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遠き空の下  作者: 狼花
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5章‐6 新たな旅路

 夜、砦の執務室の窓から外を見つめていたハーレイは、私室の扉がノックされたことに気づいて振り返った。


「開いている」


 そうして入って来たのはランシール・シャスティーンだった。ランシールは静かに頭を下げる。


「夜分に失礼します」

「・・・・どうした?」


 ランシールは顔を上げ、真っ直ぐハーレイを見つめた。


「お礼を言いたくて」

「私が何かしたか?」

「はい。僕を平原の外に連れ出してくださいました。気づくのが遅くなり、申し訳ありません」


 ぴくりとハーレイが反応する。ランシールは「やっぱり」と内心で思う。


「ずっと外の世界に憧れていました。だから、すごく嬉しくて」

「・・・・私はお前に酷い傷を負わせた。故郷からも引き離した。それなのに感謝するのか」


 ハーレイは肯定した。


「正直懐かしいと思うこともありますが、今の生活が好きなんです。傷だって、隊長がノルザックの治療院に連れて行ってくださらなければ、僕はイウォルの毒で死んでいたでしょう」


 沈黙。ランシールは構わず続ける。


「ただ、どうしても疑問に思っていたことがあって。どうして僕をこの街の孤児院に? どうして、お礼を言う時間すら与えてくれなかったのですか?」

「私と共にいれば、お前には騎士という道しかなかっただろう。そんな人生を歩んでもらいたくない。だから孤児院に預け、様々な未来を選択できるようになってもらいたかった」

「それで僕が騎士になっているなんて、皮肉なものですね」


 ランシールは微笑んだ。ハーレイは肩をすくめ、ランシールに向き直った。


「・・・・傷はどうだ。配属された当初、痛むと言っていただろう」


 まさかそんなことまで知っているとは思わず、ランシールは目を見張った。この人は、ずっと自分のことを見守っていてくれたのだ。心配してくれていたのだと、ランシールはそう実感した。


「もう大丈夫です。有難う御座います」

「また、旅を続けるのだな」

「はい」

「・・・・・あんなに衰弱していたのに、逞しくなったものだ」


 ランシールは苦笑した。


 確かにこの人はあの時の旅の人だ。ぶっきらぼうで、愛想がなくて、でも優しかった、あの人に間違いない。ランシールはほっと目を閉じた。


★☆


 翌朝早くに、家の戸が激しく叩かれた。出かける直前だったフォルセが扉を開けると、そこにはヒンメルが立っていた。


「ヒンメルさん・・・・・!」

「フォルセ!」


 ヒンメルは荒々しくフォルセを抱き締めた。


「無事に帰って来たなら顔くらい見せに来いっ、こいつ!」

「す、すみません・・・・・」


 フォルセは素直に謝ったが、何もこんな朝に来なくても、と辟易する。ヒンメルにとっては早い時間でもないのだろうが。


 ユリウスとルゼリオも顔を出した。ヒンメルはほっとした表情になる。


「ユリウス、セオンも無事か。良かった・・・・・」


 ルゼリオは不思議そうな顔をした。フォルセがさりげなく遮る。


「それよりヒンメルさんも、怪我などはありませんか。キシニアが襲撃されたと聞いて心配していました」

「全部隊長が追っ払ったよ。いつも何しているのかと思うくらい暇そうな人だったが、やるときはやる男だったんだなぁ」


 散々である。


「なあ、フォルセ・・・・・お前たち、また街を出るのか?」


 ヒンメルが問いかける。そう尋ねたのは、フォルセやユリウスが思いきり出かける支度を整えていたからだろう。


「はい。まだやらなければならないことがあるのです。それが連合の平和にも繋がると俺は思っています」

「心配しないでください、ヒンメルさん。また戻ってきますから」


 ユリウスが微笑む。ヒンメルは頷いた。


「ああ、気をつけろよ。それと・・・・・そんな暇はないのかもしれないが、テルファに顔を見せてやってくれないか。セオンの無事な姿を見るのが、きっとあいつの幸せだからな」


 フォルセは少し黙ったが、すぐに答えた。


「―――はい、挨拶をしてから行きます」

「頼むよ」


 ヒンメルはそういうと踵を返して帰って行った。


 そのすぐ後にフォルセらも家を出た。歩きながら、ルゼリオは呟いた。


「テルファという者は・・・・・セオンの大切な人だったようだな」

「お互いに大切に思っていたと思いますよ」


 ユリウスが頷く。


 宿屋兼酒場「黒い豹」の建物を見上げ、ルゼリオは束の間目を閉じた。フォルセが足を止める。


「どうしましたか」

「いや・・・・・初めて見る建物なのに、なぜか懐かしいと感じる。セオンの身体が、そう覚えているのだろう」


 宿の裏手に回ると、そこにふたつの墓碑があった。ひとつはテルファ、もうひとつは彼女の母のものだった。母はテルファが2歳の頃に亡くなり、以来父とふたりで生きてきたのだ。


 ルゼリオはテルファの墓碑の前に膝をつき、呟いた。


「私はセオンの代わりになることはできないが、せめて貴女のために祈らせてくれ」


 そうして目を閉じ、ルゼリオは黙祷していた。フォルセとユリウスもテルファの冥福を祈った。


「次は・・・・・セオンを連れてくる。待っていてくれ、テルファ」


 フォルセはぼそっと呟き、踵を返した。


 街の城門へ向かうと、すでにロキシー、ランシール、シリュウ、スファルが待っていた。


「そっちの道から来たってことは・・・・あのお嬢ちゃんのお墓かい?」


 ロキシーの問いにフォルセは無言で頷いた。スファルはルゼリオを見やり、彼が若干青白い顔をしていることに気づいた。


「殿下、お顔の色が優れないようですが・・・・・」

「いや、大丈夫だ。少し飲み過ぎてしまっただけだから・・・・」


 ルゼリオは微笑んだ。ランシールがぎょっとする。


「き、キシニアのお酒は強すぎるからやめた方が良いと思うんですけど・・・・・・」

「しかし珍しいですね、酒豪だった貴方が二日酔いなど」


 スファルの言葉にルゼリオは首を捻る。


「どうやら、人格は私でも、身体の機能はセオンのもののようだ。セオンは酒に弱い性質だからな・・・・・」

「酔いざましの薬は持っていますから、辛かったら言ってくださいね」


 ユリウスが晴れやかな表情で言う。フォルセもまた涼しげな顔で首をすくめる。


「自分で強引に飲ませていたんだろう・・・・・」


 キシニアは酒の製造も盛んだ。安いが強い酒、それがキシニアの酒だ。両親を亡くして金銭も乏しかった頃は、簡単に手に入るその酒で空腹を満たし、冬には寒さをしのいだのだ。おかげでユリウスもフォルセも酒に強い。ちなみにロキシーが酒に求めるのは量より質であり、上質な酒を求めて酒場を梯子している。


「さて、砂漠へ行くのならこのまま南下し、イエンナを越えれば良いな」


 シリュウの言葉にフォルセは頷いた。


「はい。ですがその前にひとつやっておかなければならないことがあって、ノルザックへ寄っても良いでしょうか」

「構わんが、何故だ?」

「砂漠の部族は温厚ですが、自分たちの同族の仲間にはもっと温厚なんですよ」


 シリュウが首をかしげた時、彼のずば抜けた聴力が何かを捕えた。


「・・・・・フォルセ、呼ばれているぞ」

「は?」

「後ろを見てみろ」


 振り返ったものの、何もない。しばらく待っていると、見覚えのある人影が駆けてきた。


「フォルセさん!」

「オルコット」


 ノルザック駐屯の第二連隊所属第三大隊長オルコットだ。すでに怪我もすっかり良くなったようである。彼の傍には商人のバルフもいる。


「良かった、間に合った」

「これからノルザックに行こうと思っていたんだが、丁度良かった。バルフ殿もお元気そうで」

「商人は元気なのが大前提だ」


 バルフがにっと笑う。ランシールが呟く。


「なんかオルコットさんとバルフさん、うまくやっているみたいですね」

「仲悪いままじゃ何もできないからな」


 ロキシーも頷く。


「キシニアで何をしていたんだ?」

「戦時中から支援物資を届けに来ていました。今回は復興支援物資ということで、食料や銃弾などを大量に。私たち騎士は護衛です」

「そうだったか・・・・・世話をかけた」

「いいえ、とんでもない!」


 オルコットが首を振る。


「そんなことよりも皆さん、本当に平原に入ったんですか?」

「ああ」

「良くご無事で・・・・・ずっと心配していましたよ」

「大丈夫だよ。そっちこそ、怪我はどうした?」

「とっくに治りましたよ。この通り」

「そうか、良かったな」


 フォルセは話題を変えた。


「で、オルコット。ひとつ頼みがあるんだ」

「なんでしょう?」

「どうしても砂漠の民に会う用事がある。お前の名で取り次いでもらいたい」


 ロキシーが首をかしげる。


「どういうことだよ?」

「私、ケルト砂漠に住む【烈火(れっか)】の民なんです。ほら、これがその証」


 オルコットが右袖をまくると、手首から二の腕まで巻きつくように描かれた蔦の刺青が現れた。


「はあ、そういう展開?」


 ロキシーが唖然として呟く。ランシールも驚いている。


「だからノルザックに行こうって言ったんですね」

「ああ。オルコットのものだと証明できる何かを借りることができれば、交渉が楽になる。だから頼めないか?」


 オルコットはにっこりと笑った。


「そんなことをしなくても、私がお供すれば早いですよね」

「・・・・お前、ノルザックの騎士はどうするつもりだ」


 フォルセが呆れたように尋ねる。


「私がいなくてもノルザックは平穏です。フォルセさんだってキシニアを離れているのですから」

「それは隊長がいるから・・・・・」


 言いかけて、まったく理由にはならないと思いなおして口を閉ざす。


「・・・・本当に大丈夫か?」

「はい。ですよね、バルフさん」


 声をかけると、バルフは腕を組んだ。


「こんな坊主がいなくてもノルザックは立派にやっていける。どこへでも行けば良い」

「そういうことみたいです」


 オルコットは嬉しそうに微笑んだ。フォルセはじっとオルコットを見つめる。


「・・・・・もしかして、俺たちと共に旅をしたいからか?」

「あはは、まあ五分五分です」

「まったく・・・・・」


 フォルセが肩をすくめた。ランシールが首をかしげた。


「前に会った時よりもお茶目ですね」

「【烈火】の民はもともとそういう性格なんだよ。友好的でお茶目、自由で奔放。そういう気質だ」


 ユリウスが説明した。


「・・・・・じゃあオルコット。しばらくの間よろしくな」

「はい。お役に立ちます」


 オルコットはそう言って頷いた。その顔はとても明るく、嬉しそうだった。憧れのフォルセと旅をし、その役に立てるのが本当に嬉しいのである。


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