5章‐4 奪われた魂
フォルセが槍を杖に立ちあがった。その眼には、抑えようのない怒りがたぎっている。
「貴様・・・・貴様ッ!」
「もう何をしても無駄だぞ。アルセオールは死んでいる」
フォルセが動きを止める。と、誰よりも早くセオンの傍に駆け寄り、少年を抱き起こしたユリウスが苦しげに笑みを浮かべる。その額には冷や汗が浮かんでいる。
「・・・・嘘言っちゃいけないな、王子様。セオンは生きてるよ」
「いまのところ、かろうじてな。魄を抜かれて生きていられる人間などいない」
ユリウスは口を閉ざした。事実だと分かっているのだろう。確実に、セオンの体温は低下し、呼気が浅くなっていく。
フォルセの手から槍が落ちる。からん、と乾いた音を立てて、今まで一度だって敵の前で手放したことのない槍が床に転がった。ランシールが駆けよってふらついたフォルセを支えた瞬間、爆発音が響いた。
玉座に仕掛けられていた発火物が爆発したのだ。スファルの手引きではない。彼も目を丸くしていた。辺りは白煙に包まれ、エーゼルが顔を覆う。
「くっ、なんだこれは・・・・!?」
エーゼルが怒鳴る。その瞬間、何者かがエーゼルの腹に一撃を叩きこんだ。エーゼルがその場に崩れ落ちると同時に、聞いたことのある女性の声が響いた。
「来て、早く!」
「アイオラ・・・・・?」
フォルセは目を疑った。2度戦場でまみえた女騎士―――キシニアの民を魔族に襲わせた女。だが、アイオラはいつになく真剣だ。あの時の妖艶で試すような表情はない。
「アルセオールさまを助けたいでしょう!? 早く!」
フォルセは唇をかむと、セオンを背負って駆けだした。他の者もそれに従い、シリュウが最後尾を務めた。
玉座の間を出て、再び地下水道を通った。自分の前にいるのが確かにアイオラなのだと再確認し、フォルセは不思議に思う。憎い敵だったのに、なぜ助けてくれるのか。
背に負っているセオンの身体が徐々に体温を失いつつある。だが、まだ弱々しい息遣いは感じられた。
アイオラは助けられると言った。信じろ、それを信じろ。フォルセは自分にそう命じた。
「黄昏の塔」まで戻り、アイオラが入ったのは第3王子ケイオスの部屋だった。室内にはケイオスと、宰相ガルスの姿があった。
「セ、オン・・・・・セオン・・・・!」
横になっていたケイオスが起き上がりかけ、ガルスに支えられる。アイオラに促されてフォルセは、隣の寝台にセオンを下ろした。アイオラが早口で説明する。
「時間がないから説明は後にするわよ。ケイオスさま」
アイオラに呼ばれたケイオスは、懐からひとつの物体を取りだした。それはエーゼルが持っていた赤い石そのものだ。
「これ・・・・!」
ランシールが声を上げる。アイオラはケイオスからそれを受け取り、それをフォルセに差し出す。
「これをアルセオールさまに」
「・・・・大丈夫なのか」
「信じて」
フォルセは後方にいる仲間を振り返り、それから赤い石を受け取った。
石をセオンの胸の上に置く。と、それは吸い込まれるようにセオンの体内に消えた。
「・・・うっ・・・・・ぐ・・・・」
セオンが身をよじって呻く。ユリウスが心配そうにセオンを見つめた。フォルセがその傍に膝をつく。
「セオン、しっかりしろ・・・・」
「あ・・・・ぁ・・・・」
セオンは激しく呼吸を繰り返し、喘いでいる。アイオラが言った。
「しばらくは苦しまれるはずよ。抑えていてあげてちょうだい」
フォルセは頷き、寝台の上でもがき苦しむセオンの身体を抑えた。
スファルがガルスを見つめた。
「説明してほしい、宰相」
「・・・・エーゼル殿下が集めているもの・・・・すなわち、アルセオール殿下から抜きとられた赤い石。あれは『魄』という」
「魂、命そのもの、そう言い変えても良いわね。魄がないと生きていけないの。アルセオールさまはそれを抜きだされたのよ」
「どうして・・・・・?」
ランシールの言葉に答えたのはケイオスだ。目を閉じたまま、呟くように小さな声だ。
「人間の生命力は、高純度で強力なエネルギーです。エーゼル兄上は、それを利用しているのでしょう・・・・・・」
ケイオスは顔色も悪かったが、意識はしっかりとしているようだ。
「いまセオンに与えた魄は、まったく別の人間のものです。目ざめても、それはセオンではない。・・・・それでも・・・・死んでしまうよりはずっとマシです」
シリュウが腕を組んで頷く。
「確かにそうだ。だが、一体誰の?」
「・・・・・・」
ケイオスは黙り、アイオラもガルスも答えない。ロキシーが苛々したように尋ねる。
「第2王子からセオンの魄とやらを取り戻せば、セオンは元通りになるのか?」
「それは勿論だ」
ガルスが頷く。取り戻したい気持ちは全員にある。だがあの圧倒的なエーゼルの強さ。いま挑んでも返り討ちだ。それは良く理解していた。どういう理由か、アイオラが助けてくれなければ死んでいただろう。
じっと黙っているフォルセに変わり、ユリウスが焦りつつ問いかける。
「それは分かったけど、みなさんどういったご関係で?」
「そうです。ケイオス殿下、貴方はずっと臥せっていらっしゃったのでしょう」
スファルもほぼ問い詰めている。ケイオスは頷く。
「私は身動きをとれない身です。ですからここまで、ガルスとアイオラに、私に代わってセオンを助けるよう命じていました。ガルスはそのまま陛下に仕え、アイオラは味方のふりをしてエーゼル兄上の陣営に潜り込んだ」
スファルがガルスを見つめる。
「そうだったのか」
「敵を欺くにはまず味方から、というだろう」
いくら何でもやり過ぎだろう、と全員思った。アイオラがフォルセの傍に歩み寄る。
「私もそのつもりでやっていたのだけど、ごめんなさい。酷いことをしてしまったわね。キシニアの人々のことは、詫びても詫びきれない。そのことは、十分わかっているわ・・・・」
アイオラが深くフォルセに頭を下げた。フォルセは静かに首を振る。
「・・・・いや。助けてくれて有難う」
アイオラは僅かに目を見張る。ショックで落ち込んでいるように見えたフォルセだったが、案外しっかりしていたからだ。さらに、フォルセはアイオラを責めずに感謝した。その裏に隠されたフォルセの気持ちに気づいたユリウスがぼそっと呟く。
「また、フォルセの悪い癖だね・・・・・」
ケイオスは眠っているセオンを心配そうに見つめた。すでにセオンの容体は落ち着きを取り戻し、ただ眠っているだけのように見える。
「エーゼル兄上がセオンの魄を狙うであろうこと・・・・・私はそれをルゼリオ兄上から告げられました。そのために、エーゼル兄上からひとつ魄を奪い・・・・・私がこうして動いていること、陛下にも伝えていません」
フォルセは振り向き、真っ直ぐにケイオスを見つめた。
「どうすればセオンの魄を取り戻せるのですか。―――いいえ、どうすればエーゼル王子を倒すことができますか」
「副長・・・・・」
ランシールが俯く。ケイオスは少し黙った末に口を開いた。
「―――断魔の剣、と呼ばれるものがあります。魔を断つ力を持つ剣です。魔物や魔族にも効果があり、邪悪に反応するのです」
「ただ、それはいまこの世に存在しない。四つの鉱物を集め、鍛えなければならない」
「それはどこに?」
フォルセがさらに詰問する。と、ケイオスは首を振った。
「―――・・・・だいぶ疲れているでしょう。今日は身体を休めてください」
急に話を変えられたことにフォルセが眉をしかめる。と、アイオラがにっこりと笑った。
「教えたらひとりでも飛んで行っちゃうでしょう? 明日になったらちゃんと教えるわ」
自分の身を気遣ってもらっていたことに気づいたフォルセは、決まり悪そうにした。
「・・・・・すまない」
ガルスに促されて一同はあてがわれた部屋に移動したが、フォルセが動こうとしないのに気づいたユリウスが振り返った。
「フォルセ?」
フォルセは顔を上げ、兄にではなく第3王子に言った。
「・・・・・ここにいさせてもらっても構わないでしょうか。セオンの傍にいたいのです」
ケイオスは微笑んで頷いた。ユリウスは肩をすくめ、室内に戻ってセオンの容体を観察する。
「呼吸も脈拍も正常。体温も戻って来たね」
「ああ・・・・・」
ユリウスは立ち上がり、寝台に座っているケイオスを見つめる。
「貴方は、セオンの中に入れた魄の持ち主が何者か、分かっているんですか?」
「・・・・・勿論。誰とも分からない者を、弟の身体に棲まわせるわけがないでしょう」
ケイオスは俯く。フォルセは溜息をつきつつ、セオンの手を握った。
「セオン・・・・・・」
目を閉じる。魄を抜かれたセオンは死ぬ定めだった。そこに、全く別の人間の魄―――生命、魂、人格を入れた。
目が覚めても、それはセオンではない。『彼』はフォルセのことを知らないし、ここまでの旅も知らない。キシニアでの3カ月が夢だったように感じる、と言っていたセオン。本当に、一瞬でそれは壊れてしまうのだ。
「・・・・『守ると決めたのに』?」
ユリウスがそっと尋ねる。フォルセは目を開けた。
「それ以前の問題だよ。・・・・すぐ傍にいたのに、俺は動けなかった。騎士として、最低だ・・・・・」
ユリウスは沈黙する。そして、フォルセの肩を両手で掴む。
「フォルセの悪い癖だよ。みんなの前では強がっているのに、僕の前ではそうやって。僕たちには先があるんだ。一喜一憂してどうするんだ」
フォルセは顔を上げて兄を見つめた。
両親が亡くなって、フォルセはやはり今のような状態に陥った。そんな時も、同じようにユリウスが一喝したのだ。
「セオンは死んでいない。助けられる可能性は充分にある。フォルセ、こんなところでやめようとしないでよ」
フォルセは目を閉じ、頷いた。
「・・・・ごめん。有難う、兄さん」
顔を上げたフォルセの瞳は、いつものようにしっかりとしていた。ユリウスも安堵の表情で力を抜いた。
ユリウスが強気でいられるのは、不安定な弟がいるからだ。弟がいるから自分がしっかりしていなくてはいけない。冷酷でも、優しい弟の道を示してやらなきゃいけない。それが、両親を失ってからユリウスが己に課した使命だ。
ユリウスの背後でケイオスが激しく咳き込んだ。ユリウスがはっとして振り向き、フォルセも立ちあがる。
ケイオスは不規則な呼吸を繰り返していた。ユリウスが駆け寄ると、ケイオスはぐったりして、ユリウスの腕の中に倒れた。
「ケイオス殿下! ・・・・・ああ、酷い熱だ。無理してたんですね?」
ユリウスの言葉に、ケイオスは力なく微笑む。
「セオンのことで、必死になっていたら・・・・・自分のことを忘れていました」
「身体は大切にしてくださいよ」
ユリウスは窘めつつ、ケイオスを寝台に寝かせた。ケイオスの腕に刺さっている管を通って体内に注入している液体の薬を、ユリウスは調べる。
「僕でも処方できる薬だと良いんだけど―――・・・・・」
そう呟きながらユリウスは薬品名を調べていたが、その手がふと止まった。ユリウスの表情が険しくなり、血の気を失っていく。
「兄さん?」
フォルセが声をかける。ユリウスは目を閉じているケイオスを振り返った。
「殿下・・・・・この薬、いつから・・・・・」
「・・・・覚えていない。もう、だいぶ前です・・・・」
ケイオスは目を閉じたまま、消えそうな声で答える。
「この薬の効果、知っているんですか・・・・・・?」
「いえ。・・・・でも、なんとなくは分かります。貴方のその様子を見れば・・・・・・」
ケイオスは微笑んだ。
「医者はとっくに匙を投げました。・・・・仕方ないんです」
「仕方ない、なんて・・・・・・」
ユリウスが顔を背ける。
「ユリウスさん。・・・・良いんですよ。そのまま、続けて・・・・・」
ユリウスはだいぶ長く躊躇っていたが、やがてゆっくりと手を動かし、薬を流し込んだ。
薬の効果が出始め、少し落ち着いたケイオスは深く吐息をついた。
「・・・・フォルセさん。ユリウスさん。・・・・キシニアでのこと、アイオラに聞きました。・・・・・セオンを大切に思ってくださって、有難う御座います。それと・・・・・ごめん、なさい・・・・・」
それきりケイオスの言葉は途切れ、ユリウスが静かに告げる。
「眠ったよ。・・・・よく効くね、これ・・・・」
フォルセが相変わらず蒼い顔をしている兄を見やる。
「兄さん、今の薬は・・・・?」
「体の機能を少しずつ麻痺させて、痛みを和らげる薬だ」
「それって・・・・」
「・・・・楽に死なせてあげましょう、ってこと。もう打つ手なし、せめて苦しまないように・・・・・」
フォルセはケイオスを見つめた。
「医者としての・・・・・選択なのかな」
すると、ユリウスは首を振った。
「これは選択じゃなくて、押しつけだよ。・・・・僕は、患者に黙ってこんな薬を投与したりしない。残酷でも、自分の現状を知ってもらって・・・・・納得できる方法を選んでほしい」
一気にまくしたて、ユリウスは呼吸を落ちつけた。
「・・・・・多分、年を越えることはできないだろうね」
現在は9月だ。余命はたったの3か月しかないというのか。
「頭のいい人だから、きっと自分の寿命を知っている。・・・・それまでに決着をつけなきゃ」
「ああ」
フォルセは強く頷いた。




