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遠き空の下  作者: 狼花
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3章‐6 迫りくる死の恐怖

 ふたりは身体を休め、翌日夜が明けてすぐに出発した。フォルセの足取りは明らかに重くなっていた。顔色もかなり悪い。


 ずっと木の幹を見て進行方向を確認していたセオンが足を止める。


「フォルセさん、ここからもう道標がないですよ」


 フォルセも足を止め、あたりを見回した。


「この近くにいるのか・・・・・?」


 呟き終える前にフォルセは何かに気づき後方を振り返った。


「セオン! 伏せろ!」


 セオンがはっとした時には、フォルセが槍を構えてセオンを庇った。後方から疾駆してきた巨大な魔物。その強さから、一目でハルシュタイルの魔族だと分かる。


「もうこんなところまで、魔族が入り込んだかっ」


 フォルセは攻撃を受け止め、押し返した。やはりフォルセは強い。考えるより早く身体が動くほど、彼は戦いなれている。さすが連合が誇るキシニアの黒豹である。


 しかし限界だった。魔族の腕をフォルセが槍で受け止めたが、すぐ吹き飛ばされてしまったのだ。さすがにもう、力が残っていない。


「フォルセさん!」


 セオンは軍刀を引き抜いた。フォルセに追い打ちをかけようとする魔族を退け、相手を見る。肩に一本の矢が刺さっていた。よく見ると、身体に無数の剣筋がある。


「ランの矢・・・・・傷もまだ新しい。みんな近くに・・・・・!」


 セオンは呟きながら、高ぶりそうになる自分の心を鎮めた。傍にいるかもしれないといって、援護を期待することはできない。ランシール達4人がかりで倒せなかった魔族に、セオンはひとりで挑まねばならない。


 魔族はだいぶ弱っていた。同じように弱っているフォルセなら倒せると思ったのだろう。


 軍刀を振りかざす。確実に急所を狙い、セオンは猛攻を仕掛けた。完璧に弱った魔族にとどめをさすべく高く跳躍した。魔族めがけて急降下する。


『―――セオン、忘れるな』


 ある声が、セオンの脳裏に響いた。


『お前にとって狩るべき存在でも。たとえ正体が負の塊であろうと。魔物も、ひとつの生命だ。意味を失ってまで魔物を狩ることがないように―――』


「っ!」


 セオンは息を詰まらせる。その瞬間、力が緩んだ。魔族が長い腕を振り、セオンを叩き落とした。なんとか受け身を取ってすぐ立ちあがったが、セオンは苦しげに胸を抑えた。


 魔族が腕を振り上げる。セオンは軍刀を一閃させた。無防備な胴を深く切り裂かれ、魔族は息絶える。


 セオンは軍刀を収め、深く息をつく。


「―――貴方の言葉にずっと救われてきた。今でも支えにしています。でも、どうして・・・・・いまそんな言葉を俺に向けるんですか、・・・・兄上」


 セオンは空を見上げた。


「まるで、俺が意味を失っているみたいじゃないですか。意味ならある・・・・・俺が魔物を斬るのは、大切な人を守るためです」


 そう宣言してからセオンは踵を返した。自力で立ちかけているフォルセに肩を貸す。


「すまない。足を引っ張ったな・・・・・」

「そんなことないです。庇ってくれて有難う御座いました」


 セオンはフォルセを立たせたが、フォルセの足に全く力が入っていなかった。前のめりに倒れかけ、セオンが慌てて支える。


「フォルセさん・・・・・!」


 セオンがフォルセを抱きとめたまま地面に膝をつく。フォルセは薄く眼を開けた。視界は霞み、すでにセオンの顔もよく見えない。


(ここまで、か―――・・・・・)


 フォルセはそう思いつつ、気力を振り絞ってセオンに告げた。


「セオン、先に行け・・・・・早くみんなと合流するんだ」

「嫌です。フォルセさんを置いてなんて行けない・・・・!」

「行け。今やることは、首都へ行くことだろう・・・・・」

「そんなの! ・・・・そんなの、フォルセさんを失ってまでやることじゃない!」


 フォルセは耳を疑った。口を開くよりも前にフォルセの身体が軽くなる。セオンがフォルセを抱き起こして肩に腕を回したのだ。


「もう嫌です。テルファを目の前で失って、次はフォルセさんなんて・・・・・・! 絶対、ユリウスさん達と合流します。だから、もう何も言わないで・・・・・」

「セオン・・・・・」


 フォルセは呟き、ふっと目を閉じた。


 半ばセオンが引きずっているフォルセの身体から少しずつ力が抜けていき、完全に反応しなくなった。17歳という年齢で平均的な背丈のセオンにとって、26歳で長身のフォルセを抱えて歩くことは難しかった。頼りにしていた道標もなくなり、セオンは当てもなく歩みを続けた。この広大な平原で当てもなく彷徨うことがどれだけ危険か分かってはいたが、他にどうすることもできなかった。


「セオン! 副長!」


 前方から声が聞こえ、一瞬空耳かとセオンは思った。だが、セオンの元へ駆けよってくる人影を見て、セオンは目を見張った。


「ラン・・・・・ロキシーさん・・・・・!」


 気が抜けた瞬間に足がもつれ、フォルセごとセオンは前につんのめった。寸前でランシールがセオンを支え、ロキシーがフォルセを抱きとめる。


「セオン、大丈夫!? 怪我はしていない!?」

「うん・・・・・」


 セオンは頷いた。その瞬間、自分はこれ以上ないくらいの恐怖に晒されていたのだと感じた。こみ上げる思いが涙となり、セオンは慌ててそれを拭った。


「でも、どうして俺たちがここにいるって・・・・?」


 セオンの問いに、ランシールが微笑む。


「『聞こえた』んだよ。副長とセオンの音が・・・・・それが、僕らイウォルの民の力だ」

「聞こえた・・・・・?」

「うん。なんというか、説明は難しいんだけどね・・・・・感じたっていったほうが近いかな。副長とセオンが近づいてくるって、分かったんだ」


 セオンはぼんやりとランシールを見上げていた。


 ロキシーはフォルセの身体を揺さぶる。


「おいっ、副長、目を覚ませよ! セオンより先にぶっ倒れてどうすんだ!」


 何度も呼びかけたが、フォルセは意識を取り戻さなかった。セオンがロキシーに言う。


「足の傷から、イウォルの毒が入ったんだと思います・・・・」


 ロキシーは傷を確認し、フォルセを背負った。


「とにかく、ユリウスのとこに行く。ランシール、戻るぞ」

「分かっています。セオン、立てる?」

「大丈夫」


 セオンは頷いて立ち上がり、駆けだした。


 ユリウス達がいたのはそこからすぐの岩窟だった。フォルセとセオンが追いつくまで待機するつもりだったらしい。


 ロキシーが担いでいるフォルセを見、ユリウスは顔色を失った。穏やかで落ち着きのあるユリウスからは想像もできない動揺だ。


「フォルセ・・・・・っ!」


 ユリウスは、床に敷いた毛布の上に降ろされたフォルセの傍に駆け寄り、すぐに容体を確認する。


 セオンの傍にスファルが駆け寄り、安堵の息をついた。


「セオンさま、ご無事で良かった・・・・・・」

「平気です。有難う・・・・・」


 ユリウスは慌ただしく医療器具を取り出し、治療を進めている。ランシールが心配そうに尋ねる。


「ユリウスさん、副長は・・・・・」

「この毒、後からじわじわ効いてくるタイプでね。やられた時に症状がなくても、次第に悪化していく。もうだいぶ進行しているから、ちゃんとした解毒は病院じゃなきゃ無理だ」


 ユリウスは強く言った。


「でも応急処置で充分間に合う。フォルセなら、きっと街までもつよ・・・・!」


 予め調合してあった薬をフォルセに飲ませると、すぐにユリウスはフォルセの右足首の傷の傍に移動した。傷口部分が黒い痣のようになっており、明らかに毒の症状が出ている。立つのも困難だったはずだ。


 ユリウスは手術刀を持ち、慣れた手つきで傷口を切開した。ランシールが直視できずに慌てて顔を背ける。黒い痣の原因である毒を摘出し、やはり慣れた手つきで縫合する。傷を包帯で巻いているのを見て、スファルが感心する。


「鮮やかな手並みだな」

「ユリウスにメス持たせたら最強だぜ。連合軍医の中では外科手術の権威だもんな」


 少し余裕を取り戻したのか、ユリウスは苦笑した。


「大袈裟だね。慣れているだけだよ」

「お前ほどの若さでそこまでの技量をもつ軍医はハルシュタイルにはいない。素晴らしいな」

「そりゃどうも。もうそんなに若くないけどね」


 ユリウスは自嘲するように笑った。セオンがフォルセの傍に膝をつく。


「もう大丈夫なんですか?」

「うん。あとはフォルセの体力次第・・・・ってところもあるんだけどね」


 ユリウスは説明してからセオンに視線を移す。


「セオンは怪我ない? これくらいと思っていると命取りになるよ」

「本当に大丈夫です。・・・・俺、ずっとフォルセさんに守ってもらっていましたから」


 ロキシーが肩をすくめた。


「そんだけの怪我して、タフだなぁ」

「昔から病気とか怪我とかに縁がない子でねぇ。自分が無理しているとか分からないんだよ」


 ユリウスが困ったように腕を組む。


「・・・・まあ少し休んでもらおう。セオンも、ね」

「フォルセさんの看病をしていたいです」

「まだ危険な場所を進むのです。少し眠らなくては。お疲れでしょう」


 スファルにも促されたが、セオンは不服そうな顔をしている。


「セオン、すごく疲れているように見えるよ」

「そうそう、こんなでかい人を引きずってきたんだから、休んじまえってば」


 ランシールとロキシーが説得している間にユリウスはゆっくりとセオンの背後に移動していた。


「ちょっと失礼、セオン」

「え・・・・!?」


 セオンが振り向くより早く、ユリウスの手刀が少年の首にたたきこまれていた。セオンは昏倒し、前のめりに倒れる。ユリウスが腕を伸ばしてセオンを抱き留めた。


「おいおい・・・・・・」


 ロキシーが白けた目でユリウスを見やる。ユリウスは眠りに落ちたセオンを抱き起こし、もう一枚床に敷いた毛布の上に少年を横たえた。


「こうでもしなきゃ、セオンは絶対寝ないでしょ。ごめんね、スファルさん。大事な王子様なのに」


 スファルは首を振った。


「いや、お前の言う通りだ。少しは休んでいただかなくては」


 平原の夜は静かに訪れた。食事も終えて一息ついた時、容体が安定していたフォルセが不意に呻き声を上げた。


「う・・・っ・・・・」


 ランシールが振り向き、フォルセの傍に寄る。


「副長」


 目覚めてはいないが、呼気は荒く、身体が熱く発汗している。ユリウスが脈を測り、顎を摘まんでからフォルセの額に手を当てた。医者らしくないその動作は自然な、兄としての行為である。


「熱が出てきたね。薬の効果かな。こうなれば、もう安心して大丈夫だよ」


 ユリウスは荷物をひっかきまわした。


「こんな平原のど真ん中に氷嚢なんてないから、解熱剤を注射するくらいしかできないんだけど・・・・・」

「それ、氷嚢より効果あるんじゃないんですか?」


 ランシールの言葉にユリウスは微笑む。


「冷やすって大事だよ」


 ランシールは「はあ」と不思議そうな声を出す。


「・・・・僕が看ているから、みんなは休んでいいよ」

「ですが・・・・・」


 ランシールの肩をロキシーが叩く。


「ここは医者に任せようじゃないか」

「そんなこと言って、早く寝たいだけでしょう」

「分かってらっしゃる。俺ぁ疲れた」


 結局みな眠り、ユリウスはひとりフォルセの傍に座りこんでいた。定期的に脈や呼気を確かめ、傷口の包帯を変え、汗を拭いてやる。子供の頃はまったく病気をしなかった弟なので、やっと兄らしいことを出来ていると思うとユリウスは少し有意義な気分になる。ここまで、どちらかといえばフォルセがユリウスを引っ張って来たのだ。フォルセが心配で、彼の傍にいられる道を選んだが、結局それもフォルセの進む道にユリウスがくっついていったにすぎない。フォルセは逆だと思っているようだが、ユリウスは確信している。


「・・・・にい・・・さん」


 かすれた声がユリウスを呼び、ユリウスは顔を上げた。フォルセが僅かに意識を取り戻していた。


「フォルセ。・・・・目が覚めたね」


 フォルセはぼんやりと熱に浮かされた目で、少し首を動かした。自分の傍で眠っているセオン、ロキシー、ランシール、スファルを認識し、息を吐き出す。


「セオンは・・・・・?」

「大丈夫だよ。怪我はないから」

「そう、か・・・・・」


 フォルセは疲れたように視線を天井へ向けた。


「ここまでよく頑張ったね。もう限界だったんじゃないの?」

「・・・・・最後はセオンに助けられてしまった。俺が守るんだって、そう決めたはずなのに・・・・・・」


 ユリウスは黙っていた。


「・・・・・倒れる寸前に」

「うん」

「俺はもう良いから先に行けって、そう言ったら・・・・・首都へ行くことは俺を失ってまですることじゃないと言ったんだ。少しでもセオンの助けになりたくてここまで来たというのに・・・・」

「フォルセ・・・・・・」

「俺は、セオンの枷なのかな・・・・・・」


 ぼんやりとフォルセは呟いた。あまり喋らないフォルセがここまで饒舌なのは、やはり心身に不安があるためか、熱に浮かされているからか。


「―――フォルセがセオンに助けられたって言ったように、セオンもフォルセに助けられたって思っているんだよ」

「え・・・・・?」

「枷なんかじゃない。それだけセオンは、フォルセを大事に思ってくれているってことだよ」

「・・・・・」

「騎士になる時、自分で決めたんでしょ?『この槍で全てを守る』って」


 フォルセは少し黙ってから頷いた。それから右手を自分の額に当てた。


「・・・・気分、悪いし・・・・・眠い・・・・」

「はは、そりゃこんだけ熱があればね。もう休みなよ。続きは明日聞くからさ」

「俺・・・・・どうなるんだ・・・・・?」

「どうなるも何も、熱が出ただけだよ。そんな不安がらなくても、僕がそばにいるから・・・・・だから、もう眠るんだ、フォルセ。起きていると、身体に障るよ」


 ユリウスは毛布をかけ直してやった。フォルセは素直に目を閉じ、眠りに落ちた。


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