6章‐1 猛き炎、其はオルフェイ
『君を死なせない』
朦朧とした意識の中で自分に向けられたその一言が、幼いランシールの支えだった。自分を守ってくれた旅の人にいつか再会できるはずだと信じ、外で生きる勇気をつけた。
探し求めていた旅人が、まさかハーレイだったとは。ランシールは不意にくすりと微笑み、傍にいたロキシーがその肩を小突く。
「おい、何も言わずに笑うな、気持ち悪いぞ」
「あ、すみません」
ランシールはむっとするでもなくそう言った。というより、まだにやにやしている。その様子を見てロキシーは瞬きし、尋ねる。
「何考えてたんだよ」
「ちょっと昔のことを」
「隊長のことか」
昔のことだと言ったのに、確信を持ってロキシーは尋ね返す。本当のことなのでランシールは頷く。
「旅の人と隊長はあまり共通点がないと思っていましたが、よく考えてみれば確かに似ているな・・・・・と」
「そりゃ同一人物だしな。・・・・・お前、旅の人が隊長だって分かった途端に、隊長のファンになっちゃったわけ? あんなに苦手にしていたくせに」
「そこまでは言っていないですよ」
ランシールが肩をすくめる。
「ただ、もう少し副長の言葉を信じておけばよかったと後悔しています。副長の言っていたことは正しかった」
フォルセはずっとハーレイを擁護してきた。ハーレイの文句は聞き逃さず、何度もフォルセに注意されたことがあった。その時は不服だったが、今では正しかったのだと思っている。
我ながら、単純な男だと思う。
「ま、今更って感じもするが・・・・・」
ロキシーは肩をすくめた。
現在、フォルセら一行は一路ケルト砂漠までひたすら南下している。途中イエンナを通過し、さらに南へ。そこは一面が砂の海で、その中央部に【烈火】の民が暮らす集落『オルフェイ』がある。
オルフェイとは彼らの部族の守護神の名だという。火を司り、火の恩恵を自分の民に与えている。おかげで【烈火】の民は炎や暑さに強く、砂漠などものともしない。年に一度開かれる炎神祭りでは、【烈火】の民が炎を操る過激な演出が見られる。それを見るために多くの人が砂漠に集まり、それ以外でも観光地として人気だ。【烈火】の民は温厚なので、人当たりも良い。
オルコットのことは騎士としても仲間としても信頼しているが、いまフォルセが関わっていることの細部まで話すのは躊躇われた。あまり多くの人を巻き込みたくなかったのだ。オルコットもそれを悟っているのか、深く尋ねはしなかった。
オルコットは休息を取った時、ルゼリオの傍に歩み寄った。
「セオンさん、ですよね。以前は顔を合わせただけでしたが、これからよろしくお願いします」
ノルザックでは、確かにフォルセが紹介しただけだったので、接点はなかった。これは好都合と言えよう。ルゼリオも動じず、オルコットが差し出した右手を握った。
「こちらこそ」
「少し・・・・・雰囲気が変わったようですね」
オルコットが不意にそう呟き、ルゼリオは瞬きをする。
「そう、か・・・・?」
「はい。・・・・って、私が偉そうに言えることではありませんね。何にせよ、よろしく」
オルコットは微笑み、踵を返した。傍にいたユリウスが腕を組む。
「なかなか鋭いね」
「このままでも大丈夫だろうか。私がセオンでないと気づかれれば、説明を余儀なくされるだろう」
「まあ、確信を持てるほどセオンとの接点はなかったから大丈夫だとは思いますよ。それに、気付かれても支障はないでしょう」
「なら良いのだが」
ルゼリオは頷いた。
ロキシーが興味津々でオルコットに尋ねる。目が輝いている。
「なあ、炎神祭りの時にやってる技とか、お前できるのか? なんか火ダルマになっても平気な顔してたり、火の中突っ込んだり、手から火の球飛ばしたりしているじゃないか」
「ああ、あれは部族特有の能力なんです。私も出来ますが、砂漠の外では使えないんですよ。砂漠に宿ったオルフェイの力を使用しているので」
「そうなのか! 俺、あれ1回見たことがあるんだがすごいよなぁ」
ロキシーは本当に興奮しているようだった。彼にも熱中するものが酒以外にあったのだと、フォルセは内心で驚く。
「砂漠に着いたら少しお見せしましょうか?」
「見たい、見たい」
オルコットは微笑んだが、ふと顎を摘まんだ。
「あ、でも・・・・・無理かもしれない・・・・・」
「なぜだ?」
フォルセが問いかけると、オルコットはちらりと後方に視線を送った。その先で、シリュウがスファルと何やら話している。
「【烈火】の民と【凍牙】の民は、完全に正反対の力を持っています。炎の守護神オルフェイと氷の守護神ソリルは対立していると言われているんです。だから共にいると、私もシリュウさんも互いに能力を打ち消し合ってしまっていると思うんです」
「それで、なるべく距離を置いていたのか?」
フォルセにはお見通しだった。ここまでの道中、オルコットは必ずシリュウと距離を置いていたのだ。
「迷惑になりますから。なるべく早く用事を済ませ、私は離脱します」
「そうか・・・・・なんか、最後まで一緒に旅をするのかもしれないって思ってたんだけどな」
ロキシーの言葉にフォルセは苦笑する。
「賑やかしはロキシーひとりで充分だよ」
「って、私も賑やかしなんですか?」
オルコットが肩を落とし、ロキシーが笑った。
彼ら3人の会話はスファルでも聞きとれたので、シリュウなど筒抜けだっただろう。スファルがシリュウを見やる。
「ああ言っているが、真実なのか?」
「真実だ。これから砂漠に行くのが不安だよ」
シリュウが溜息をつく。彼にしてみれば砂漠の暑さは耐えがたいものなのだろう。
「【凍牙】の民も、何か特殊な術のようなものが使えるのか?」
「ああ。だが禁止されているから使えない。まあ、時が来れば使うことになろう」
「禁止されているのに良いのか」
「禁を1度破るも2度破るも、同じことだ」
「・・・・・?」
「私は掟を破り、里を出た。これで1度禁を破った。そしてこの後、私はお前たちを里に導こうとしている。これで2度目だ」
スファルはじっとシリュウを見やり、おもむろに尋ねた。
「・・・・・そこまでするのは、フォルセのためか」
「・・・・・あいつには先がある。きちんと生き抜いて欲しい。それだけだ」
シリュウは目を閉じた。
「私はもう充分だ」
★☆
イエンナの街で小休止を取り、ようやくケルト砂漠に入ったのはキシニアを出発して7日後のことだった。
涼しげな顔をしているが、長年師を見続けてきたフォルセには、シリュウの足取りが重いことがすぐに分かった。そっと尋ねる。
「教官、大丈夫ですか」
「馬鹿者、これくらいでくたばるわけがない」
即座に反撃された。確かにまだ余裕はありそうだ。
「皆さん、時々流砂があるんで、気をつけてくださいね。飲み込まれたら大変ですから」
「流砂どころか、既に足を取られてなかなか進めないんだけど」
ユリウスが辟易している。風もあり、目に砂が入ってかなり痛い。
「オルフェイにはすぐに着きます。少し辛抱してください」
オルコットの足取りは軽い。さすが砂漠の民というだけあって、暑さにもすぐ沈んでしまう砂の上も慣れているのだ。
「生暖かい風・・・・・気持ち悪いですね」
ランシールが額に滲む汗を拭う。比較的ランシールは暑さに慣れているものの、後方を歩くルゼリオは荒く激しい呼吸をしている。スファルも辛そうだ。
「無理をしないでください」
真っ先に気づいたのはユリウスだ。ルゼリオの頬は紅潮し、汗も酷くかいている。
「・・・まだ、大丈夫だ」
ルゼリオはそう答える。北国で生まれ育ったルゼリオには辛い道のりだ。
そうして数時間砂漠を歩き、一行の目の前にようやく街が見えてきた。
「オルフェイは砂漠で唯一の水場の傍につくられた街です。だいぶ涼しいとは思いますが、無理は禁物ですよ。族長と話すのは少し休んでからにしましょう」
オルコットはそう言ったが、それから首をかしげた。
「そういえば、族長への用事ってなんなんですか? ここまで聞くのを忘れて来てしまいましたが」
「・・・・・本当に、自由というか天然というか・・・・・よく気にならなかったな」
フォルセが呆れたように肩をすくめた。気を遣って聞かないでいてくれたのかと思えば、単に忘れていただけとは。騎士として任務をこなしているときはランシール以上に真面目な男だと思っていたが、一度任務を離れると素が出てしまうらしい。
「【烈火】の民が所有している緋蓮という鉱物を探している」
「緋蓮・・・・・」
その名を呟いたオルコットは腕を組み、きっちり10秒後に顔を上げた。
「ああ、あの赤い鉱石ですね。あれならいくらでも譲ってくれると思いますよ」
「そんな簡単なのか?」
ロキシーが疑心暗鬼な様子で尋ねる。
「この砂漠の地下に大量に埋もれているものなんですよ。一度だけその場所に入ったことがありますが、部屋中が赤い宝石で覆われていて。あれだけあればひとつくらい良いと思うんですよね」
「って、あんたの予想かよ」
ロキシーが肩を落とした。彼の天然さ、マイペースさにロキシーも調子を狂わせられているようだ。
街に入ると、確かに水が近いからか温度が低くなったように感じた。街の中央に巨大な湖規模の水場があり、生活に困ることは全くないという。右腕に刺青があるものは【烈火】の民だが、それがない一般の人間も多かった。もうすぐ年に1度の炎神祭りがあるので、街もにぎわい始めているのだ。
「オルコット!」
ひとりの女性がオルコットにむけて駆け寄ってきた。長い髪が美しい。オルコットが反応する前に女性はオルコットに抱きついた。一同が目を丸くしている中で、オルコットが慌てて女性を引きはがす。
「ちょ、行き成り・・・・・!」
「あら、私ったら。久しぶりに帰って来たものだから嬉しくてつい。ごめんなさいね」
女性が照れたように微笑みながら離れる。オルコットが乱れた髪を掻きながら、女性を紹介する。
「私の姉で、アジーナといいます」
「弟がお世話になっています」
アジーナが微笑みながら頭を下げる。フォルセも慌てて頭を下げた。
「いや、とんでもない・・・・・・」
オルコットの姉というだけあって、彼よりも一回り朗らかで天然な女性である。
と、彼らの最後尾で人が倒れた。はっとしてフォルセが振り返ると、ルゼリオが地面に膝をついていた。
まさか殿下と呼ぶわけにもいかず、フォルセは思わず呼んでしまった。
「セオン・・・・!」
ルゼリオは意識を失ってはいなかったが、駆け寄ったユリウスが支えると同時にルゼリオの身体が傾き、ユリウスの腕の中に身体を預けた。ユリウスは脈などを確認し、ルゼリオに何か問いかける。ユリウスは顔を上げた。
「慣れない砂漠を長時間歩いたから暑さにやられたんだ。どこか涼しい場所で休ませないと」
オルコットが突然の出来事に動揺している姉に声をかける。
「姉さん、悪いんだけど部屋の用意を」
「わ、分かったわ」
アジーナは頷き、身を翻した。こういう時、騎士生活が長いオルコットの判断は的確だ。
「私の家へ」
フォルセは頷き、ユリウスとふたりでルゼリオの身体を支えて立ちあがった。
オルコットの実家はオアシスの傍に建っていた。フォルセの家とほぼ同じ規模だが、見た目も内装もまったく違う。異国の文化といった趣で、南国風の家具が多い。室内と言っても暑いが、日差しを避けられるだけ涼しい。
アジーナが客室のひとつを整え、ルゼリオはその部屋の寝台に横たえられた。ルゼリオは途中で眠ってしまい、身体にはまったく力が入っていない。いうなれば熱中症だが、意識を失うほどとなると重症である。
「とりあえず何か冷やせるものを・・・・・」
ユリウスがそう言った直後に、水桶と布を持ってオルコットが戻ってきた。ユリウスは礼を言って、濡らした布をルゼリオの首元に当てて冷やし始めた。
ルゼリオの体温はかなり高いのだが、不思議なことに汗は全く出ていなかった。だが、それこそが重症の証だとユリウスは言う。体温の調節機能が失われてしまっているのだ。
ユリウスはその間にてきぱきと自前の点滴を組み立てた。意識がないので、これしか薬を投与する方法がない。
フォルセが部屋の中に置いてあった薄い紙の束を持ち、団扇代わりにゆっくりとルゼリオを煽ぐ。その風もやはり生暖かく、冷やすには程遠い。
「スファルさん、シリュウさんも大丈夫ですか?」
ユリウスの問いにふたりとも頷く。ユリウスはルゼリオの様子を見ながら言う。
「一晩様子を見させてください。・・・・早く意識が戻ると良いんですが・・・・・」
ユリウスは言葉を濁した。最悪の場合は死亡もあり得ると、ユリウスは知っているのだ。
アジーナが一同を見やる。
「部屋はまだありますから、どうぞ自由に使ってください」
「申し訳ありません、世話になります」
フォルセがそう言ってアジーナに頭を下げた。アジーナは微笑む。
「昼食をご用意します。まだ食べていらっしゃらないんでしょう?」
「有難う、姉さん」
オルコットが頷いた。
ルゼリオは予断を許さない状況なので、ユリウスは昼食を丁重に断った。フォルセらが部屋を出てからしばらくして、部屋の扉が開けられた。
「殿下の様子は?」
入って来たのは意外なことにシリュウだった。手に昼食を乗せた盆を持っている。見たこともないほど赤い料理で、見るからに辛そうだ。
「まだあまり・・・・・・」
ユリウスが呟く。それからシリュウを振り向く。
「シリュウさん、何か御用があったんですか?」
「なぜだ?」
「まさかシリュウさんが僕の分の昼食を持ってくるなんて思ってもいませんでしたから」
勘の鋭いユリウスにシリュウは笑みを向けた。と、その時ルゼリオが僅かに目を開けた。ユリウスとシリュウが身を乗り出す。
「殿下」
ユリウスが呼びかけると、ルゼリオの蒼い瞳にはしっかりとふたりの姿が映った。ユリウスはほっとして肩の力を抜いた。
「良かった・・・・・・」
むりやり身体を起こしかけたルゼリオを、シリュウが制止する。
「まだ寝ていたほうが良い」
「足を引っ張るのは、嫌なのに・・・・・」
ルゼリオが呻く。だが彼も、このまま起き上がっては逆に足手まといになると分かっているのだろう。悔しげに寝台に身体を預ける。
シリュウが前に進み出た。
「殿下、目を閉じていただきたい」
「シリュウさん、何を・・・・・」
ユリウスが問いかける。ルゼリオは素直に目を閉じた。
シリュウはルゼリオの目を覆うように右手を当てた。そうしてシリュウは目を閉じ、集中を始めた。
突然、冷たい風がユリウスを襲った。吹雪で吹いてくる風のように痛く、冷たい風。シリュウが手を下ろした。
まさかと思ってユリウスがルゼリオの体温を確かめる。あれほど熱かった身体が、平熱まで体温が下がっていたのだ。ルゼリオの表情も険しいものから穏やかなものに変わっている。
シリュウが【凍牙】の民の術で熱を奪い取った。それしか考えられない。
ルゼリオは再び眠りに落ちてしまっていた。平然としているシリュウに、ユリウスは視線を向けた。
「・・・・・良いんですか? 禁止された術なんでしょう?」
「構わん」
簡単にシリュウが答える。
「・・・・フォルセらには何も言うな。余計な心配をさせる」
「・・・・・・」
ユリウスは無言で、すっかり容体が好転したルゼリオを見つめた。
「・・・・シリュウさん」
ユリウスがぽつっと名を呼んだ。
「僕は貴方のことを、まだよく知りません。でも、氷山に行くと決まった時からシリュウさんの態度が変わったことは、僕でもわかります。そして術を使って掟を破っている最近の貴方は、自暴自棄に見える」
「自暴自棄であるつもりはないが?」
「ごまかさないでください。・・・・何か決意しているんでしょう?」
シリュウはふっと微笑んだ。
「さすがフォルセの兄、あいつより一回り洞察力に優れているようだ。確かに私は覚悟を固めていることがある。きっとお前はそれすら見抜いているのだろう・・・・私の決意を知る者として、『その時』が来たらユリウス、止めてくれるなよ」
ユリウスは目を閉じた。
「酷いことを僕に要求するんですね」
「すまぬな」
「僕は人の命を救うのが仕事です。目の前で死のうとする人を、見逃せるわけがありません。シリュウさんの頼みでも、僕は聞きませんから」
ユリウスが承諾すると思ったのだろう、シリュウは目を見張っていた。
「僕とフォルセ、二人がかりで貴方の決意を叩き折ります。だから・・・・生きることに飽きないでください」
ユリウスは消えそうな声でそう言った。シリュウは嬉しそうな笑みを浮かべ、ユリウスの肩に手を置いた。
「・・・・・ありがとう、と言っておくよ」
去り際のその言葉には、決意を曲げないというきっぱりとした意思が込められていた。




