

「だから言ったでしょう。次期国王となるはずだった3人の兄王子たちは、みなその可能性が失われてしまった。残った末の王子があれでは、ハルシュタイルは崩壊する。・・・・彼に足りないのは喜びや優しさの感情でしたからね。これでもちょくちょく気にかけていたのです」


 そして、セオンが殺されかけてアイオラに助けられ、キシニアの森に移されたことを『聞いた』シリュウは、この首都にいながらセオンの記憶をまっさらにしたのだ。


 ただフォルセの傍で、人々の温かさを知ってもらうために。


 記憶を消したのは自分でありながら、フォルセの説明を白々しく聞いていたのだ。


「フォルセもあんな奴ですが、責任感や思いやりは十分すぎる男です。あいつと第4王子がいてくれる限り、両国の関係は悪くはならないでしょう。私としては、もう思い残すことはありません」

「・・・・まったく君という男は・・・・・」


 元帥は困ったように首を振った。


「・・・・分かった、もう止めはしない。だがシリュウ、ひとつだけ私の言うとおりにしてほしい」

「なんですか」

「最後・・・・・フォルセに君の言葉で、君の気持ちを告げてやれ。最高の弟子だったとな・・・・」


 シリュウは苦笑した。


「そんな雰囲気になれれば、ね。・・・・・だが、そうだな。最後の最後に素直になってみるというのも、面白いかもしれん・・・・・」


★☆


 丁度その時、部屋の扉の前を偶然フォルセが通りかかった。中から微かにシリュウの声が聞こえ、思わずフォルセは立ち止まってしまう。そうしていると、元帥の声が聞こえた。


「・・・・・長く・・・・・世話になったな」


 若干、くぐもった声だ。


「こちらの台詞です。楽しかったですよ」


 対するシリュウの声は、明朗快活そのもの。


「―――明日から気をつけて行って来い」

「ふっ・・・・・これから死に行くという者にその言葉はないでしょう」

「氷山に辿りつく前に、ヘマをやらかして悔いを残さないように、と言っているんだ。・・・・できれば、生きて帰ってこい」

「できれば・・・・・だな」


 フォルセは目を見張った。思わずあげそうになった声を必死で飲み込む。


(教、官・・・・・・)


 シリュウは氷山で死ぬ気だ。そう思った瞬間、視界が白く霞んだ。溢れそうになる涙を拭い、フォルセは身を翻して駆け去った。


★☆


 フォルセが駆け去る物音はモルザートにも聞こえた。シリュウなど、フォルセがそこで立ち聞きしていたことも知っている。


「今のは・・・・・」

「フォルセですね。・・・・・聞かれてしまったか。まったく、立ち聞きとは趣味が悪いな」


 シリュウは微笑を浮かべ、目を閉じた。明日、激しく怒鳴られそうだと予感しながら。


★☆



 シリュウの予想に反し、フォルセは何も言ってこなかった。いつもと変わらず、他愛無い師弟漫才を繰り返している。だが昨夜の話を聞いていたのは確かなので、不可解な言動だ。


 はたとシリュウは思う。死ぬと分かっているから、他愛無い普段の生活を大切にしたいと思っているのかもしれない。死と縁遠い民族であるシリュウにはあまり分からないが。


(・・・・・そうだな。生きて帰れれば一番だ)


 シリュウはモルザートに言われた言葉を反芻し、なるべく生き残りたいものだ、と強く思った。


「にしてもロキシーさん、元帥に対しての態度をだいぶ和らげたんですね」


 シリュウの思考はランシールの言葉で遮られた。ロキシーは頭を掻く。


「だってよ、ほら・・・・・俺たちって何かと肉親と対立しているじゃないか。ランシールだって親父と従兄だし、セオンも兄貴で、シリュウは弟。そういうのを考えたら、今ある幸せは大事にしないといけないかなって思ったんだよ」


 ランシールがむせ、激しく咳き込んだ。ユリウスなど遠慮もせずに笑っているし、フォルセも微笑ましそうな顔だ。ロキシーは一瞬で耳まで赤くなった。


「ちょっ、俺は当たり前のことを言ったんだぞ!? そこまで笑わなくたっていいじゃねぇか!」

「ロキシーの口から幸せなんて言葉が出るなんてねえ」


 ユリウスが笑っている。ランシールは呼吸を整えて空咳をする。


「すっごく鳥肌立ちましたけど、それだけ僕たちのこと気にしてくれているんですよね。その、有難う御座います」

「お前こそそんな殊勝なこと言うなよ!」


 ロキシーはまだ赤面している。


 そうして一行は昼過ぎに、街道を逸れて中央平原へ足を踏み入れた。北上を続けるといつしか断崖絶壁になり、右手には大海原が広がった。遥か北にうっすらと街が見える。あれが首都へ向かうには必ず通る港町ウルフォンだ。ウルフォンから船に乗り、海を越えて南のカルトラ港に行き、そこから南下する。これが通常の、キシニアからの首都ルートだ。


「僕は一度、新緑が安置されている祠へ行ったことがあります。常に見張りが付いていますが、まともに話し合うつもりはありません。戦うことを覚悟していてください」


 ランシールの言葉にみな頷く。


 北上すること3日、ようやく祠が見えてきた。といっても、少し小高い丘の斜面に、ぽっかりと洞窟が開いているだけだ。だが、その周囲に多くのイウォルの民がいることが証拠だった。


 かなり距離をあけてランシールは立ち止り、以前平原を通った時に使っていた弓矢を取りだした。矢を番え、引絞っているのを見てロキシーが止めに入る。


「待てよ、いいのか、撃って・・・・・?」

「心配しないでください、外しますから」


 ランシールはそう言い、やや上空に向け、あらぬかたに矢を放った。放物線を描いて飛来した矢は、祠からだいぶ離れた場所にある木の幹に突き立った。その瞬間、木が燃え上がった。鏃に発火物をとりつけていたのだ。


 騒ぎに気付いた見張りの青年たちがあわてて駆け出していく。見張りはなくなり、入口が無防備だ。


「さ、行きましょうか」


 ランシールが微笑み、立ち上がった。


 洞窟内はひんやりとしていた。緩い下り坂を延々と進み、灯りは壁に取り付けられた松明のみでなんとも心もとない。


 最下層まで降りたとき、目の前に扉が現れた。ランシールがそれを押しあける。


 フォルセらは息をのんだ。その部屋は一面が翡翠色の輝きに覆われていた。そこかしこにちりばめられた宝玉、それこそが深緑だ。


 ただ、そこに待っていたのは深緑だけではなかった。一人の青年が剣を抜いて待っていたのだ。ランシールが緊張をはらんだ声でその名を呼ぶ。


「アーシュ従兄さん・・・・」

「やっぱり、来たな」


 アーシュは顔を上げる。その顔は冷静を保っているようだが、かなりの焦りを隠していることをフォルセは見抜いた。


 悩んでいるのだ。ランシールを剣で阻むことを。


「まさかと思って風を読んでいたが、本当にここを目指して来るとは。力の弱い俺の読みでも、役に立つことはあるらしい」

「風を読む?」


 いぶかしげな顔をしたルゼリオに、シリュウが説明する。


「風と対話し、その風が巡ってきた世界を読み取るのだ。離れた場所にいる相手の意図を知る、つまり読心術。それがイウォルの民の力だ」

「そうか。そういえばランシールって、時々こっちの考えを見透かしているみたいに鋭かったもんね」


 ユリウスの言葉にランシールが頷く。


「はい。・・・・ですが、故郷を離れて長い僕は、もう風を読むことができません。だから、彼に探られていることに気付けなかった」


 しかし、彼が正真正銘風を読むイウォルの民であることは事実だ。彼のその鋭い感覚が、敵襲をいち早く察知していた。この平原でフォルセとセオンがはぐれたとき、探し出したのもその力だ。


『聞こえる』―――ランシールはそう言っていた。シリュウの優れた聴力とは違う『聞く』だ。音を聞くのではなく、風に乗って運ばれる気配を感じ取るのだ。


 ロキシーが軽く身構える。


「つまり、最初からこっちの行動は筒抜けだったわけだ。説明する手間が省けて良かったじゃないか。ほれ、新緑を渡すか、それとも戦うか、どっちか選びな」

「ロキシー、待て」


 早まるロキシーを制したのはフォルセだ。前に進み出ると、アーシュは眉をしかめる。


「なんだ、あんたは?」

「言っても分かるまいが、騎士だ」

「騎士・・・・?」

「簡単にいえば、この国を守るために戦う者だ。この中央平原がカルネア連合という名の国の一部であることは知っているだろう?」


 アーシュは渋々といった様子で頷く。


「今この国は危機にさらされている。私たちはそれを止めたいだけだ。協力してほしい」


 初めて会ったときから、このアーシュという青年は問答無用のイウォルの民の中では比較的温厚そうに見えた。大切な従弟のランシールがいたということもあるだろうが、外に出てみたい、という意思を感じ取ることができた。


 思った通りアーシュは口を閉じ、じっと黙った。ランシールが歩み寄る。


「従兄さん、お願いだ。そこをどいて」

「ランシール・・・・・お前が外を選んだのはなぜだ? 旅人にたぶらかされたのか?」


 ランシールは首を振る。


「いいえ、僕が自分で選んだのです。僕に選択をさせてくれたハーレイ隊長と・・・・シャスティーンの名をくれた孤児院、強さを教えてくれた副長たち・・・・みんなに支えられて今の僕がいる」


 ランシールの姓シャスティーンとは、孤児院の経営者の女性レガリア・シャスティーンからもらった名なのだ。初めて家族の絆を実感し、どれだけ嬉しかったことか。


「だから、僕はその恩に報いたい」

「・・・・・俺は、イウォルの民の誇りにかけて、ここから先へは行かせられない」

「・・・・・そうでしょうね」


 ランシールは剣を抜き放つと、剣先をアーシュに向けた。


「アーシュ。イウォルの決闘を申し込みます」


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