2章‐4 協力要請
地下牢に足音が響く。スファルが顔を上げると、格子の前にハーレイ・グラウディが佇んでいた。
「グラウディ。久しぶりだな」
「ああ・・・・・」
ハーレイは短く頷く。
「巻き込んですまなかったな。必ず阻止するなどと豪語しておいて、あれほどの犠牲を出させてしまった。申し訳ない」
スファルの言葉にハーレイは黙っていた。
「お前のところの副長には嫌われただろうな。確実に殺される、そう思った。あの怒りは尋常ではなかった・・・・当然のことだが」
「フォルセは子供ではない。感情には流されない男だ。おそらくは、騎士としてお前を高く評価しているだろう」
「そうだろうか?」
「ただ・・・・お前が言ったことをそのまま、フォルセは自分の責として背負っている。その辺り、自分の口から説明してやれ」
スファルは頷いた。ハーレイは腕を組む。ふたりの雰囲気は敵同士ではなかったが、友人といった雰囲気でもなかった。
「フォルセ・ミッドベルグ・・・・・騎士にしておくには、少々優しすぎるかもしれないな。実力はあっても、住民のために判断を間違えるかもしれない」
「それこそ本人に言ってみろ。確実に殺されるぞ。・・・・フォルセは、あれでいい。あれでなければ、この街で騎士はやっていけない」
ハーレイはフォルセを高く評価している。というより、部下の中では絶対の信頼を置いている。彼とランシール、ロキシーがいれば、キシニア駐在騎士たちは統率がとれる。自分は後ろで面倒な書類整理でもやっていれば充分だ。
余所者の自分が偉い顔をするより、地元の人間で実力と人望があるフォルセが表に出たほうが、隊がまとまるし住民との連携も取りやすい。それが、ハーレイがフォルセに指揮を丸投げする理由だった。「なんだあの隊長は役に立たないな、だが有能な副長がいるから平気だ」―――誰もがそう思い、フォルセを信頼している。
そのくらいしなくては、このキシニアで戦いの日々を乗り越えてはいけない。
―――荷が重いです、隊長。
指揮を一任すると―――勿論理由は説明せず―――告げたとき、苦りきった顔でフォルセはそう言った。キシニア騎士はなかなか個性的だし、まとめるのはそれは苦労するだろう。
―――お前ならできる。
ハーレイはそう言ってフォルセの背を押した。今やフォルセは務めを立派に果たし、期待以上の働きをしてくれている。その優秀さには舌を巻く。
さすが、『あの方』の育てた最高の騎士だ。
「計画とやらは進んでいるのか」
「抜かりはない。・・・・セオンさまをミッドベルグに託したのはお前の采配か」
「信頼しているからな。不満か?」
「いや。あれほどの騎士の傍にいられたのなら、セオンさまにとっても良いことだったろう」
スファルは一度黙り、顔を上げた。
「・・・・首都へ行くには、中央平原を越えれば良いのか」
「その進路はまず無理だ。中央平原は魔物の巣窟で、特にこの時期は奴らも活性化している。平原を迂回して幾つかの街を経由しなければならん」
「越えられない訳では、ないのだな?」
ハーレイは諦めたように頷いた。
「・・・・大隊規模でも、容易ではないがな」
「腕利きの騎士を貸してほしい」
「話を聞いていなかったか? いくらお前といえど、無関係の人間のために大事な部下を死に向かわせることはできんな。まして、第4王子も同行させるつもりだったのだろう」
「グラウディ。お前が乗り越えた道を部下は乗り越えられないというのか?」
「・・・・脅しているつもりか」
ハーレイは彼に背を向けた。
「・・・・協力を仰ぎたいのなら、本人にしろ。時々、酷くお人好しになることがあるからな」
「すまない、グラウディ」
スファルはハーレイに礼を言った後、ふっと微笑んだ。
「しかし不思議だ。かつての私とお前は敵として出会い、戦場で剣を交えたというのに・・・・・今、私はお前の力を頼っている。おかしなものだ、お前も相当お人好しなのではないか?」
「押し付けられただけだ」
素っ気なく反論し、ハーレイは牢の前を離れた。と、スファルが呼び止める。
「ところで、私はいつまで牢に入っていればいいのだ?」
「さあな。そのあたりはフォルセに一任している。大人しく囚人になっていろ」
ハーレイは再び歩き出そうとして、ふと歩みを止めた。
「言い忘れていた。―――もし今度の件で我が隊の騎士を犠牲にでもしてみろ。・・・・即座に私がその首を刎ね落とす」
「部下思いなのだな。勿論努力はするが、彼らが私に守られることを受け入れるとは思えんぞ?」
「あいつらの意思は関係ない。特にフォルセの扱いには気を付けることだな。―――フォルセは、フォルセの師の『逆鱗』そのものだ。あいつに何かあればその師が飛び出してきて、いっそ死ぬほうが楽だという苦痛を味わうことになるぞ」
「・・・・黒豹は愛されやすい質なのか」
ハーレイは何も言わず、不吉な言葉を残して歩み去った。
★☆
それから一夜が明け、朝になってスファルの元にひとりの若い騎士が食事を持ってきた。フォルセと一緒にいた、あのどこか臆病そうな騎士だとスファルは気づく。だが、目の前にいる騎士からあの時の不安定な感情は感じられない。内心で首を捻っていると、騎士が口を開いた。
「良くお休みになれましたか?」
「・・・・寝心地が良いとは言えないがな」
スファルの皮肉にその騎士、ランシールは苦笑を浮かべた。
「後ほどまともな部屋を手配しますから」
「すると、私がここに押し込められたのは単に空き部屋がなかったからか」
「そういうことです」
ランシールは悪びれもせずにあっさり肯定し、格子の中に食事の盆を滑り込ませた。スファルが礼を言って盆を受け取ったが、ふとランシールの右手が腰帯に収められている銃の引き金部分にかかっていることに気づいた。その動作に隙はなく、親切にしているが実際はまったくスファルを信じていないことが明らかだった。卓越した狙撃手だ、とスファルは感心する。技術的なものもそうだが、心意気のようなものも、である。銃は遠方から気付かれずに敵を射抜く、暗殺向きの武器だ。
さっさと食事を終えると、スファルはランシールを見やった。
「セオンさまに会えないか」
ランシールは少し考え込んでから頷いた。
「貴方がそう申し出れば案内するようにと副長に命じられていました。・・・・どうぞ」
不服そうである。察するに、彼もセオンと親しい間柄なのだろう。そんなセオンに得体のしれない騎士を接触させることが嫌なのだ。自分にも経験はあることなのでスファルは妙に納得する。ハルシュタイルの王城でスファルが嫌う相手がセオンに目通りを願うと、スファルは露骨に嫌な顔をしたものだ。
スファルは半日ぶりに牢から解放され、ランシールに案内されて医務室へ入った。室内にはフォルセのほか、軍医らしき男性ともうひとり騎士がいた。どちらも見覚えがある。どうやら彼らが隊の要らしい。そして寝台にはセオンが座っている。
「副長、お連れしました」
「ああ、ご苦労だったな」
フォルセは頷き、スファルを寝台の傍へ導いた。
「スファル」
セオンが名を呼ぶと、スファルはセオンに一礼した。
「セオンさま。・・・・ご無事で何よりでした。私のことは覚えておいでなのですか」
セオンは困ったように頷く。
「貴方がずっと俺の傍にいたことは分かります」
その答えを聞いたスファルが目を見張る。それから哀しげに首を振った。
「・・・・本当に、記憶がないのですね。私に敬語を使われるとは・・・・」
昨日、スファルに制止を命じたセオンではない。あれはハルシュタイルの第四王子アルセオールだった。だが今スファルに語りかけるその少年は、スファルがまるで目にしたことのない王子だ。スファルは違和感を禁じえない。
フォルセが腕を組む。
「ハルシュタイルでいまセオンを殺そうとするなら、それは第2王子ということになるか?」
「ああ。・・・まさかセオンさま、第2王子殿下に・・・・・?」
セオンは頷く。
「よく覚えていないけど・・・・・スファルは分かる?」
セオンに問われ、スファルは顎を摘まんだ。
「おそらく、陛下に書状を託された直後のことでしょう」
「書状?」
フォルセが首を傾げる。
「陛下が連合大統領に宛てた書状だ。私が今同じものを持っている」
スファルが懐から出した一通の封筒。そこにはハルシュタイルの紋章が確かに書かれていた。それを見てもセオンは首を傾げるだけだ。
「内容は、協力要請だ。このままでは、第二王子殿下はハルシュタイルを滅ぼす規模の争いを起こすと陛下は危惧されている。連合の手を借りてでも、止めねばならん」
「その書状をセオンが首都へ届けるはずだったが、連合に介入されてはたまらない第2王子が邪魔を消そうとしたのだな」
フォルセの言葉にユリウスが頷いた。
「確かに、最初に会った時セオンは書状なんて持っていなかったしね」
「で、あんたその書状を首都まで届けに行くつもり?」
ロキシーに尋ねられ、スファルは頷いた。そしてセオンに向き直る。
「セオンさま・・・・・どうか、一緒に来てはくださいませんか」
セオンが驚いたように目を見張った。
「俺が・・・・?」
「そりゃ、大統領に直接申し込みに行くなら王族くらいの身分がなければ無理ですけど、それはあまりに・・・・」
ランシールが言葉を詰まらせる。ロキシーは頭の後ろで腕を組んだ。
「思い出してもいない故国のために危険を侵すなんてなぁ」
セオンはじっと考え込んでいる。スファルは視線をフォルセにも向けた。
「それからミッドベルグ、お前にも頼みたい。もはやハルシュタイルには一刻の猶予もない。私は中央平原を越えるつもりだ」
ロキシーがむせる。
「ちょ、そいつはますます賛成できねぇよ。平原を抜けようとして、今まで数え切れない人間が死んできているんだぜ。おっさんだけならともかく、なんでそんなところにセオンと副長まで・・・・」
ハルシュタイルの高名な騎士を「おっさん」呼ばわりし、ロキシーは即座にフォルセに一睨みされた。ロキシーが慌てて口をつぐむ。
「グラウディにもそう言われた。だがもう時間がないのだ。ミッドベルグ、力を貸してくれ」
「私は貴方に力を貸すつもりはない」
フォルセは冷淡に告げ、腰に片手を当てた。
「・・・・セオンが行くというのなら、護衛として同行しよう」
「副長!? そんな・・・・どうして!」
ランシールが信じられないと言った様子で引きとめようとする。するとセオンが顔を上げた。
「俺、行きます」
「セオンまで」
ユリウスも困ったように肩をすくめる。
「たとえ記憶がなくても、それが俺のやるべきことだったなら、最後までやり遂げたいです」
セオンもフォルセも頑固な性格である。ユリウスとロキシーが半ば説得を諦めていた時、ランシールが拳を握った。
「首都へ行くことをお止めするつもりはありません。しかし、平原だけは避けてください。確実に、命を落とします」
フォルセの決定に異を唱えたことのないランシールが、強い口調でそう言った。
「魔物など副長の敵ではありません。けれど平原には、魔物より恐ろしいものがいるんですよ。平原に入った者が殺されているのは魔物だけのせいじゃない」
「なんだそれ? 初耳だぞ」
ロキシーの言葉にランシールが俯く。
「ラン、何を知っているの?」
セオンも尋ねる。フォルセを見ると、彼は静かに視線だけで説明を求めていた。ランシールは降参する。
「中央平原には・・・・イウォルという民族が暮らしています」
「平原に人が住んでいるって言うの?」
ユリウスが眉をしかめた。
「魔物とイウォルの民はお互いが餌です。狩って、狩られて・・・・・そうやって生きている部族なんです。彼らの掟はただ一つ、平原の外の人間に姿を見せてはならない、・・・・ということ。見られれば即座に人を殺し、見られる可能性があれば縄張りに入った時点で殺してしまう。平原に入った人のほとんどが、彼らに殺されているんです」
「ランシール、お前まさか・・・・」
フォルセの言葉に、ランシールが頷く。
「僕は10歳までそこで育ちました」
室内に緊張が奔った。ランシールは視線をそらした。
「だから知っているんです。平原で一番恐ろしいのは、自分たちだったって!」
10歳でキシニアの孤児院に預けられた、という事情はフォルセも知っていた。何しろ当時からフォルセはランシールと親しかったのだ。しかしランシールから、孤児院に預けられる以前のことは一度も聞いたことがなかった。
ランシールは泣きそうな顔で訴えた。
「広大な平原でも、彼らにとっては庭そのものです。お願いですから、やめてください・・・・・」
フォルセが微笑む。
「それを聞けただけで良い。そう言う危険な奴らの存在を知れたのだから、警戒もできるというものだ」
「副長・・・・・セオン・・・・」
ランシールが俯く。ユリウスが立ちあがった。
「僕も行こうか?」
「行こうかって、自分がどんな無茶を言っているか分かっているのか?」
フォルセが呆れたように言うと、ユリウスは軽くフォルセを小突く。
「無茶言っているのはフォルセもでしょ。どうせ怪我するんだから、傍にいた方が安心できる。・・・・ついていくからね」
ユリウスは断言してから、腕を組んでいるロキシーを見やった。
「ロキシーは?」
「だから、なんだって俺が当然みたいに呼ばれんの?」
ロキシーは頭を掻いた。
「てか・・・・俺行くの?」
「怖い?」
「俺が怖いのは懲戒免職だなあ。分かったよ、副長いなきゃやっていけそうにねえし」
おどけた様にロキシーが肩をすくめる。
フォルセは俯いているランシールに向き直った。
「ランシール」
「どうしてそんなあっさり、行くなんて決めるんですか・・・・!?」
ランシールがフォルセに詰め寄る。
「死ぬかもしれないんですよ!? 副長がいなきゃ、キシニアは・・・!」
「確かに、職務放棄になるかもしれないな」
フォルセは呟いたが、すぐ凛とした表情でランシールの視線を受け止めた。
「セオンの正体が隣国の王子だろうが関係ない。家族を失いたくない、それだけなんだ。セオンが行くというのなら、彼を生きて首都へ送り届けるための盾となろう」
「フォルセさん・・・・・」
セオンが呟く。フォルセはちらりとセオンを見て腕を組む。
「それに理由はまだある。セオンには酷なことだが、ハルシュタイルの狙いであるセオンがキシニアにいると知られた以上、また襲撃される可能性はかなり高い。そうなれば多くの民が犠牲になるだろう。そうなる前に街を出れば、奴らはセオンを追う」
「セオン一人が狙いなんだから、キシニアには被害なしってことか。副長がいれば守ることもできる」
ロキシーが納得したように呟く。
「道中襲撃されることに関しては何も問題はない。喰いついて連合の奥に引きずり込み、退路を断ってやればいい」
フォルセは断言し、視線をランシールに戻した。
「私は悪辣な手が大嫌いなんだ。奴らを片づけないと気が収まらない。だからランシール、行かせてほしい」
ランシールがぐっと唇をかみしめ、拳を握りしめた。そして身を翻し、医務室を出て行ってしまった。
7月5日 地下牢での会話を少しつけたしました。