3章‐5 イウォルの狩り場
中央平原には、まったく見たことのない草木や虫などが多く生息していた。ランシールはそれらについて詳しく、ユリウスに乞われていろいろと説明している。
「これは傷口に効く薬草です。しょっちゅうお世話になりましたね」
「へえ・・・・・じゃ、この背の高い草は?」
「あっ、触っちゃ駄目ですよ。それには大型の魔物でも一撃で殺せるくらい強い毒があるんです」
「おっと、危ない危ない・・・・・」
ユリウスが慌てて手を引っ込めた。
「もうここは独自の文化や自然を持っているんだな」
フォルセは感心しながら呟く。普通に暮らしていれば絶対に見ることのない光景だ。恐怖はない。この光景を見ることができたことを単純に嬉しく思っている。
「あ」
ランシールが不意に声を上げた。セオンが足を止めたランシールを見上げる。
「どうしたの、ラン」
「あれ、見て御覧」
ランシールが指示した先に、鹿のような獣が見えた。かなり遠く、相手は気づいていない。
「あれはラコルっていう動物で、魔物じゃないんだよ。保存食として重宝される、平原で唯一の魔物以外の食料だ」
「魔物以外のって、魔物食べるの・・・・!?」
「怨念の塊って知ってからちょっと抵抗出ちゃったんだけどね。毒さえなければ何でも食べられるよ」
「そうなんだ・・・・・」
セオンが不思議そうに呟いた。
「仕留めるのか?」
ロキシーが問いかける。ランシールは頷いた。
「この平原で、食料がありすぎて困ることはありませんよ」
そう言いながらランシールは銃を構え、発砲した。ラコルが見事に倒れた。ランシールは所持していた短剣で手早く肉を解体して取り出した。
「さ、行きましょう」
「頼りになるな」
フォルセが微笑む。ユリウスも頷いた。
「ランシールにとっても、平原は庭なんじゃないかな」
「狩猟生活なんて、いつの時代だよ」
ロキシーが溜息をつく。
その日の夜は、平原にいくつもある岩窟のひとつに入った。平原で火を焚くことは居場所を知らせるようなもので、平原で夜を明かすにはこうした岩窟でなければならないのだという。それも、入ってすぐのところではなく一度角を曲った、本当に死角の場所である。
「明日にはイウォルの狩り場に入るでしょう。覚悟してくださいね」
短い夕食を終えてランシールがそう言う。フォルセは頷いた。ランシールは銃を置くと、傍にあった弓を手に取った。
「弓か」
スファルが訝しげに尋ねた。一昔前に間接的な武器の頂点にあったのは弓矢だった。それが徐々に銃へ交代していき、今では完全に弓など使わなくなった。使用できる人間も多くはないだろう。
「こんな見晴らしのいい場所で銃を使ったら、銃声がどこまでも響いてしまいますよ。弓は慣れていますから大丈夫です」
「さすが狩猟の民だな」
スファルが感心したように呟いた。
翌朝も平原は静まり返っていた。魔物とは遭遇するが、人の姿はない。
「なんか、平穏そのものだな」
ロキシーの言葉にランシールが微笑む。
「余裕ぶっているとすぐに牙をむかれますよ」
辺りを見回していたセオンがあるものに気づいてランシールを振り返った。
「ラン、あれは?」
セオンが指差したところには、打ち捨てられたようにも見える、建物の柱らしきものが見えた。
「イウォルの街の残骸だよ。もう少し進むとはっきり都市だと分かる廃墟がたくさん見えてくる。そこがイウォルの拠点だから、大きく迂回するよ」
ランシールは説明しながら、方向転換して迂回を始めた。
そのあと、3日間にわたって一行は平原を進んだが、イウォルの民は姿を見せなかった。行程はランシールの予定どおりらしく、丁度現在位置は平原の中央部らしい。
「イウォルの集落が見えましたよ」
ランシールが声をひそめる。注意しなければ絶対に気づかないほど遠方に、灰色の瓦礫の山が見える。確かに街の跡である。ユリウスが薄く笑う。
「・・・・ここって、一番危険な場所なんじゃないかな」
「ですね。急いで抜けましょう」
ランシールが歩調を早めた。その瞬間、空を切り裂く音が響いた。
フォルセが槍を振るった。無数に飛来した矢が降り注ぐ。ランシールが眉をしかめた。
「しまった・・・・・・」
矢が射かけられた方向に、多くの人の姿が見える。身にまとっているのは、明らかに獣の毛皮である。手に持っているのは弓。その身なりは酷いもので、目つきは完全な獣だ。
「足を踏み入れたな。生きて出られると思うな」
先頭に立つ、まだ若い青年がそう宣言した。はっとしたランシールが前に進み出る。
「お久しぶりです・・・・アーシュ従兄さん」
「・・・・お前、まさかランシール・・・・!?」
アーシュと呼ばれた青年が、度肝を抜かれたような表情で弓を下ろす。
「外の人間に連れ去られたって聞いたぞ。帰って来たのか?」
ランシールは首を振る。
「いいえ。ここを通させてもらいます」
ランシールは弓を構えた。嬉しそうな顔をしていたアーシュの表情が曇る。
「ランシール、なぜだ!? 俺はずっと・・・・お前の帰りを待って―――」
「僕は連合騎士ランシール・シャスティーン。見逃してくれるならばそれで良い。戦うというのなら、容赦はしない・・・・・!」
見つかったからには振りきることはできない。一気に殲滅しなければ駄目なのだとランシールは言っていた。フォルセが真っ先に槍を構え、他の仲間も武器を構えた。
アーシュが哀しげな視線をランシールに向けた。
「残念だ。まさか外の人間に堕ちるなど・・・・・・お前だけは、叔父貴に会わせたかったのに」
ランシールの感情は揺れ動かなかった。アーシュが仲間に呼びかける。
「外の人間だ。必ず殺せ!」
ランシールはフォルセらに囁いた。
「相手の武器は殆ど弓です。懐に入れば脆い」
「分かった」
フォルセは頷き、飛来した矢を振り払いながら駆けだした。
正規騎士相手にイウォルの民がどれほど抵抗できるのか。正直フォルセは測りかねていたが、予想以上に彼らは強かった。騎士とはまた違う強さの連携と、野性的な本能がフォルセの攻撃を予知し、防がれる。
ランシールの矢は、銃のときとなんら変わらない援護をしてくれた。弓など触ったことがないので、素直に凄いとフォルセは思う。
イウォルの民は少しずつ力尽き、アーシュをはじめとする数人が残るだけとなった。アーシュは弓を捨てると短剣を引き抜き、ランシールに斬りかかった。ランシールはアーシュの一撃を避ける。
「ランシール、戻ってこい! お前もイウォルの仲間だろう!」
ランシールは強く言いはなった。
「僕が生きる場所は、もう平原じゃない!」
「ランシール・・・・・!」
ランシールは銃を引き抜くと、それを躊躇いもなく発砲した。見なれぬ武器で戸惑ったアーシュは腕を撃たれ、地面に倒れる。
「く・・・・っ!」
アーシュが腕を抑える。ランシールはそれ以上追撃する気はないようだった。
「大丈夫ですか?」
ランシールは一同を見渡し、無事を確認してほっと息をついた。
「イウォルの民の武器には毒がありますから、怪我には気をつけてくださいね」
ランシールが言った瞬間、彼らの足元に小さな球体が転がって来た。ロキシーが飛び退く。
「おいっ、こいつは・・・・!」
言い終えない内に球体が爆発した。簡単な手榴弾だろう。騎士団の所有するものに比べれば粗末なものだが、衝撃は充分なものだった。
手榴弾に近かったフォルセが吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。息がつまり、すぐ起き上がれない。その瞬間、右足首に激痛がはしった。見ると、剣がつき立てられている。
その剣を握っているのは屈強な男性だった。ランシールが身構える。
「父さん・・・・・・」
フォルセは槍を引き寄せた。男性が鼻で笑う。
「お前がボスだな」
「ボスか。そう呼ばれることはないな・・・・・」
フォルセは激痛に顔をゆがめながら、槍を一閃させた。男性は驚くほどの俊敏さでとびのいた。フォルセは無理矢理足から剣を引き抜き、その剣を地面に叩きつけた。
「ランシール。外で生きる決意をしたなら何も言うまい。だが、イウォルの存在を外の者に漏らすことだけは許すことができない」
男性はランシールに2本目の剣の切っ先を向けた。ランシールを庇うようにスファルが前に進み出る。ユリウスはなんとかフォルセの元へ向かおうとするが、巧みに増援で現れたイウォルの民に牽制されてなかなか近付けない。ロキシーも同様だ。
フォルセは痛みに耐えながらなんとか槍を杖にして立ちあがった。と、傍にある断層の際にセオンが倒れていることに気づいた。衝撃で意識を失ったのだろう、ぴくりとも動かない。
断層が不安定な音を立てる。セオンの傍の崖が崩れた。フォルセは駆けより、落ちかけたセオンの腕を間一髪で掴む。セオンの身体はフォルセが掴む腕1本で宙吊りになった。
「セオン! 目を・・・・覚ませ!」
フォルセが必死に呼びかけたが、セオンは目を覚まさなかった。フォルセの腕から徐々に力が抜けていく。限界だった。
「フォルセ!」
「副長!」
ユリウスとロキシーの声。フォルセはセオンとともに転落した。
★☆
背中が酷くひんやりしていることに気づき、セオンは目を開けた。そこは平原ではなく、暗い地面だった。傍に川があり、かなり冷えている。
「気付いたか・・・・・?」
少し離れたところの壁にフォルセが寄りかかって座っている。セオンは起き上がり、フォルセをぼんやり見つめた。
「フォルセさん、ここは・・・・・」
「崖下だ。あそこから・・・・落ちた」
フォルセが上を見上げ、セオンもそれを追いかける。上空に穴が開いており、光が僅かに差し込んでいる。
よく無事で済んだものだ。そう思ったが、フォルセの身体に傷が多い。それに、まだ血も止まっていない右足首の傷。セオンは自分の身に何が起こったかを思い出した。
「・・・・っ! フォルセさん、その傷・・・・!」
セオンが駆け寄る。フォルセは傷と、そこから全身に回っている毒素のおかげで身体を動かすのも億劫そうだった。だが、フォルセは尋常ではない体力の持ち主だ。まだ思考力も残っている。
「っ・・・・ああ・・・・」
「俺のせいで・・・・・ごめんなさい」
「謝らなくても良い。・・・・さあ、行こう。この先を行けば、元の場所まで戻れる」
フォルセは立ち上がり、川の上流を指差した。セオンはフォルセを支え、ゆっくりと歩き出した。
「・・・・ランやユリウスさんたちは・・・・・」
「きっと大丈夫だ」
死に瀕しているはずなのに、フォルセは落ち着いていた。諦めていないのだ。セオンはそう思う。なら、ひとりで慌てては駄目だった。ユリウスと合流できれば、彼が治してくれる。ランシールも同じ毒を受けて助かったと言っていたではないか。
地面は徐々に緩やかな上り坂になっていた。やはり地面がずれてできた断層なのだろう、地上に続いている。
しばらく歩いていくと、前方で人の声がしていた。フォルセとセオンは物陰に姿を隠し、そっとそれを見る。
「俺たちを探しているんだな」
「気付いていないようですね」
フォルセは頷きつつ、短剣を2本引き抜いた。腕を振り、短剣を投じる。
短剣は真っ直ぐ飛来し、イウォルの民の服を壁に縫い付けた。驚愕したもう一人も服を縫い付けられてしまう。そこでフォルセは傍に歩み寄った。
「お、お前ら・・・・!?」
「俺の仲間は何処に行った?」
フォルセは静かに尋ねる。
「そんなの教えられるわけが・・・・!」
フォルセは槍を持ち上げ、その穂先をイウォルの民の青年の首筋にあてる。「ひっ」と青年が悲鳴を上げる。
「いま腕に全く力が入らなくてな。手が滑る前に答えてくれ。ランシールは何処に行った」
力が入っていないどころか、平原で体験したことのない強さだっただろう。青年は息をのみ、答えた。
「あ、アーシュ達を倒して東へ行ったよ。お前らは見捨てられたんだ、ざまあみろ」
お決まりの文句を吐き捨てられる。フォルセは「どうも」と口の中で呟きながら一瞬でふたりの青年を昏倒させた。
「みんながまともな判断をしてくれて良かった。先へ進んで合流する」
フォルセはそう言ってセオンを振り返り、歩みを再開した。
坂を登るのは、体力が落ちているフォルセには辛いことだった。セオンがなんとかフォルセを支えながら道を進み、ようやくふたりは崖上まで戻ってきた。
辺りに人の姿はないが、あちこちに血痕が残っている。イウォルの民かランシール達のものだ。
フォルセは傍にある木に近づいた。その幹には、横に1本の傷がついていた。右から左へ一筋。
「向こうだな・・・・・」
フォルセは左、つまり東の方角を見やる。同じものを覗き込んでセオンが少し驚いた顔をする。
「これ、みんなが残して行ったんですか?」
「ああ。・・・・まだそれほど遠くには行っていないだろう」
フォルセの言葉にセオンは頷いたが、心配そうにフォルセの腕を掴む。
「少し、休んだ方がいいです。無理しないでください」
フォルセは苦笑を浮かべたが、首を振った。
「俺はまだ大丈夫だ。後になったら身体が動かなくなるかもしれない。それまでに先へ進まないと」
「でも・・・・・」
セオンは口ごもったが、やがてフォルセを支えて歩き出した。
ランシール達が残した道標は幾つもあり、ふたりはそれを辿って歩き続けた。やがて辺りは暗くなり、視界は悪くなっていく。無言を貫いていたフォルセが、不意にセオンに囁く。
「セオン、走れるか」
「え?」
「イウォルの民だ。振り向かず、走れ」
フォルセが走りだし、セオンも後を追う。彼にはまったく見えないし感じ取れないが、フォルセは完全に察知したのだ。
フォルセは岩窟を見つけ、そこに身を隠した。岩窟の外を人が通り過ぎていく気配を感じ、フォルセは力を抜く。疲れたように壁に背を預けた。
「あの人たちのこと、見えたんですか?」
セオンが問いかけると、フォルセは首を振った。小さな火を焚きながら答える。
「いや」
「どうして気づいたんですか?」
「訓練生時代に・・・・・闇の中で戦う時のために、視界に頼るな、気配で感じろと・・・・・教官にそう教えられたんだ」
セオンが黙って首をかしげた。フォルセはそんなセオンを不思議そうに見やる。
「何かおかしかったか?」
「いえ・・・・・フォルセさんに武術を教えた人なんて想像できなくて」
フォルセは苦笑した。
「まさか、我流なわけがないじゃないか。誰にだって師はいる。セオンは誰に剣を学んだ?」
問いかけると、セオンは答えた。
「多分、スファルと・・・・・兄だと思います」
第2王子との不仲は昔からの噂だった。すぐ上の第3王子は病に侵され、余命幾ばくもない身だという。だとすれば残るは―――
「第1王子・・・・・ルゼリオ殿下だな」
セオンは曖昧に頷きつつ、フォルセを見つめた。
「兄は・・・・どんな人なんですか?」
「あまり詳しくはないが・・・・・庶民的で人望も厚い人だ。ハルシュタイル内の政界に影響力が強く、王の代弁者とも言われる。穏健で争いを好まない人柄だが、戦場では卓越した剣の腕と的確な指揮能力で、常にハルシュタイルの最前線に立っていた」
「『立っていた』・・・・・」
フォルセの過去形を使った言葉にセオンは反応し、フォルセは目を閉じた。
「俺も一度戦場でまみえたことがある。たいした人だったよ。・・・・2年前、亡くなったそうだ」
「何故・・・・・?」
「事故、と連合には伝えられている。だが本当は・・・・第2王子の差し金なのかもしれないな。ふたりの対立は激しかったそうだ」
セオンが息をつく。
「俺も同じ目に遭うところだったんですね・・・・」
「そういえば、セオンはどうやって連合に?」
「まったく覚えていないんです。塔から落ちたのに、無傷だったこと自体おかしいですよね」
セオンは困ったように微笑んだ。
その日はもう休むことになり、見張りをセオンが引き受けた。セオンはじっと、眠っているフォルセを見つめる。フォルセの呼気は深く、長い。眠っているというのは分かるが、どうしても最悪の状況を考えてしまう。
(フォルセさん―――)
セオンは両膝を抱え込み、目を閉じた。
こんな無防備に眠るフォルセを、セオンは見たことがなかった。まるで気絶しているようだ。顔色も悪くて青白い。
(・・・・・死なないでください)
セオンはそう祈った。