4章‐2 無音のシリュウ
「教官・・・・・って、ええっ!?」
ランシールが拍子抜けしたように呟く。
連合最強の剣士で、筆頭騎士であるシリュウ。謎めいたこの騎士が、フォルセの師だというのか。
―――弟子を昏倒させて登場するだろうか、普通?
ランシールがそう思ったとき、シリュウが溜息をついた。その動作すら美しい。
しかし、口から飛び出した言葉は、優美とか典雅とかという表現とは正反対に位置するものだった。シリュウはフォルセの頭に拳骨を落としたのだ。
「いっ・・・・」
「馬鹿者、反応が鈍いぞ! さては、鍛錬を怠っていたな!?」
「そんなまさか。私がこの10年、どこにいたとお思いですか・・・・!」
「キシニアだろう、知っている。故郷に浸って私の顔など忘れたかと思ったが、覚えていたことだけは褒めてやろう」
セオンが信じられないと言った顔で茫然と呟く。
「フォルセさんが散々にこき下ろされている・・・・・・」
「そんなことをできる人間がいたとは・・・・・」
スファルも腕を組んだ。シリュウはフォルセを立たせると、彼らに向かって低い声で言った。
「事情はあとだ。今は騎士団本部へ来い」
有無を言わさずにシリュウは6人を騎士団本部へ連れていき、直行で医務室へ向かった。まるで人目を避けるように、慌ただしい移動だった。
「なぜ医務室なんですか?」
フォルセの問いに、シリュウはユリウスを見やって答えた。
「調子が悪いのだろう。・・・・・お前は軍医なのだな。すぐ治療してやれ」
ユリウスは頷き、本部詰めの軍医に何か話し、ふたりがかりでフォルセの治療を始めた。
なぜフォルセの体調がすぐれないことに気付いたのか。セオンは不思議でしかたがない。
治療が一通り済むまでシリュウは事情を説明する気はないらしく、黙って腕を組んで壁際に佇んでいた。椅子に座ったフォルセの腕に点滴針を刺し、薬を入れていく。足の傷もきちんと手当てをした。
シリュウは腕組みを解くと、軍医に目配せした。意図をくみ取った軍医が部屋を出ていくと、シリュウは点滴針を刺したままのフォルセの傍に歩み寄った。そして容赦なく罵倒を浴びせる。
「この馬鹿者! こんな時にお尋ね者をラシュアンまで連れてくるなど、正気の沙汰ではないぞ!」
「お・・・・お尋ね者とは?」
シリュウは呆れたように肩をすくめ、セオンとスファルに視線を向けた。
「アルセオール・ルドラ・ハル=シュタイル第4王子、貴方だ」
セオンは眉をしかめた。
「・・・・何故それを?」
「貴方がたが首都の城門をくぐったところから全部見ていた。私はそういう能力を持つ部族の生まれでな」
「見ていたって・・・・・」
「その気になれば、ここからキシニアの景色を見ることも、砦にいるグラウディの声を聴くこともできる。生まれつき視力、聴力が発達しているのだ」
つまりは盗聴と盗視だが、シリュウはさらっと流した。
「対ハルシュタイルの防衛拠点が同時に襲撃を受けた。奴らの狙いは第4王子を探し出すことだ。妙な魔物を操り、既に2地点が陥落している。ハルシュタイルの軍勢が連合に流れ込んできているのだ」
「ではキシニアは・・・・・!?」
フォルセの言葉にシリュウは頷く。
「キシニアも襲撃を受けているが、そちらはまだ余裕があるようだ。さすが、常にハルシュタイルの脅威にさらされている街だな。グラウディは良くやっている」
シリュウの声は素直な賞賛の響きがある。
「連合の被害は甚大で、もはやハルシュタイルの勢いを止めることは不可能だ。それで大統領は、一刻も早く第4王子を探し出してハルシュタイルに突きだそうと決めたのだ。いま第4王子の身柄は、連合とハルシュタイルが血眼になって探し回っている。それを知ってか知らずか、お前たちは堂々と大統領府へ乗り込もうとしていた。どうなるか、もう予想がつくだろう」
一同は沈黙する。即座に捕えられ、セオンはハルシュタイルに引き渡されていただろう。確かにそんなことになっているときに首都へ来たのは間違いだった。
「で・・・・・お前たち、襲撃のことは知らなかったのか?」
フォルセは頷いた。
「キシニアを出てから中央平原を通って来たので」
「中央平原・・・・・? 成程、お前の怪我はイウォルの民のものだったのか」
中央平原を通って来たことよりも、怪我の方で驚かれてしまった。ついランシールが身を乗り出す。
「イウォルの民のこと、ご存じなんですか?」
「ああ、私も一度平原を横断したことがある。今はどうか知らないが、親切な者たちだったぞ、茶まで出してくれて」
「は、はあぁっ!?」
ランシールが愕然とする。ロキシーも頭をかく。
「ありゃあ茶出してくれる雰囲気じゃないよな」
「まあ、もう40年も前の話だからな」
またさらっと流されそうになったが、スファルがすんでのところで喰いついた。
「40年前・・・・・?」
外見上は20代だが、フォルセの師なのだとしたら30は越えている。その程度にしか思っていなかったので、スファルもセオンも目を丸くしていた。
「【凍牙】族は他の者に比べると寿命がかなり長い。外見も、老齢になるまではこのままだ。お前たちの10倍の年月はもう生きたと思うがな」
シリュウは困ったように肩をすくめた。「噂は本当だったんだ」とランシールが呟いている。
シリュウは古くから連合騎士として戦ってきた歴戦の騎士だ。【凍牙】の寿命は500年とも言われている。しかし他部族に比べて人数が圧倒的に少なく、暮らす場所も正確には知らない。連合で確認されている【凍牙】はシリュウだけである。
彼は長いこと騎士として勇名を馳せているにも関わらず、ここまでに作った弟子は数名だ。本当に教えたいと思う者だけに自分の武術を教えるのだ。
その弟子の一人がフォルセだった。彼は、その前に持った弟子から数10年経って見つけた逸材なのだという。周りにはフォルセのことを高く評価していることを告げているが、フォルセ本人には絶対に告げない。フォルセはシリュウの技術を次々と自分のものにしていったが、ある種の人間に対して物怖じしない不遜な態度まで師匠から影響されてしまったらしく、問題発言をしたのはそのせいである。
フォルセをキシニアへ配属させたのも、シリュウの根回しだった。彼はそれほど連合という国に影響力が強い。
そんな人間が追われているセオンを助けたのだ。単にフォルセのためか、別の思惑があるのか。
「つまりもう・・・・連合に協力を要請することは不可能になってしまった、ということですね」
セオンの呟きにシリュウは頷く。スファルが腕を組んだ。
「一足遅かったですね・・・・」
「ごめんなさい。俺が、記憶を失ったりするから・・・・・・」
スファルは首を振った。
「セオンさまのせいではありません。打てる手はまだあるはずです」
「と言っても、どうするよ?」
ロキシーの問いにスファルはまた腕を組む。黙っていたシリュウがおもむろに口を開いた。
「ところで連合に協力を要請し、具体的に何をするつもりだった?」
セオンは顔を上げ、きっぱりと答えた。
「第2王子を討ち果たします」
「・・・・・それは、貴方が王になる、という覚悟があってのことか」
静かに見返され、セオンはやや気圧されかける。切れ長の瞳から放たれるシリュウの眼光をまともに受け止められる者はそうそういないだろう。
「第1王子は既に死亡している。第3王子も病で余命幾ばくもないと聞いている・・・・・第2王子が死亡すれば、必然的に王位の継承権は貴方だけのものとなる。それは分かっておられたのか」
「・・・・自分の責任から逃れるつもりはありません」
セオンとシリュウは束の間睨み合い、先に視線を和らげたのはシリュウだった。
「どうやら出まかせではないようだ。まあ、記憶を失っただのなんだのと言っていたようだから、あてにはならないかもしれないが」
「相変わらずの地獄耳ですね」
遠慮もせずに言ったフォルセを冷たい目で見やる。
「聴力が良いと言え、馬鹿者。少しは師を敬え」
フォルセは無言で肩をすくめた。
「確かに全ての記憶を取り戻したわけではありません。でも、出まかせなんかじゃない。俺の中には残っているんです。兄を止めなくてはいけないというその気持ちが」
断固としてセオンは告げ、シリュウは頷いた。
「分かっている。まったく、少しでもこちらが疑おうものならしつこく説得してくるところはフォルセとそっくりだな」
セオンが唖然としているのを無視し、シリュウは腕を組んで何かを考え始めた。スファルがセオンに向き直る。
「要請ができなくなってしまったのなら長居は無用。一刻も早くハルシュタイルへ戻らなければ」
「・・・・・そうですね」
「いや、ちょっと待て」
シリュウが割って入る。
「少し考えがある。とりあえず、明日まで待て。今日はここで一晩明かすと良い」
「大丈夫なんですか、こっちはお尋ね者ですけど」
ユリウスの問いにシリュウが悪戯っぽく笑う。
「ここでは誰も私のやることに口を挟まんよ」
一同は他の部屋に移されたが、まだ治療の済んでいないフォルセはそのまま医務室で夜を明かすことになった。ユリウスが見なれぬ機械を使って足の傷を診ているが、機械が作動するたびに強い電流のようなものがフォルセを襲い、かなりの苦痛だ。
「ふーむ。やっぱり首都には面白い機械があって良いねぇ」
「兄さん・・・・・楽しむのは良いが、足の方はどうなんだ・・・・」
フォルセが顔を歪めながら尋ねる。ユリウスが腕を組む。
「毒ってのは根っこから取り除かないと駄目なものでね。少し痛いと思うけど我慢して。この機械がフォルセの全身に回った毒を全部吸い取ってくれる」
「へえ、そんな機械なのか・・・・・っ!」
フォルセが短く呻く。そんな様子を見て、ユリウスが再び楽しそうに微笑む。
「でもやっぱり便利だねぇ。キシニアにも欲しいよ、これ。首都はほんとに発達しているし・・・・・」
ぱったりとユリウスは喋るのをやめ、首を捻った。
「そういえばあの人、どんな妙案を思いついたんだろうね」
「あの人? ・・・・シリュウ教官か?」
「うん」
「多分・・・・・モルザート元帥に事情を話すんだと思う」
「大丈夫なの、それ? 元帥って軍部のトップでしょ」
「元帥は教官の押しに弱くてね。そうするからには、教官は本気で俺たちの味方をしてくれるつもりだ。一日待てと言ったのも、きっと俺たちを休ませるためだろう」
「ははあ、フォルセは愛弟子なんだね」
「どうだか・・・・さっきも見ただろう。あんな調子でずっとこき下ろされていたからな」
「愛の鞭って知ってる?」
「いや、絶対違う」
フォルセは即座に首を振った。ユリウスは「絶対そうだよ」と言いつつ、フォルセの足首に装着していた機械を外した。
「はい、おしまい。しばらくゆっくりしていれば回復するよ」
「有難う、兄さん」
「・・・・フォルセ、あまり無茶しないでね」
「ん?」
ユリウスは機械を片づけながら、あえて何でもないように言った。
「フォルセの傷、見たくないんだ」
「・・・・・有難う」
フォルセはもう一度礼を言った。
ユリウスが医務室を出ようとした丁度その時、シリュウが入ってきた。ユリウスは軽くシリュウに頭を下げた。
「邪魔をしたか」
「いえ、もう治療は終わりましたから。じゃあフォルセ、僕はこれで」
ユリウスはフォルセに微笑みかけて医務室を出ていった。それを見つめ、シリュウが呟く。
「お前たち兄弟は仲が良いのだな」
「両親を亡くしてから、ふたりだけでしたから」
「そんなものか」
「はい、そんなものです」
「兄弟愛は難解だな」
シリュウは言いながら寝台傍の椅子に腰を下ろす。その動作ひとつさえ、惚れ惚れするほどなめらかだ。
「難解ですか」
「親を亡くし、兄弟二人で育ってきた者の中にも、お前たちのように仲の良い者と、仲の悪い者に分かれる」
「ああ、教官には弟御がいらっしゃるんでしたね」
一度だけフォルセは聞いたことがあった。弟は故郷で同族をまとめているのだという。
「200年ほど、絶縁状態だがな」
歳の単位が凄まじく、フォルセはついて行けない。フォルセは少し黙ると、ぽつっと呟いた。
「お変わりありませんね、教官」
「お変わりない? 馬鹿を言え、この10年あまりで私がどれだけ老いたか。その苦労も知らずお変わりないなどと」
「いえ、最後に会った時と外見まったく変わっていませんけど」
「馬鹿者」
何かあればすぐ「馬鹿者」とフォルセをどやしつけるシリュウである。優美な外見でだまされると酷い目に遭うということをフォルセは熟知している。
「・・・・本当に、変わっていませんね・・・・・」
うっかり呟いてしまったが、シリュウは何も言わなかった。遥かかなたの音を聞く能力を持っているシリュウだが、その力は本当に必要がある時にしか使わない。だから通常は「地獄耳」程度の耳の良さだ。それでも、油断しているとすぐ聞きとられてしまう。さらに彼は優れた視力も持っており、これは自分で制御することは不可能だ。滅多な行動はとれない。
「ところで、お前はなぜ第4王子と知り合った?」
急に尋ねられ、フォルセは寝台に上半身を起こしたまま説明した。
「3か月前、キシニアの森で倒れているセオンを見つけ、そのまま保護しました。彼には一切の記憶がなく、私と兄が引き取っていましたが・・・・・数日前にハルシュタイルに襲撃され、スファルという騎士が現れました。彼に会ったことでセオンは若干の記憶を取り戻し、第2王子を止めるための協力要請をするため、首都を目指してきたのです」
「連合に来た理由は?」
「迷い込んだ経緯は私にも分かりません。ただセオンは、第2王子によって殺されかけたのです。おそらく何らかの方法で助かり、連合に逃亡したのでしょう。スファル殿のほうから、砦のハーレイ隊長にセオンの救助を頼んでいたそうです」
「逃亡する途中で記憶を失った、か・・・・」
シリュウは腕を組んだ。頷くフォルセの表情が暗いことに気づいたシリュウは尋ねる。
「・・・・・キシニアが気になるか?」
「はい・・・・・」
「ふむ・・・・・」
シリュウは腕を組んだまま目を閉じた。それからしばらくして、シリュウは目を開けた。
「戦いの音は聞こえるが、そこまで緊迫していない。騎士の士気も高いようだな。撃退できるだろう」
「教官・・・・・」
シリュウは遠く離れたキシニアの音を聞いてくれたのだ。
「すみません」
「なぜ謝る」
「離れた場所の音を聞くのは酷く体力を消耗するとおっしゃっていたでしょう?」
「私がこの程度でくたばるか。遠いというのはだな、ここからハルシュタイルの首都までの距離だ。キシニアなど、直線距離にしてたったの10日ではないか」
「そうでしたね。有難う御座います、少し気が楽になりました」
内心でこの人は本当に面倒くさい、と思いかけてなんとか留まる。シリュウの罵倒にむっとしたことも確かにあったが、それ以上に彼には恩があり、とても感謝している。尊敬している騎士だ。
シリュウが「馬鹿者」という時は大抵、フォルセがシリュウの身を案じるような言葉を言った時か、自分の気持ちをはぐらかす時だということをフォルセは知っている。
「第4王子がハルシュタイルへ行く、と言ったら・・・・・お前も行くのか」
シリュウの声が真面目になる。フォルセは頷いた。
「そのつもりです」
「お前には関係のないことだろう。なぜそこまで拘る」
「本音を言えば、ハルシュタイルの行く末など興味はありません。しかし、私はセオンの盾になろうと決めました。戦うしか能のない私には、そうすることでしかセオンを助けられませんから。一度彼の身柄を預かった以上、とことん付き合います。それに・・・・・」
フォルセは顔を上げた。
「いまハルシュタイル軍を動かしているのは第2王子です。・・・・国王の手に王権を取り戻させれば、彼らを撤退させられる」
シリュウは呆れたように肩をすくめた。
「だから討つ、か・・・・お前が納得しているのなら何も言わん」
シリュウは立ち上がり、フォルセに背を向けた。
「今日はもう寝ろ。話は明日だ」
「え・・・・しかし、まださすがに・・・・」
「つべこべ言うな」
シリュウはふっと溜息をついてもう一度振り返ると、すっと手を伸ばした。フォルセが抵抗する間もなく、シリュウの2本の指がフォルセの首筋に当てられる。
くらっと視界が歪み、フォルセは後方に倒れた。フォルセにはとても真似できないが、頸動脈を抑えたことで意識を失わせたのだ。これは部族特有の能力でもなんでもない、シリュウの技術だ。
愛弟子の身体を抱き留め、シリュウはその顔をじっと見つめる。
「本当にお前は首筋が弱いな。これくらいで気絶してどうする」
そう吐き捨てつつ、シリュウは額にかかる前髪を払ってやり、その額に手を当てた。
「・・・・・まだ熱があるではないか、馬鹿者が」




