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遠き空の下  作者: 狼花
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5章‐1 白き王都

 北へ進むごとに寒気が強くなり、雪も振り始めた。ソランの街を出てからふたつ街を抜け、一行はようやく王牙山脈の麓にたどり着いた。


 頂上が見えないほど高く、黒々とした山脈である。雪はいつの間にか吹雪にかわり、容赦なく人間たちに吹き付けて体力を奪っていく。


「王都と南部を行き来するためにはどうしても越えなければならない山だ。一応道は整備されているが、商人以外の人間は余程のことがない限り立ち入らない。商人にしても、大勢の傭兵を雇っても山を越えられないことがある」

「それはやはり、魔族とこの寒さのせいか」


 フォルセの問いにスファルが頷く。


「遭難者も多くてな。私もセオンさまもこの山には慣れている。心配はするな」


 セオンを見ると、少年も静かに頷いた。


「魔族の討伐のため、何度も訪れました。案内は任せてください」


 頼りにされたいのだろう。フォルセは微笑んだ。


「頼むよ」


 セオンも嬉しそうな笑みを見せた。


 最初はそれほど険しい山道ではなかったが、小一時間ほど進むとかなり厳しくなった。雪のせいで視界も悪く、足場も安定していない。フォルセは槍を杖にしてなんとか進んでいた。他の者も似たような状態である。


「こ、こんな山を3日間も進むなんて!」


 ランシールが呻く。ロキシーが指折り数える。


「寒い、道がきつい、魔物が出てくる。こりゃ最悪だね」


 ユリウスが振り向いて笑った。


「隊長がせっかく連れ出してくれた外だよ。楽しみなって」


 そう言われ、ランシールは口ごもった。確かに、平原で一生を終えるはずだったイウォルの民のランシールにとって、普通なら体験できるはずもないことだ。


「まあ・・・・楽しめとまでは言わないが、後ろ向きな発言はやめよう。愚痴をこぼしたって、寒いものは寒い」


 フォルセに言われ、ランシールも苦笑して頷いた。


 と、セオンが軍刀を引き抜いた。


「前方から魔族が来ます」


 その声で騎士たちは一瞬で武器を構えた。前方と言っても吹雪のせいで視界が悪い。そこから急に黒い影が浮かび上がってきた。


 熊のような巨大な魔物だった。ランシールが真っ先に発砲し、相手を牽制した。彼はこの頃、積極的に戦いの役に立とうとしている。


 視界は悪いが、フォルセには何の問題もなかった。シリュウから教え込まれた、「目で見るな、感じろ」という動きが染み込んでいるのだ。


 魔族の攻撃を避け、フォルセは一瞬で相手の懐に潜り込んだ。槍を振り上げると、それだけで魔族は倒れた。


「後ろからも来たぜ」


 ロキシーが後方を見て身構える。数匹の魔族がにじり寄ってくる。


「ふむ、任せろ」


 シリュウが前に進み出た。長大な刀を構え、大きく一閃した。その薙ぎ払いだけで、全ての魔族が両断された。


「さすがぁ」


 ユリウスが他人事のように手を叩く。凄まじい太刀筋にスファルも目を見張っている。


「この程度の魔物に時間はかけられん。先へ進むぞ」


 涼しげにシリュウは言い、苦笑いしながらフォルセも後を追った。


 そのあとも強力な魔族と幾度も遭遇したが、ほとんどシリュウの一閃で片づけられてしまった。


 魔族を一匹斬り伏せたセオンの手にある軍刀を見、シリュウが腕を組む。


「見事な腕だな、王子。その軍刀はあまり相応しくないように思えるが」

「使い慣れているし、持ち運びにも便利ですよ。シリュウさんはその刀、長すぎる・・・・とかないんですか?」

「私は身長があるからな」


 さらっと自慢されても嫌味がないのはなぜだろう、とランシールは束の間考えた。


 その日の夜はまさに地獄だ。雪山の夜は厳しく、寒さに弱いランシールなど毛布を体に巻きつけ、焚き火の傍から離れられなかった。


「ふかふかの寝台が恋しいなあ・・・・」

「平原ではどうしていたんだよ、お前」

「地面にそのまま寝転がるんですよ。意外と草って気持ちいいんです。毛布の代わりに獣の毛皮で・・・・・」


 まさに野生である。


 この寒さなので、火を消すことは不可能だ。だが、そうすると魔族に襲われる可能性も高くなる。そのため見張りは不可欠で、安心して眠ることなどできない。


 最初の見張りをロキシーが引き受け、一同は寒さと戦いながらとりあえず眠りについた。しかし、みなが浅い眠りしかできなかったのは言うまでもない。


「・・・・・はっくしょん」

「・・・・・兄さん、鼻水」

「あ、ごめんごめん・・・・・」


★☆



 翌日の昼前には、山脈の頂上付近に到達した。うす暗い空の下に広がる巨大な街。王都イルシェルの街並みだ。


「本当に山と街が近いんだな」


 フォルセは眼下を見下ろして呟く。その隣にいるセオンの表情は堅い。緊張しているようだ。


「大丈夫か?」


 問いかけると、セオンは頷く。


「はい。でも、嫌な予感しかしないんです」

「嫌なことを考えていると、嫌なことしか起きないぞ」


 そう諭すと、セオンは意外そうに目を見張った。


「フォルセさんもそんなこと言うんですね。意外です」

「理にかなっていない、気休めだとは分かっているよ。俺も緊張しているんだ。これでもな」


 自分で言うほど緊張しているようにセオンには見えなかったが、きっと事実なのだろう。


「さあ、先を急ごう」


 フォルセはそう促して踵を返した。セオンも一度目を閉じ、すぐ後を追った。


★☆


 ようやく一行は王牙山脈を抜け、平地に降り立った。一度は勢いがなくなった雪だったが、再び吹雪いてきている。雪が止むことのほうが、この時期は珍しいのだという。


「寒いのは難点だが、平原を進むよりずっと楽だったな」


 ロキシーの言葉にユリウスが肩をすくめる。


「この世で一番恐ろしいのは人間だからね。イウォルの民は怖かったよ」

「僕も怖かったです」


 ランシールもしみじみと頷く。かつての身内に襲われていたのだと思うと、今更になって身体が震える。


 街道を進みながらシリュウがスファルに尋ねる。


「まさか真正面から城に乗り込む訳ではなかろうな」

「当然だ。王城は今、殆ど第2王子の占領下にある。陛下には、安全な場所に待機していただいている」

「そこまで第2王子の勢力は強いのか」


 スファルは無言で頷く。セオンがぐっと拳を握った。それを見てフォルセは無理もない、と思った。実の兄を殺せと自分に命じているのだ。躊躇わないわけがない。


 ユリウスがそっと傍に歩み寄り、尋ねた。


「セオン、記憶はどうなの? 全部戻った?」


 セオンは少し考え、顔を上げた。


「・・・・大体は。王都に近づくにつれ、少しずつ思い出してきたんです」


 ユリウスは頷いた。


「そう。良かったね・・・・・と、言うべきなのかは分からないけど」

「いえ、きっと良かったんです。大事なことも、思い出しましたから・・・・・」


 セオンは答えながら視線を上へあげる。巨大な城門。王都イルシェルの入り口だ。


「行きましょう」


 セオンはみなを促し、足を踏み入れた。


 キシニアしか知らないフォルセはキシニアと比べるしかないのだが、イルシェルはどんよりと重い空気に包まれていた。建物はどこも鋼鉄でできていて、それがより一層雰囲気を暗くしている。


「人々の空気がおかしいですね」


 セオンが呟く。スファルも何気なく辺りを観察した。


「すでに国権の殆どを第2王子が手にしています。開戦のため、重税や労働を強いているのでしょう。・・・・・セオンさま、貴方の顔は民に知られています。こちらへ」


 スファルがセオンを招き、細い路地を進んでいく。路地は何処までも続いており、再び大通りに出た時、そこは王城のすぐ傍だった。高い城壁で囲まれており、門には第2王子配下の騎士が数人配置されている。突破の仕様がない。


「城内のどこへ?」


 ランシールの問いにスファルはすぐさま答えた。城の中、やや西に建っている高い塔を指差す。


「あの『黄昏の塔』に陛下はおられる。あそこだけはまだ我々の勢力下だ」

「真反対にも同じ塔があるな」


 ロキシーが目をすぼめて呟く。東側に、同じ塔が対称的に建っている。


「あれは『暁光の塔』。エーゼル兄上の居場所です。俺はあそこから突き落とされたんですよ」


 セオンが声を低めて説明する。ロキシーが首をかしげた。


「なんでわざわざ敵のところに?」

「あとでご説明します」


 簡潔な答えだった。


「城の地下には地下水道があります。幾重にも枝分かれし、城内のあちこちに繋がっているのです。それを通って侵入する―――そうだな、スファル?」

「仰せのとおりです」


 セオンの、スファルに対する言葉づかいが変わっていた。それに合わせ、スファルの対応も変化している。まさしく、「主従」だ。大統領制で「主君」という存在がいないフォルセら連合の人間にしてみれば、おかしな光景だ。誰かに屈するなど、有り得ないことだった。連合は良くも悪くも自由なのだ。


「まとまりがないだけだがな」


 と、シリュウはあっさりこき下ろす。


 セオンの言った地下水道の入り口は、城門傍にある剣神アレースの銅像を動かすと現れた。地下へ続く階段である。


 水路の傍はひんやりとしていた。ぼんやりと灯りは灯っているが頼りにはならない光だ。しかしスファルは通り慣れているのか、すたすたと先へ進む。


 後方を固めているシリュウがふと天井を見上げた。


「・・・・地上では激しく騎士が動きまわっているようだな。進軍用意か、私たちを出迎える宴の用意か―――」

「俺は後者に賭けるね」

「僕は前者を期待します・・・・」


 ロキシーとランシールが明暗対称的な声音で言う。


 スファルはやがて壁に取り付けられた梯子を登り、天井を押しあけた。


 地上に出ると、そこは『黄昏の塔』のすぐ傍に繋がっていた。取り囲むように騎士が立っていたので一瞬身構えかけたが、すぐに彼らは国王派の騎士、つまりスファルの部下であることが判明した。その証拠に、騎士はスファルとセオンに敬礼した。


「アルセオール殿下、スファル将軍、よくご無事で! 陛下がお待ちです、どうぞお急ぎください」


 セオンは頷き、塔の中へ向かった。


 塔の最上階に、ハルシュタイル国王イスベル・ジクル・ハル=シュタイルはいた。争いを好まない温和な男性だが、表情には疲れの色が濃い。その傍には国の重臣である宰相ガルスも控えている。


「アルセオール!」


 イスベルが表情を和らげた。セオンとスファルは真っ先にイスベルの元に駆け寄り、同時に跪いた。


 セオンが俯きながら口を開く。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。ただいま戻りました―――陛下」

「良く・・・・・戻ってきたな」


 そう言ってセオンを立たせたイスベルの視線が、後方に佇んでいるシリュウに固定された。イスベルが目を見張る。


「貴方はまさか、【無音のシリュウ】・・・・!?」

「久しいな」


 素っ気なくシリュウが告げる。フォルセが振り返った。


「面識があるのですか」

「うむ、30年ほど前に戦場で。彼も昔は名のある剣士だった」


 シリュウがさらりと言って腕を組む。


「それに、カルネアの【黒豹】まで・・・・・」


 声をかけられたフォルセはイスベルに一礼する。ガルスが腕を組む。


「連合の名将ふたりを従えるなど、たいしたものですな」


 勝手にセオンの部下にされたことにむっとしたロキシーが言い返そうとしたが、それより先にセオンがガルスを睨みつけていた。


「彼らは臣下ではない。共に戦う仲間で、私の命の恩人だ。そんな扱いは許さない」

「ガルス、今の発言は無礼だな。口を慎むことだ」


 イスベルも同じように鋭くガルスを叱責する。ガルスは小さく頭を下げる。


「失礼いたしました」


 感情の起伏が見えない、容易に信用できそうにない男だ。フォルセはそう思って軽く眉をしかめた。


 イスベルはフォルセらに座るよう促した。全員が椅子に腰を下ろしたのを確認してから、セオンに尋ねる。


「アルセオール、お前が消息を絶ったあの日、何があった?」


 セオンは少し黙り、答えた。


「陛下から援軍要請の書状を受け取ったことがエーゼル兄上に知られ、書状を出せと言われました。断ると、揉み合いになって塔から落下してしまったのです」


 淡々と事実だけを語るセオンの声音は、これまでに見てきたハルシュタイルの人々と全く同じだった。感情がない。初対面の時にスファルから感じた違和感と同じだ。


「無事だったのか」


 イスベルの声に驚嘆が混ざる。『黄昏の塔』と全く同じ様式であるなら、『暁光の塔』も相当な高さだ。生きていられる可能性はないに等しい。


「私も分かりません。意識が途切れ、気づいた時には一切の記憶を失って、キシニアでフォルセさんに助けられていました」


 イスベルは視線をスファルに向ける。


「お前が助けた訳ではないのだな、スファル?」

「はい。私はセオンさまが連合へ向かったと推測し、国境すぐの街キシニアにいる旧知に協力を頼みました」


 スファルは様々な推測をし、打てる手はすべて打ったのだろう。今回のことは、可能性の一つであった「キシニアへ向かう」ということが現実になったのだ。


「私はてっきり、セオンさまが自力で脱出したのだと思っていました」

「『暁光の塔』周辺はエーゼルの勢力下だ。一体誰が・・・・・」


 すると、ずっと黙っていたフォルセが口を開く。


「敵陣営で自由に動けるのは、敵だけです。しかし、あれだけの規模の騎士が第2王子に従っているとなると、騎士の意見が必ずしもひとつであるとは限りません」

「何か個人的な思惑がある者もいるかもしれないし、敵のふりをしている者もいるかもしれない・・・・・そういうことですね」


 ランシールの言葉にフォルセが頷く。


「そういう者がいてもおかしくはありません」


 フォルセは、その騎士が誰であるか予測しているが、口には出さなかった。


 セオンはそのあと、キシニアで目覚めてからここまでの経緯を簡潔に説明し、真っ直ぐに父王を見据えた。


「陛下。・・・・私はこれ以上、兄上の暴挙を見ていることはできません」

「・・・・・」

「私は見ていました。2年前、エーゼル兄上がルゼリオ兄上を殺す瞬間を―――」


 その言葉にみなが身を乗り出した。ユリウスが腕を組む。


「やっぱり、事故なんかじゃなかったんだね」

「はい。エーゼル兄上が突然、ルゼリオ兄上の胸に手を当てたのです。そうすると、ルゼリオ兄上の身体に手が沈むように入って・・・・引きだしたエーゼル兄上の手には、赤い光が掴まれていました」

「赤い光・・・・・?」


 シリュウが眉をしかめる。


「その正体が何なのか、私には分かりません。分かるのは、ルゼリオ兄上の体内にあったその光を、エーゼル兄上が抜きだした、ということだけです。ルゼリオ兄上はもう、事切れておられました」


 セオンは堅く目をつぶると、イスベルの前に膝をついた。


「陛下、どうかご下命を。私は兄上が許せない―――罪のない人々を殺し、ルゼリオ兄上を殺し・・・・・私の大切な人を殺した、エーゼル兄上の打倒を私にお命じください」


 キシニアの人々の、ルゼリオの、そしてテルファの仇。それを取ることを、セオンは強く望んでいた。


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