3章‐4 騎士道、ここにあり
燃え盛る工場を、誰もが息をのんで見守っていた。時折小規模な爆発が起こり、住民たちが悲鳴を上げる。騎士による消火活動もはかどらない。
取り残された住民を助けに飛び込んだオルコットも、まだ戻ってこない。
「大丈夫なんでしょうか、オルコットさん・・・・」
ランシールが心配そうにつぶやく。隣に立つフォルセは槍を小脇に抱えたまま腕を組み、炎をじっと見つめている。
「大丈夫だ」
「でも、もう結構時間が経ちましたよ・・・・・?」
「オルコットは、多少の熱さならものともしないからな」
「え? そ、そういうことですか?」
フォルセは微笑んだ。
「ああ、そういうことだ」
★☆
オルコットは激しく咳き込みながら、工場の奥へ進んでいった。人の姿は見えない。行けども行けども赤い炎が視界を覆いつくし、かろうじてまだ部屋の原形をとどめている場所があるだけだ。服も破れ、肌が焼け焦げている。
「っぅ・・・・どこに、どこにいるんだ!?」
オルコットが叫ぶ。彼の瞳には焦りの色が浮かんでいる。自分が死ぬかもしれないという恐怖ではない。救えないかもしれないという恐怖だ。
『―――母さん! 母さんッ!』
幼いオルコットは、何度もそう叫んで燃えている家に手を伸ばしていた。しかし、結局母を救うことはできなかった。
(もう二度と・・・・・あんな思いはしたくない!)
オルコットはぐっと拳を握りしめた。
その時、前方に人が倒れているのが見えた。はっとしてオルコットは傍に駆けより、その男性を抱き起した。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
「・・・・う・・・・ぅ・・・・あんた、騎士の隊長さん・・・・・?」
オルコットの声で目を覚ました男性が掠れた声で尋ねる。オルコットは頷き、男性を背負った。
「すぐ脱出します。もう少しの辛抱です・・・・!」
★☆
炎の中から人の姿が浮かび上がった。フォルセが駆けよって槍の柄を差し伸べる。オルコットがそれを掴んだのを確認し、フォルセが引き寄せる。オルコットはぐったりした男性を支えていた。先程の男性が兄の傍に駆け寄る。オルコットも男性も酷い火傷だったが、ふたりとも生きていた。
男性の元に駐在の老軍医が駆け寄り、フォルセが倒れかかったオルコットを支えるとすぐにユリウスが治療を始めた。荒い息をしているオルコットに、フォルセが笑みを向ける。
「よくやったな、オルコット」
オルコットも苦しげに笑みを見せた。バルフが傍に歩み寄った。
「・・・・馬鹿騎士。死んだらどうするつもりだった」
バルフの口調は責めていない。彼なりに心配している声だ。
「自分が死ぬことよりも・・・・・あの人を助けるのが間に合わなかったらどうしようって、その恐怖しかありませんでした・・・・・」
オルコットの言葉にバルフは目を見開いた。
「オルコット―――」
初めてバルフはオルコットの名を呼んだ。オルコットは笑みを浮かべた。
「心配してくださって、有難う御座います。バルフさん・・・・」
「なっ! ・・・・・誰が貴様の心配なぞするか!」
バルフがむきになって怒鳴り返した。フォルセとユリウスは顔を見合わせ、困ったように肩をすくめた。
「無謀なことするよなぁ」
ロキシーの言葉にランシールが首を振る。
「無謀だけど、彼は身体を張って証明したんですよ。騎士のあるべき姿をね」
ロキシーは苦笑した。
「誰にでも真似できることじゃねぇな」
その時、オルコットがふらっと後方に倒れた。フォルセが抱き留める。
「オルコット!?」
フォルセが名を呼ぶ。オルコットは意識を失っていた。疲労が極限だったのだろう。
「フォルセ、すぐオルコットを安全な場所に運んで。ちゃんとした治療が必要だ」
「分かった。騎士団の詰所でいいかな」
フォルセはオルコットを抱き上げ、急いで詰所に向かった。
オルコットも、救助された男性も命に別条はなく、火もまもなく鎮火された。これほどの大惨事ながら、犠牲者は出なかった。
オルコットの負傷は酷く、後先考えずに突っ込んだ大隊長を部下たちは盛大に責めていた。寝台から動けないオルコットはすまなさそうに身体を縮めており、そのうち騎士たちは笑った。オルコットは部下に好かれているのである。それに、オルコットの行動がバルフを始め多くの商人に影響を与えたのは事実だった。みなオルコットを認め、色々と見舞いを送って来ていた。街では騎士と住民が協力して、瓦礫撤去などを行っているという。
朝になってフォルセらは旅じたくを整え、オルコットの病室に出向いた。包帯が痛々しいオルコットだったが、調子は良いようである。
「もう行かれるんですね」
「ああ、世話になったな」
「とんでもない。世話になったのは私の方です」
オルコットは腕に巻かれた包帯に視線を落とす。
「まだまだ力足りないところはありますが、私は私なりにノルザックの民と生きていきます。・・・・・そう思えるようになったのもフォルセさんのおかげですから」
「どうして私のおかげなんだ」
「憧れの先輩が急に私の前に現れて、すごく格好良かったからですよ。私もそうなりたいって改めて思いました。でなきゃ、火の中に飛び込むなんて真似できませんでしたよ」
急に口調が砕けたオルコットにフォルセは唖然とし、その背後で仲間たちは微笑んだ。オルコットがフォルセに憧れる気持ちはランシールがよく分かっている。決してぶれない、毅然としたフォルセは憧れの的だ。
「・・・まあ、そう言うことにしておくか。私たちは首都へ行く。あまり無理せず、怪我を治せよ」
「はい。・・・・あ、ラノールへ行くのでしたら部下を護衛につけましょう。必要ないと思いますが、最近は物騒なので形だけでも。何なら荷物持ちでも良いですよ」
フォルセは言葉に詰まり、頭を掻いた。
「いや、大丈夫だ」
「そんなこと言わずに。私にはこれくらいしかお礼ができませんし」
「来てもらうと困るんだよ・・・・」
本気で困った様子のフォルセを見てオルコットが首をかしげる。
「・・・・何か隠しておいでですか?」
フォルセはちらりと背後を見やってから、溜息交じりに告げた。
「私たちは中央平原を横断して首都へ行くつもりだ」
「・・・・いま、さらっと何をおっしゃいましたか?」
オルコットが瞬きした。フォルセが丁寧に同じことを繰り返すと、オルコットが真っ青になった。
「な、なぜそういう計画を立てるんですか!? 危険です、やめてください」
「オルコット、ラノールを経由して北周りで首都へ向かうには、何日かかる?」
「え・・・・そうですね、20日くらいでしょうか」
「中央平原は10日で越えられる。そっちのほうが断然早い」
「そういう問題じゃないでしょう・・・・」
オルコットはうなだれた。説得は諦めているらしい。
「・・・・身体の自由が利いていたら力づくでお止めしましたが、それも叶いません。どうかお気をつけて。旅の無事を祈っています」
「ああ。じゃ、また来る」
あっさり別れを告げ、フォルセたちは部屋を出た。ユリウスが腕を組む。
「なんかあっさりだったね。彼のことだから断固引き止めると思ったんだけど」
「フォルセを信じているのだろう。死ぬわけがない、とな」
スファルの言葉にフォルセは肩をすくめた。ランシールが不満げに呟く。
「みんな余裕なんだから・・・・・」
「道案内を買って出たのは誰だよ」
ロキシーに冷やかされ、ランシールは顔を上げた。
「勿論僕です。その責任を負ったからには、絶対生きて平原を抜けますよ」
「頑張れ、若人」
「自分だって若いじゃないですか・・・・・」
ランシールが溜息をついた。
ノルザックを出て街道をラノール方面へ向かう。ランシールはすぐ街道を逸れ、やや南下した。
「平原との境目ってあるのか?」
ロキシーの問いにランシールは首を振る。
「明確なものはありません。強いて言うなら、街道を逸れたらもう平原でしょうか」
「じゃあ既にここは中央平原ってことか」
ロキシーは感慨深げに辺りを見渡す。人の姿はない。どこまでも続く平原を見渡せる丘の上に立ち、ランシールが少し考え込む。
「・・・・・街道傍はイウォルの狩り場ではありません。しばらくは真っ直ぐ進みましょう。ただし、魔物は出るでしょうから気をつけて」
そうして一行は丘を下り、平原を進み始めた。
「シャスティーン、家族で話の通じる者はいないのか?」
スファルの問いに、ランシールは首を振った。
「残念ですが・・・・僕の父はイウォルの民を統べる族長です。絶対に揺らぎません。唯一話が通じるといえば・・・・」
言いかけたランシールだったが、すぐに目を閉じた。スファルが首をかしげる。
「どうした?」
「従兄が・・・・いるんです。でも、やっぱり駄目でしょう。部族にとって掟は絶対です。僕は平原を出てはならないという掟を破りました。これは・・・・死罪ですから」
「死罪!? そんなに重い掟なの?」
セオンが驚く。答えたのはユリウスだった。
「部族っていうのは独特の文化を持っている、いわば少数民族でね。彼らは、自分たちの文化をとだえさせないようにって必死で守るんだ。掟は法律みたいなものさ」
「そんな・・・・そんなの、間違ってるよ」
セオンが辛そうにつぶやく。フォルセが言った。
「それが、カルネアが連合を統一したことで生まれた部族の差別だ。カルネアの後も、連合政府は次々と部族を滅ぼしていった・・・・イウォルの民は、ただ自分たちの生活を守っているんだ」
「・・・・どうなんでしょうね。昔からの風習に従い、何の考えもなく外の人間を排除していたように僕は思っています。だから、僕は平原を捨てたかったんです」
ランシールの声音は低い。ロキシーがその背を思い切りたたいた。
「しっかりしろよ、ランシール。ここじゃ、お前だけが頼りなんだぜ? しゃんとしろって」
「は、はい。そうですね・・・・・では、行きましょうか」
ランシールは顔を上げ、まっすぐ平原を見据えた。