1章‐1 出会い
森の中は静まり返っていた。聞こえるのは葉が風にそよぐ音だけだ。昼過ぎの森は明るく、生命に満ちあふれていた。
突如、木に止まっていた多数の鳥が空に舞い上がった。一発の銃声が響きわたる。それと同時に、木の間を縫って巨大な狼の姿をした魔物が疾駆する。
「―――逃がすなよ。確実に仕留めろ!」
「はっ、はいぃ!」
若い青年の声に、さらに若い声が頼りなく返事をする。
大国家カルネア連合。かつては幾つもの小国に分かれていたが、数百年前にカルネアという男によって統一され、その名を持つ連合となった。南北に広い国で、北には氷山があり、南には砂漠が広がっている。この国は多種多様な人種が存在する。火を操る部族、人間離れした怪力を誇る部族、百年以上を生きる長寿な部族・・・・・カルネアは、それらの部族をひとつにまとめて連合国家としたのである。かつては部族同士の争いが絶えない世界だったが、今や純粋なヒトから亜人種までが、共存している。自然あふれる豊かな国だ。それには理由があるといわれている。
この世界は、戦と剣の神アレースが創り出したのだという者がいる。アレースには万物を司る四大元素、地水火風の力を操る、配下の四神がいた。地神、氷神、炎神、風神だ。その四人はそれぞれ東西南北を守っていた。そして、彼らを守護神と崇め、祀る四つの部族があった。その部族の者たちは、神の恩恵を受けて特殊な能力を授かっていた。
カルネアはそれに目を付けた。彼はまず南の砂漠に住む炎神を祀る部族の許へ行き、彼らの炎の力をひとつの石に込めて結晶化させた。そのあと、ほかの三つの部族でも同じことをした。すると、その石を頂点に連合を覆う結界が完成したのだ。地水火風を司り、万物を阻む、見えざる壁。そうしたことによって疫病の類は連合に入って来ることなく、荒廃や凶作とも無縁の穏やかな世界を手に入れたのだ。
なんとまあ、身勝手なことをしたものか。そうカルネアのことを酷評する学者もいる。だが、彼は安息を求めただけなのだ。部族争いが絶えない乱世を終わらせようと立ち上がったのだ。その当時、彼に味方し、手助けをした者は大勢いた。その理想も、その豪快な人柄も、多くの人々を引き付けたのだ。
だが、そうは思わなかった者も当然、いる。その結界に取り残されたのが、隣国のハルシュタイル王国である。ハルシュタイルはすっかり荒廃し、惨めな生活を送っているらしい。彼らは連合の富を求め、何度も攻めてくるのだ。
カルネア連合は近隣諸国最大規模の兵力を有し、五つの連隊から成る。ひとつの連隊は更に五つの大隊に分けられ、連隊として活動することは戦時中以外にない。すべての町は騎士が統率し、治安維持に努めている。各都市に駐在するのは大隊規模だ。
その連合の東端に位置しているキシニア地方は、寒くも暑くもない、一年中暖かな地域だった。鉄鋼都市とも呼ばれ、鉄加工品の出荷量は国内で最も多い。というのも、傍に大きな鉱山をふたつも抱えているためだ。
カルネア連合の全ての街は城壁に囲まれているが、このキシニアは隣国ハルシュタイルとの国境に接する街である。数年前までは頻繁に戦争が勃発していたので、キシニアを守る城壁は他に比べて厚く、城壁自体が巨大な砦となっている。一年中騎士が駐屯し、隣国を牽制していた。
隣国ハルシュタイルは、別名で剣の国と呼ばれる。強力な騎士団を有する軍事国家であり、何度か戦火を交えていた。しかし規模は小さく、数のカルネアと質のハルシュタイルの実力は拮抗していた。以前攻め込まれた際にハルシュタイルの高名な指揮官を討ち取り、騎士団にも多大な被害を負わせた。それ以降ハルシュタイルは手を出してこなくなったが、緊張の状態は続いている。
キシニアは周囲を広大な森と山に囲まれている。森には人を襲う凶暴な生物、魔物が多く生息している。魔物は生態系もはっきりと判明していない、未知の生物だ。キシニアと他の街は人も物資も往来が多く、頻繁に魔物の襲撃騒ぎが起こる。この日もキシニアへ向かう途中だった旅団が襲われ、キシニア駐在の第五連隊所属第一大隊、通称【黒豹】が救助に向かっていた。
若い騎士が地面に片膝をついて銃を構えた。拳銃ではなく狙撃銃だった。方向転換をして猛然とこちらへ突進してきた魔物の真正面で、引金を引き絞る。銃声が響き、確実に魔物の急所を撃ち抜いていた。魔物が横転する。小さく息をつきながら青年が立ちあがると、後から来た騎士が少し微笑む。彼は身の丈ほどある長大な槍を握っていた。
「上出来だ。次に行くぞ」
若い騎士も頷き、後を追った。
ふたりの騎士は三匹ほどの魔物を仕留めた。魔物の気配も消えうせて一息ついていると、新たな騎士が駆け寄ってきた。
「副長! こちらの魔物は討伐完了しました」
「分かった、私もすぐに戻る。討伐の完了を通達してくれ」
「はっ」
騎士が一礼して駆け去る。副長と呼ばれた槍騎士が振り向くと、銃を地面に放り出してしゃがみこんでいる若い騎士が目に入る。呆れたように溜息をついて声をかける。
「いつまで座り込んでいるんだ、ランシール?」
若い騎士は顔を上げた。若干涙目だ。
「だ、だって・・・・・もうほんと、怖くて怖くて。自分でもよく生き残っていると思っています・・・・・」
「この程度の戦いで死んでもらっては困るな」
言葉は厳しいが、表情や声は優しげだ。彼とは付き合いが長く、実力は高いのに極端に戦いを恐れる性格であるということを熟知しているのだ。ランシールという若い騎士が放りだした銃を拾い上げ、それを彼に差し出す。
「さあ、戻ろうか」
ランシールは銃を受け取って立ち上がった。
カルネア連合第五連隊所属、第一大隊副長―――それが、フォルセ・ミッドベルグの身分である。両親を亡くした十五歳の時に騎士団に入団し、四年前に二十二歳で副長を任された。入団から一度も異動したことはなく、十年近い騎士生活はすべてこのキシニアの街にあった。そのため、隊の中でもとりわけこの街に詳しく、またハルシュタイルの攻撃にも慣れている。槍の名手であり、他にも剣や狙撃もそつなくこなす騎士だ。指揮能力も人柄も周囲に高く評価されている。
後輩であるランシール・シャスティーンは、フォルセにとって弟のような存在である。剣も使うが、もっぱら彼の武器は銃である。拳銃や狙撃銃、城壁にある砲撃台まで、銃ならば一度見ただけで使いこなしてしまう狙撃の天才だ。しかし戦いの緊張が苦手で、戦いの直前と終わった直後はまるで頼りにならなくなってしまう。一度銃を手に持って戦場に出れば、スイッチが入れ替わったかのように勇猛果敢に戦うことができる、なんとも不安定な騎士だ。実力は確かなので、隊の中でもそれなりに上位の地位にある。
歩いている内にようやく心が落ち着いたらしく、しきりに聞こえていたランシールの溜息が聞こえなくなる。フォルセが内心で「やれやれ」と思っていると、不意にランシールが声を上げた。
「・・・・副長、あれを!」
声が緊張している。ただならぬ気を感じてフォルセが振り向くと、ランシールは後方を指し示した。道から少し逸れたところに、誰かが倒れている。距離があるので年齢などは分からないが、どうやら少年らしい。
「襲撃された旅団のひとりかもしれないな」
フォルセは倒れた少年の元へ駆けだす。ランシールも後を追った。
十七歳ほどの少年だった。髪の色は黒く、明るい茶髪のフォルセやランシールとは正反対だ。
フォルセが少年を抱き起こす。身体は暖かく、確かな呼吸も感じられた。ほっとしたようにフォルセが息をつく。
「良かった、気を失っているだけのようだ」
ランシールが頷きつつ、後方を振り返った。そして驚愕した表情になり、後ずさる。
「ふっ、ふくちょっ・・・・うわっ、うわっ・・・・!」
声だけで、言葉になっていない。彼に少し遅れてフォルセも気づいた。討ちもらしたらしい魔物がこちらに向かってきたのだ。凶暴な牙をむき出しに、フォルセとランシール、そして意識を失った少年めがけとびかかってきた。