4章‐3 父と子
翌朝再び全員が医務室に集まり、シリュウが口を開いた。
「昨日の件、とりあえずモルザート元帥にお話しした」
フォルセとユリウスを除き、全員が驚愕した。まさか軍部の責任者に事情を説明するとは思わなかったのだろう。
「だ、大丈夫なのかよ、それ・・・・・」
ロキシーが恐る恐る尋ねる。シリュウはあっさりと頷く。
「うむ、問題ない。で、結論から言うと、やはりこの状況下で軍を動かすことは難しい。国内に流れ込んだハルシュタイル騎士を押し返すのに精一杯で、申し訳ないがハルシュタイルのために動かす兵力などどこにもない」
その答えは予想していたので、セオンは黙って頷いた。
「そこで。このままハルシュタイルに向かうというのなら私が同行しよう」
「・・・・・え?」
ランシールが思わず声を上げてしまう。スファルが首をかしげた。
「それは、その元帥に指示されたのか?」
「私の独断だ」
はぐらかしもせずにシリュウが答える。ユリウスが問う。
「指示も命令も出ていないのに勝手に動いちゃっていいんですか?」
「生憎だが、私はこれまで一度だって誰かの命令に従ったことはない。いつも行きたいところへ勝手に行った。それがたまたま、軍部の指示と重なるだけだ」
唖然としている一同にフォルセは軽く肩をすくめてみせ、「こう言う人なんだ」と告げる。
「それにしても、さすがに今この時連合を離れてはまずいと思いますよ」
フォルセが一応常識論を言ったが、シリュウは一蹴する。
「前線の騎士など止めても意味がない。根底―――つまり第2王子をどうにかしなければ、何度だって攻め込まれる。元を断ってやるわけだ。それに何より、ハルシュタイルにはまだ行ったことがない」
「・・・・・主目的、もしかして行きたいからですか?」
「馬鹿者」
条件反射の勢いで即座に罵倒された。
「・・・・まあさすがに無断で出かけるわけにもいかないからな。今から元帥の元へ行く。お前たちも来い」
シリュウの後を追って一行は部屋を出たが、ロキシーが難しい顔をして動かないので、ランシールが振り返った。
「ロキシーさん、どうしましたか?」
「なんでもないけど・・・・・・はあ」
「溜息なんて珍しいじゃないですか」
「年寄りは苦労すんのよ」
「年寄りって・・・・・・」
呆れているランシールの肩をロキシーは笑って叩き、部屋を出ていった。
「お前、元帥に会ったことある?」
ロキシーに問われ、ランシールは肩をすくめる。
「騎士なら誰でも叙任式の時に会っていますよ。新人騎士を集めて元帥が演説をするんですから」
「あ、ああ―――そういえばそうだったか」
明らかに様子がおかしいロキシーにランシールは首をかしげた。だがそれには何も言わず、口を開く。
「元帥って不思議な感じの人ですよね。とても騎士には見えないって言うか・・・・・それが良いのかもしれないんですけど、第一印象は頼りなかったですね」
「ひとり暮らしのくせに料理も洗濯もできないって感じの顔だよな。使用人でも雇えば良いだろうって言っても、女房と息子以外を家に入れたくないとか言って、結局ゴミ屋敷になる。そんな顔だ」
「えっと・・・・・・どんな顔ですか?」
やけに具体的なロキシーに、いよいよランシールは怪訝な顔をした。
シリュウに案内されたのは騎士団本部の最上階、統帥部室である。元帥の執務室とも言える。キシニアへ転属させるためフォルセが殴りこみかけた部屋だ。
扉をノックすると、中から返事があってシリュウが扉を開けた。
中にいたのは初老一歩手前の男性だった。表情はとにかく優しげで、とても騎士のトップには見えない。しかし実力は確かで、今は前線に出ることはないが、現役当時は勇猛果敢で知られた―――それがカルネア連合騎士団元帥、ボレンス・モルザートである。
「なんだ、もう来たのかね? みんな早起きだなぁ」
モルザート元帥がにこやかに笑う。シリュウが肩をすくめる。
「そういう元帥こそ、朝がお早い」
「老人はそういうものなんだよ」
それを聞いたユリウスがランシールに囁きかける。
「老人ネタを出すなんて、ロキシーみたいだね」
「ですね」
ふたりしてちらりと後方のロキシーを見やると、ロキシーは居心地悪そうに明後日の方向を向いていた。
「で・・・・・そちらがハルシュタイルの?」
視線を向けられたセオンは前に進み出、静かに一礼した。
「ハルシュタイルの第4王子、アルセオールと申します。匿っていただいて、感謝します」
「匿ったなんて。シリュウが勝手に事を進めるから、私は事後承諾だけですよ」
モルザートはしばし黙り、おもむろに口を開いた。口調は柔らかいが、視線は真面目だった。
「既にシリュウが話したかもしれないが、いまハルシュタイルの援軍に向かわせられる兵力は残念ながらない。平時であれば、それもできただろうが・・・・・・」
セオンは首を振った。
「それはもう大丈夫です。・・・・どれだけ厚かましい願いを聞いていただいているのか、私も承知しています。この件で連合の手を煩わせるつもりはありません」
「と言って、どうするつもりだね?」
セオンが束の間黙ると、シリュウが口を開いた。
「ですから、私が同行するつもりです」
「ですからって、初耳なんだがね」
モルザートが困ったように溜息をつく。フォルセも前に進み出る。
「私も共にハルシュタイルへ向かいます」
「・・・・シリュウ、それにフォルセ・ミッドベルグ。君たち二人の力はこの連合にはなくてはならないものだ。そのふたりともをハルシュタイルへ送るなど。キシニアはどうするつもりだ?」
フォルセはきっぱりと答える。
「キシニアには充分な兵力とハーレイ隊長がいます。私などがいなくても立派に国境は守られる。ハルシュタイルへ向かい、第2王子の暴虐を止めることで今回の騒動を根底から断つことができます。私はそちらに自分の力を賭けたい」
師が言ったことをそっくりそのままフォルセは告げた。モルザートは頭をかく。
「フォルセ、君も相変わらずだな。さすがシリュウの弟子だけのことはある」
「いえ、私よりはるかに未熟ですよ」
シリュウがにっと笑い、フォルセは顔を背けた。
「シリュウ。本当に第2王子を止めれば、この戦いは終わるのか」
「私はそう思います」
「・・・・・分かった。シリュウ、フォルセ、それから後ろにいるキシニアの騎士。君たちは第4王子に同行し、ハルシュタイルの第2王子を止めなさい。それ以上の兵員は出せないよ」
「有難う御座います」
フォルセとシリュウが頷く中、セオンが深く頭を下げた。モルザートはまた微笑む。
「王子殿下。これは私としても苦渋の決断でして・・・・・ハルシュタイルでは、彼らを存分に使ってやってください。この連合が誇る、最強の騎士です」
セオンは頷き、モルザートを見つめた。
「必ずハルシュタイルを連合から退かせます」
「期待しています。連合の守りは騎士に任せ、君たちは憂いなく発つと良い。王子殿下のことを大統領に報告するつもりはありません。しかしそろそろ気取られてもおかしくはない。急いだ方が良いでしょう」
セオンはもう一度頭を下げた。モルザートはおもむろに視線を後方のロキシーに向けた。
「ところで・・・・・」
ロキシーがさらに顔を背ける。モルザートがにっこりと笑った。
「どうしてそんな後ろに隠れているんだい、ローくん? 久しぶりに会ったというのに他人行儀じゃないか」
「・・・・・ろ、ローくん!?」
ランシールがその言葉に鳥肌を立たせる。ロキシーは相変わらずそっぽを向いている。
「ずっと手紙を出しているのに返事もくれないで、ちょっと酷いんじゃない? 父さん、ずっと心配しているのに」
「・・・・・こんなところで堂々とばらすな、このド阿保!」
ロキシーが怒鳴った。モルザートは大袈裟なまでに傷ついた顔をする。
「阿保なんて、それが父さんに言う言葉かい? 父さんはローくんを心配して・・・・・・」
「だから、ローくんって呼ぶなって・・・・・何度言えば分かるんだ、気色悪ぃ!」
顔を真っ赤にしているロキシーと、有り得ないほど甘いモルザート。ふたりを見比べていたフォルセが顔をひきつらせる。
「まさか・・・・・親子?」
その隣でくすくすとシリュウが笑っている。
「まさかも何も、親子だろう。モルザート元帥のたったひとりの息子。それがロキシーだ。彼が名乗っているディスケイトとは死んだ母の姓でな、元帥は早くに死んだ妻の分もロキシーを溺愛している」
「てめぇっ、シリュウ! あんたも堂々とばらすな!」
ロキシーがシリュウに指を突きつける。しかしシリュウはまったく悪びれない。
「私はロキシーがこんな赤ん坊の頃から傍で見てきたからな。色々と、恥ずかしい話も知っているぞ」
「元帥がロキシーさんの父親だったなんて・・・・・僕はさっきなんて失言を!」
ランシールがあわあわしながら震えている。不思議な人だの、第一印象は頼りないだの、散々言ってしまった気がする。
「なあローくん、いつになったら首都に戻って来てくれるんだ? 父さんの手が届くところにいてくれよ、そうじゃないと心配で心配で」
「黙ってろ! 俺はそう言うのが嫌でキシニアに行ったんだぞ!」
「うーん。人の世界は案外狭いねぇ」
ユリウスがしみじみと呟き、ロキシーとモルザートの漫才を見やっている。
「ああもう、うるさいうるさい! だから首都へ行くのは嫌だったんだっ!」
ロキシーが頭を抱えて床にしゃがみこんだ。
フォルセらはモルザート元帥と「名残惜しい別れ」をし、部屋を出た。フォルセは一息つき、振り返った。
「元帥の承諾をもらった後に聞くことではないが、確かめさせてくれ。私はこれから敵国の真っ只中に向かう。・・・・皆、ついて来てくれるか?」
ロキシーが真っ先に名乗りを上げた。
「俺は行くぜ! 首都を離れられるなら何処へでも行ってやる」
「副長が嫌がっても僕はお傍を離れません」
「ん、僕も」
ランシールとユリウスも即座に頷く。フォルセはシリュウにも視線を向けた。
「教官も・・・・・」
「何度言わせる、行くぞ。私は一騎当千という言葉そのものだ、余計な心配をするな」
大胆な言葉に苦笑が漏れる。しかし言っていることに間違いはない。確かにシリュウはひとりで千人に勝る。
「よろしくお願いします、えっと・・・・・筆頭騎士殿」
セオンが控えめに呼ぶ。シリュウが肩をすくめた。
「そのような名で呼ばずとも、シリュウで結構」
「そうですか? では、・・・・・シリュウさん」
シリュウは頷き、フォルセを見やった。
「ハルシュタイルへ向かうには2つの道がある。ひとつはキシニアから国境を越える道。もうひとつは首都のずっと西にあるイエンナの砦から国境を越える道。どちらにする?」
キシニアへ向かう道は、連合国内を旅する日数が長くなるが、国境を越えて王都イルシェルは近い。イエンナへ向かう道は、連合を旅する日数が少なく、王都が遠い。
普通ならば安全に国内を通るキシニアを目指すのだが、今はむしろ連合国内を旅することの方が危ない。連合騎士とハルシュタイル騎士、魔族という3つに襲われる可能性があるからだ。
「・・・・・イエンナへ向かいましょう。国境を越えれば、連合騎士だけは遠ざけられる」
「賢明な判断だ。よし、このまま発つ」
シリュウが踵を返し、一行もそれに続いた。
騎士団本部を出ると、目の前にひとりの青年が佇んでいた。フォルセが足を止め、眉をしかめた。
「だれ?」
無遠慮にユリウスが尋ねる。軍医が元帥も彼のこともよく知らないのは当然だった。
「連合大統領の息子、ロウズ殿だ」
「それはそれは・・・・」
ユリウスが気まずそうに青年、ロウズから目をそらした。
ロウズは静かな視線をシリュウに向けた。
「シリュウ。・・・・・やはり行くのですか」
「ええ、すみません」
誠意のこもっていない返事だ。ロウズは完璧にセオンの正体を見破っている。シリュウも、彼が父である大統領にセオンのことを伝えるのではないかと危惧しているのだ。
しかしロウズは首を振った。
「ハルシュタイルの王子殿下のことを、父には告げません。それより早く首都からお逃げください」
「どういう風の吹きまわしだよ。あんたは大統領派だろう」
ロキシーが問いかける。元帥の息子であるロキシーは、大統領の息子であるロウズとはそれなりに親しい。ロウズが父の意向を絶対としていることも、ロキシーは知っている。
「ハルシュタイル軍は、アルセオール殿下を差し出しただけでは満足しない。彼らの主目的はそれより、連合を侵略することです。殿下の身柄を引き渡しても根本的な解決にはならない」
ロウズはセオンを見据えた。
「いま連合ができることは時間稼ぎだけ・・・・・だから貴方に頼みたい。ハルシュタイル軍に早期撤退を促してほしい。連合は、ハルシュタイルを敵に回すことを望んでいない・・・・・」
ロウズの切実な言葉に、セオンは頷いた。それを見てロウズは僅かに安堵の表情を浮かべ、無言で立ち去った。
「随分融通が利くようになったね。父親よりも国を優先できるようになったらしい」
ロキシーが肩をすくめた。シリュウは肩ごしに振り返る。
「せっかく見逃してくださるのだ、早くラシュアンを出るぞ」
シリュウはそう言って歩き出した。フォルセがシリュウの隣に肩を並べる。
「教官」
「なんだ」
「昨日みたいなことはやめてください」
「ああ・・・・・いや、あれはお前が悪い。急所に手を伸ばされてじっとしているなど、正気の沙汰ではない」
「どうしたらあんな時、教官に対して警戒心を持てるのですか」
フォルセは溜息をついた。訓練生時代も、倒れそうなくらい疲労したときはシリュウの一撃を食らって無理やり気絶させられたことがあった。
「それよりも熱は下がったのか?」
「熱?」
「私が気づいていないと思ったら大間違いだ。自分の兄を騙してまで無理をして何になる?」
フォルセは唖然とし、それから目を閉じた。心配されることに慣れていないからか、フォルセはあまり辛さを表に出さず抱え込むことが多い。それを、本人よりもシリュウのほうが熟知していたのだ。
「すみません」
「分かればいい」
「あの、教官?」
「まだ何かあるのか?」
「・・・・また、ご指導よろしくお願いします」
フォルセの言葉にシリュウは不敵な笑みを見せる。
「馬鹿を言え、私からお前に教えることはもうない」
「え・・・・・」
そんなことを言われたのは初めてだった。シリュウはフォルセを一人前と認めてくれたらしい。フォルセはふっと微笑んだ。




