3章‐1 旅立ち
翌朝、フォルセとユリウス、セオンは街の城門付近へやってきた。そこにはスファルと、地面にしゃがみこんでいるロキシーがいた。見るからに嫌そうである。
「あー、嫌だっ。俺行きたくねぇ!」
ロキシーがすすり泣く真似をする。フォルセが肩をすくめる。
「今更じゃないか」
「昨日のあれはね、勢いだったの。一日頭を冷やしてみると、俺はなんて馬鹿なことを言っちまったのかってもういやいや・・・・」
「それでも来てくれたじゃない。優しいね、ロキシー」
ユリウスがからかうように微笑むと、ロキシーはむっくりと顔を上げた。
「・・・・そりゃ、1回は行くって言っちまったしね。約束は守ります。だが、旅の間しつこいくらい嫌だって言ってやるからな」
「どうぞご勝手に。怪鳥のさえずりだと思って聞き流しておくから」
ユリウスは朗らかに笑った。
すると、背後からひとりの騎士が歩み寄ってきた。気づいたフォルセが振り返り、目を見張る。
「ランシール」
ランシールは照れ臭そうに笑って、人差し指で頬を掻いた。セオンの表情が明るくなる。
「ラン、もしかして一緒に・・・・・?」
「うん。僕も行きます」
ランシールはきっぱりとフォルセに告げた。フォルセが微笑む。
「いいのか? あんなに反対していたのに」
「よく考えてみたんです。やっぱり、副長もセオンも、みんなを見送ることなんてできない。そんなことをしたら、僕は逃げたことになる・・・・・・」
呟いてから、ランシールは拳を握った。
「昔と同じとは限らないかもしれないけど、イウォルを迂回出来る道をなんとか探します。そのくらい、お役にたてると思うんです」
フォルセは微笑んで頷いた。ランシールもほっとしたような顔をする。ロキシーがランシールを見やる。
「物好きだなぁ。行くなんて言わなきゃいいのに」
「ロキシーさんに言われたくありません」
むっとしてランシールが反論する。そして視線をスファルに向けた。
「ちゃんとご挨拶していませんでしたね。ランシール・シャスティーンです。改めて以後よろしくお願いします」
「こちらこそ、頼む」
スファルも頷いた。ロキシーが素っ気なく名乗る。
「ロキシー・ディスケイトだ。あんま期待しないでくれよ」
「ミッドベルグが同行させるのだ。大いに期待させてもらうぞ」
ロキシーが溜息をつく。
「俺って、プレッシャーに弱いのよねぇ」
「ワイヤーロープみたいに図太い神経の持ち主なのにおかしいね」
「あのね」
ユリウスがからかう。そのままユリウスも名乗った。
「ユリウス・ミッドベルグ。フォルセの兄だよ。見ての通り軍医だ」
「ふむ、兄弟だったか・・・・・」
スファルは腕を組み、頷いた。
「ではお前たちのことは名で呼ばせてもらおう」
セオンが一同を見回す。
「みんな、よろしくお願いします」
ランシールが一行を先導して街を出た。彼の話では、平原の手前にあるノルザックの街を目指し、そこから平原に入るのだという。ノルザックまでは馬で行くが、そこからは木以外に障害物のない広大な平原になる。馬はかなり目立つので、徒歩の旅となる。ノルザックまでは東に2日、平原に入ってからもひたすら東へ向かって連合の中央部を横断する。アクシデントがなければ、平原は10日で抜けられる。
キシニアを囲う樹海を抜けると、整備された広い道が果てしなく続いていた。キシニア往来の街道である。
「このまま1本の道がノルザックまで続いているんですよ」
「そうなのか・・・・・・」
フォルセが思わずといった様子で呟き、不意に口をつぐむ。ロキシーが振り返った。
「騎士になる時ノルザックに寄ったはずだぜ。平原を迂回する普通のルートだって、首都とキシニアを繋ぐ道筋の上にはノルザックがあるんだから」
「ああ、そうだったかもしれないな・・・・・」
「・・・・本気で忘れてんのか?」
フォルセが頭をかく。ユリウスが微笑んだ。
「興味があること以外は忘れるようになっているからね、フォルセは。戦略上の地図はすぐ覚えるのに」
「戦略上の地図ってなんですか?」
セオンが問いかける。
「ナントカ国に隣接しているナントカ砦の裏手に山がある。ナントカ軍はその山の左辺部から頂上を経由して砦に攻撃を仕掛けるだろう。そのため、騎士は山中の洞窟に潜んで奴らを待ち伏せ、別の隊がナントカ湖を西から東へ迂回しながら後背を突くのが最善である」
ユリウスが一気にまくしたて、人差し指を立てて横に振って見せる。
「・・・・とまあこんな具合に、策を立てるために必要な道とかは、完璧に覚えている訳だよ。それ以外は覚える気すらない」
「すごいですね・・・・・」
「ああ、すげぇ」
ロキシーが本気で感心したように頷く。
「説明のためにぽんぽん言葉が出てくるあんたがすげぇよ」
「え、僕?」
ユリウスが目を丸くし、ランシールとセオンが笑った。後ろでそれを見ながらフォルセは肩をすくめた。
「楽しそうだな・・・・・・」
「ああ。だが・・・・・地理に疎いというのは本当なのか?」
スファルの問いにフォルセはぎくりと硬直し、頭をかく。
「・・・・まあ、詳しくはないな。生まれてこの方、キシニアから出たことなど殆どない。昔から勉強も嫌いだったし・・・・・」
恥ずかしくなったのか、声が徐々に小さくなっていく。スファルがふっと微笑む。
「お前もまだまだ若いな」
「どうしてそう繋がるんだ・・・・?」
フォルセが不可解そうに呟いた。
ランシールがセオンに声をかける。
「セオン、疲れてない?」
「大丈夫だよ」
「無理はしないでね。でも・・・・乗馬は慣れているみたいだね」
セオンの乗馬技術は騎士に劣らないほど巧みだった。セオンが首をかしげる。
「そうなのかも・・・・・?」
「―――それにしても驚いたな。セオンが、まさかハルシュタイルの王子様だったなんて」
ランシールの言葉に、セオンは頷く。
「うん、俺も信じられない。・・・・・でも、生まれなんて関係ないよね?」
そう言うと、ランシールの表情が僅かに曇る。
「関係ない、かな・・・・・」
「俺は俺だし、ランはランだ。生まれた場所で差別されるなんて、そんなの絶対におかしい」
ランシールは少し微笑んだ。
「有難う、セオン」
旅は始終和やかだった。このあと連合一危険な中央平原へ入ることなど露とも感じさせず、着実にノルザックの街へ近づいていった。
陽が傾き始めた頃、ランシールが馬を止めた。
「今日はこのあたりで休みましょう。近くに水場がありますしね」
そうして街道を逸れ、ランシールが言った小さな泉の傍で野宿をすることとなった。夕食は簡単にユリウスが作り、およそ携帯食とは思えない出来の良さだった。
食事を終えると、疲れが出たのかセオンはすぐ眠ってしまった。そのあとも次々と眠りに落ち、起きているのは見張りを引き受けたフォルセだけになった。
静かだった。聞こえるのは小さく綺麗な虫の鳴き声と、火が消えつつある焚き火が爆ぜる音だけだ。空には雲ひとつなく、星がはっきりと見える。
昔はよく父と夜空を見上げたものだ。当時のアーリア鉱山はそれほど危険な場所でもなく、今のように夜間の厳戒態勢もなかった。星が綺麗な夜になると、父は幼いフォルセを連れてよくアーリア山に登った。頂上の斜面に仰向けになると、一面が星空だった。あの時の感動を、フォルセは忘れていない。
「考え事か?」
横合いから声をかけられた。スファルが起き上がり、フォルセを見やる。
「少し昔のことを思い出していただけだ」
フォルセの答えはそっけない。スファルが頭を掻く。
「すまん。話しかけても、お前を不快にするだけだと分かっていたのだが」
そう言われ、はっとしてフォルセが我に返る。
「いや・・・・・俺こそ、すまなかった。子供が喧嘩をしたあとみたいで、見苦しかったな」
「当然だと思うが・・・・・?」
「違うんだ。とにかく、もう貴方を憎みはしない。わだかまりはあるかもしれないが、努力する」
フォルセの言葉に、スファルが苦笑する。
「・・・・・お前という男は、生真面目だな。損をするぞ」
「生真面目ぶっているだけだ。昔、訓練生の頃に騒ぎばかりを起こしたからな」
「お前が騒ぐ?」
スファルが目を見張った。
「キシニアという街はな、とにかく大雑把で、思ったことを言わずにはいられない人柄の人間が多い。俺もそのひとりだ。気に食わないことは、上官にだって反論した。だから、騎士になったいまは上官に忠実であろうと思っているだけだ」
フォルセはもう一度夜空を見上げた。スファルもつられて空を仰ぐ。
「昔はよく・・・・・父に連れられてあちこち回ったものだが、今では夜空を見上げることすらしなくなったな」
「野宿は初めてか」
「騎士の訓練で何度か街の外に出たことはある。だが、ここまで遠くに来たのは初めてだ」
スファルはフォルセの視線を追って、空へ視線を向けた。
「この夜空は、ハルシュタイルのものとは違うな。見なれない星座だ」
「そうなのか」
「最も、豪雪地帯ゆえに晴れることなどほぼないに等しいのだがな。だが見える時は非常に美しいぞ。連合のように文明が発達していないせいか、高い建物が少ない。おかげで、視界を遮るものが何もないのだ」
フォルセは視線を焚き火に落とす。瞳の中に踊る火が映っている。
「・・・・俺は自分の世界を、自分で狭くしていたのかもしれないな・・・・・」
スファルは黙っている。その視線の先には、毛布にくるまって眠っているセオンがいる。それに気づいたフォルセがスファルを見やる。
「記憶を失う前のセオンと、今のセオンは違うか?」
「ああ。決定的な違いは、言葉遣いだな」
「言葉?」
「セオンさま・・・・・アルセオール殿下は、王陛下や兄君以外の人間に敬語を使うことなど決してなかった。それにその声音が、無条件に優しすぎる」
セオンがスファルにかけた言葉を思い出す。やめろ、とスファルに命じたのだ。叫ばず、怒鳴らず、静かな有無を言わさぬ命令。確かに、王者としての威厳は充分だった。
「セオンさまにも敵はいた。常に命を狙われながら生きていたのだ。心を頑なにし、感情をも殺しておられたというのに・・・・」
「最近は、セオンもよく笑うよ」
「それも信じられないことだ。ここ数年で、セオンさまの笑顔を私は見たことがなかった。それなのに今はあんな自然に笑っておられる。なんというか、調子が狂うな」
フォルセは首を振った。
「信じられなくとも、セオンはセオンだ。心を閉ざして表に出せなかった思いがいま形になっているだけだろう。受け止めてやらなければ、セオンが可哀そうだ」
「ああ、そうだな。・・・・いつまでも、ああして屈託なく笑っていてもらいたい」
スファルはしみじみと呟いた。
「・・・・セオンさまが楽しそうにしておられるのにはお前の影響が大きいだろうな」
「ん?」
「正体が敵国の王子だと知っても、セオンさまに対するお前の態度は何も変わらなかった。・・・・いまのセオンさまにとっては何よりの救いだろう。・・・・そのまま、見守ってほしい」
フォルセはしばらく目を閉じ、静かに頷いた。スファルもほっとしたように肩の力を抜く。
「見張りを代わろう。お前も少し休むと良い、フォルセ」
「・・・・・分かった、そうさせてもらう」
フォルセは頷き、毛布を体に巻きつけた。
★☆
翌朝も早くから馬を進め始めた。ランシールが言う。
「この調子なら、昼過ぎにはノルザックに着けそうですよ」
「いろいろ準備もあるだろうし、丁度良さそうだね」
ユリウスがのんびりとした口調で言った。フォルセはランシールの傍に馬を寄せた。
「ランシール、聞いていいか」
「僕が孤児院にいた理由、ですか?」
ランシールは先回りした。その通りなので、フォルセは黙って頷く。ランシールが考え込みながら口を開いた。
「集落から離れてひとりでいた時、旅の人と出会ったんです。その人、首都から旅をしてきたって話してくれて、相当運のいい人だったんですよね。イウォルの民に見つからず、平原をほぼ横断してきたんですから」
確かに、幸運の持ち主だ。フォルセは頷く。
「殺さなきゃと、そう思ってはいたんですけど・・・・・僕にはできなかった。短剣の柄までは握ったけど、どうしても抜けなくて。その時に僕の父が駆け付けたんです」
「旅の人は殺されたのか」
「いえ。その旅の人はすごく戦い慣れていて、逆に父のことを殺す勢いだった。咄嗟で、僕はあの人と父の間に割り込んでしまったんです」
「なんで!」
盗み聞きしていたらしいロキシーが割り込んでくる。フォルセがそのロキシーを制止する。
「旅の人も父も、どちらも死んでもらいたくなかったからです。逃げてと言いました。そうするとその人、自分が傷つけてしまったのだから責任を取らせてほしいって言って、僕を連れて逃げたんです。父には、まるで僕を人質に取ったように見えたのでしょう。追っては来ませんでした」
「息子を人質にされたから追えない、か・・・・・なんか人間味があるな」
「どういう意味ですか。イウォルの民だって人間ですよ」
いつものようにランシールが反論したが、むっとしたような声ではなかった。辛そうな表情をしていたのだ。ロキシーが思わず口をつぐんでしまう。
「その人は僕をノルザックの街で治療したあと、キシニアの孤児院に預けたんです。イウォルの武器には毒が塗ってあるので、殆ど意識がなかったんですけどね・・・・・気付いた時にはあの人はいなくて、結局名前すら聞けなかったんです」
「平原に帰ろうとは思わなかったのか」
「帰っても、外の人間に触れたというだけでまた追い出されることになったでしょう。旅の人を庇ってしまいましたし。それに、外の世界に興味があったんです。平和に暮らせるなら、帰りたいとは思いませんでした」
「そうか・・・・・・」
腕を組んでいたユリウスが不意に口を開いた。
「ランシール、さっき『イウォルの民』って言ったよね」
「え・・・・あ、はい」
「かつて中央平原にはイウォルという都市または国があって、そこに暮らしていた人たちの末裔を、イウォルの民って呼んでいるんじゃないの?」
ランシールは瞬きをし、頭をかく。
「すごいですね、ユリウスさん。中央平原は、カルネアが統一するまでは王国だったそうです。廃墟となった都市の残骸を、イウォルの民は利用して暮らしているんです」
「言うなればあそこは、イウォル地方ということか」
「ランの故郷、どんなところなのかな」
セオンが完全な好奇心で呟く。ランシールは苦笑した。
「住みたいと思う場所ではないと思うよ」
ランシールの言った通り、昼を過ぎた頃にノルザックの城壁が見えてきた。キシニアの城壁は守りを重視したものだが、ノルザックは違って華美に見える。
「ノルザックは流通の拠点なんだ。人も物も多い。気候も安定しているから、身分が高い人の別荘なんかもあるよ」
ユリウスの説明にセオンが頷く。
「ノルザックも騎士が駐屯しているんですか?」
「そうだよ。確か・・・・第二連隊の第三大隊だね。フォルセ、大隊長を知ってる?」
フォルセはすぐに答えた。
「オルコットという男だ。訓練生時代の後輩だな」
「後輩ということは、年下なのか」
スファルの問いにフォルセは頷く。
「前の大隊長が急病で亡くなって推薦されたそうだ。実力はあるぞ」
「そんなものなのか」
「まあ、ノルザックは対ハルシュタイルの要衝にはなっていないからな。それにあそこはほぼ商人による自治区になっている。形式だけ、という気はするよ」
「・・・・・そんなものか」
スファルはもう一度同じことを呟く。
と、前にいたロキシーが振り返った。
「副長、なんか様子が変だ」